【2016年/香港/102min.】
トラック運転手・黃大海の電話に、精神科の病院から連絡が入る。
「御子息の黃世東さんは、回復しました。ご家族の支えが必要です。引き取りに来て下さい。」
家庭を顧みず、妻の介護も、長男の阿東に押し付けってしまった大海。
全てを一人で背負い込み、精神を病んでしまった阿東が入院したのは、もう一年前。
大海は、久し振りに再会した阿東を連れ、自分の家へ。
そこは、薄暗く、2歩進めば壁に当たる小さな部屋。
これまでろくに会話したことさえ無かった父子は、ここで新たな生活を始めるが…。
香港の黃進(ウォン・ジョン)監督による、この長編デビュー作は、
2013年、新たな才能の発掘を目的に、香港政府機関の商務及經濟發展局が試験的に設立した
FFFI 首部劇情電影計劃(First Feature Film Initiative)の、第1回受賞企画作品。
黃進監督は、短編作品『三月六日~6th March』(2011年)で注目された1988年生まれの新人さん。
私も観た陳木勝(ベニー・チャン)監督作品『レクイエム 最後の銃弾』(2013年)では、
脚本チームに参加していたらしい。
脚本を担当している陳楚珩(フローレンス・チェン)は、黃進監督と私生活でもパートナー。
『誰がための日々』のために、4年前から二人三脚で、取材や資料収集をし、脚本執筆などに2年を費やし、
200万香港ドルの制作費で、たったの16日間で、撮り上げている。
そんな黃進長編監督デビュー作である本作品では、
2017年、地元香港の第36回香港電影金像獎で、
最佳女配角(最優秀助演女優賞)、最佳男配角(最優秀助演男優賞)、新晉導演(新人監督賞)の3冠、
2016年、第53回金馬獎では、
最佳女配角(最優秀助演女優賞)、最佳新導演(最優秀新人監督賞)の2冠に輝いている他、
ここ日本でも、2017年、第12回大阪アジアン映画祭でグランプリを受賞した話題作。
実はこれ、日本で正式に劇場公開されるちょっと前に、Netflixで配信開始。
これまで、私が観たいと思う中華映画は、
Netflixでの配信が決まると、劇場公開の希望がことごとく絶たれていたので、
『誰がための日々』のような公開方法は珍しい。
“スクリーン至上主義”の私は、もちろん有り難く映画館で鑑賞!
本作品は、たった一人で母親の介護をするも、殺人を疑われる事故でその母を亡くし、
双極性障害を発症し、一年の入院治療を経た元会社員の阿東と、
ずっと家族を避け生きてきたものの、唯一の身内として阿東を病院から引き取ることになったの父・大海が、
狭い部屋で、二人暮らしを始め、
久し振りに向き合う父子関係に戸惑ったり、周囲の偏見や無理解に晒されながらも、
少しずつ前進していく姿を描く人間ドラマ。
親子や家族といった個人の問題と、社会が抱える問題という二種の問題を散りばめた問題テンコ盛り映画。
黃進監督は、一香港人として、香港ならではの問題を取り上げたつもりみたいだけれど、
いえいえ、作品に描かれているのは、日本人にとっても他人事とは思えぬ事の数々。
物語の主人公・阿東は、本来会社員であったが、
母親に介護が必要になった時、近くに身内が誰もおらず、かと言って、介護施設に頼るのもイヤで、
自分で母の面倒を見ると決め、介護離職。
そこまで母親の為を思い、下の世話までして、尽くしているにもかかわらず、
母はアメリカに居る次男・阿俊を褒めちぎり、阿東には辛く当たるばかり。
仕舞いに母は、ちょっとした事故で命を落とし、
すでに精神を病んでいた息子の阿東は、母親殺しの容疑で逮捕。
幸い潔白は証明されたものの、阿東は双極性障害で入院。
ベッド数が不足している病院側は、いつまでも阿東を留めておくわけにもいかず、
回復が認められた一年後、唯一連絡の取れた阿東の身内、父・大海に彼を引き取らせ、
狭い部屋での二人の生活が始まるが、周囲の目は冷ややか。
阿東は、収入を得たくても、精神病という病歴が社会復帰の壁となり、なかなか職に就けず、
旧友・ルイスに仕事を手伝わせてくれと頼むが、
実はルイス自身が仕事で追い込まれており、過度のストレスを抱え、突如自殺…。
ふぅー…・。不幸に次ぐ不幸の連鎖…。
でも、介護離職、介護のストレスで生じる精神疾患、仕事のストレスによる自殺、貧困、格差といった
これら諸々の問題は、香港に限った物ではなく、日本もほぼ同じ。
とても他人事とは思えない問題を、
舞台を香港にした香港ヴァージョンで見せてくれるのが、この映画という感じ。
勿論、“香港ならでは”と感じられる部分も色々と有る。
そもそも、一般的に、自分を育ててくれた実の親を介護施設に入れることへの抵抗感は、
日本人より華人の方が強いと見受ける。
この映画では、結婚を控えた阿東の婚約者・ジェニーが、阿東の母親のために、良い介護施設を探すのだが、
その事で、阿東は「そんな所に母は入れないと言っているだろ!?」と激怒し、口論に発展。
家で母の面倒を見ようとする阿東は、確かに優しい孝行息子である。
だからと言って、自分も“嫁”という立場になるかも知れない日本人女性の多くは、
ジェニーを“姑の介護施設を探す非情な嫁”などと責められないのでは…?
退院した阿東が、父・大海と暮らし始める部屋の狭さも、香港ならでは。
二人が暮らすのは、一つのアパートを小分けにし、複数の世帯に賃貸する“劏房”と呼ばれるタイプの物件。
今どき風に“ルーム・シェア”とも呼べるかも知れないが、そんなオシャレな物ではない。
日本の家も充分プチサイズだが、
元々土地が日本以上に狭い上、地価高騰の激しい香港では、住居問題の改善は難しそう。
“住めば都”とは言うけれど、
住環境が、そこに住む人の人格形成や精神面に影響することは、多かれ少なかれ有ると感じる。
いい年をした男が、薄暗く湿っぽい部屋で、老父と鼻を突き合わせて暮らすだけでもストレスフルだが、
劏房では、四方八方、薄い壁の向こうに赤の他人が居るのだから、気分も休まらないわよねぇ…。
その劏房で、阿東の隣部屋に暮らす母子も、香港ならでは。
母親の余師奶は中国本土の女性。
香港人男性との間に、余果という男児をもうけるも、余果のその父親は行方知れずで、結果的に母子家庭。
香港では、香港の居留権を持たない中国本土出身者の両親を持つ子供“雙非兒童”、
もしくは、片親がそのような中国本土出身者の子供“單非兒童”の問題が出て、幾久しい。
本作品に登場する男の子・余果は、後者の“單非兒童”に当たる。
香港生まれの余果は、香港の居留権は持つが、大陸に籍が無い。
よって、大陸では、公立学校に通うなど公的権利が得られない。
一方、母親の余師奶は、香港の居留権を持っておらず、
恐らく、本土と香港を行き来するための許可証“雙程證”で、香港へ入り、息子の面倒を見ているが、
雙程證だけでは、香港で合法に働くことが出来ない。
日本でも、経済的に困難に陥る母子家庭が多いと言うけれど、
映画の中の余師奶&余果のようなケースは、とても香港的と言えそう。
脚本家の陳楚珩は、この問題も大きく取り上げたかったようだが、
制作費や尺の関係から、脚本は阿東&大海父子の話にフォーカスし、
主人公の御近所さんとして余師奶&余果母子を登場させることで、單非兒童の問題に軽く触れたみたい。
悩める一家を演じるのは、(↓)こちらのお三方。
介護の末、精神を病んでしまった“阿東”こと黃世東に余文樂(ショーン・ユー)、
阿東の父・黃大海に曾志偉(エリック・ツァン)、阿東の母・呂婉蓉に金燕玲(エレイン・ジン)。
新人監督の低予算映画とは思えぬスタア級の顔ぶれです。
当然彼らの出演料は通常なら高額なのだが、三人とも脚本を気に入り、
余文樂と曾志偉に至っては、実質ノーギャラで出演を決めたという。
特に余文樂は、実際に作品を観て、その選択が正しかったように感じた。
彼が、地元香港の電影金像獎で、最佳男主角(最優秀主演男優賞)にノミネートされたのは、
デビューから約15年で、なんと本作品が初めて。
以前は、年間6~7本の作品に出演し、常に2~3本を並行して撮影している状態で、
感情が不安定になったり、不眠に陥ることもあったそうだが、
現在は一年に1~2本の作品に絞り、一つの役に専念するようになったらしい。
“量より質”にシフトした結果、アクションでもクライムサスペンスでもコメディでもないこの作品で、
これまでとは違う一面を出すことに成功。
余文樂扮する阿東は、見ているこちら側まで、胸を締め付けられるキツイ役…。
仕事を辞め、たった一人で母の介護をしているのに、その母からはクズと罵られ続け、
それでも病んだ母には反撃など到底できるわけもなく、忍耐に次ぐ忍耐…。
結果、俗に“躁鬱病”と呼ばれる双極性障害に陥る。そりゃあ、心も折れるわよねぇ…。
一年の入院治療を経て、一応回復と診断され、退院するも、
一度貼られた精神病患者のレッテルが、阿東の前途を塞ぐ。
人生が思い通りに進まない事が、精神面に影響するのか、退院後の阿東は、確かにしばしば不安定。
友人の結婚式に飛び入り参加し、マイクを握り、語りまくる姿には、ハラハラさせられた。
そして、遂に起こしてしまう“スニッカーズ無銭頬張り事件at近所のスーパー”…!
作中登場する医師曰く、チョコレートには、精神を安定させる効果があるのだとか。
それにしても、よりによってキャラメルやヌガーがギッシリ詰まったスニッカーズを、食べまくるとは…。
余文樂は、クランクアップ後、当分の間、チョコレートは見るのもイヤだったという。
曾志偉はコメディのイメージが強いので、こういうシリアスな作品への出演は、やはりちょっと貴重かも。
扮する大海は、トラック運転手。家を空けることが多く、家庭は有っても無いようなもの。
結果、妻・呂婉蓉の介護も、長男の阿東に押し付けることとなってしまう。
駄目な夫、駄目な父親の印象がある大海だが、
話が進むにつれ、大海は大海なりに悩み、家を空けていた事情が見えてくる。
お嬢様育ちの呂婉蓉と恋に落ち、娶ったものの、
呂婉蓉は徐々に大海との結婚を悔やみ、大海を疎んじるようになったので、
トラック運転手として外で働き、稼いだお金だけを家に入れようと考えた、大海なりの心遣いだったのヨ。
コミュニケーションが上手く行っていないと、心遣いも裏目に出ることは、よく有る。
金燕玲は好きなベテラン女優。今回の彼女は凄まじかったぁー。
“病を患う母親を演じる金燕玲”で、パッと思い浮かんだのは、『ブラッド・ウェポン』(2012年)。
謝霆鋒(ニコラス・ツェー)扮する主人公の、病気で余命幾ばくも無い母親を演じていた。
死期が迫り、車椅子生活を余儀なくされても、小奇麗で、品の良さを醸すママであった。
ところが、今回、『誰がための日々』で金燕玲が演じているのは、
髪や顔のお手入れなど放置状態の寝た切り老人。
しかも、しおらしいおばあさんではなく、
自分を介護してくれている長男・阿東に悪態をついたり、罵倒したりするイヤーなババァ。
病気だから仕方が無いと、自分に言い聞かせても、
介護している親からこんな風に罵られ続けたら、キツイに決まっているではないか…。
金燕玲自身は、十代からずっと芸能人で、人から見られる事が当たり前になっているだろうし、
実際、普段、お化粧をせずに外出することなど無いという。
でも、作品の中だと、髪も顔も手入れをしない寝た切りの老女を、躊躇なく演じてしまうのですね。
話が反れるけれど、ちょっと前、NHK大河ドラマ『西郷どん』で、篤姫を演じた北川景子が、
晩年のシーンでも、若々しい姿で登場し、視聴者から「美しい!」と称賛を集めたというニュースを見て、
私は非常にシラケたのよ。
リアリティより、いつまでも「綺麗!」、「若い!」と褒められる事に執着する北川景子は、所詮二流。
『西郷どん』では、時の流れに合わせ、実年齢以上の老女に変化していった幾島役の南野陽子の方が、
私の中でお株が上がった。
ベテランのお姐サマ・金燕玲も然り。女優魂を感じる。
本作品の演技で、金馬獎、香港電影金像獎、両方で最佳女配角(最優秀助演女優賞)を受賞したのは納得。
原題の『一念無明』は、仏教にまつわる言葉。
<大乘起信論>の中の一説、「一念無明生三細,境界為緣長六粗」から取られており、
考え過ぎると、真意を見抜けず、煩悩に遮られてしまう事を意味するという。
人生の過程で、色々余計な考えに囚われるようになり、目の曇った大人たちを連想する。
一方、阿東の隣部屋で母と暮らす少年・余果は、
何事にも囚われることなく、真っ直ぐな目線で、真意を見抜く、鋭くも純粋な存在。
作品の終盤では、ギコチなかった阿東と父・大海の気持ちが近付いていくし、
未来を感じさせる余果のような少年の存在もある事で、
気分をドヨーンと沈ませる重いテーマを扱った作品にもかかわらず、
観終わった時、なぜか“今日よりマシな明日”を感じ、不思議と気持ちがちょっと軽やかに。
監督の黃進も、脚本家の陳楚珩も、本作品制作中は、20代でしょ…?
映画制作の技術面のみならず、
このようなテーマをこんな風に解釈し、表現する精神面も、早熟だと感心する。
そして、何より、アクションやクライムサスペンス以外の香港映画が、
日本のスクリーンで鑑賞できたことが、これまた嬉しい。
非アクション、非クライムサスペンスの香港映画では、
昨年日本で『29歳問題』(2017年)が、ちょっとした話題になったけれど、
私の好みは今回の『誰がための日々』の方。
(但し、日本語字幕に関しては、
『29歳問題』の方が、人名を漢字表記にするなど分かり易い上、工夫があって、ずっと良かった。)
この映画、私は、たまたま伊勢丹へ行くついでに、K's cinemaにふらりと立ち寄って観たのだけれど…
初日だったので、期せずして、来場者プレゼントで李錦記の麻婆豆腐の素を頂いた。
しかも、上映終了後には…
スカイプで香港と結んだ黃進監督のQ&A付き。こんなイベントが用意されていたことも知らなかった。
黃進監督は、劉偉強(アンドリュー・ラウ)監督のワークショップに参加中とのことで、
そのスタジオからの中継であった。
機材にちょっとしたトラブルがあり、音声は多少不明瞭であったが、
毎度の周さん(サミュエル周)が通訳するちゃんとしたイベント。
家族に精神病患者を抱える事に関して、「中国人は伝統的に家の恥を隠そうとする。
それで状況が余計に悪化してしまうことも多い」と黃進監督は語っていたけれど、
“臭い物に蓋”の意識は、日本も似たような物ではないだろうか。
あと、音楽を担当した日本人作曲家・波多野裕介の話なども出た。
こんなイベントが有るとは知らなかったので、ちょっと得した気分。
プレゼントが有って、Q&Aも付くのに、客席に人がまばらだったのは、非常に残念。
こういう映画にちゃんと人が入らないと、“Netflixで配信される作品は、スクリーンで上映しても意味ナシ”、
“香港映画は、やはりアクションや犯罪サスペンス以外に需要ナシ”という事になってしまいそうで、怖い…。
こういう作品が、この先、映画館のスクリーンで観られるかどうかは、ちゃんと儲かるか否かにかかっている。
皆さま、頼むから、お金を払って、映画館で観て。お願い。
それにしても、私のパソコンは、どれだけ馬鹿なのでしょう…?!
この映画のタイトルを“たがため”と入力すると、どうしても“タガタメ”と変換され、“誰がため”の選択が無い!
“タガタメ”では、まるで、タガメか亀の一種みたい。
私は、仕方なく、いちいち“だれがため”と入力しております…。