


観たい!とずーーーっと言い続けていた婁(ロウ・イエ)監督作品
『推拿~Blind Massage』(2014年)が…

今週末、2017年1月14日、『ブラインド・マッサージ』の邦題で、よーーーやく日本公開。
バンザイ。

随分待たされたが、日本のスクリーンで観られることとなり、素直にi嬉しい。
しかも、映画の公開に先駆け、2016年8月には、
原作小説の
<ブラインド・マッサージ>という翻訳本が発売。

(もっとも、私が翻訳本の出版に気付いたのは、つい最近。)
よほどの超大作ならともかく、まさか婁監督作品の原作本が日本語で読めるとは思いもしなかった。
そもそも、日本で中国の小説というと、<三国志>や<水滸伝>といった大昔の作品が主流なので、
現代文学の出版自体が珍しい。
★ 概要
本書の作者・畢飛宇(ビー・フェイユイ)は、1964年、江蘇省興化の生まれ。
1987年、揚州師範學院中文系を卒業と同時に教員となり、
1990年、処女作である中編小説<孤島>を文学雑誌<花城>に発表。
1992年、<南京日報>の記者となり、
1997年、<哺乳期の女~哺乳期的女人>で魯迅文學獎の短編小説部門で受賞して以降、
数々の作品で、様々な文学賞を受賞している。
現在は、江蘇省作家協會の副主席であり、南京大學の教授。
かなり著名な作家でありながら、訳者のあとがきによると、
ここ日本で、畢飛宇作品が翻訳紹介されたのは、これまで短編小説がいくつか雑誌に掲載されただけで、
単行本の刊行は、この<ブラインド・マッサージ~推拿>がお初なのだと。
<ブラインド・マッサージ>は、2009年に発表された長編小説で、
2011年、
第8回茅盾文學獎(ぼうじゅん文学賞)を受賞。

この年、ノーベル賞作家・莫言(ばく・げん/モウ・イェン)の<蛙鳴(あめい)>も一緒に同賞を受賞してる。
私は、婁監督が映画にしたことで注目したわけだが、
映画化の一年前の2013年、康洪雷(カン・ホンレイ)監督により、
テレビドラマ化もされている。

こちらは、あまりヒットしなかった上、原作者・畢飛宇に無許可で、ドラマの脚本<推拿>が出版されたため、
脚本家の陳枰(チェン・ピン)と西苑出版社が訴えられたようだ。あららぁー…。
婁監督の映画『ブラインド・マッサージ』の方は、そのような問題は無く、
脚本を手掛けた馬英力(マー・インリー)は、第51回金馬獎で最佳改編劇本(最優秀脚色賞)を受賞。
★ 物語
小説<ブラインド・マッサージ>の目次は、以下の通り。
プロローグ:定義
第1章 :王先生
第2章 :沙復明
第3章 :小馬
第4章 :都紅
第5章 :小孔
第6章 :金嫣と泰来
7章 :沙復明
第8章 :小馬
第9章 :金嫣
第10章:王先生
第11章:金嫣
第12章:高唯
第13章:張宗
第14章:張一光
第15章:金嫣と小孔、泰来と王先生
第16章:王先生
第17章:沙復明と張宗
第18章:小馬
第19章:都紅
第20章:沙復明、王先生と小孔
第21章:王先生
エピローグ:夜宴
見ての通り、プロローグとエピローグ以外は全て人名で埋め尽くされている。
内、高唯以外は全員盲人のマッサージ師。高唯は盲人ではないが、他の皆と同じ職場で働く同僚女性である。
その職場とは、南京にある盲人マッサージの店・沙宗マッサージセンター(沙宗推拿中心)。
本書は、その沙宗マッサージセンターで働く盲人たちの(正確には、高唯のような健常者も少数含む)
日々の生活や、人生の中の悲喜こもごもを綴った群像劇。
ひと言で“盲人”といっても、先天的に目が見えない人、後天的な人、全盲の人、弱視の人と様々で、
それによっても、人生観や性格が変わってくるもの。
例えば、病気や事故など何らかの事情で後天的に盲人になった人は、
それまで当たり前のように有った光を突如失い、生活も一変してしまう訳だから、
それが後の性格形成に大きく影響することもある。
勿論、障碍が有ろうと無かろうと個性は人それぞれ。
普段はあまり注目されることの無い人々、
街の片隅の小さなマッサージ店で働く盲人たち一人一人が背負う人生の中に詰め込まれた
ささやかなドラマの数々に、不思議とぐいぐい引き込まれる。
また、小説に描かれる彼らの人生の中に、
愛と性が大きく含まれるのは、特徴的。

それは、我々健常者が、ついついタブー視して触れないようにしている部分かも知れない。
しかし、もしこの部分が無く、本書が、盲人を取り巻く社会問題や、
社会的弱者のけな気な生き様ばかりを綴った“イイ話”に終始していたら、
それはわざわざ婁監督が映画にする題材ではなかったであろうと想像する。
★ 登場人物
映画『ブラインド・マッサージ』が、どれ程度原作小説に忠実に撮られているのか、
もしくは原作小説のどの部分を重点的に取り上げているのか、といった詳細は今の時点では不明。
だが、小説の中で主要となっている人物たちの多くは、一応映画の方にも登場するようだ。
そこで、ここには、小説の中で描かれる主要人物たち個々の背景を簡単に記し、
映画の中で取り分け大きく取り上げられているであろう人物に関しては、
演じるキャストの名と画像も挙げておく。

映画:郭曉冬(グオ・シャオドン)
南京出身。技術の高いマッサージ師で、経済が絶好調だった時代に、当時働いていた深圳でひと財産を築く。
同じように盲人で、マッサージ師の小孔を大切に想い、一日も早く故郷で自分のマッサージ店を開き、
彼女をその店の店長夫人にしてやりたいという気持ちから、株式投資に手を出し、失敗して、財産を失う。
小孔を連れ、南京に戻り、止むを得ず、旧友・沙復明が経営する店、沙宗マッサージセンターで、
小孔共々雇ってもらうことになる。
そこで働きながら、コツコツと貯めたお金を、弟の借金返済に充てる羽目となり、抑えていた気持ちが爆発。
自分の体を包丁で切って、116針縫う。

映画:張磊(チャン・レイ)
安徽省・蚌埠出身。深圳で知り合った王先生に誘われ、覚悟を決め、
美容院へ行き、ハイヒールとトリンプの下着とシャネルの5番を買って、春節休みに彼の実家がある南京へ。
そのまま王先生と恋人関係になり、駆け落ち同然で南京に残り、沙宗マッサージセンターで働くようになるが、
全盲の男との結婚を反対する親を欺くため、2台の携帯を持ち、親には深圳に居ると偽り続ける。

映画:黃軒(ホアン・シュエン)
9歳の時、交通事故で失明。親に連れられ、あちらこちらの病院を巡るも、回復は不可能と知り、
自殺を計ろうと茶碗の破片を突き刺した傷が今でも首に残る、20歳そこそこの青年。
会った人は口をそろえて「典型的なイケメン」と言うし、見たところ健常者と変わらないが、
それゆえ他の盲人よりトラブルに見舞われ易く、大変な無口になる。
初めて関係をもった娼婦・小蠻にハマり、幾度も幾度も彼女を訪ね、やがて警察に見付かってしまう。

映画:秦昊(チン・ハオ)
南京で沙宗マッサージセンターを経営する店長。
盲人でありながら昔から商才に長けていた沙復明は、自分が開く店には腕の良いマッサージ師が必要と考え、
旧友の王先生を厚待遇で迎え入れようとしたが、断られ、
結局、張宗との共同出資で沙宗マッサージセンターをオープン。
その後、財産を失い、南京に戻って来た王先生に頭を下げられ、
かつて自分の誘いを断った彼を、恋人・小孔と共に、店に雇う。
自分の店に雇っている別の女性マッサージ師・都紅が美人と聞き、
自分の目では見たことがない美しい彼女に惹かれていく。

映画:梅婷(メイ・ティン)
盲学校の先生に音楽の才能を見出され、勧められて始めたピアノがみるみる上達するも、
中学2年の時、演奏会で大失敗をし、漢方マッサージに進路変更して、
李婷婷の紹介で沙宗マッサージセンターにやって来たが、ハッキリ言って下手くそ。
ところが、(盲人なので、自分では自分の容姿を知らないのだけれど)美人なので、客がつく。
テレビドラマ『大唐朝』のスタッフが来店した際には、
彼女が盲人だと気付かない監督から、スカウトされかけたほど際立って美しい。
店長の沙復明から想いを寄せられるが、彼女の方は彼に興味はなく、気になっているのは小馬。
仲違いしてしまった李婷婷が結婚退職すると知り、衝撃を受け、関係修復を図ろうとした時、
不運にも、休憩室の扉で、右手親指を断裂してしまう。

35歳まで健常者だった元炭鉱夫。2001年、江蘇省の炭鉱で起きた爆発事故が原因で、視力を失う。
すでに40歳近く、2人の子供をもつ彼は、若いマッサージ師が多い店で、異色。
張一光の最大の特徴は、度を越すこと。
人付き合いが巧く行っている時は、自分の内臓を取り出して酒のつまみにできないのを残念がる程だが、
仲が悪くなると、極端に相手を憎み、すぐに手を出す。
惜しみながらも、一番気に入っている女の子・小蠻を譲る。

映画:黃璐(ホアン・ルー)
容貌は人並みで、厳密に言えば、美人ではない。しかも自尊心が強い。
本当は条件の良い大きな店で働きたかったが、競争に勝てず、みじめな気持ちになるのがイヤで、
仕方なく、労働者相手のヘアサロンで働き始める。
ベッドの上では至れり尽くせりであるため、張一光が“最も寵愛する妃”であったけれど、
今度はその張一光の紹介で相手をした小馬から常に指名されるように。
一人前の娼婦は無情でなくてはならないと知りながらも、小馬の清らかな“視線”に囚われてゆく。

1歳の時、医療事故で失明。
上海で知り合った沙復明と共同出資で、南京に沙宗マッサージセンター(沙宗推拿中心)をオープン。
店名は、沙復明の姓“沙”と、張宗の名“宗”を合わせたもの。
内向的が度を越し、ほとんど自閉症に近く、滅多に口をきかない。
そのため、表立った仕事は沙復明任せであったが、
お店に不穏な空気が漂い始めると、その均等も徐々に崩れていく。
愛読書は<紅楼夢>。

大連出身。10歳の時、黄斑変性症で目を悪くすが、多少の視力あり。
地元に居た頃、徐泰來と小梅の話を伝え聞き、会ったこともない徐泰來に勝手に恋をして、
彼を追って上海、南京とやって来て、沙宗マッサージセンターで働くようになり、徐泰來に積極的にアタック。
どう見ても釣り合わない二人であったが、紆余曲折を経て、意外にもカップルに。望む愛は“溺愛”。

先天性の盲人。身長176センチ。左利き。蘇北出身で、強い蘇北訛り。
“妹妹(メイメイ)”を“ミーミー”と発音するのは蘇北人だけなので、すぐ出身地がバレる。
他にも、FとHが逆になってしまうため、“回鍋肉(ホイコーロー)”を“肥鍋肉(フェイコーロー)”、
“分配(フェンベイ)”を“婚配(ホンベイ)”などと発音。
初恋の相手は陜西省出身の小梅で、交際10ヶ月足らずで破局。
この初恋で傷ついたせいもあり、とても臆病で、金嫣のアプローチになかなか応じない。
最終的に金嫣と付き合うことになった時、彼女から何度も“綺麗”と褒めることを強要されるが、
先天性の盲人で、“綺麗”の意味が分からず、口にした言葉は「紅焼肉よりも綺麗だ」。
(※)この徐泰來は、映画では“徐泰和”と微妙に役名が変えられているみたい。
小さな不満や問題は多々あれど、表面的には平和を保ってきた沙宗マッサージセンターは、
まかないの羊肉が公平に配られていなかったという些細な事件を機に、
徐々にホコロビ始め、店長・沙復明が大量の吐血で運ばれた病院で、物語は幕を下ろす。
沙復明は回復するのか、店がどうなるのか、先の見えない幕締めは、悲劇的にも見えるけれど、
居場所を失いかけながらも、崩壊寸前の絆を取り戻す盲人たちが、
新たな一歩を踏み出そうとする力強さも感じられ、案外清々しいラストであった。
盲人マッサージ師たちを主人公した小説を、私は他に知らない。
それは、盲人マッサージ師を主人公にしても、そこにドラマが生まれない、面白くならないと思われ、
扱われないからではないだろうか。
私自身、婁監督の映画が無かったら、“盲人マッサージ師の話”という情報だけでは、
この小説を手にしなかった気がする。本書と出逢わせてくれた婁監督に感謝。
これ、物語自体がとても面白く、引き込まれたのだけれど、
所々に出てくる生活文化、時流を感じさせるくだりにも興味を引かれた。
例えば、都紅をスカウトしようとする監督が撮っている
テレビドラマ『大唐朝』。

これは、架空のドラマよねぇ…?唐代を描くドラマは多数あっても、『大唐朝』は有りそうで無いような…。

今は大陸発のヒット曲も多いけれど、ちょっと前まで中華圏のミュージックシーンを牽引していたのは、
やはり台湾なのだと感じる。
ちなみに、一曲は、障碍者の歌手・鄭智化(ジョン・ジーホワ)の<船乗り~水手>、
もう一曲は、齊秦(チー・チン)、1985年のヒット曲<北国から来た狼~狼>。
齊秦の歌は、『天使の涙』(1995年)の中の<思慕的人>や
『ウィンター・ソング』(2005年)の中の<外面的世界>といった具合に、
映画の中で印象的に使われていることからも、
中華圏である世代以上の人々にとっては、過去のどこかに必ず刻まれている想い出深いものなのであろう。
曲のタイトル等もそうなのだが、
本書を読みながら、中国語の原文ではどう書かれているのだろう?と気になる部分は多々あった。
例えば、「南京の人は“金を稼ぐ”とは言わない。
金を稼ぐのは苦しいから“金を稼ぐ”ことを“金を苦しむ”と言う」というくだりがある。
これって、ちょっと前に観た王兵(ワン・ビン)監督のドキュメンタリー『苦い銭~苦錢』と同じか?
私が読んだ王兵監督のインタヴュでは、労働者がよく使う表現で、
お金を稼ぐのは大変なことだから“苦錢 kŭqián”という、…との説明であった。
間も無く公開される映画『ブラインド・マッサージ』が楽しみ。
キャストでは、取り分け黃軒(ホアン・シュエン)の演技に期待している私。
小説を読み、小馬役に彼が選ばれたことを、やけに納得した。
口数が少なく、内に溜め込むタイプの美男子を、黃軒なら繊細に演じてくれていそう。