前のエントリ、“北京2016:田義墓②”では、明代の太監・田義のお墓について記したが、
メインのお墓を見学し終えても、ここにはまだ見ておきたい所がある。
この最後の“北京2016:田義墓③”では、同じ敷地内にある残りのエリアについて。
★ 宦官文化陳列館
お墓参りを終え、出入り口の方へ戻ると、そのすぐ右脇に、
赤い窓枠をもつレンガ造りの建物が、奥に向かって細長く、数棟建っている。
これが宦官文化陈列馆(宦官文化陳列館)。
文字通り、様々な面から宦官について紹介するコーナー。
宦官(太監)の身体的特徴で、日本人が真っ先に思い浮かべるのは、“浄身(去勢)している”という点であろう。
実際、宦官は、宮中に仕える去勢した男性なので、この陳列館の展示にも、ぼちぼちエグイ物がある。
当ブログは、公開範囲を制限していないのだけれど、今回は一応
18禁という事にしておこうかしらー。

(この項は簡単にしか触れないし、私自身は別にキワドイとは思っていないが…)
18歳以上でも、気の弱い方や、エログロ完全拒絶!という方は、自主的にスルーして下さいませ。
以下、展示の中から、一部を紹介。
★ 大昔から去勢
“去勢した男性”と聞くと、清宮ドラマに出てくる辮髪の太監の姿をまず思い浮かべてしまいがちだが、
その歴史は非常に古く、もっとずーーーっと昔に遡る。
なんと古代の甲骨文字でも、すでに“去勢”を表す文字が…!分かり易い絵文字(笑)。
甲骨文字ということは、殷(紀元前1675-紀元前1046)の時代か。
ちなみに、中国語で“去勢”は、“閹割 yāngē”。
自分で去勢することは、“自宮 zìgōng”という。
こちらは、陝西省にある前漢第6代皇帝・景帝(紀元前157-紀元前141)の陵墓、陽陵から出土された
紀元前141年頃の副葬品の土偶のレプリカ。
左から、武士俑、宦官俑、女人俑。
中央の宦官は、女性より長身で、一見武士と変わらないが、股間にビミョーな差が。
★ 清代の去勢
清代、去勢は、内務府に属す慎刑司の管轄。
しかし、明・清代の北京には、政府から去勢を請け負う民間の去勢屋さん(?)が出現。
清朝末期の北京では、南長街會計司胡同の“畢五”、
地安門内方磚胡同の“小刀劉”というお二方が去勢業の双璧。
共に、設備が整っており、実績が多く、技術が優れていて、死亡率も低かったため、
子供を太監にしたい人は、この2軒のどちらかに去勢を依頼したという。
(勿論タダではないので、お金が用意できない人は、
リスクは高まっても、有名ではない去勢屋さんに頼んだり、自分で処理。)
この再現模型のように、去勢希望者は、手術台に固定され、局部を辣椒水(唐辛子ウォーター?)で洗浄。
全ての準備が整ったところで、執刀医から「後不後悔(後悔はない)?」と問われるのが、お約束。
そして、「後悔ない」と答えると、バサーッとカットされたそう。
形式的に後悔していないか聞かれたところで、
この“まな板の鯉”状態では、今更「後悔している!やめてーっ…!」とは言いにくいですよね。
この模型の太監候補者も、歯を食いしばり、見るからに辛そうな表情。
局部は、どうやら、天井から下げられた紐に縛って持ち上げ、カットし易くするようだ。
こちら、去勢に使うナイフ、閹刀(清末に使われていた物のレプリカ)。
中華包丁というより出刃包丁って感じ?
★ 孫耀庭
無事浄身を済ませ、見事入宮を果たした太監たちの中から、
さらに頭角を現し、皇帝など宮中の権力者に仕えることができる者も。
こちらの展示品は、日本でも、映画『ラストエンペラー』(1987年)でお馴染み、
宣統帝・愛新覺羅溥儀(1906-1967)が、自分に仕えた太監・孫耀庭に贈った坎肩(袖なしの上着)。
一見質素だが、よく見ると、祥雲のような地紋が入ったエレガントなお品。きっと上質な布地なのでしょうね~。
その孫耀庭(1902-1996)は、ラストエンペラーに仕えた“清朝のラスト太監”!
1902年、天津の貧農に生まれ、一度は勉学を志したものの、
家計を助けるため、太監に成るべく、父親に浄身されるも、すでに清朝は崩壊。
それでも、新たに皇族に仕える太監が民間から募集されたため、
1916年、14歳の時、人の紹介で、溥儀の叔父にあたる載濤貝勒(1887-1970)の邸宅で働くことから
太監のキャリアをスタート。
その後、部署替え(?)を繰り返しながら、最終的には、満州国皇帝となった溥儀に仕えている。
1945年、日本の敗戦で、民間に戻ったり、さらにその後、文化大革命が有ったりで、
大変な苦労をしながらも、なんとつい最近の1996年まで存命だったというから、驚き。(享年94歳)
孫耀庭のそんな波乱万丈の人生は、作家の賈英華が、本人からの取材で一冊の本にまとめ、
日本でも
<最後の宦官秘聞~ラストエンペラー溥儀に仕えて>のタイトルで出版されている。

また、この自伝を元に、香港の張之亮(ジェイコブ・チャン)監督が、

主人公の太監を演じているのは莫少聰(マックス・モク)。
洪金寶(サモハン・キンポー)、劉華(アンディ・ラウ)といった大物も脇で出演。
私は、本→未読、映画→随分前に鑑賞。映画は、“観応えのある重厚な歴史モノ”だったという記憶はない。
本の方は、是非読んでみたい。溥儀の同性愛説について肯定的な記述もあるらしい。
★ 中国史に名を残した宦官たち
孫耀庭以外にも語り継がれている宦官は結構いる。
この展示室では、中国史に名を残す著名な宦官を紹介。
楊貴妃の物語に必ず出てくる唐朝第9代皇帝・玄宗に仕えた高力士(684-762)、
明朝第3代皇帝・永樂に重用され、大航海を成し遂げた鄭和(1371-1434)といった
日本でも広く知られる太監に関する記述も当然あり。
他、映画やドラマにも登場する有名どころをちょっとだけ取り上げてみると…

明朝第6/8代皇帝・英宗が専横を許し、権勢を振るった宦官。
この王振にそそのかされ、親征してしまったがため、明軍が大敗し、
英宗自身捕虜になってしまった“土木の変(土木堡之變)”で有名。
その後に続く、英宗の息子・成化帝と萬貴妃の物語は、ドラマ『王の後宮~後宮』にも描かれている。

媚びへつらいが上手く、文盲にも拘わらず、みるみる出世し、
![イメージ 11]()
明朝第16代皇帝・熹宗の下、権力を掌握し、明の衰退を加速させた奸臣。
非常に厚かましい男で、皇帝にしか使えない“萬歳(バンザイ)”は遠慮したものの、
李蓮英(1848-1911)
親王に使う“千歳”より上の“九千歳”(後に“九千九百歳”まで水増し)を自分に向け
人々に唱和させたというエピソードが有名。
映画『ブレイド・マスター』(2014年)では、台湾の名優・金士傑(ジン・シージエ)が扮している。

西太后こと慈禧太后に仕えた“清朝最後の宦官”として有名。
前出の孫耀庭以外にも、“最後の宦官”、実は結構居ます(笑)。
まぁ、何を以って“最後”と言うかの違いなのだけれど。
こちらの李蓮英は、清朝崩壊後に溥儀に仕えた50歳以上年下の孫耀庭と違い、清朝末期に活躍。
西太后を描く映像作品には大抵登場するし、ズバリ『清朝最後の宦官・李蓮英』(1990年)という映画もある。
これは、田壯壯(ティエン・チュアンチュアン)監督作品で、姜文(チアン・ウェン)が李蓮英に扮している。
ドラマ『蒼穹の昴~蒼穹之昴』の中でも、西太后・田中裕子のお側にくっ付いております。
たかが宦官、されど宦官。宦官といえど、権力を掌握し、手に負えない存在になる者も多い。
そのように、宦官が元凶で起きた様々な災いについても多数紹介されている。
前述の“土木の変(土木堡之變)”についても、もちろん記されている。
★ 宦官ライフ
賄賂で財を成したり、皇帝を操ったりと、奸臣のイメージの強い宦官だけれど、
そんな彼らにも、日々の生活あり。
この展示室では、宦官のプライベート・ライフに触れられる。
例えば、(↓)こちら。
西太后の息子である清朝第10代皇帝・同治帝(1856-1875)の時代の太監が使っていた紫砂の茶壷。
カラフルで可愛らしい、こんな茶壷で、日々の憂いを忘れ、ティータイムを楽しんでいたのでしょうか。
いや、それより、(↓)こっち。
“变态的性行为(変態的性行為)”だと…!![]()

去勢で性機能が働かなくなっても、性的欲求が無くなることはないため、変態行為に走る宦官は珍しくなく、
画像のようなオトナのおもちゃも色々見付かっている。
こういうの、中国語で“狎具 xiájù”と呼ぶそうです。
展示されている“狎具”は、根元に唐子みたいのが付いた、遊び心のある(?)デザイン。
(これと限らず、封建王朝時代の中国の様々な品を見て、私が感心するのは、
“ただ用が足りれば良い”のではなく、必ず無用とも思える装飾が施されている事。
“シンプル・イズ・ベスト”ではなく、“無駄”に美学を見出す点に、大層惹かれる。)
宦官のプライベート・ライフでは、他にも、“畸形的婚姻(いびつな婚姻)”として、
宦官の婚姻についての説明もなされていた。
それによると、性能力を失っているため、基本的には結婚は不可能とされていたが、
それでも、妻を娶って家庭をつくるという精神的満足感を得るために、
同じように寂しい宮女と、宮廷の外で、婚姻関係を結ぶ少数の宦官が、早くは漢代で確認されているらしい。
そのような宦官と宮女の特殊な関係を“對食(対食)”と呼び、
明代になると“菜戶(菜戸)”という言葉も使われるようになる。
対食と菜戸は、同じようであり、正確には区別あり。
対食は、元々、宮女同士の同性愛を意味していたたため、
その後も、宦官&宮女の異性愛、宮女&宮女の同性愛、どちらにも使えたのに対し、
菜戸は、宦官と宮女という異性の夫婦関係に限定なのだと。
そう言えば、ドラマ『宮廷の諍い女~後宮甄嬛傳』でも、甄嬛お付きの宮女・槿汐が、
雍正帝お付きの太監・蘇培盛と、伴侶になっていましたよね。ああいうのは、現実に有った事なわけです。
★ 龍袍ミイラ
最後は、宦官文化陳列館の目玉とも言える第4展示室へ。
中国語ができる方は、扉の文字“干尸”を見て、もうお分かりですよね?
はい、ここには、“干した尸(屍)”、すなわち、ミイラが展示されております。
こちら、2006年5月、北京市の西に位置する石景山玉泉路で出土されたミイラ。
出土時、このミイラ様が龍袍を身にまとっていたことから、多爾袞(ドルゴン)か?順治帝か?
いや、明のラストエンペラー崇禎帝じゃないか?!と物議を醸したが、どの説もことごとく却下され、
今のところ、“清朝・康熙年間の誰か”とされている。
お召し物の柄などを検証した結果、最有力候補とされているのは、黃拙吾という四品の中憲大夫で、
他にも康熙帝の第8子・愛新覺羅胤禩などの名が挙がっている。
愛新覺羅胤禩は、そう、『宮廷女官 若曦(ジャクギ)~步步驚心』で、
香港の鄭嘉穎(ケビン・チェン)が演じたあの“⑧様”八爺ね。
謎が多過ぎて、決定的な立証には至っていないままのようだが、それもロマンがあって良いでしょうか。
このミイラが発見された場所は、ミイラの保存には不向きな粘土質の土壌だったにも拘わらず、
ほぼ完璧な状態で、髪や爪がしっかり残り、当時は肌にも弾力があったというから、驚き。
(その髪の毛だが、清代のお約束・辮髪ではなく、明代風の髷だったのも、謎が謎を呼んでいる一因。
ま、私が見たところ、ミイラの頭頂部はツルツルで、後頭部ばかりに毛がモッサリ生えていたので、
辮髪に思えたのですが…。)
悪条件の場所で、完璧に保存されていのには、この人物が生前、丹薬を服用していた可能性があるという。
この種の丹薬は、水銀や鉛を多く含むため、服用すると生命をも害するが、
遺体の保存には確実に有益なのだと。
なにせ私は、この日、この時間、田義墓を訪れた唯一の見学者だったので、
この展示室でも一人で自由に食い入るようにミイラを見ていたら、
後方から、「怖いだろ」と、係り員のおじさんが微笑みながら物音も立てずにヌーッと入ってきたので、
腰抜かしそうになった。…いえいえ、おじさん、ミイラよりおじさんの方が怖かったですヨ。
とにかく、私、これまでにミイラは何体も見てきたけれど、清代を生きた中国人ミイラを見たのは、初めて。
皆さまも、北京の片隅の誰も居ない小部屋で、清代のミイラ様に接見なさってはいかがでしょうか。
このミイラ様が一般に公開されたのは、2009年とのことです。
★ 田野石刻展区
宦官文化陳列館を見学し終えたら、最後は、そのすぐ裏に隣接する田野石刻展区(屋外石彫刻エリア)へ。
ここは、石景山近辺で見付かった古い石の彫刻を集めたエリア。
“展示場”というより、“石彫刻の墓場”って感じ。![]()

あまりにも雑然と放置されているので、有り難味が感じられないけれど、
一つ一つをよく見ると、精巧な彫刻を施された物が多く、昔の人の技術の高さが窺える。
動物彫刻などもいくつか有るが、例えばこちら(↓)
右の画像のように、中国では、石碑の土台になっているのをよく見掛けますよね。
このアニマル、
亀だと思っている日本人が多いけれど、似て非なる生き物。

(かく言う私も、中国人に教えてもらいまで、漠然と亀だと思い込んでいた。)
龍の9頭いる子供、龍生九子の内の一つの神獸で、贔屭(贔屓 Bìxì ひいき/びし)という。
長寿や吉祥の象徴であると共に、重きを好むと言い伝えられているため、重い石碑を背負っていることが多い。
あと、中国の石碑というと、ものすごく古い物ばかりを想像してしまうが、
民国の青天白日旗と五色旗を彫った(↓)このような比較的新しい物も。
“民國二十二年”と彫刻されている。つまり、西暦1933年、日本の昭和8年。
他は何が書いてあるのか分からない。
一応、1933年というと、満州事変の後、河北省の塘沽にて、
日本軍が中国側と停戦協定、いわゆる塘沽協定を締結した年。
まぁ、書かれている内容は分からずとも、今どきの中国で、民国の国旗が彫られた石碑自体がレア物ですよね。
以上で、田義墓の見学は全て終了。
私一人の貸し切り状態だったし、たったの8元ポッキリで、かなり濃いぃ見学ができ、満足。
田義墓に関する3ツのレポは、改めて以下にまとめておく。
北京の有名観光地はもう全て見尽くしてしまった方や、物好きな方は、次回のご旅行の際にどうぞ。



◆◇◆ 田义墓 TianYi Tomb ◆◇◆
北京市 石景山区 模式口大街 80号


(身長120センチ以下の児童、65歳以上の高齢者、軍人などは無料)
地下鉄1号線・苹果园(蘋果園)駅から
336路、597路、977路、运通112线,运通116线といったバスに乗車、
