【2017年/イギリス/125min.】
1940年5月9日。
勢いに乗るドイツ軍が、次々と欧州を制圧していく中、
対独融和の政策をとってきたネヴィル・チェンバレンが、
野党・労働党からの激しい批判を浴び、首相辞任へと追い込まれる。
早速、次の首相選びが始まるも、支持者の多いハリファックス卿は、自ら辞退。
も一人の候補者ウィンストン・チャーチルは、
これまで失策が多い上、変人ぶりで、党内でも煙たがられていたが、
この窮状では止むを得ず、新首相就任の決定が下される。
翌5月10日。
ハリファックス卿とも親しい国王ジョージ6世は、必ずしも納得しないまま、
バッキンガム宮殿に呼んだチャーチルに、首相就任の大命を告げる。
こうして自身の内閣を発足させたチャーチルは、
ダンケルクで窮地に追い込まれた英仏連合軍を救出すべく、早速動きだすが…。
『プライドと偏見』(2005年)や『つぐない』(2007年)で知られるジョー・ライト監督のこの新作は、
第90回米アカデミー賞で6部門にノミネートされ、
内、主演男優賞とメイクアップ&ヘアスタイリング賞を受賞した話題作。
特殊メイクを担当し、その賞を受賞したのが、アメリカを拠点に活動する日本人・辻一弘で、
この部門の日本人受賞は初めてだった事もあり、日本では大々的に報道。
かくして、本作品は、日本で久々に大きく扱われるイギリス映画に。
想像していた通り、映画館はかなりの賑わい。
私は、アカデミー賞とは趣味が合わないことが多いので、本作品も過度の期待を抱かず鑑賞。
本作品は、首相に就任したばかりのウィンストン・チャーチルが、
ヒトラー率いるドイツ軍に強硬な姿勢を貫き、
絶体絶命の危機に陥った約30万人の兵士を、
ダンケルクから救出させることを成功させるまでの27日間を描いた歴史ドラマ。
最近、陳凱歌(チェン・カイコー)監督の伝奇映画『妖貓傳~Legend of the Demon Cat 』(原題)が、
空海の伝記映画との誤解を招く『空海 KU-KAI』の邦題で公開され、
案の定、「タイトル詐欺!」と大批判を浴びたので、
これも先にタイトルについて記しておく。
本作品の原題は『Darkest Hour』であり…
かのウィンストン・チャーチル(1874-1965)の名前は、どこにも入っていない。
しかし、『空海』とは異なり、チャーチルを中心に描くチャーチル映画であることは紛れもない事実なので、
「タイトル詐欺!」と怒る人は、あまり居ないであろう。
但し、“チャーチル映画”であっても、チャーチルの生涯を描く伝記映画ではない。
第二次世界大戦初期、イギリス首相就任から、
フランス・ダンケルクの兵士を撤退させる“ダイナモ作戦”を成功させるまでの
たった27日間に焦点を絞って描いているのが特徴。
たった27日間とはいえ、そこには、我々後世の者がイメージするチャーチル像や、
チャーチルにまつわるエピソードが所々に織り込まれている。
例えば、チャーチルと言えば、葉巻と同じくらい、Vサインをしている写真をよく目にする。
映画によると、チャーチルは、“勝利”を意味するVサインをする若者を新聞で目にし、
これを気に入り、自分も早速記者のカメラに向けやってみて、その姿が新聞に掲載。
ところが、このVサインは、手のひらが内側。
この新聞記事を見た、秘書のエリザベス・レイトンから
「これだと“Victory”ではなく、“Up your bum”の意味になってしまいます…」と恐る恐る助言されると、
下々の者たちのお下劣なジェスチャーなど知らなかったチャーチルは、
「そうか、“Up your bum”なのか!ハッハハ!!」と馬鹿ウケしながらも、
次からは、手のひらを外側にして、Vサインをするようになる。
(オジさんが、下手に若者を真似ると、間違ってしまうというのは、国や時代に関係ないようだ。)
そんな訳で、チャーチルのVサイン写真には、2パターン有るのですね。
もう一つ、強く印象に残っているのが、チャーチル様の地下鉄初体験。
上流階級出身で、生まれてから一度も地下鉄なんかに乗ったことが無かったチャーチル様が、
いきなりお車から降り、たった一人で、最寄りのセント・ジェームズ・パーク駅へ向かい、
ディストリクト線に乗って、ひとつ先のウェストミンスター駅へ向かう車中で、
下々の者たちとの交流を描くシーン。
これはフィクション。
チャーチルが、一人で地下鉄に乗ったなどという史実は残されていないようだ。
車中でのやり取りは、私個人的には同意できない台詞が数多く飛び交うのだが、
それはここでは取り敢えず置いておき、それ以外に、かなり驚いた事が一つ。
なんと、チャーチルは、地下鉄の車内で葉巻を吸おうとするのだ(!)。
ところが、マッチが見当たらない。
すると、すでにタバコを吸っている(!!)一人の乗客が、チャーチルにマッチをあげるの。
世間知らずのチャーチルが、場所を考えずに、葉巻を吸いたがるのは分かるけれど、
マッチを差し出すくわえタバコの庶民まで居るという事は、
つまり、1940年当時、ロンドンの地下鉄は、喫煙OKだったということ…?!
しかもねぇー、葉巻に火を点けたチャーチルは、そのマッチを床にポイ捨て…!ビックリ!
日本でも、昭和のある時期までなら、長距離列車などは、喫煙できたはずだが、
いくらナンでも地下鉄は火気厳禁じゃないの…??!
このシーンについて、さらに言うと、たったひと駅がやたら長い。
1940年代当時、地下鉄はこんなノロノロ運転だったのだろうか。
主人公ウィンストン・チャーチルを演じるのは、ゲイリー・オールドマン。
実在の人物を演じるのは、その人物が有名であるほど、難しいもの。
振り返ると、私がゲイリー・オールドマンを知ったのも、
彼が実在の人物シド・ヴィシャス(1957-1979)を演じた1986年の映画『シド・アンド・ナンシー』であった。
ゲイリー・オールドマンは、いわゆる“美男”に属する俳優ではない。
対してシド・ヴィシャスは、私の中で“カッコイイ”に属する男性で、しかも若くして亡くなり伝説化していたため、
『シド・アンド・ナンシー』のゲイリー・オールドマンには、当時、好印象がなかった。
ところが、その後、ゲイリー・オールドマンは実力派として、めきめきと頭角を現し、
気が付けば、すでに還暦の名俳優。
役者寿命延命の鍵は、朽ち易い美しい顔より、実力である。
本作品一番の見所は、脚本や美術など以上に、ゲイリー・オールドマンの“成り切りチャーチル”だと感じる。
元の顔は、チャーチルとは程遠いので、そこは特殊メイクに頼っている。
ひと昔前の特殊メイクは、明らかにメイクと判るワザとらしい物だったけれど、技術の進歩は凄い。
顔に何かを貼り付けているという異物感がまるで無い。
それは、喋ったり、顔を動かしている時もである。
実際のチャーチルとも比較。
かなり近い。
技術的には、恐らく瓜二つにすることも可能なのではなだろうか。
このメイクでは、ゲイリー・オールドマン自身の個性も残しつつ、
現代人の我々が「チャーチルってきっとこんな人」と錯覚できるチャーチル像に仕上がっている。
特殊メイクに頼ることには、賛否両論あるだろうが、この容姿で演じられると、説得力は格段増す。
力強いスピーチをするカリスマ性と、
逆に妻クレメンティ―ンの尻に敷かれているお茶目な面のギャップなども、面白い。
日本では、概ね好評のようだが、私個人的には、評価しにくい作品であった。
たった27日間に焦点を絞り、そこからチャーチル像を浮かび上がらせるという脚本や、
ゲイリー・オールドマンのチャーチル成り切り度の高さ等、
作品としてのクオリティは充分高いと思うけれど、
お話の内容自体には、何とも釈然としないモヤモヤ感が残った。
実際のウィンストン・チャーチルは、バリバリの帝国主義者で、
インド政策など、共感できない部分も多々あれど、キャラが際立つ“面白い”人物ではある。
私は、この映画を観たことで、チャーチルのイヤな面の方を、余計に覗いてしまった気がする。
鑑賞しながら、どうしても考えてしまったのが、
“現在の日本のトップが、このチャーチルのような人物だったら…”という事。
作中、チャーチルは、報道を操作し、現状、イギリスが劣勢であることを国民には伝えず、
得意の話術で、人々に、ドイツという敵に対し、交渉は無駄、ただ強く立ち向かうのみ!と煽りまくる。
「ここで屈し、たとえ生き長らえても、
ハーケンクロイツがはためくイギリスの空の下で生きて、それは幸せと言えるのか?!」とか、
「我々は屈しない!家族や命を失っても、戦おう!」などとホザくわけ。
地下鉄の車内で、そんな事を言われた下々の者たちが、
「そうだ!我々は決して屈しない!戦おう!」と大唱和する気味の悪さよ…。
戦後70年以上経った今、世界中で、ヒトラーもナチスも“悪”と評価されているため、
その揺ぎない完全悪を相手に、果敢に挑む勧善懲悪の物語を作っても、誰からも文句は出ない。
でも、それはナチス惨敗の現実があっての結果論でしかない。
未来なんか予測できないのに、今現在、作中のチャーチルと同じような事を言って、
他国を敵視したり、戦意を煽るような人物がいたら(実際に居る)、私にとっては、危険人物でしかない。
また、そのような言葉に国民が安易に煽られ、妙な熱気に包まれる風潮も、異常で不気味。
アメリカは、元々愛国ヒーロー物が好きだろうけれど、イギリスまで、こういう映画を作ってしまうとは…。
私の勝手な想いだが、イギリスには、自国にもっとシニカルでいて欲しかった。
それにしても、チャーチルは、朝っぱらから葉巻をくわえて、お酒を呑み、あんなにコロッコロに肥え、
不健康にしか思えないのだが、それでも90まで生きたなんて、
やはりあれくらいギラギラした人は、生命力が凄まじい…。