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北京2017:頤和園②

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“西太后の夏の離宮”として日本でも広く知られる世界遺産・頤和園
その歴史などを含めた概要、正門・东宫门(東宮門)からの見所に関しては、

私が記憶していた以上に頤和園が広かった上、同行の母が飽きっぽい人なので、
園内の見所全てを押さえるのは無理であった。
それでも、頤和園見学はまだ続きます。

★ 長廊

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園内の3/4を占める昆明湖の北岸エリアの中でも、取り分け有名な長ーい回廊、“长廊(長廊)”

東の端は、慈禧太后(西太后)の寝所・乐寿堂(樂壽堂)西院の辺り。

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この邀月门(邀月門)を東端に、西の石丈亭まで延々と続く。
たかが回廊の入り口にしては、やけに立派ですね。

長廊は、長さ728メートル、柱間は273間。
その梁や天井板は、山水花鳥他、<紅楼夢>、<三国志>、<西遊記>といった古典を題材にした
8千幅以上の絵で飾られている。
それらは、中国の伝統的な園林建築に用いられる
“蘇式彩画”と呼ばれる装飾性の高い彩画で描かれているが、
風雨に晒される場所なので、保存は非常に困難と思われる。
コンディションの良い物と悪い物でムラがあるし、何より、とにかく数が多いのだけれど、
自分が知っている作品や、好みの作品との出逢いを期待しつつ、長廊を散策。


<西遊記>

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これは、日本人にも分かり易いお馴染み<西遊記>の絵。
頤和園長廊には、<西遊記>を題材にした絵が複数あって、これはその内の一つ。
牛魔王と鐵扇公主の子である紅孩兒(=紅孩児 こうがいじ)が、
三蔵一行を待ち伏せし、自ら木に吊るされ、泣きながら助けを求めるシーン。
未修復なのか、悟空の視線の先の木にぶら下がっているはずの紅孩兒は、残念ながら見えない。


<大戰陸文龍/八大錘大鬧朱仙鎮>

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コンディション悪いけれど、間違いない、…と思う。
これは、京劇<八大錘>の中で、、岳飛率いる宋軍が、金軍を迎撃する朱仙鎮での闘いのシーン。
金が送っていきた猛者は、自分が宋の漢人であることを知らずに金で育たてられた青年・陸文龍。
錘という武器を両手に携えた宋の4人の武将が(4人×錘を各2個=八大錘)
この陸文龍相手に果敢に戦うシーン。


<張飛夜戰馬超>

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蜀の国で、後に五虎大将軍となる5人の内の二人、張飛と馬超による、葭萌関での一騎打ちを描く
<三国志演義>の一シーン。


三顧茅廬>

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三国志繋がりでもう一つ。
劉備が関羽と張飛を従え、目下の諸葛亮の許へ自ら三度も足を運び、迎い入れようとした超有名な逸話、
三顧茅廬(三顧の礼)”を描いた物。


<桃花源記>

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東晉孝武帝の時代、文学者・陶淵明(365-462)によって綴られた有名な散文作品、
<桃源源記>を題材にした絵。
漁夫が迷い込んだ場所が、秦の戦乱を逃れ、下界との接触を断って暮らしている人々の村だったという
“桃源郷/ユートピア”を描く傑作。



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天井も細工、彩色共に凝っていますね。

★ 排雲殿 

長廊をてくてく歩いていくと、その中央に、大きな門が出現。

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昆明湖に面して建つ“排云(排雲門)”
背後にそびえるのは、万寿山(萬壽山)。

まだまだ西側に延び続ける長廊から反れ、こちらを見学。
(長廊をさらに西側へ進のも、また良し。見学者は、排雲門より東側に集中。
西へ行くと、人が少なくなるので、綺麗なお写真が撮り易くなるかも知れません。)

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排雲門を通過。
北の万寿山から南の門まで、中軸線上に建物が並ぶ。

それら建物のの内、万寿山の麓でまず出会うのが(↓)こちら。

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排云殿(排雲殿)”
頤和園の前身・清漪園(せいいえん)の時代、
乾隆帝が母の還暦の祝いに建てた大报恩延寿寺(大報恩延壽寺)があった場所。
その大報恩延壽寺は、咸豊10年(1860)、英仏連合軍により破壊。
光緒12年(1886)、その廃墟の場所に、新たに排雲殿が建てられ、
ここで慈禧太后(西太后)の誕生日を盛大に祝った。

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殿内には、お誕生日パーティーにお呼ばれした王公大臣らが、西太后に献上した祝いの品々が陳列。
(殿内は立ち入り禁止。窓越しで見学。)
宝づくしの花瓶が素敵。あぁ、一個でもいいから欲しい…。

★ 輝殿

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結構な傾斜の階段を登り、まだ上へ。
途中出くわすのが、清漪園時代の多宝殿(多寶殿)跡に建てられた“辉殿(輝殿)”
西太后が、このさらに上の佛香閣にお参りに来た際、お着換えに使用した場所。

★ 佛香閣

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そして、これが、その“佛香阁(佛香閣)”
万寿山の中腹に建つ、頤和園のシンボル的建物。
他の建物と同じように、乾隆年間に創建され、英仏軍により破壊され、光緒年間に再建。
八角形三層の特徴的な楼閣は、高さ36.44メートル。

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閣内には、明代万暦年間に作られた千手観音菩薩像。
像の高さは5メートル、重さは5千キロ。頭が三段重ねになっております。

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連なる琉璃瓦と、その先の昆明湖を見下ろすここからの眺望も素敵。
一時、清代に迷い込んだ気分。

★ 智慧海

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まだ上がある。
目指すは(↑)こちら、万寿山の山頂に建つ“智慧海”


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万寿山を登り切り、智慧海に到着。
建物の前にスペースがあまり無いので、山頂まで来てしまうと、建物を正面から写真に収めることはできない。

これは、清代乾隆年間に建てられた仏殿で、
石材を積み上げる構造で、一切の梁が使われていないため、“無梁殿”とも呼ばれる。
屋根や外壁は、五色の琉璃瓦で覆われ、さらに…

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1110体のミニ仏像が埋め込まれている。

内部には観音菩薩像が安置されているけれど、撮影は禁止。


ちなみに、“智慧海”は、「仏の智恵は海のごとく広く、際限がない」と仏を讃える仏教用語から来ている。

★ 蘇州街

イメージ 20

最後は、“苏州街(蘇州街)”
乾隆27年(1762)、江南幸行の際、かの白居易が整備した蘇州の七里山塘(山塘街)を訪れた乾隆帝は、
そこをえらく気に入り、都に戻った後、清漪園七里山塘を模した街並みを再現。

元の名称“買賣街(売買街)”からも判るように、
皇帝や嬪妃らが遊覧する水路の岸辺に、
文具店、玉器店、布地店、花屋、楽器屋、茶楼、点心屋といった店舗を並べて建てたショッピングストリート。
太監が店員、宮女がサクラで客に扮し、皇帝ご来駕の時のみ“営業”。
ボスの趣味に付き合わされる部下には、迷惑な話ですね(笑)。

ここも、咸豊10年(1860)、英仏連合軍により破壊。
光緒年間に再建案が出るも、実行に至らず、ようやく着手となったのは1986年。
それから4年を費やし、あの英仏連合軍の清漪園破壊から130年後の1990年9月、ついに一般に開放。




蘇州街のお店は、現在、ちょっとしたお土産屋さんのようになっており、ちゃんと営業している。
ぶらぶら散歩してみたかったが、ここで時間切れ。
いえ、個人の旅行であり、時間は自由なハズなのだけれど、
同伴の母が明らかに空腹で、不機嫌になりつつあったので、“これ以上の見学は諦めた”という方が正確。
私一人だったら、園内で他に見たかった場所はまだまだ沢山。
例えば、ドラマ『フビライ・ハン~忽必烈傳奇』を観た後だったので、
成吉思汗(チンギス・ハン)四大忠臣の一人、耶律楚材(1190-1244)を祀った“耶律楚材祠”などは、
恐らく現在非公開であるが、外からでも見てみたかった。
最低でも、有名な石製の船“石舫”くらいは見学しておきたかったけれど、まぁ、仕方が無い。


この後は、お食事。
実はそのお食事処も頤和園所縁の場所なので、“北京2017:頤和園③~番外編”って感じです。




◆◇◆ 颐和园 Summer Palace ◆◇◆
北京市 海淀区 新建宫门路 19号

公園開放時間  6:30~18:00(夏季 4月-10月)/ 7:00~17:00(冬季 11月-3月)
    各施設開放時間 8:30~17:00(夏季)/ 9:00~16:00(冬季)

颐和园门票(公園入園券)  30元(夏季)/20元(冬季)  
    颐和园联票(園内共通券)  60元(夏季)/50元(冬季)


 地下鉄4号線・北宫门(北宮門)駅
但し、頤和園の正門・东宫门(東宮門)附近には地下鉄駅ナシ。

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