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映画『空を拓く~建築家・郭茂林という男』

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【2012年/日本/85min.】
1921年、日本統治下の台湾で生まれた郭茂林は
建築を学んでいた台北工業學校(現・國立台北科技大學)の校長・千々岩助太郎の勧めもあり
日本へ渡り、そこで終戦を迎える。
戦後、日本国籍を取得し、建築の研究をしている間に知己を広げていった郭茂林は
日本初の超高層ビルとなる霞が関ビル建設のまとめ役に抜擢。
1968年、霞が関ビルが無事竣工すると、その後も日本の最高層の記録を次々と塗り替えていく。
同時に、その経験を生かし、故郷台湾でも、高層ビルや都市開発を手掛けるように。
90歳になったそんな郭茂林を、日本で、そして台湾で、カメラは追う…。
 
 
『台湾人生』(2008年)の酒井充子監督最新作。
上映前に監督の舞台挨拶、上映終了後にちょっとしたQ&Aが付く公開初日(→参照)に鑑賞。
 
『台湾人生』に引き続き、またまた“日本と所縁のある台湾”をドキュメンタリー作品に仕上げた酒井充子監督。
今回追ったのは、建築家・郭茂林(1920-2012)。 “郭茂林”は“かく・もりん”と読む。
日本統治下の台湾に生まれ、戦後は日本国籍を選び、日本を拠点に活躍した建築家。
残念ながら、映画の完成を待たず、2012年4月7日に亡くなっている。
 
歴史の流れで、日本に移り住むことになった台湾出身者は大勢居るだろうし、
その中に建築家になった人が居たって、何ら不思議は無い。
しかし、郭茂林が手掛けたお仕事は、あまりにも大きな物ばかりだったので、 ビックリ。
今まで郭茂林という建築家を知らなかった事を、ちょっと恥ずかしく思うくらい。
 
郭茂林が頭角を現したのは、日本初の高層建築、1968年竣工、147mの霞が関ビルディングの建設時。
それぞれの分野の専門家たちをまとめるコーディネイター的役割を担い
霞が関三井グループ(KMG)企画室室長に抜擢され、建材、構法、そして日本の法律までもを変えていく。
その手腕は、“KMG”は“Kaku Morin Group”の略だと囁かれるほど (この名称が気に入ったのか
郭茂林は霞が関ビル完成後、実際に“KMG 郭茂林グループ”を創設している)。
 
 
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霞が関ビル成功の後も、世界貿易センタービル(1970年竣工/152m)、
京王プラザホテル(1971年竣工/178m)、サンシャイン60(1978年竣工/240m)と
日本の高度成長期に、高層ビルの記録を次々と塗り替えていった郭茂林。
日本の近代建築史の中で、エポックメイキング的な建造物の数々が
実は台湾出身者の手によるものだったとは。 日本人が意外と知らない日本の真実。
 
日本建築界の大物でありながら、(業界人はともかく)ごくごく一般的な日本人の間で、知られていないのは
自らの名を冠し、多くの作品を遺した丹下健三のような同時期の建築家と異なり
一大プロジェクトの歯車として、チームのまとめ役に徹したからかも知れない。
 
 
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                                                        (クリックで拡大)
そんな郭茂林も、故郷台湾では、日本での経験や技術を生かし、自ら設計。
台北車站、新光人壽保險摩天大樓、そして日本で関わった新宿副都心計画を手本に台北信義區など
日本人観光客でも目にする、あれもこれもを手掛けている。
霞が関ビルと台北車站は、違う国に生まれた兄弟みたいな建物だったのか。
 
 
本ドキュメンタリーは、そんな郭茂林の輝かしい経歴や作品を並べた“紹介ビデオ”に収まらず
人となりまで伝わってくるのが、これまた魅力的。
作中、元中華民國総統・李登輝との貴重な対談シーンも有るが、李登輝にしても郭茂林にしても
あの時代の台湾エリートには、何か共通の気質が感じられる。 
 
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両者とも「日本人として育った」と断言するが、私が考える一般的な日本人と異なり
“ありのまま”というかザックバランな印象を受けるのは、南国育ち故だろうか。
 
 
作中の郭茂林語録にも、普通の日本人なら、心の中で思っても、言葉にはしないであろう結構な毒舌や
周囲をシラケさせるであろう自画自賛がテンコ盛りなのだが
郭茂林が口にするとお茶目で、笑みさえ洩れてしまう。
 
例えば、女性に人気だったそうでという質問には、「それは子供の頃から」。 …否定しない。
学生時代については、「優秀だった。 ガリガリ勉強する訳じゃない。 講義を聴くだけ」としながらも
通っていた小学校で、子供時代のベタ褒め成績表が見付かると、嬉しそうに、そのコピーを欲しがったりする。
自分の仕事にも自信があり、作品の前で、「いいね」、「品がいいでしょ?」と自画自賛。
台北で、自ら手掛けた國泰金融中心と、かの台北101の両方が見渡せるアングルに立った郭茂林は
自作を絶賛する一方、台北101の事は「あんなデコボコなもの」、「ガラスの清掃はどうするんだ」、
「建築で見せ場を作ろうなんて思っちゃいけない」とバッサリ斬り捨てた。
また、昔よく通った台北の喫茶店波麗路(ボレロ)では、郷愁に浸るのかと思いきや
「面影ない。 昔はもっと落ち着いていて、こんなじゃなかった」と。
今でも経営を続けている波麗路、面目丸つぶれ。
 
 
 
郭茂林は、自分の才能を認め、かわいがってくれた日本人恩師から
「台湾では、台湾人は日本人から差別される。 日本へ行けば、台湾人でも日本人と同等でいられる」
と背を押され、日本へ渡ったという。 日本の方が差別が強いと思っていたので、この言葉は意外。
それでも、実際には、相当な苦労が有っただろうに、結果的に普通の日本人の何倍もの活躍をし、
日本の建築史に刻まれるプロジェクトを引っ張ってきたのだから、スゴイ。
本作品は、私が知らなかった人物や、台湾と日本との繋がりを教えてくれ、知的好奇心を満たしてくれた上、
郭茂林という老建築家の憎めないキャラを上手く引き出し、人間としての魅力をも伝えているから
二倍においしいドキュメンタリー作品であった。
 
私は、本作品を、高層ビル好き、昭和カルチャー好きで知られる半田健人にお薦めいたします。
半田健人、西新宿高層ビル群の中でも取り分け京王プラザが好きって言っていませんでしたっけ?
しかも、「垂直に伸びるビルが好き」とも言っていた覚えが。
台北101を「あんなデコボコなもの」とコキ下ろした郭茂林の言葉を聞きながら
私が思い浮かべていたのは、半田健人であった。
半田健人こそ、郭茂林の建築美学やコンセプトを日本一理解している元特撮ヒーローに違いない。
 
酒井充子監督、次回作では何を取り上げるのだろう。 また台湾関係がいいなぁ~。
 
酒井充子監督による舞台挨拶Q&Aが行われた『空を拓く』公開初日の模様は、こちらから。

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