【2002年/香港/103min.】
香港、2001年7月。林耀國は、妻・文靖との間に、安然、磊然という二人の息子を持つ40歳の国語教師。高校の同級生だった妻・文靖とはちょっと倦怠期、息子たちも年頃になり、最近何を考えているのか徐々に分からなくなってきた。しかも、周囲を見渡すと、元同級生たちは皆出世して、冴えない自分にタメ息をつく今日この頃。ところが、そんな林耀國に、教え子の胡彩藍が積極的にアプローチ。林耀國は戸惑いながらも、徐々に彼女に惹かれていく…。ちょうどその頃、林耀國は、妻・文靖から、二人の高校時代の教師・盛世年が、久し振りに現れたと聞かされる。なんでも盛世年は重い肝不全に冒されていてるという。ひとり身の盛世年の世話をするため、病院通いを始めた文靖に、林耀國は胸騒ぎをおぼえ…。

同監督の『女人、四十』(1995年)が好きで、その兄弟分的本作品も、ずーっと観たいと思っていたのに、
日本では一向に公開されないまま、あれよあれよと言う間に13年…!
その気になれば観る手段はいくらでも有ったのだけれど、なにぶん私は“スクリーン第一主義”。
特に興味のある作品の初見は映画館の大スクリーンで!というコダワリが邪魔をして、
あっと言う間に月日が過ぎて行ってしまった。
もうこのまま観ずに生涯を閉じることになりそうだと思い始めたところ、
東京国立近代美術館フォルムセンターの“現代アジア映画の作家たち 福岡市総合図書館コレクションより”
という企画で上映されることを知る。いやぁ、待ってみるものです。
しかも、許鞍華監督2007年の作品で、やはり日本未公開の『生きていく日々』と有り難い2本立て。
そんなわけで、早速行って参りました、フィルムセンターへ。
私と同じような思いの人が多いのか、許鞍華監督作品ファンが多いのか、
はたまたフィルムセンター常連客が多いのかは分からないけれど、ほぼ満席の大盛況であった。
物語は、妻子ある40歳の高校教師・林耀國が
教え子・胡彩藍の挑発的な態度に戸惑いながらも、彼女に惹かれていく様子を軸に
結婚生活や仕事の悩みなど、人生の壁にぶつかり、揺れる姿を描くヒューマンドラマ。
孔子なら「四十而不惑(四十にして惑わず)」だろうが、
寿命も延びた現代では、しじゅー男はまだまだ惑いっ放し。
いや、“まだまだ”というより、ちょうど惑いが生じる時期なのかも知れない。
前だけを向いて、ひたすら突っ走っていた頃なら、むしろ惑うことは無い。
主人公・林耀國のそんな時期はもう終わり、足を止め、改めて自分自身を振り返ると、
学生時代は優等生だったのに、今はしがない高校教師で、収入は成功した同級生たちに、遠く及ばず。
さらに、妻・文靖の最近の行動に不信感が湧き、ついつい蒸し返してしまう過去。
そんな時に始まった教え子・胡彩藍からの挑発的で甘い誘惑…。
先生と生徒の禁断の愛を描いた映画やドラマは、昔から多々有り。
本作品も、その手の恋愛映画だという認識で鑑賞したら、少々違っていた。
本作品の場合、現在と過去、二組の先生&生徒の不倫が、二重構造で綴られている。
教え子に手をつけるような妻子持ちの教師を軽蔑していたはずの主人公・林耀國自身が
何の因果か、自分の教え子と関係してしまう。
但し、林耀國の教え子との禁断の愛は、実は作品の肝ではなく、
そこから夫婦の過去や、息子の出生の秘密が紐解かれてゆき、
やがて思いも新たに、絆を強める家族の再生物語であった。
出演は、高校で国語を教える40歳の教師・林耀國に張學友(ジャッキー・チュン)、
林耀國の妻・陳文靖に梅艷芳(アニタ・ムイ)、
そして、林耀國を惑わす教え子・胡彩藍に林嘉欣(カリーナ・ラム)など。
張學友は、頂点に君臨するオレ様タイプより、ちょっと情けない二番手風情がよく似合う。
本作品で扮する林耀國も、真面目だけが取り柄の冴えない国語教師。
あちらの国語は、我々日本人にとっての“漢文”なわけで、林耀國は、ヲタク気味に漢文大好き中年。
漢詩に詠まれている土地を実際に旅するのも好きで、
三峽がダムの下に沈んでしまう前に訪れたいと思っている(三峽ダムは2009年完成)。
古い文学に興味を示さない生徒たちに、その面白さを知ってもらおうと、
「魯迅は東京に住んでいたんだぞ。彼が暮らした神田という所は、渋谷からたったの10駅だ」などと
若い子が食い付きそうな話に絡め説明するが、空回り。
女生徒に手ぇ付けるエロ教師というより、哀愁漂う中年男といった感じで、ついつい応援したくなってしまう。
余談だが、渋谷⇔神田間はどれくらいだったかと疑問が湧き、
山手線の路線図を見たら、

確かに約10駅、正確には11駅であった。
林耀國センセは、きっと東京にもやって来て、“魯迅所縁の地巡り”をしたことがあるに違いない。
2003年、40歳の若さで亡くなった梅艷芳にとって、本作品は遺作。
本作品は、先生と生徒の恋愛が中心で、梅艷芳扮する先生の妻・文靖は、
添え物程度の登場だろうと予想していたら、中盤からどんどん存在感を増す、実は重要な役であった。
私にとっての梅艷芳は、アクションやコメディのイメージが強かったけれど
本作品では、中流家庭の主婦を演じていて、それが意外にもハマっている。
病魔にさえ襲われなければ、今頃どんな女優さんになっていたのだろうと、ついつい想像してしまう。
林嘉欣は、これがスクリーンデビュー作。
1978年生まれの彼女、撮影当時はすでに23歳くらいのはずだが、童顔で、高校生役に違和感ナシ。
扮する胡彩藍は、いわゆる“いい子”ではなく、自由気ままに振る舞い、率直で、生意気な口もきくが
林耀國センセのような生真面目でオクテな男性は、
そういう子に振り回されながらも、惹かれてしまうのかもねー。
そんな胡彩藍が、モールの中にオープンした小さなブティックに
ガイドブック片手の観光客と思しき日本人女性が入店してくる、あのシーンは何だったのか…?
日本語で「試着させて下さ~い」→「でもやっぱ合わないみたい」と言って店を出るまでが、あっと言う間だった。
クロージングには、“中田有紀”という名がクレジットされていた。
他、林耀國と陳文靖の高校時代の先生・盛世年役で、庹宗華(トゥオ・ゾンホア)が出演。
盛世年センセは、演じる台湾人男優・庹宗華自身とは異なり、
“台湾人女性と結婚し→台湾へ渡り→離婚して→香港へ戻って来た”という設定。
回想シーンでの盛世年センセは、普段通りの庹宗華だけれど、現在のシーンでは、老けメイクが変。
あと、葛民輝(エリック・コット)が出ていたのは、知らなかった。
黃銳という、林耀國の学生時代からの友人役。
名門校出身の林耀國は、同級生が皆出世して、負い目を感じがちだが、
出世コースから外れ、多少ビンボーでも自由に生きている黃銳だけは、
林耀國に劣等感を抱かせない心のオアシス的友人。
周囲から「危険じゃないのか?!」と心配されながらも、深圳で働くことを決意するあたりは、
香港の中国返還からまだ4年程度の2001年だと感じる。
先生と教え子の禁断の恋をスキャンダラスに描いたドロドロ物語ではなかった。
妻・文靖の過去、特に長男・安然の出生の秘密は、充分衝撃的なはずだが、
それさえも、無駄に盛り上げず、サラーッとさり気なく描いているから、余計にシミジミ心に沁みる。
迷えるしじゅー男が、悶々としながらも、最終的に、妻や息子と絆を確認し、
未来へ向け小さな一歩を踏み出す、なかなかの良いお話。
…が、この直後に観た『生きていく日々』がもっと私好みだったので、『男人四十』の印象が薄れてしまった。
一本一本をじっくり味わいたかったら、2本立てはやはり駄目ね。
近年集中力が衰えたせいか、特にそう感じる。
それにしても、2001年って、こんなに“昔”でしたっけ…?!
携帯電話のような小道具や、ちょっとした台詞から伝わってくる2001年が、えらく昔に感じられた。
主人公・林耀國が行きたがっていた三峽も、今ではすでにダムの底に沈んでしまっているし、
15年近く過ぎると、色々な事が変わっているものだ。
香港では、今でも、高校の先生がアルバイトで家庭教師をして、問題にならないのかしら。
うちの祖母は、うちの父が小学生の頃、小学校の担任を家庭教師に雇っていたらしい。
もっとも昔の日本でも、学校の先生に家庭教師をやらせるなんて、あまり一般的ではなかったようで、
姑と不仲だった母がたまに「信じられな~い!お義母様ってやっぱり変っ!」とゲラゲラ笑いながら、
父をからかっているが。