2014年8月半ば、香港の俳優・房祖名(ジェイシー・チャン)と
彼の友人で、『あの頃、君を追いかけた』の主演男優として
日本でもそこそこに知られる台湾の若手・柯震東(クー・チェンドン)が、薬物使用の疑いで
北京市公安局に連行されたというニュースが、中華芸能を賑わした。(→参照)
房祖名は、あの成龍(ジャッキー・チェン)の息子。
女性関係が華やかで、実際のところ、世界中にどれだけの子種を振り撒いたのか
もはや確認不可能と思わせる成龍ではあるが、房祖名は成龍の正室が産んだ唯一無二のお世継ぎ。
(←大陸時代劇の観過ぎで、表現がついつい後宮ドラマ風なってしまう私。)
お金持ちの息子や二世俳優は、とかく親の七光りだの馬鹿息子だのと批判されがちだけれど、
房祖名に関しては、私個人はパパ成龍よりよほど良い俳優だと思っていたので、
8年も前から薬物を使用していたと判明し、残念に感じたのであった。
この逮捕のニュースでは、公安が房祖名の家に踏み込み、本人から薬物を提出させている動画までもを公開。
日本だと、事が重大でも、容疑者が有名人でも、そこまでやらないから、ちょっと驚く。
でも、私がそれより気になり、注目したのは、その逮捕の現場となった房祖名邸。
北京の东直门(東直門)にある
NAGA上院という名の高級マンションで、

そこがオープンする際、成龍がイメージキャラクターを務め、自らも一室購入し、
息子・房祖名28歳のバースデーに贈ったという。
羨ましい。さすがは世界の成龍。お誕生日プレゼントもケチケチしていない。
ここは他にも、吳彥祖(ダニエル・ウー)、あと一説には劉華(アンディ・ラウ)、
謝霆鋒(ニコラス・ツェー)といった成龍のお友達数人も部屋を所有し、
ちょっとした“香港明星ビル”になっているという。
こんなニュースが出た直後に北京に旅立った私。タイムリー♪
その内富豪と結婚し、NAGA上院の一室をプレゼントされ、香港明星たちとご近所さんになった時、
あまりにも勝手が分らないと困るので、今のうちに下見をしておこうではないの。
…という事で、ぶらり東直門散策。
★ 東直門
そもそも东直门(東直門)とは。
かつて紫禁城の東北にあった城門。“北京城九門”のひとつで、九門の内、最小。
その歴史は古く、元代に遡り、当時の名称は崇仁门(崇仁門)。
明朝初期、洪武年間には改築され、現在と同じ東直門という名に。
その明朝初期には、北京城建設に必要な木材が、
主にこの東直門から城内に運ばれていたため、“木门(木門)”という俗称も。
しかし、世界の他の大都市と同じように、都市の発展に伴い、交通利便等の計画で、徐々に取り壊され、
1965年、ついに城樓も撤去。
★ 東直門内大街
現在、地元北京っ子でも、観光客でも、多くの人々がこの東直門にやって来る目的は、大抵、
この地域を真っ直ぐはしる大通り、东直门内大街(東直門内大街)でお食事するためではないだろうか。
東直門内大街は、地下鉄2号線/13号線・东直门(東直門)駅と
5号線・北新桥(北新橋)駅の間を真っ直ぐはしる通り。
ここは、両脇に飲食店が軒を連ねる北京有数の
グルメストリートで、通称“簋街”。

“簋街”の名称は比較的新しく、元々は“鬼街”と呼ばれており、
今でも日本のガイドブック等には、大抵“鬼街”の名で紹介されている。
“鬼街”の名の由来は(…諸説あり)、清代に遡る。
当時、北京城の城門にはそれぞれ用途があり、
東直門は、前述のように、主に木材の運搬に使われていたわけだが
もう一つ、遺体を城外に運び出す際にも、ここを使用。
城内の鼓樓から真っ直ぐのびる大通りは、この東直門を抜け、城外に出ると、大きな墓地に突き当たるのだ。
城門の附近には、早朝から市が立ち、夜半になると、無数の石油灯がゆらゆらと光を放つ光景に加え、
近隣に、棺桶屋や葬儀屋が多かったので、

時代はぐぐーっと近付き、90年代後半には、“鬼街”の名で、飲食店が建ち並ぶ有名な通りに発展。
2000年になると、グルメストリートに“鬼街=幽霊ストリート”はないだろー、という事になり、
“鬼guĭ”と同音の“簋 guĭ”の字をあてた“簋街”に改称。
この“簋”とは、丸く口が開き、両脇に取っ手が付いた形の、食物を盛る古代の容器のこと。
食にまつわる字だから、グルメストリートに相応しいと、採用されたらしい。
日本では、ここを紹介するNHKのドキュメンタリー番組で一度だけ“簋街”と表記されているのを見ただけで
ガイドブック等には今でも“鬼街”が使われているように見受ける。
“簋”は日本でほぼ使われることの無い字で、パソコンでも変換が困難だし、画数多いし、根付きにくそう。
渋谷センター街の“バスケットボールストリート”以上に浸透しないと思うワ。![]()

それに、地域の歴史を知る上では、“鬼街”の方が良いようにも思うけれど…。
★ 散策スタート
では、
実際に歩きます。

地下鉄2号線/13号線・东直门(東直門)に着いたら、A出口から外へ。
地上に出ると、そこは交差点で、斜向かいにはドーンと立派なビル、东方银座(東方銀座)。
これは、住居、オフィス、商業施設などが入る複合ビル。
交差点の真ん中に目を向けると…
大きな鼎。
西周時代初期(だいたい紀元前1043年)に使われていた青銅製の“伯簋”のレプリカ。
そう、これこそが、“鬼街”改め“簋街”の語源となった料理を盛る古代の器・簋。
通りが“簋街”と改称されたことに伴い、2008年、ここのシンボルとしてお目見え。
幅3.2メートル、高さ3.8メートルと、かなり大きな物なので、レプリカと言えども、結構な迫力。
交差点から、その“簋街”こと東直門内大街を西へ。
通り沿いには、控え目にこのような物も。
こちら福世普济药王庙(福世普濟藥王廟)、
通称“东药王庙(東藥王廟)”あるいは“小药王庙(小藥王廟)”。
薬王廟とは、孫思邈のような古の名医たちを薬王として祀っている廟。
北京には、このような薬王廟が10以上点在。
この東薬王廟は、北薬王廟の次に古く、明代萬曆年間初期に創建された廟。
元々は3ツの大殿から成る廟であったが、現在はこの山門を残すのみ。
道の脇にポツネンと建っているので、見逃してしまいそうだけれど、なかなか歴史ある遺跡なのです。
画像は、歩道から撮ったので、山門の裏側になってしまった。
ちゃんと正面を写真に収めたかったら、車道側から撮影しましょう。
★ NAGA上院
そしていよいよNAGA上院。
駅からほんのちょっと歩いただけで、
上に堂々と“naga上院”とサインを掲げたグレーの建物が、右手に見えてくる。
成龍もお買い上げになったマンションだけあり、
よく見ると、“g”の文字に、
ドラゴンが巻き付いているではないか。

住人でもなければ、住人からお呼ばれもされていないので、さすがに中へは入れない。
通りから外観を見るだけ。
設計は、イギリス人建築家マーク・リントット。
台湾を拠点に活動し、“林馬克”という中国語名まで持っているくらいだから、
台湾を中心とした中華圏に作品が多く、例えば、台湾の新光三越や
伍佰(ウー・バイ)の自宅は、彼の手による。
NAGA上院は、歩道から撮ったこれら画像だと、部分的にしか写っていないので、狭く見えるが、
敷地面積は9000㎡と結構広く、その中に、プール、ジム、カフェ、レストラン、シガーバー、
ワインセラーなどを有し、セキュリティもしっかりしているという。
で、ここはそもそも、日本とも何かと関わりがある政治家で思想家の康有為(こう・ゆうい)が暮らしていた場所。
康有為の故居は、北京に現存する四合院の中でも最も保存状態が良い物のひとつなので
NAGA上院は、それを生かし、他の新しい建物で囲むような形で設計されている。
◆◇◆ NAGA上院 ◆◇◆
北京市 东城区 东直门内大街9号
★ グルメストリート
NAGA上院の前でウロウロ長居して、警備員に不審者と疑われ、捕らわれてもいけないので、
さらに西へ向かって歩いていくことにする。
この通りは、NAGA上院をちょっと先に進んだ辺りから、道の両脇に建ち並ぶお食事処の数が一気に増え、

パッと見渡す限り、看板に“小龙虾(ザリガニ)”と“火锅(鍋料理)”を掲げるお店が多い。
暗くなると、赤い提灯がともり、大勢の客が押し寄せる簋街だけれど、昼間は長閑な雰囲気。
夜に出た大量のゴミを片付ける清掃員の他、
いかにも北京っ子という感じのおじいさんを多く見掛ける下町風情が残る場所。
東京だと、NAGA上院のような高級マンションのすぐ近隣に、
こういうエリアが広がっていることは、あまり無いと思う。
さらに西に進むと、お食事処の数は減ってきて、それ以外の商店がポツポツと出現してくる。
こちらは、日本ではあまり見かけない
喫煙道具屋さん。

ウィンドウの中には、エキゾティックなデザインの水タバコの道具がいっぱい。
西域まで広がる他民族国家ならでは。
三里屯辺りのバーでは、水タバコをやっている西洋人をよく見掛ける。
そして、ほら、また出たっ、北京を席巻する
おサルさん、ポール・フランクのジュリアス君…!(→参照)

但し、看板に掲げられたおサルの顔の両脇には、
本来記されるべき“PAUL FRANK”の代わりに“LUCKY FRIEND”の文字。
★ 終点
地下鉄2号線/13号線の东直门(東直門)駅から、東直門内大街をただ真っ直ぐ歩き、

立ち止まって写真を撮ったりしなければ、20分程度で歩ける距離ではないだろうか。
この駅がある十字路から、雍和宫大街(雍和宮大街)を北上すれば、
国子监(國子監)、孔庙(孔廟)、雍和宫(雍和宮)といった観光スポットも徒歩で行ける。