【2014年/台湾/133min.】
これといった目標も見付からず気楽に生きている大学生の佑熙はある日、歴史を教える風変わりな朱教授の課外授業で、1920年代に描かれた絵画<南街殷賑>を観賞している内に、いつの間にか時空を超えてしまう。佑熙がやって来たのは、あの絵に描かれていた、日本が統治する20年代の賑やかな大稻埕。佑熙は、ここで“ヨシ”と呼ばれ、幼い頃に亡くなった母と瓜二つの女性・阿純が営む仕立て屋、南純裁縫店で世話になることとなるが…。
シネマート六本木で開催の“台湾シネマ・コレクション2015”で上映の4本の新作の内の一本。
私は、開催初日、取り敢えず『オーロラの愛』と本作品を二本立てで鑑賞。
こちらは、大ヒットした2014年賀歳片(旧正月映画)。
手掛けた
葉天倫(イエ・ティエンルン)監督は、この前の『雞排英雄~Night Market Hero』(2011年)も

大ヒットさせているが、私は前作未見なので、今回が初葉天倫監督作品。
本作品の舞台であり、原題にもなっている『大稻埕』とは、台北市大同區西南部の地名。
特に清代末期から日本統治時代に、経済文化の中心として栄えたエリア。
現在、乾物問屋街として日本人観光客に人気の迪化街も、このエリアの一角で、
今なお残る古い建造物などから、当時の面影を垣間見ることができる。
私が好きな過去の作品では、3ツの時代を描いた『百年恋歌』(2005年)の清朝末期パートが
やはり大稻埕を舞台にしているけれど、室内シーンばかりなので、街の様子は窺えない。
物語は、歴史を教える風変わりな教授・朱正の課外授業で、展覧会を見学中、一枚の絵に吸い込まれ、
あれよあれよという間に時空を超え、日本が統治する1920年代の大稻埕へ迷い込んだ大学生の陳佑熙が
戸惑いながらも、その地に馴染み、それなりに楽しく過ごすようになった頃、
社会の矛盾に直面し、不平等な世の中を変えるため、人々と共に立ち上がり、
自分自身も成長していく姿をコミカルに描く、歴史エンターテインメント。
現代から1920年代にタイムトラベルする、いわゆる“穿越”。
所詮お正月映画なので、日本でいうなら『ALWAYS 三丁目の夕日』のような類の、
懐かしい台湾を面白おかしく描いたお気楽映画なのだろうと予想して鑑賞。
実際に観たら、予想は必ずしも当たっていなかった。
本作品を支える柱は3本。まずは、現代人男性と90年前の女性のラヴ・ストーリー。
次に、過去の世界で様々な経験をし、徐々に変わっていく、今どき大学生の成長記。
ここまでだったら、私が予想した通りのお気楽お正月映画。
ところが、本作品の最も太く重要な支柱は、実は、日本統治下の不平等な社会を
台湾人自らが変えようと立ち上がるレジスタンスの物語であった。
あくまでもフィクションだが、根底には史実。
影の主人公は、台湾に実在した医師で社会運動家の蔣渭水(1881-1931)。
本作品、1920年代パートに描かれているのは、
日本統治下の台湾で、台湾人による自治を要求した蔣渭水ら社会運動家が
1923年、逮捕監禁され、集会の監視や、言論統制が行われる“治警事件”に至るまでの経緯。
これにより、蔣渭水は、台湾初の政治犯となったそう。
しかし、当時の統治者・日本にとっては厄介な政治犯でも、
台湾の人々にとっては、日本の圧制に屈しなかった抗日英雄。
2010年、台湾中央銀行は、蔣渭水の肖像をデザインした記念10元コインを5千万枚発行。
このコインは、物語の中にも登場。現代の大学生・佑熙が、1920年代の台湾で落としてしまったため、
「蔣渭水が野望を抱いている」と余計な疑念をもたらす。
物語のクライマックスは、後の昭和天皇、当時皇太子だった裕仁が台湾を訪れる“台湾行啓”。
この映画によると、この機に裕仁を暗殺しようと、朝鮮半島から刺客がやって来て、
台湾人にも協力を求めるが、非暴力を主義とする蔣渭水は、この暗殺計画を阻止し、
代わりに、車でパレード中の裕仁の前に飛び出し、直々に自分たちの要求を伝えることに成功。
しかし、この時の“請願運動”が原因となり、蔣渭水は逮捕監禁されることになる。
1923年(大正12年)4月の、この皇太子台湾行啓は、日本でもよく知られる。
金瓜石を訪問予定だった皇太子の休憩所として建てられた太子賓館(結局訪問ならず)など、
皇太子所縁の場所は、今では台湾を訪れる日本人には人気の観光スポット。
…が、日本の植民地政策に不満を抱き、台湾議会の設置を求めた台湾人が集結し、
リーダー格の蔣渭水が皇太子に直訴を試みて、逮捕されたなどという話は、日本ではあまり語られていない。
本作品は、あくまでもフィクションの娯楽映画なので、
どこまで史実に基づき、どれ程度脚色されているのかは判断しにくいけれど、
当時の日本人が“日本や皇太子への侮辱”と感じ、
“臭い物に蓋”をしてしまわざるを得なかった何かは、起きていても、まったく不思議だとは思わない。
(直訴と言っても、皇太子に意見書を渡したり、ましてや直接対話などあるわけもなく、
実際にも、映画に描かれているように、蔣渭水は、パレード見学をする群衆の中で、
“台灣議會期成請願同盟會”などと書かれたのぼりを、皇太子の車に向けて振ったようだ。
当時の状況下では、日本側から不遜と見做される、かなり大胆な行動だったみたい。)
本作品には、もう一人実在の人物がチラッとだけ登場。こちらは
画家の郭雪湖(1908-2012)。

郭雪湖が、大稻埕の賑わいを描いた<南街殷賑>は、本作品で現代と1920年代を結ぶ“どこでもドア”。
1930年に発表された絵なので、1920年代のシーンでは、まだ下絵状態。
見ているだけでワクワクしてくる素敵な絵。実物は、台北市立美術館が所蔵。ホンモノ観たい。
同時代の絵画は、作中もう一枚出てくる。
陳進(1907-1998)、1935年の作品<手風琴>。
名画のモデルは、実はこの映画のヒロイン、1920年代の芸妓・阿蕊だった…、と匂わす。
出演は、歴史を教える教授・朱正に豬哥亮(ジューガーリャン)、
朱教授の教え子、大学生の陳佑熙に宥勝(ヨウション)、
1920年代の大稻埕で仕立て屋・南純裁縫店を営む女店主、阿純に隋棠(ソニア・スイ)、
1920年代の有名な酒楼・江山樓の人気芸妓、阿蕊に簡嫚書(ジエン・マンシュウ)、
1920年代の医師で社会運動家、蔣渭水に李李仁(リー・リーレン)、
日本の警部・崎に葛西健二などなど…。
畏れ多くも諸葛亮(Zhūgéliàng)と同じ発音の名をもつ伝説のコメディアン豬哥亮(Zhūgēliàng)は
葉天倫監督の前作『雞排英雄』から連続登板。
今回は、
豬(Zhū)ではなく、朱(Zhū)という名の、エロい上に銭ゲバの胡散臭い教授に扮し、

彼もまた、現代から1920年代へ飛ぶことになる。
台湾では“馬桶蓋(=便座)”と呼ばれる大木凡人を彷彿させるトレードマークの髪型は
今回、通常のブラックのみならず、1920年代パートでは、ロマンスグレイ・ヴァージョンでも披露。
台湾の人々は、豬哥亮がコテコテの台湾語で捲し立てているだけで、
もう可笑しくて可笑しくて仕方が無いのだろうけれど、私にはチンプンカンプンで、そういう感覚は分からない。
惚れた満州族の阿純から、中国語の発音を試され、「四是四、十是十、十四是十四・・・」と言おうとしたところ、
全部「スースースー、スースースー・・・」になってしまうところは、
多くの日本人が経験する“台湾あるある”なので、私もようやくクスッと笑えた。
隋棠扮するその満州族の阿純は、辛亥革命後、大陸東北地方で肩身が狭くなり、
台湾へ渡ってきたという設定。喋る北京語は、普段よりずっと大陸仕様の発音。
当然台湾語は苦手。彼女が下手くそな台湾語で喋るシーンは、
台湾語が分る人には、豬哥亮の台湾語とはまた違った意味で、捧腹絶倒なのであろう。
宥勝は、私生活でパパになっても、まだ大学生役がイケる。
1920年代にやって来て、「僕は佑熙」と自己紹介するが、
当時の台湾の人々には、北京語読みの“佑熙(Yoùxī)”が上手く聞き取れなかったらしく、
より耳慣れた日本語風に“ヨシ”と呼ばれるようになる。
ヨシが惚れる江山樓の芸妓・阿蕊に扮する簡嫚書は、これまで自然体で透明感がある可愛さできたけれど、
本作品では、ばっちりメイクを施し、旗袍でキッチリおめかしをして、まるでお人形さんのよう。
女性でも男性でも、“可愛い”と形容される人が、年を上手く重ねるのは難しい。
簡嫚書もこのまま年を取ったら、同性が憧れる“カッコイイおばさん”ではなく、
沢口靖子を経由して、阿川佐和子に行き着くのではないかと、常々想像しているが、
取り敢えず今は本当に可愛い。
蔣渭水役の李李仁は、出演作があまり日本に入ってきていないためか、
“陶子”こと陶晶瑩(タオ・ジンイン)のイケメン亭主という認識しかされていないような…。
いや、ほんと、今回の蔣渭水役も、温厚な知識人という印象で、素敵。
平岡祐太も出演しているドラマ『熱海戀歌』や、
范冰冰(ファン・ビンビン)が則天武后に扮している『武媚娘传奇』といった他の李李仁出演作も観たい。
台湾を拠点に活動する日本人・葛西健二は、日本人警部・崎に扮する今回は出番が多い。
声のトーンや台詞の言い回しは、相変わらず大泉洋を彷彿。
崎警部は、台湾人を見下し、威張り散らす、典型的な“統治者側のイヤな奴”だが
あの大泉洋風おちゃらけキャラのお蔭で、辛うじて救われている。
他、冒頭、大勢の学生の前で佑熙をふる女の子の役で、
周杰倫(ジェイ・チョウ)のお嫁サマになられたラッキーガール昆凌(ハンナ)が、ちょっとだけ出演。
ほんのちょっとのシーンなので、何とも言えないけれど、
ルックスは特徴の無い普通の混血だし、演技も特別上手くないという印象を受けた。
若い内にお金持ちに嫁いでおいて正解。芸能界厳しそうだもん。お子も宿したし、これで取り敢えず人生安泰。
予想通りのお気楽映画ではあったけれど、予想に反し歴史を学べ、
結果、この“抗日エンタメ”は意外にも楽しめた。
どこの国でも似たようなものだが、輝かしい歴史というのは語り継がれ易く、負の歴史は語り継がれにくい。
そして、大抵は、積極的に語られる事より、封印されてしまった事の方に、興味深いものが多い。
今回、この台湾のお気楽映画を通し、日本ではほとんど語られていない日本の過去に触れられ、
それなりに有意義であった(作風はやはり好みとは言い難い)。
人生で観たたった一本の台湾映画が『KANO』で、「なんで台湾人が親日なのか分かった」だとか
「中韓とは大違い。本当の歴史が分って良かった」などと本気で言っている人たちには
もっと多面的に台湾史と日台関係を考えていただきたい。
『KANO』の影響で、日本人から勝手に一方的に“親日”のレッテルを張られた台湾が、気の毒でならない。
本当に台湾が好きな人や、台湾をよく知る人の方が、台湾に対して謙虚。
あ、そうそう、ちなみに、作中、捕まった蔣渭水は、水牢に閉じ込められるのだけれど…
この映画で見る限り、“水牢”とは、上部に鉄格子を付けた風呂桶のような物で、
中に罪人を入れ、水責めに使う。
撮影に使われたのは、勿論美術スタッフが作った大道具だが、
現在も台北市大同區に残る日本統治時代の警察署・台北北警察署には、当時の本物の水牢があり、
これまでにも治警事件を紹介する特別展などでは公開されているようだが、きちんと修復し、
2016年には、北警察署内の台灣新文化運動記念館で常設公開予定なのだとか。
見たいかも、…怖いけれど。