【2001年/中国/86min.】
2000年冬、河南省・安陽。40過ぎの独身男・大崗は、勤め先からいきなり解雇され、僅かな持ち金も無く、途方に暮れる。元同僚の情けで、食券を現金に替えてもらい、馴染みの屋台に麺を食べに行くと、そこの店主が捨て子を拾い、困惑している。店主に代わりその赤ん坊を抱いた大崗は、おくるみの中に「この子を育ててくれる人に、毎月200元の養育費を払います」と書かれた一枚の紙切れを発見。早速その赤ん坊を連れ帰り、紙に書かれていたポケベルの番号に連絡し、子の母と思われる女性と約束を取り付けた大崗。約束の場所に現れたのは若い娼婦。大崗はしばしば彼女と会うようになり…。
こちら、2015年12月に開催の中国インディペンデント映画祭で観た
王超(ワン・チャオ)監督作品。

ノロノロと少しずつ感想を書いていたら、年を越してしまった…。
その2015年の中国インディペンデント映画祭では、王超監督特集が組まれており、
同監督の作品を4本上映。
お蔭で、ずっと興味のあった本作品をようやく観ることができた。
こちら、いきなりカンヌ国際映画祭でプレミア上映された王超監督2001年のデビュー作。
上映終了後には、この映画祭のために初来日を果たした王超監督と、
王超監督の友人でもある日本の小栗康平監督による、約一時間のトークイベントも実施。(→参照)
本作品は、毎月200元の養育費を受ける条件で捨て子を引き取った失業中の男・大崗を軸に、
その捨て子を産んだ娼婦・艷麗や、子の父親であるヤクザ者など、
赤ん坊を取り巻く人々の悲喜こもごもを描いた人間ドラマ。
主人公・大崗は、40過ぎて独身、リストラされて食うにも困るほど懐ピーピーと、踏んだり蹴ったりの中年男。
毎月支払われる養育費200元目当てで捨て子を引き取り、
その支払い主である子の実母・艷麗としばしば会うようになる。
艷麗は、東北の実家に仕送りをするため、止むを得ず娼婦をして稼いでいる女性。
ヤクザ者の子を身籠り、出産したものの、認知もされず、仕方なしに子を手放すことになったのだ。
大崗は、自分と同じように世間から爪弾きにされた艷麗に情を抱き、彼女にとことん尽くすようになり、
彼女の方も徐々にそれを受け入れ、二人は一時悲惨なりに穏やかな日々を過ごすようになるが、
そこで、子の父であるヤクザ者の存在が急浮上。
このヤクザ者は、当初自分が子の父親である事を否定していたくせに、
白血病で余命幾ばくもないと知った途端、お世継ぎが欲しさに、強引に子供を引き取ろうと画策を開始。
…と、このように、本作品は、
赤ちゃんがキッカケで動き始める物語なのだが、

よく有る“赤ちゃんを巡る大人たちの騒動を描いたお話”とは少々異なる。
「赤ちゃんという真っ新なものが目の前に落ちていた時、どう反応するかで、その人の人間性が見えてくる。
ドラマティックにも描けるが、私はそれより人間性を観察するように描きたかった」
と上映終了後に話した王超監督の言葉通り、
“赤ちゃんを通して見えてくる人の本質を描いた作品”という印象。
言い方は悪いかも知れないが、本作品における赤ちゃんは、愛情を注ぐ対象というより、
人の本質を知るための“手段”、“ツール”でしかないように感じる。
主人公・大崗にとってのこの赤ちゃんは、まず金ヅルであり、続いて艷麗を引き留めるための小道具、
そしてずっと欲しかった家族。
ヤクザ者にとっては、自分の死後、お家を断絶させないための大切なお世継ぎ。
望む結果が得られるのであれば、別にAという赤ちゃんでもBという赤ちゃんでも構わなかったのかも知れない。
だから、赤ちゃんがキーとなる物語にも拘わらず、
本作品には、その赤ちゃんの名前が最後まで一度も出てこないのかなぁ、…なんて思った。
出演は、赤ちゃんを引き取るリストラされた独身中年男・于大崗に孫桂林(スン・グイリン)、
赤ちゃんを産んだ娼婦・馮艷麗に祝捷(チュ・ジエ)、
そして、赤ちゃんの遺伝子上の父であるヤクザの親分・岳森誼(ユエ・スンイ)など。
出演者に関する情報は、ほとんど不明。
唯一プロとして活動を続けているように見受けるのは、娼婦・艷麗役の祝捷だけ。
北京電影學院出身の女優で、メジャーとは言い難いが、ぼちぼちドラマ等に出演している模様。
主人公・大崗を演じている孫桂林は、王超監督2004年の作品『寝ても覚めても~日日夜夜』にも
クレジットされているようだけれど、プロの俳優ではないような気がする。
見た目は、“あまりアホじゃないアホの坂田”って感じ。
小柄で、毛髪にも力が無く、“40過ぎの独身失業者”の悲哀が漂いまくり。
このリアリティは、プロの俳優が訓練で醸せるものではないと感じる。
ぜんぜん関係ないが、この孫桂林って、出身地はやはり桂林なのでしょうか。

実際には、安陽ではなく、安陽と同じ河南省の開封で撮影されたとのこと。
だったら、『開封の赤ちゃん』で良かったのでは?と思わなくもない。
タイトルにわざわざ“安陽”という地名を残したのは、王超監督が安陽に特別な思い入れが有ったり、
もしくは、人民の皆さまが安陽に抱く特殊なイメージが有るからなのだろうか。
上映終了後のお話では、その説明までは無かった。
王超監督は、工場労働者の家の出で、自身も元工場労働者で、リストラの経験もあるらしいが、
だからといって、作品には経験をそのまま描くのではなく、幻想も織り交ぜたという。
王超監督曰く「リストラに遭うなど、人がどうしようもない状況に陥った時に見る幻想も、また現実」。
上映終了後に聞いたそんな言葉を念頭に置き、
逃げる艷麗から託された赤ちゃんを抱く大崗が映し出されるラストシーンを思い返すと、
後味がなんとも遣る瀬無い…。
よくよく考えると変なお話なのだけれど、妙に現実味があって、引き込まれた。
ところで、養育費ひと月200元(≒3800円)って、どうなのでしょう…?
約15年前の地方都市だったら、これで赤ちゃんをひと月育てるのに充分な額だったのだろうか。
現在の上海で、「毎月200元あげるから、赤ちゃん育てて」と頼まれたら、
メラミン入り粉ミルク代にもならん!と、ほとんどの人が拒絶するのでは。

王超監督と小栗康平監督のトークイベントについては、こちらから。