テレビの録画予約をしようとして、来週の明日、つまり2016年5月24日(火曜)、
チャンネル銀河で放送中の大陸ドラマ『琅琊榜(ろうやぼう)麒麟の才子、風雲起こす』が
ついに最終回を迎えてしまう事に気付く。
ガーン、もう終わっちゃうなんてショック…。

例えば、海外旅行に行く時も、出発までが一番楽しくて、
いざ出発してしまうと、それはすなわち帰国までのカウントダウンが始まったという事で、
なんか寂しくなってしまうのだが、今まさにそんな気分。
これから一週間分の『琅琊榜』の録画は、もったいなくて手が出せなくなりそう…。
『琅琊榜』以外で、今週
要録画の番組を2本。

まずは、5月18日(水曜)、NHK BSプレミアムで放送の『2度目の香港~おこづかい3万円で充実旅』。
2度目だからこそ、有名観光地は避け、もっと個性的でディープな旅を!というコンセプトの人気番組が、
今回向かうのは香港。
旅人は、実家が日本橋の和菓子の老舗、あの榮太樓本舗という、お江戸生粋の御曹司アクター細田善彦。
(いつの間にか“細田よしひこ”から漢字の名前に改名していたのですね。)
NHKの『2度目の○○』シリーズは、先月放送のハワイ編に引き続き2度目。
細田クンは以前、新宿で一度、六本木で一度お見掛けしたことがある。
彼と中華圏の接点と言えば、日台合作映画『闘茶~Tea Fight』(2008年)への出演。
日本の香川照之、台湾の周渝民(ヴィック・チョウ)、張鈞(チャン・チュンニン)、金士傑(チン・スーチェ)、
そして香港の曾志偉(エリック・ツァン)とキャストは豪華だけれど、イマイチな映画であった。![]()

そんな細田クン、香港渡航は過去に一度きりだったのか。
今回この番組で取材した2度目の香港では、“食は香港に在り!”と言うように、
格安点心から可愛いスウィーツ、離島の新鮮魚介まで、食べて食べて食べまくるという。
他、役立つお買い物情報や、進化する夜景も。うわぁ~、楽しみ。
もう一本は、5月20日(金曜)、BS TBSで放送の『地球絶景紀行』。
今回は、“地上に現れた仏の国・峨眉山”と題し、中国は四川省にそびえたつ名山
峨眉山を特集。

旅は、世界最大の石刻大仏・楽山大仏からスタートし、峨眉山山頂へ。
カメラはそこで、雲海に浮かぶ天空の寺の幻想的な光景を捉えたという。
こちらの番組では、水墨画のように美しかったり、ひたすら雄大な大陸の映像が楽しめそう。
そして、今回はお菓子も中華絡み。先日小田原に行った母が、
その名もズバリ、ういろう(公式サイト)というお店の“菊桐ういろう”なるお菓子を買ってきた。
「外郎(ういろう)は名古屋の名物でしょーヨ?!なぜわざわざ小田原で…」と半ば呆れつつ、
箱に添えられていた説明書きにザッと目を通したところ、
これが“名古屋外郎の亜流”どころか、かなり由緒正しき物であることが判明。
俄然食べてみたくなったのに、ちょっと目を離したすきに、全て他者に平らげられてしまった…。
どうしても気持ちが納まらず、後日お取り寄せすることに。
★ 外郎家
お菓子実食の前に、まずそもそも“外郎(ういろう)”とは。
有名なお菓子の名称として知られる“ういろう”とは、元々は“外郎(ういろう)”家の姓。
始祖は陳延祐。陳氏は、
中国の台州(浙江省)で当時すでに千年以上続いていた公家で、

陳延祐は、元の順宗皇帝(※)の時代に、
大医院、ならびに礼部員外郎(れいぶいんがいろう)という官職に就いていたが、
元が明に滅ぼされると、二朝に仕えることを恥じ、日本へ渡り、帰化することに。
彼は、長慶天皇(1343-1394)の時代、正平23年(1368年)、筑前博多にやって来て、
官職名“礼部員外郎”の一部をとり、さらに官職名と区別するため、“外”の字を“うい”と読ませ、
“陳外郎(ちん・ういろう)”と名乗るようになる。
この陳外郎こと陳延祐は、医術卜筮(医術と占い)に通じていたため、
将軍足利義満から京都に招かれるが、それには応じず、崇福寺の無方和尚の許に参禅し、薙髪して、
台山宗敬と号し、応永2年(1395年)、博多にて73歳の生涯を閉じる。
亡くなった父に代わり、息子の宗奇(そうき)は、義光の招きに応じ、
御小松天皇(1377-1433)の御代、京都へ移り、朝廷に仕えることに。
義光からは、幕府の傍らに邸宅を与えられ、朝廷の典医、ならびに外国信使の接待、禁裏、
幕府の諸制度の顧問となる。
後に朝廷の命を受け、明へ渡ると、家伝の薬“霊宝丹”の処方を、実家から持ち帰る。
この薬は効能が顕著で、朝廷で珍重。外郎家で作っている薬なので、“ういろう”と呼ばれるようになる。
また宗奇は、外国使節の接待に供するためのお菓子も自ら考案。
このお菓子がまた評判となり、お薬と同様に、外郎家の物であることから“ういろう”と呼ばれるようになる。
月日は流れ、将軍足利義政(1436-1490)は、外郎家の4代目にあたる祖田を、その人格と才能で称賛し、
彼の息子二人の内、兄の定治を、足利氏の祖籍である宇野源氏の世継ぎにする。
この外郎家の5代目・定治は、1504年、北条早雲に招かれ、小田原へ渡り、
“陳外郎宇野藤左衛門定治”を名乗り、以後、外郎家は小田原で薬とお菓子を作り続けて現在に至る。
現在の当主は24代目で、“外郎藤左衛門 康祐(やすむら)”氏とのこと。
ちなみに、5代目・定治が小田原に来往する際、お菓子の製法は弟にも残していったのだが、
京の外郎家はその後室町幕府と共に兵火にかかり、世継ぎも無く、絶家。
お菓子の製法は、当時仕えていた職人たちによって、全国に広まったという。
…だって。へぇー。私は知らなかったけれど、これ、有名な話なの?!
まさか外郎の歴史を遡ると中国の元朝に辿り着き、さらにそれが元朝の官職名だったとは。
“素朴な名古屋名物菓子”くらいに思っていたけれど、
実は、中国と日本、ふたつの国の朝廷で重用された一族伝来の由緒あるお菓子だったのですね。
ふ~ん、たかが外郎、されど外郎。外郎に歴史のロマン。
※元の順宗皇帝
陳延祐が朝廷に仕えていたであろう元朝末期に、このような皇帝は存在しないので、間違いなのでは?
ちょっと調べたところ、元の初期にだったら、“順宗皇帝”に当たる人物が居ないわけではない。
元の初代皇帝・忽必烈(クビライ)の孫で、第3代皇帝・武宗海山(カイシャン)の父、
答剌麻八剌(ダルマバラ 1264-1292)がその人物。
息子の海山は第3代皇帝に即位すると、この亡き父に“順宗”の廟号と“昭聖衍孝皇帝”の諡を与えている。
このように、死後“順宗昭聖衍孝皇帝”として皇帝に準ずる祭祀は受けているが、
存命中に皇帝になったことはないし、時代も陳延祐が元朝に仕えていた時期と合わない気が…。
★ 菊桐ういろう
外郎家についてお勉強したところで、いよいよお菓子の外郎に。
この度私がお取り寄せしたのは、普通の外郎ではなく、“菊桐ういろう”という比較的新しい商品。
外郎家が朝廷から与えられた家紋、十六の菊と五七の桐をかたどり、それぞれ中に餡を包んだ物。

送料は5百円。ひと箱でもふた箱でも送料は変わらないので、ふた箱注文。
どうせだったらもっと買いたかったが、賞味期限が数日と短いので、諦めた。
注文したい場合は、まずお店の営業時間内に電話し、欲しい商品の個数と、自分の氏名・電話番号を伝える。
その後、送料も含めた金額を、現金書留で送る。先方にお金が届いたら、商品発送となる。
現金書留というのが少々面倒ではあるが、送って2日後にはもう商品が手元にやって来た。
(株式会社)ういろう〒250-0012 神奈川県 小田原市 本町 1-13-170465-24-0560
10:00~17:00(毎週水曜/第3木曜 定休)
届いた商品には、御丁寧に手書きの一筆箋が添えられていた。これがまぁなんとも達筆。
これくらい字が上手くないと、老舗の女将は務まらないわけね。私には無理だわ。
以下、2種類の商品を一つずつ。
★ 菊ういろう
大きさは、直径約4センチ。
桜葉入りの白餡を、外郎生地で包み、菊紋をかたどったお菓子。
ひとつめは、菊の御紋をかたどった“菊ういろう”。
中には、白餡に
桜葉を混ぜ込んだ餡。

確かに、餡の中に細かい緑色のプツプツが見え、口にすると、ほんのり桜の香が。
薄っすら桜色の外郎生地は、柔らかでありながら、モッチリした食感。
これ自体に微かな甘みがあり、“すあま”に近い味。
上品で優しい味わい。ツルン、コロンとした見た目も可愛らしい。
★ 桐ういろう
大きさは、直径約4センチ。
黒餡を抹茶の外郎生地で包み、桐紋をかたどったお菓子。
こちらが、もう一つの“桐ういろう”。
“黒餡”と呼ばれている中の餡は、小豆のこし餡。
やたら糖分を控えず、適度に甘いのが、私好み。
外側の外郎生地は、食感は前出の菊ういろうとほぼ同じだが、
見ての通り、色は落ち着いた緑色で、味は、ほんのり甘い中にも、
かすかな抹茶の苦みが感じられる。

小豆餡+抹茶生地なのだけれど、食べると草餅に似た味にも思える。
味の印象は、より上品なのが菊ういろうで、より素朴なのが、この桐ういろう。
どちらか一つしか食べられないとしたら、私が選ぶのは、菊ういろうの方。
でも、ひと箱で2種類楽しめるのが嬉しい。一つ一つが小さいので、あっと言う間に平らげてしまった。
可愛らしいし、東京ではなかなかお目に掛かれない珍しさもあるので、ちょっとした手土産に使いところだけれど、
注文→送金→配送となると、賞味期限の問題があるので、難しくなってしまうのが、残念。
なお、お菓子ではなく、お薬の方の“ういろう”も未だ購入可能。
但し、昨今、原料の入手が困難になってしまったため、通販はしておらず、
症状が合う人にのみ店頭で対面販売。