Quantcast
Channel: 東京倶樂部★CLUB TOKYO
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1332

北京2016:田義墓②~お墓参り

$
0
0
田义墓(田義墓)は、明朝三代の皇帝に仕えた太監(宦官)・田義(1534-1605)のお墓。
非常にコンディションよく現存している珍しい物で、
北京市の文化保護單位に指定されている文化遺産でありながら、
観光地としては今ひとつマイナーで、日本のガイドブックなどでは、ほとんど紹介されていない。
そんな田義墓についての概要やアクセス方法は、“北京2016:田義墓①~田義墓への道”で記した通り。
この“北京2016:田義墓②”では、いよいよ見学。




イメージ 1

ここ、よほど不人気なのか、私以外に見学者らしき人が見当たらない。
人がごった返すあの北京で、週末に人っ子一人居ない観光地は珍しい。
正面入り口の牌樓では、両脇に、一応管理者らしきおじいさんが二人座り込み、
日がな一日お喋りしており、長閑です。



イメージ 2

私は、牌樓をくぐってすぐ右側に建つ小屋で、8元の入場券を購入。
ついでに、その並びにあるおトイレへも。
ガラガラで使用する人も居ないため、清潔であった。


入場券を買い、おトイレも済ませ、準備万端。いざ、見学スタート!

★ 神道門

イメージ 3

まずは、お墓へと続く正門である最初のゲート、神道門をくぐる。


神道門の先の神道(お墓など参拝場所へ通じる道)で迎えてくれるのは、漢白玉製の華表と二体の翁仲。

イメージ 4

華表(Huá biǎo かひょう)は、中国の伝統建築で入り口近くに立てれらる柱のような物のこと。
翁仲(Wēngzhòng おうちゅう)は、陵墓や神道に置かれる、人型、もしくは瑞獣などの石像のこと。
秦の始皇帝の時代、匈奴と戦った阮仲翁の伝説にもとづき作られた像が由来と言われているらしい。
人型の場合、武将と文官を対にするのは一般的で、
ここでも、向かって左に武将、右に文官が置かれている。
逆光のせいで、文官の方は写真がどうしても暗くなってしまった。

★ 碑亭

神道を抜けてもすぐにお墓があるわけではない。
どんどん北へ進み、いくつかの場所を通りながら、最北にあるお墓に辿り着くようになっている。

イメージ 5

まず、神道の次のエリアにあるのは、3ツの碑亭(Bēitíng ひてい)
碑亭というのは、中に置いた石碑を保護するあずま屋のこと。



イメージ 6

ここの碑亭は、それぞれ天井に立派な彫刻が施されており、
東西亭の石碑には、田義の生涯と功績が、
中亭の石碑には、万暦帝(萬曆帝)が田義に南京行きを命じる勅令が刻まれているそう。

★ 享殿

イメージ 7

次のエリアは享殿(Xiǎngdiàn きょうでん)
享殿とは、死者の像や位牌を安置する御堂。
ここは遺跡。御堂自体はもう残っておらず、石牌だけが立っている。


その中で注目なのは、清の康熙帝(1654-1722)の御批。

イメージ 8

批示は、皇帝が書面で与える指示のこと。
何が書いてあるのだかサッパリ分からないが、“康熙十一年”という部分だけ私でも辛うじて読める。
康熙11年は、西暦でいうと1672年。反清勢力の動乱・三藩の乱が起きる前年。
その頃の康熙帝はどのような御批を出したのでしょう。

★ 壽域門

イメージ 9


続いて、寿域门(壽域門)。これは、墓地エリアへの正門になっている石碑坊。
門額の上部に、“古華陰渭川田公壽域”と刻まれている。
“北京2016:田義墓①”にも記したように、“華陰”は田義の出身地、陝西の華陰のこと。
“渭川”は田義の号。

★ 石五供

イメージ 10


壽域門をくぐっても、まだお墓に辿り着かない。
このエリアに置かれているのは石五供
石で作られた祭祀に必要な5ツの物のこと。
日本でも、お供えに使う花、香、灯燭、水、飲食の5ツセットを“五供(ごく)”というそうだが、
ここでは、香炉1ツ、燭台2ツ、宝瓶2ツの計5品を“五供”と呼んでいるようだ。
多少差はあれど、香を焚くものや、灯りをともすもの等があり、
現代の日本の一般的な五供と基本的には近い。
違いは、それらが大きく立派なことぐらい。石に刻まれた彫刻も美しい。

★ 墓塚

イメージ 11

最後にようやくお墓。
(上の画像では解読困難だが…)正面中央に立てられた碑には
“司禮監掌印太監兼掌酒醋麵局印渭川諱義田公之墓”と刻まれてる。
その真後ろにお墓。こんもりと盛り上がった、いわゆる“塚”である。
日本人の感覚からすると、メインであるこのお墓が、他より地味に感じる。
なんか、お酒の醸造をするタンクっぽい。




イメージ 12

周囲には、他の明代、清代の数名の太監のお墓も。
誰の物だか不明のお墓もあれば、馬龍湖、王奉、慈有方といったように名前が判っているお墓もあるけれど、
いずれにしても、それら太監の経歴など詳細は不明。

★ 墓室

実は、ここには、もう一つの見所が。
享殿の方まで戻り、隅に目をやると、地下に続く墓室があるのだ。
2006年、北京の射撃場で発見された明代の太監の墓室を、ここに移築したとのこと。

イメージ 13

中にも入れる。
まずは真っ直ぐに階段を下り、さらに左に入っていくと墓室に突き当たる。
最初の階段部分は、外から太陽光が入り、充分明るいのだが、左に折れると、もう真っ暗闇!
人並み以上に目がいい私でも、ほとんど何も見えない…!

イメージ 14

一応、電気はある。
見学者が少ないので、普段は節電のため消されており、
「自分で点けて、見学し終わったらまた消していって」というシステム。
私も当然点けたのだけれど、小さな裸電球は、元々太陽光が入る部分だけを無駄に照らし、
左奥は暗闇のままで、電気の役目をまるで果たさず…。これ、設置し直すべきなのでは…?

仕方なく、手探りで恐る恐る奥に進む。
皆さま、いにしえの太監の真っ暗闇の墓室にたった一人で入ったことはありますか?
恐怖で、ほんとーーーーーっに背筋が凍り付きますからっ…!!
その恐ろしさは、皆さまの想像を遥かに越えていると思います。
私は、霊やお化けは勿論のこと、占いや宗教、スピリチュアルな物は一切信じない超リアリストだけれど、
ここは、これまでの人生で味わったことのない恐怖体験であった。


結局、何も見えないので、フラッシュをたき写真撮影。

イメージ 15

フラッシュをたいた瞬間だけ、この風景がパッと目の前に現れるわけ。

 あぁぁ、本当に恐ろしかった…。もう一度入れと言われても、躊躇する。
北京近郊だと、例えば明の十三陵などで、地下宮に入ったことがある人は、沢山居ることでしょう。
でも、あそこは、有名な観光地で、ちゃんと照明設備が整っているし、他の見学者もいっぱい。
まぁ、勇気のある人や、マニアックな観光をしたい人は、
北京の片隅で、明代に生きた太監の小さな墓室に一人で入ってみて。
心臓に持病を抱えている人だと、生きて地上に戻って来られないかも。




見学場所はまだ有り。
この後は、隣接する宦官文化陳列館と石刻エリアについて記す“北京2016:田義墓③”に続く。


◆◇◆ 田义墓 TianYi Tomb ◆◇◆
北京市 石景山区 模式口大街 80号

 9’00~16’00(入場券の販売は15時半終了)

 大人8元/学生4元
(身長120センチ以下の児童、65歳以上の高齢者、軍人などは無料)


地下鉄1号線・苹果园(蘋果園)駅から
336路、597路、977路、运通112线,运通116线といったバスに乗車、
首钢小区(首鋼小區)バス停で下車し、そこからさらに徒歩で約15~20分

Viewing all articles
Browse latest Browse all 1332

Trending Articles