2018年4月、衛星劇場で再放送が始まった大陸ドラマ『ミーユエ 王朝を照らす月~羋月傳』が、
約5ヶ月後の9月初旬、全81話の放送を終了。
登場人物を、史実と照らし合わせ記していたら、結構な長さになってしまったので、2部構成に分け記載。
概要、物語、主人公などについて
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『ミーユエ 王朝を照らす月~羋月傳』②
その他の登場人物や音楽などについて
★ キャスト その②:楚國の御実家
趙文瑄(ウィンストン・チャオ):楚威王(?-紀元前329)
父・宣王から王位を継ぎ、在位中に楚の領土を拡大した名君。
(…が、その後王位を継いだ息子の懷王羋槐がとんだ暗君で、秦の策略に振り回され、楚を弱体化。)
ドラマでは、実際の息子・羋槐以外にも、羋茵、羋姝、羋月、羋戎ら多くの子をもつ父。
母親の身分が低いため疎まれ、ろくなお嬢様教育も受けられず、公主にしては無作法に育った羋月を、
活発で聡明な子と溺愛する。(だから余計に、威后が、羋月を脅威と感じ、イジメをエスカレートさせる。)
演じているのは、お馴染み趙文瑄。
かつては、孫文orゲイの印象が強かった趙文瑄、近年は、皇族王族の役が多く、板に付いております。
姜宏波(チアン・ホンポー):楚威后(?-?)
楚の威王の王后で、懷王羋槐の生母である威后に関しては、史書に記載が無いため、詳細不明。
本ドラマでは、羋槐と羋姝の生母で、羋姝の将来を案じるが余り、その妨げになりかねない羋月を忌み嫌い、
徹底的に潰しにかかる、ドラマ前半一の悪役。
羋姝が秦に輿入れすると、母親でもさすがに娘の嫁ぎ先にまでくっ付いて行くことはできないので、
出番がドッと減るけれど、代わりに、自分の侍女・玳瑁を、羋姝に付けて秦へ送り込む。
威后から“羋姝サマ護衛”のミッションを受けた李蓓蕾(リー・ベイレイ)扮するその玳瑁が、
これまた非常に面倒なオバちゃん。
威后&羋姝に対する忠誠心が強いだけに、厄介です。
威后に扮する姜宏波は、私、久し振りに見ました。私にとっての姜宏波と言えば…
姜文(チアン・ウェン)監督作品『鬼が来た』(2000年)の魚兒である。
第53回カンヌ国際映画祭でグランプリに輝き、日本で香川照之が実力派と認められるようになった作品。
1973年生まれで、当時まだ二十代だった姜宏波も、今では四十代半ば。
今回、ドラマで久し振りに見たら、若い頃よりよほど洗練された美しい熟女になったと感じた。
でもね、綺麗だけれど、イヤな女。もっとも、それは、子を想う余りの母の暴走なのだけれど。
劉濤(リウ・タオ):羋姝(?-305年)
羋姝は、惠文王嬴駟の王后にして武王嬴蕩の生母、俗に魏夫人と呼ばれる惠文后をモデルにした人物。
楚の威后が産んだ嫡公主で、羋月の異母姉という設定は、フィクションだが、
この羋姝と羋月の愛憎劇は、羋姝が死ぬまで、本ドラマの軸になっており、
羋姝は、羋月に次ぐ準主役と言っても良い、非常に重要な人物。
大陸に留まらず、中華圏全域で人気者に。
その『琅琊榜』の後に公開となったこの『羋月』では、
「あの凛とした霓凰郡主が、なんか凄い事にになってしまった…!」と
羋姝の凄まじい顔がネット上に出回っていたので、
私も、ドラマを観る前から、この羋姝が悪役であることは察していた。
修羅・劉濤4連発(笑)。キョーレツ。
ところが、いざドラマを観始めると、羋姝は心優しい公主で、
皆から疎まれている羋月にも、嘘偽りの無い心で接し、姉妹の情を交わしている善人。
羋姝がブラック化していくのは、秦に輿入れして暫く経ってから。
秦王嬴駟が羋月を大切にすることで、抑えようとしても抑えきれない嫉妬心が生まれ、
その後、自分は嬴蕩を、羋月は嬴稷を出産すると、聡明な嬴稷を脅威と感じるようになり、悪の道まっしぐら。
自分の母親・威后と同じで、我が子可愛さの母心が、女性から理性を失わせちゃうんですよねぇ。
そもそも羋月に対し優しかったのは、心のどこかで“羋月より自分の方が上”という意識があったからで、
羋月が自分の地位を脅かす存在に成長すると、心の余裕を失い、優しい自分でいられなくなってしまう。
人は下克上をなかなか受け入れられない生き物なのです。
善人が急に悪人に変わったら不自然だが、
このドラマでは、優しかった羋姝が、徐々に悪に染まっていく段階が丁寧に描かれているし、
劉濤も微妙な心の動きを上手く表現している。
★ キャスト その③:羋月が愛した男たち
劇中、羋月は、タイプの異なる3人の男性と恋愛関係に。皆さまのお好みは、どの殿方でしょうか。
黃軒(ホアン・シュエン/ホアン・シュアン):春申君黃歇(紀元前314?-紀元前238)
黃歇は“戦国四公子”の一人に挙げられる有能な楚の政治家。
彼の前半生については具体的に分っていない。
ドラマの中では、屈原(紀元前343-紀元前278)の弟子という設定だが、
実際にはそのような記載は残っておらず、ましてや羋月の初恋のお相手という設定は、信憑性に乏しい。
羋八子が太后に昇格した紀元前306年、彼女は30歳前後だったと推測され、
紀元前314年生まれと言い伝えられている黃歇より約20歳年上である事からも、
“初恋のお相手”というには、現実的には、無理がある。
でも、このドラマでは、止む無い事情で結婚にこそ至らなかったが、
羋月と強い縁で繋がり、別れと再会を繰り返しながら、ずっと彼女を支える男性となる。
演じているのは、私mango一押しの黃軒!黃軒が出演しているのも、私がこのドラマを観たかった一因。
戦国の世においても、武闘派ではなく、温厚で知性派の黃歇は、
文学青年チックな雰囲気を醸す黃軒にぴったり。
アフレコも、声優を使わず、本人が行っているので、黃軒の地声を聞くことができます。
黃軒は、自分の登場シーンのみならず、実は2番目の黃歇の声も吹き替えている。
“2番目の黃歇”とは、最初に出て来る子役から黃軒へ橋渡しする、第4話に登場する成長期の黃歇のことね。
自分自身で演じている黃歇の時より、若干マイルドな声で喋っているように聞こえる。
黃軒、吹き替え作業も上手いです。
恐らく、意識していないと、2番目の黃歇の声にまで気付かないと思うので、
黃軒ファンの皆さまは、注意して聞いてみて下さいね~。
さらに正確に言うと、このドラマで、黃軒は一人二役を演じている。
二役目は、最終回に登場する魏丑夫(?-?)。宣太后羋氏、晩年の情夫と言い伝えられている若き男性。
ドラマでは、魏丑夫があまりにも黃歇に似ているため、宣太后の目に留まり、側で仕えさせるという設定。
ドラマの中の黃軒自身に不満は無いが、日本側が“ホアン・シュアン”の誤表記で紹介してしまっているのが、
ただただ残念でならない。間違うことは仕方が無いが、間違ったら訂正しなさいヨ。
間違ったまま拡散しちゃっているじゃないのよ。無責任(怒)。
方中信(アレックス・フォン):秦惠文王嬴駟(紀元前356-紀元前311)
秦の惠文王嬴駟に、惠文后という王后と羋八子という側室がいたのは事実だが、
その両者が、楚からやって来た異母姉妹というのはフィクション。
演じているのは、お馴染みの香港明星・方中信。
かつて香港映画では、ちょっと情けない感じの二番手三番手を演じることが多かった方中信だけれど、
ドラマ『ラストロマンス 金大班~金大班』辺りから、大陸では、渋い男性を演じるようになり、
今ではこのような君主役もすっかりマッチ。
姉・羋姝の夫である嬴駟を奪う気など毛頭なく、黃歇を想い続けていた羋月が、
それでも嬴駟を敬愛してしまうのが、理解できる素敵な紳士を演じている。
高雲翔(ガオ・ユンシャン):義渠王翟驪(?-?)
歴史上、羋氏が義渠王と私通し、子を二人産み、それでも最終的に彼を殺したのは事実だが、
義渠王の氏名など具体的な事は、残された記載が無く、不明。
羋氏と義渠王の間にできた二子についても不明だが、羋氏と惠文王の間にできた子の一人・公子芾が、
このドラマでは、羋月と義渠王との間にできた子という設定に変えられている。
この義渠王は、羋月が愛した男性の中で、たった一人ワイルドな遊牧民族で、異質。
私、本来、俺について来い!タイプの男性には興味が無いのだけれど、
脇役の瓦剌(オイラト)の首長・也先に惹かれちゃったのよねぇー。
大柄な高雲翔はゴーカイな“草原の民”系の扮装がよく似合う。
なのに、なのに、その高雲翔は、2018年3月、オーストラリアで、
現地の華人女性に性的暴行を働いた容疑で、裁判沙汰になり、俳優活動は事実上停止状態。
高雲翔がもし日本人だったら、この『羋月傳』も日本で放送中止になっていたでしょう。
★ キャスト その④:その他
祖峰(ズー・フォン):屈原(紀元前343?-紀元前278?)
屈原は、楚の名門公族の出身にして、楚の有能な政治家。
懷王羋槐に重用されるも、楚を思っての諫言を受け入れてもらえず、国の将来に絶望し、入水自殺。
この屈原の亡骸が、魚に食われてしまわぬよう、
人々が魚のエサ代わりとなる粽(ちまき)を川に投げ込んだのが、
端午節に粽を食べる風習になったと言い伝えられている。
そう、私にとっての屈原は“粽の人”なのだ。
ただ、“粽の人”として、単独で存在していたため、
中国史上どの時代のどの国にどう組み込まれる人物なのか、ろくに分っていなかった。
このドラマを観たことで、歴史上の屈原の立ち位置を、ようやくハッキリ理解した。
但し、前述のように、本ドラマで描かれている屈原と黃歇の師弟関係の設定は、恐らくフィクション。
演じている祖峰は、私が好きなオッサン俳優の一人。
黃歇役の黃軒と屈原役の祖峰のコンビなんて、映画ファン的には、贅沢な組み合わせ。
趙立新(チャオ・リーシン):張儀(?-紀元前310)
張儀は、秦の惠文王に重用された魏國出身の政治家。蘇秦と並ぶ縦横家の代表的人物。
諸国を遊説するも、誰からもなかなか取り合ってもらえず、
楚にやって来て、相国の宴席に出た際には、名玉・和氏璧を盗んだ疑いまでかけられ屈辱を味わう始末。
そのエピソード自体は史実で、ドラマだと、さらに張儀は、ちょうどその頃、羋月に出逢う。
弾き出された者同士、互いに才を認め合い、意気投合し、以降、長期に渡り、友情で結ばれる。
弁は立つけれど胡散臭く、君子と呼ぶにはやや徳に欠け、多少ガメツい部分もあるこの男を、
滝藤賢一似の(?)趙立新が飄々と演じ、憎めないキャラになっている。
『射英雄伝 レジェンド・オブ・ヒーロー~射英雄傳』で演じた洪七公に通じる役かも。
他の出演作では、ガラリとタイプの異なる役を演じている『芳華 Youth』(2017年)が、日本で公開待機中。 こちらは、本ドラマで黃歇役の黃軒が主演する映画で、お勧め。
張鈞涵(チャン・ジュンハン):魏冉(?-?)
魏冉は、羋氏の同母異父の弟で、賢かったため、惠文王嬴駟に取り立てられ、国政に関わるようになり、
甥っ子・嬴稷が若くして昭襄王に即位すると、姉と共に秦の実権を握り、宰相、相国に登り詰める人物。
ドラマでは、母親の向氏が、楚威后から追い出され、粗末な小屋で悲惨な生活をしていた時に、
家主である魏甲という下劣な男に強姦されてできた子という設定。
張鈞涵が演じているのだけれど、顔の雰囲気が…
見続けている内にクセになる濃さ。
巴圖(バートゥ):秦武王嬴蕩(紀元前329-紀元前307)
嬴蕩は、惠文王と惠文后の間に生まれた息子で、父王の死に伴い、即位し武王に。
実際の武王は、秦を弱体化させたことは事実でも、
まったく功績が無かった訳ではなく、多少はお仕事をしたようだが、
このドラマだと、いばり散らすだけで無能なお山の大将キャラ。
見た目も分かり易く、王族感ゼロで、ジャイアン的。“秦の内山信二”って感じ。
もうね、子供の頃から一貫して“秦の内山クン”なの。
こんな田舎のガキ大将みたいな子、今どきよく探してきましたね。
この子役の実の両親も、まさか我が子に王族役、
しかも、方中信と劉濤の間から生まれた子の役でオファーが来るなんて考えてもみなかったであろう。
(でも、慣れると、ぶちゃいくで可愛いく見えてくる。)
こんな不肖の嬴蕩だけれど、羋姝ママにとっては、可愛いい我が子だから、
盲目になって息子の将来を切り開こうと奔走し、
その甲斐あって、嬴蕩は王位継承に成功するのだが、在位期間は4年ポッキリ。
誰かに王位を奪われたのではない。本人が突如死んでしまったのだ。死因は…
力自慢の嬴蕩が、持ち上げた大きな鼎を落とし、脛骨骨折と失血で、まさかのあの世逝き。
これ、冗談みたいだが、史実である。最期まで“秦の内山クン”らしい伝説を残して下さいました。
青年・嬴蕩を演じている巴圖は二世俳優で、宋丹丹(ソン・タンタン)と英達(イン・ダー)の息子。
朱一龍(チュー・イーロン):秦昭襄王嬴稷(紀元前325-紀元前251)
嬴稷は、惠文王と羋八子の間に生まれた子。
人質として燕に出されていたが、
異母兄・武王が、鼎を使った力比べで珍死したため、秦に戻され王位を継承。
以後56年もの長きに渡り、王位につき、秦を治めていた君主。
本ドラマでは、異母兄・嬴蕩とは対照的に、幼少期から非常に聡明で徳のある人物。
ところが、燕から秦に戻り、王位を継承し、俳優も子役から大人にバトンタッチした途端、
あんなに利発だった嬴稷が、ママの情人・義渠王に嫉妬するだけで、
覇気も知性も感じられない冴えない青年になっていたから、ガックリ…。
その青年の俳優とは、最近、webドラマ『鎮魂~Guardian』で一気にブレイクの朱一龍。
『鎮魂』を観ていないので何とも言えないけれど、
その3年前のドラマ『羋月』で嬴稷を演じる朱一龍を見ても、今の彼の人気の理由は分かりにくい。
俳優は、役によって、イメージが随分変わりますからね~。
★ キャスト その⑤:番外編~司馬錯
秦を中心にした古代中国で活躍した実在の著名人がわんさか登場する本ドラマ。
秦の将軍・司馬錯(?-?)もそんな一人で、充分な有名人だけれど、ドラマの中での扱いは、決して大きくない。
それでも、この司馬錯、私の脳裏にはシッカリと焼き付いた。 だって…
WOW!リヴィング・テラコッタ・ウォリアー…!!まるでナマ身の兵馬俑!
演じているのは、李君峰(リー・ジュンフェン)。
秦代の物語に、“兵馬俑顔”の俳優を将軍役で起用するなんて、
キャスティング担当さんの遊び心(?)に感心しきり。
「兵馬俑の兵俑の顔は一体一体皆違う、兵の出身地などによっても違う顔の特徴をきちんと再現している」
などとよく言われるが、今回、このドラマで、李君峰扮する司馬錯を見て、
紀元前の大昔、本当にこういう将軍がこの地に生きていたのだと、歴史のロマンを感じた。
★ 兵馬俑
で、ドラマの終盤は、その兵馬俑である。
晩年、宣太后羋氏は、死んだら楚國へ帰りたいと、故郷へ思いを馳せるようになる。
当時の秦では、皇族が死んだ場合、副葬品として、
あの世でもお世話をする侍女などを模した俑を一緒に埋葬するのが当たり前。
でも、亡くなった宣太后の魂を故郷まで送り届けるには、随行する兵馬の俑も必要。
「なんで侍女の俑しかないのじゃ。兵馬の俑が無いのなら、そうじゃ、作れば良いではないか!」
と宣太后サマの一声で、秦の工房が兵馬俑作りに着手、…というのが、このドラマでの、兵馬俑の起源。
実際には、誰が言い出しっぺだったのか不明だけれど、
その後の秦で、始皇帝嬴政崩御の際、多くの兵馬俑が埋葬された事実は、現代人の我々も知るところ。
さらに、ドラマの中の宣太后は、秦の皇族を埋葬する場所として、ある山を指定。
そして、その山を、愛した義渠王翟驪にちなみ、“驪山(りざん)”と命名。
驪山は、実際、秦の始皇帝陵がある陝西省の山である。
前述のように、宣太后羋氏が私通した義渠王の名前は歴史的記載が無く不明だが、
このドラマで、彼を“翟驪”と名付けたのは、ここに繋げるためだったのですね。
★ テーマ曲
テーマ曲は3曲。
オープニングは一貫して陳思思(チェン・スースー)が歌う<滿月>。
エンディングは、前半が、霍尊(フォ・ズン)の<伊人如夢>で、
後半が、阿魯阿卓(アールーアージュオ)の<西風>。
親しみを感じるので、ここには、その霍尊の<伊人如夢>を。
霍尊は、声が綺麗で、歌唱力があり、ナマ歌も良かったですヨ。
ちなみに、その年の中国映画週間には、
本ドラマで、武王に嫁ぐ魏の公主・魏頤を小憎らしく演じる馬思純(マー・スーチュン)も来日。
(ドラマのオープニングには、“サンドラ・マー”とクレジットされている。
確かに馬思純の英語名は“Sandra”という事になってはいるが、日本では使われているのを見たことが無い。
黃軒の誤表記もだけれど、このドラマで、キャスト名を担当した人って、一体何で調べたのだか…。)
“秦”と言えば、ほぼ全て“始皇帝嬴政”に集約されてしまっている私の乏しい知識で、
このドラマを観て、本当に楽しめるのか?
そもそも、紀元前なんて大昔の話が面白いのか…?
そのような疑問を抱きつつ、ドラマを観始めたのだが、いやいや、充分楽しめた。
漫画<キングダム>で秦の歴史に嵌る若者が多いように、
羋月という女性の一代記として描かれたこのドラマを観ると、
歴史に疎い人でも、楽しみながら、自然と秦の時代を学ぶことができる。
2ツ目の疑問“紀元前なんて大昔の話が面白いのか”に関しては、
日本人の私は、紀元前と聞いただけで、
漠然と『はじめ人間ギャートルズ』のような、腰ミノ巻いた原始人を思い浮かべてしまうのが、問題なのよね。
大陸では、秦の時代にすでにかなり進んだ文明があったわけで、
そこで繰り広げられる凄まじい権力闘争や人間ドラマは、現代人にも充分興味深いものなのだ。
同じ秦を描くドラマで、評判の良い『大秦帝国』シリーズ未見であることが、悔やまれる。
特に、シリーズ2作目の『大秦帝国 縦横 強国への道~大秦帝國之縱』と、
シリーズ3作目の『昭王 大秦帝国の夜明け~大秦帝國之崛起』は、本ドラマと時代が重なるはずである。
幸い、『昭王』は、最近、チャンネル銀河で放送が始まったので、観始めた。
あくまでも現時点での推測に過ぎないが、
『大秦帝国』シリーズは、より史実に沿った教科書のようなドラマで、
『羋月』の方は、10%の史実を90%の虚構で盛った娯楽要素の強い大河ドラマ風女の一代記という印象。
かの<三国志>に例えるなら、『昭王』が正史で、『羋月』が演義という感じ。
だから、まず『大秦帝国』シリーズで、秦の時代をしっかりお勉強してから、
次いで『羋月』を観たら、史実からのアレンジをより楽しめたのではないかと思う。
まぁ、鑑賞の順番を今更悔いても、どうせ手遅れなのだけれど…。
両作品では、重なる登場人物が多いので、
その人物に対する解釈の違いや、俳優の演技を比べながら観るのも、良いですよね。