【2017年/中国/109min.】
2017年大晦日の夜。
3人組の阿傑、小波、彤彤は、ある女性実業家を襲撃し、逃走。
“無名雑貨店”と看板が掲げられた古い店を見付け、そこに身を隠すことに。
誰もいない薄暗い店内では、日めくりカレンダーが1993年12月31日のまま。
間も無くして、時計の針が12時を指し、新年を迎えると、シャッターの郵便受けに一通の手紙が。
なんと、ミュージシャンを夢見る青年が1993年から送ってきた手紙で、
故郷に帰って家を継ぐべきか悩んでいるという。
3人組は、試しにいい加減な返事を書き、店の裏の牛乳箱に入れておくと、
誰も来た気配が無いのに、その手紙は忽然と消え、
驚いた事に、また1993年のあの青年から手紙が届いたのであった。
3人組は、店内に放置されていた古い新聞記事から、
この店の店主が、当時、手紙で人々の悩み相談を受けていたことを知る…。
中国語の原題は『解憂雜貨店』。憂いを解く雑貨店。
東野圭吾の小説<ナミヤ雑貨店の奇蹟>を、中国の韓傑(ハン・ジェ)監督が映画化。
日本でも廣木隆一監督が映画化しており、2017年9月に公開。
中国版は、ここ日本でその約一年後の公開となったわけだが、
中国では、中国版の公開が2017年12月、日本版の公開は2018年2月と順序が逆。
なので、制作時期を考えると、“中国版は日本版のリメイク”という訳ではなく、
恐らく、同じ題材を両国で同時期に映画化するプロジェクトだったのではないだろうか。
私は原作小説未読で、日本版映画は鑑賞済み。
本来、この手の作品にはあまり興味が無く、
中国版も当初、「どうせただのアイドル映画でしょ…」と冷めていたのだが、
しかも、キャストも映画ファン好みの顔ぶれが意外にも多く起用されていると知り、俄然興味が湧いた。
なにせ、『空海』を日本語吹き替え版のみで“日本映画”として上映した、あの角川である。
幸い、『空海』は上映方法で観衆から大バッシングを浴び、
慌ててオリジナル中国語版を公開する羽目となったので、
さすがの角川も、この『ナミヤ雑貨店の奇蹟』では、『空海』の轍は踏まず、
お陰で私も安心してオリジナル中国語版で鑑賞できることとなったわけ。ホッ…!
もし『空海』のONLY日本語吹き替え版上映が成功していて、
それがその後を決める“前例”になっていたら…、と想像するとゾッとする。
本作品は、2017年の大晦日に、
孤児院・彩虹之家(虹の家)で一緒に育った阿傑、小波、彤彤の3人が、
裕福な女性実業家を襲い、逃げ込んだ朽ち果てた雑貨店で、
1993年から届く悩み相談の手紙を受け、二十年以上昔の人々と時を超えてやり取りする内に、
今に繋がる彼らの歩みや想いを知ることとなるファンタジー群像劇。
原作小説未読の私は、無意識の内に日本版映画と比較しながら鑑賞していたのだが、
日本版も中国版も大筋に極端な差は無いように見受けた。
時代設定は、両者でやや異なる。
日本版は現在が2012年で、過去が1980年。
中国版は現在が2017年で、過去は1993年。
日本版が32年も遡るのに対し、中国版は24年しか遡らないのだ。
これは、お国の事情に合わせて考えられた時代設定であろう。
中国では、文化大革命の終結が1976年、小平の指導下で改革開放が始まったのが1978年だから、
1980年だとまだ混沌の時期。
1990年に入ると、一度中断していた改革開放政策が再び推し進められ、
中国はそこから短期間にグワーッと発展し、様々な状況が激変するから、
過去を1993年に設定したのは妥当に思えるし、
中国の24年は、我々現代日本人が考える24年より、ずっと濃密である。
過去から手紙を送って来る人々のエピソードは、
中国版では、<小城音樂人(小都市のミュージシャン)>、
<迷途的汪汪(迷える子犬)>、<傑克遜和解憂爺爺(マイケル・ジャクソンと解憂じいさん)>と、
オムニバス風に3ツの話を分けて紹介し、最終的にそれらが繋がる作り。
勿論細かなアレンジは色々有るのだけれど、日本版と一番大きく異なるのは、
雑貨店のおじいさんが、それまで良かれと思ってやってきた悩み相談に疑問を感じ、
悩むキッカケとなるエピソード。
原作小説から選択したエピソードが、どうやら日中で異なるようだ。
日本版で取り上げているのは、不倫で妊娠した子を産むべきかどうか雑貨店に相談するも、
結局は、車ごと海に突っ込み亡くなる女性と、彼女の娘のエピソード。
一方、中国版は、父親の借金で、裕福な生活から一転、夜逃げをする身となり、その道中、両親を亡くし、
後に有名画家となるマイケル・ジャクソンに夢中な少年のエピソードとなっている。
これ、原作小説では、マイケル・ジャクソン好きではなく、ビートルズ好きの少年が登場する模様。
中国版映画の時代背景を考えると、ビートルズよりマイケル・ジャクソンの方が確かにシックリくる。
1977年生まれで、映画の時代背景である1993年当時16歳の少年だった韓傑監督にとって、
中国でのマイケル・ジャクソン人気が、記憶に残るムーヴメントだったとしても、不思議ではない。
現代と過去に跨る物語なので、日本版で“ひと昔前の日本”を覗けたように、
中国版でも、“懐かしい中国”は、一つの見所。
前述のように、中国は急速な発展を遂げたため、
日本人の私にとっては“つい最近”に思える90年代がとてもノスタルジック。
北京の胡同には、下町情緒が溢れ、まだ個々の家に電話も無い。
ドラマでは、『新白娘子伝奇~新白娘子傳奇』がヒット中で、
崔建(ツイ・ジェン)のロックが若者の心を掴んでいる。
ちなみに、本作品では、近年映画監督もしている作家の韓寒(ハン・ハン)が芸術指導に当たっている。
現在と過去を繋ぐ話で、過去の時代設定は同じく1990年代であった(具体的には1998年)。
韓寒は1982年生まれで、韓傑監督と年も近いし、
その世代の中国人にとって、懐かしかったり、強烈な印象に刻まれているのが、やはり90年代なのでしょうね。
主要キャストを日本版と合わせてチェック。
無名雑貨店の老店主に成龍(ジャッキー・チェン)、
孤児院・彩虹之家で一緒に育った3人組のリーダー格・阿傑に董子健(ドン・ズージェン)、
内気な少年・ 小波に王俊凱(ワン・ジュンカイ)、
紅一点・彤彤に迪麗熱巴(ディルラバ・ディルムラット/ディリラバ)。
雑貨店店主個人の背景は、中国版は、日本版に比べ、描き方がアッサリしている。
本作品一の大物・成龍が演じているわけだが、
描き方がアッサリしている分、登場シーンも少な目で、存在感はやや希薄。
アクションをまったく披露せず、それどころか、ヨレヨレの老人を演じる成龍の挑戦は買うけれど、
メイクに若干のワザとらしさがあり、日本版の西田敏行の方が、自然に“味のある老人”に感じられた。
主人公の3人組で最も大きな違いは、日本版が男子3人組なのに対し、
中国版では男子2人+女子1人の混成3人組に変えられている事。
韓傑監督曰く、
「韓寒とミーティングした時、二人して同時に、3人組を男子だけに限定したくないと同意見が出ました。
衝動と理性の相乗でドラマが生まれるこのような物語には、陰陽の調和があるべきだ」と。
陰陽バランスを持ち出し、女性をキャスティングするなんて、中国っぽいですね。
こうして設定された女の子・彤彤に扮する迪麗熱巴は、
維吾爾(ウィグル)族らしいエキゾティックな顔立ちで、昨今引く手あまたの若手美人女優。
普段はロングヘアでお人形のように愛くるしい迪麗熱巴は、
奇抜なブルーのショートヘアで、見た目からイメージ一新。
但し、この髪はズラ。
「映像で見ると深い色だけれど、実物はかなり派手な紫。
初めてこのカツラを被った時は、ヴィヴィッド過ぎて躊躇した」と迪麗熱巴本人が語っている。
彤彤は見た目のみならず、性格も少年っぽいので、これまでの迪麗熱巴とはちょっと違う感じ。
男子の方に目を向けると、小波役には超人気アイドルユニットTFBOYSの王俊凱、
リーダー格・阿傑には実力派の董子健と、対照的な二人。
王俊凱と迪麗熱巴だけだったら、ただのアイドル映画になってしまいそうなところ、
董子健を加わえ、引き締めたのが、巧いキャスティング。
(数年前に記した物で、情報はアップデートしていない。
董子健、今では結婚して、一児の父になっております。若いパパ!)
お悩みを相談する人たちもチェック。
ミュージシャンを夢見る青年・秦朗に李鴻其(リー・ホンチー)、
家系を支えるためホステスとして働く張晴美に陳都靈(チェン・ドゥリン)、
その後成長し、実業家となる張晴美に郝蕾(ハオ・レイ)、
子供の頃、裕福な生活と両親を失う経験をした有名画家・張默/林浩博に秦昊(チン・ハオ)等々。
李鴻其は、主要キャストの内、唯一の台湾人俳優。
張作驥(チャン・ツォーチ)監督の
『酔生夢死』(2015年)でデビューし、その年の金馬獎で新人賞を受賞。
東京フィルメックスでの上映の際には来日したので…
私もナマ李鴻其を間近で見た。
見た目の印象は、“ごくごく普通の台湾人青年”。
こういうタイプは、台湾偶像劇には起用されにくいし、
ましてや、大陸となると、猛者揃いで、競争が激しく、フツーの台湾俳優ではとてもとても食い込めない。
ところがである、この李鴻其は、『酔生夢死』出演後間も無くして、
どういう幸運が巡って来たのか、大陸でマネージメント契約を結ぶことに成功。
今や台湾に縛られることなく、“秀作”と称される映画にボチボチと起用されるようになったダークホース。
最近では、マレーシア出身監督・何蔚庭(ホー・ウィディン)最新作、
『幸福城市~Cities Of Last Things』での演技が認められ、
もう直発表の第55回金馬獎で助演男優賞にノミネートされている。
『ナミヤ雑貨店の奇蹟』で演じているのは、売れないミュージシャン秦朗。
90年代の中国ヤサグレ風来坊的な雰囲気が出ている。
アイドル上がりの半端なイケメン台湾人俳優の多くが大陸進出で苦戦する中、
李鴻其は、長身美男じゃない事をむしろ武器にして、かなり健闘していますよね。
貧しいホステスから実業家に転身する晴美役は、日本版では尾野真千子一人で演じ切っているけれど、
中国版では、若手と中堅実力派の2名がそれぞれ晴美の過去と現在を演じている。
特に若い晴美を演じる陳都靈は、これまでのイメージを覆す役作りに挑戦。
現在、日本ではちょうど陳都靈主演ドラマ『プロポーズ大作戦~求婚大作戰』が放送中。
『プロポーズ大作戦』では、陳都靈本人のイメージ通りの清純派。
一方、『ナミヤ雑貨店の奇蹟』では、初登場シーンが、濃いぃ水商売メイクだったため、
当初、それが陳都靈だとは判らなかった。
彼女がまさかホステスを演じるとは意外。
でね、“香港銅鑼灣で顔が効く蘇”を装い、広東語訛りで喋る張龍という男に騙されそうになるの(あらら…)。
4年後に香港返還を控えた当時の中国では、“香港”は人々を惑わす魔法のワードだったのかも。
3人組からのアドバイスが有ったお陰で、晴美は詐欺に遭わずに済み、
しかも、どんな“未来”が来るのかも教えられ、ビジネスで成功者に。
この成功した実業家・晴美は郝蕾が演じているが、
どうなのでしょう、陳都靈が成長すると郝蕾になるだろうか…?
二人はあまり似たタイプの容姿ではないような…。
その点、日本版は尾野真千子が一人で演じ切っているので、似ている/似ていない問題は無い。
問題が有るとしたら、若い晴美にちょっと無理があること。
でも、中年の晴美は、「地方の中小企業の女社長にこういう人、居る、居る!」というリアリティの有る外見。
郝蕾扮する中国版の中年晴美の方は、日本版よりずっと大きな企業のやり手中国人女社長のイメージ。
無から起業した女性が、大企業を動かす大物経営者になれるのもまた中国のリアル。
中国版で秦昊が演じている浩博/默に相当する日本版の役は女性で、山下リオ扮する川辺映子。
これは、前述のように、そもそも日中で原作から取り上げたエピソードが違うから。
中国版に登場するマイケル・ジャクソン好きな浩博は、
原作小説では、ビートルズ好きな浩介という少年で、
親を亡くし、養護施設に保護されてからは、“博”という偽名を使い、後に彫刻家になるらしい。
一方、中国版映画の方だと、元々は林永飛の息子・林浩博で、
保護された孤児院で身分を伏せ、ダンマリを決め込んでいたから、“默”と名付けられ、成長して画家になる。
ちょっと影のある画家の役は、秦昊にお似合い。
他にも…
日本版で萩原聖人が演じた雑貨店のおじいさんの甥っ子に邢佳棟(シン・ジャードン)、
小林薫が演じたミュージシャンの父親に成泰燊(チェン・タイシェン)、
あと、そのミュージシャンの妹(日本版にも妹は出てきましたっけ?)に李夢(リー・モン)等がチラリと出演。
邢佳棟は、最近観たドラマ『昭王 大秦帝国の夜明け~大秦帝國之崛起』の白起が渋くて素敵だったので、
この映画で思い掛けず目にし、なんか得した気分であった。
109分の中国版は、129分の日本版より20分も短い。
日本版は尺が長い分、良く言えば、各人物の背景やエピソードの描写が丁寧で分かり易い、
悪く言えば、説明的で、広く大衆狙いの娯楽映画という印象。
中国版は、尺が短いので、各エピソードをオムニバス風に分け(←実際には、オムニバスとも違うが)、
簡潔にまとめたのは正解かも知れない。
日本版とは逆で、説明が足りないので、良く言えば、観る者の想像に託す文芸作品っぽい雰囲気が有り、
悪く言うと、分かりにくいかも。
私自身は、日本版で、登場人物の背景などは知っていたので、物語がスッと入って来たけれど、
何も知らずに、この中国版をいきなり観た人が、どこまで理解するのかは不明。
もっとも、そんな小難しい話ではないが。
日本版、中国版、どちらを好むかは、人それぞれ。
中国では、日本版の方が高い評価を得ているけれど、
『ナミヤ雑貨店の奇蹟』に限った事ではなく、日本オリジナルの作品が、中国で映像化されると、
中国の人々は自国の物に厳しい評価を下す傾向がある。
まぁ、日本でも、海外のヒット映画の日本版リメイクや、人気小説の映画化は、
オリジナルのファンから批判されがちなので、想定内の反応。
私自身は、東野圭吾のファンではないし、
日本版映画『ナミヤ雑貨店の奇蹟』にも特別な思い入れが無いので、この中国版映画は結構楽しめた。
韓傑監督がバリバリの娯楽作を撮ることには、少なからず抵抗があるのだけれど、
懸念していたほど作風が軽過ぎなかったし、
董子健、李鴻其、郝蕾、秦昊、成泰燊ら、映画ファン好みのキャスティングは、やはりオイシイ。
日本版も決して悪くはないのだが、
主演を山田涼介にしてしまったのが、どうしても私の好みには合わなかった。
中国版で残念に思ったのは、日本語字幕で、登場人物の名前を、
最初の一回だけ“漢字+片仮名ルビ”で出し、2度目から片仮名表記にするという古いタイプだったこと。
それ、何の意味があるの…??ずっと漢字+片仮名ルビで良いではないか。
日本のオリジナルに寄せた名前や、意味を込めた名前が有るのに、片仮名にしたら伝わらない。
日本側のお仕事に関してもう一つ、ポスター/チラシについても言及。
近年、中国製の映画のポスターにはセンスの良い物が多く、
反対に、日本は、昭和を引きずった野暮ったく悪趣味な物がやたら目に付き、
悲しいかな、こういうデザインの分野でも、日中の立場は完全に逆転してしまっている…。
この中国版『ナミヤ雑貨店の奇蹟』のポスターも例外ではない。
…ところが、シネマート新宿に本作品を観に行った時のことである。
会場に入る際、映画館のスタッフが、観客一人一人に、この映画のチラシを手渡している。
なぜ今さらチラシ?と疑問に思ったら、新デザインのチラシであった。
いや、“新”ではなく、正確には、中国で使われたポスターのデザインそのままに、日本語を配したチラシ。
左が元々あった日本製デザインのチラシで、右が映画鑑賞時に配られた中国製デザインの新チラシ。
やっぱり中国デザインの方が遥かに良い。悪足掻きせず、最初から、こちらを使えば良かったのに…。
日本で趣味の良いデザインが出来るのなら、勿論日本でオリジナルのポスター/チラシを作るべき。
多種多様なデザインが登場し、各国の個性を比べられた方が当然楽しい。
でも、もし今の日本にもはやその能力が無いのなら、
悪趣味なポスターで映画自体のイメージまで悪くするより、中国のデザインをお借りする方が有益。