Quantcast
Channel: 東京倶樂部★CLUB TOKYO
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1332

北京2016:無用生活空間 WUYONG

$
0
0
中国アートシーンの今を取り上げ、旅の備忘録を更新。


私が北京を好きな理由の一つは、
そこがアジア屈指、…いや全世界レベルで考えても、他に類を見ないアート・シティだから。
北京のアート・スポットというと、俗に“798艺术区(798藝術區)”と呼ばれる巨大なアート集積地、
大山子艺术区(大山子藝術區)が商業化の批判もある反面、今や外国人観光客の間でも大層な人気。
しかし、それ以外にもアート好きにはタマラないスポットは色々ある。

今回の旅行では、そんなアート・スポットの一つ、77文创园(77文創園)の中に、
2014年オープンした无用生活空间(無用生活空間)へ。

★ 無用と馬可

イメージ 1

そもそも“無用 Wuyong”とは。
“無用”は、1971年、長春生まれの中国人女性デザイナー馬可(マー・コー/マー・クー)による服飾ブランド。



イメージ 2

私がこの馬可を知ったのは、今から十年近く前に、
彼女を追った賈樟柯(ジャ・ジャンクー)監督のドキュメンタリー映画、
その名もズバリ『無用』(2007年)を観たから。


その後もずっと、馬可も無用も、日本ではほぼ無名の存在であったはずだが、
2015年頃、“馬可”、“馬可 デザイナー”といった検索で、当ブログにお越しになる方が、突如ドッと増えた。
不思議に思ったら、朝日新聞の週末別冊版<be>の“フロントランナー”のコーナーで
彼女を取り上げたからであった。

日本のメディアが馬可に注目するようになったのは、
習近平の妻、つまり中国のファーストレディである彭麗媛(ほう・れいえん)のお召し物が現地で話題となり、
それをデザインしているのが、この馬可であると報道されたため。
日本と限らず、中国でも、“無用のデザイナー”としてではなく、“彭麗媛御用デザイナー”として
馬可を知った人は意外と多いのではないかと想像する。
(特に高齢者とか、ファッションやデザインに興味の薄い層は。)

イメージ 3

元々歌手の彭麗媛は、“撮られ慣れ”、“注目され慣れ”していることもあり、堂々としており、
確かに、中高年女性のお手本になるような華やかで上品な着こなし。

但し、このようなお召し物は、馬可が以前から面識のあった彭麗媛からの依頼で、
彼女のため限定でデザインしている、本来の馬可のテイストとは180度異なる物で、販売はしていない。

“本来の馬可テイスト”というのは、上の画像で馬可自身が身にまとっているような服。
主に綿、麻、ウールといった天然素材を、植物由来の天然の染料で染め上げた生地を使用。
少数民族などに伝わる伝統の“手仕事”にもこだわってる。
中国の急発展の陰で、“無用=役に立たない”と切り捨てられてきた物たちに再度光を当て、
反物質主義的な服を作り続けているのが、馬可なわけ。


一般的なお洋服以外にも、例えば…

イメージ 4

こちら、台湾出身の世界的コレオグラファー・林懷民(リン・フワイミン)率いる
コンテンポラリー・ダンス・カンパニー雲門舞集(クラウド・ゲイト)のために、馬可が手掛けた舞台衣装。
こういう方が、彭麗媛のお召し物より、馬可の特徴がより顕著に表現されていますよね。

★ 無用生活空間

イメージ 5

そんな馬可が、2014年、北京の77文創園にオープンしたのが无用生活空间(無用生活空間)

77文創園は、“美术馆后街(美術館の後ろの通り)”という住所を見ても分かるように、
中国美术馆(中國美術館)のちょうど後方に広がる場所に位置し、
旅行者にとっては、郊外にある798などより、ずっと便利で行き易いアートスポット。
地下鉄5号線/6号線の东西(東西)駅から徒歩20分程度。
私は試していないが、地下鉄6号線・南锣鼓巷(南羅鼓巷)駅からも徒歩圏内と見受ける。



イメージ 6

無用生活空間は、77文創園のメインゲートをくぐり、すぐ左側の建物。
元々印刷工場だった1500㎡の空間は、大きく“展厅(展廳)”“家园(家園)”という2ツのエリアから成る。
“展廳”は、伝統の手仕事に関係する企画展を行うアートギャラリーのスペースで、入場自由、見学無料。
一方“家園”は、馬可が提案する無用の精神が詰め込まれた、まんま“家”である。こちらは、要予約。

★ 無用生活空間:家園

なにせ情報が少なく、システムをよく理解していなかったため、
「明日の空いた時間にでもチラッと寄ろうかしら」くらいに軽く考え、思い立ちでホテルに予約を依頼。
そんな私は甘かった…。
時期、曜日など様々な事情によって変わってくるだろうけれど、その時は結構先約が入っていたらしく、
私は希望の日時に予約できず…。
まぁ、それでも、北京滞在中に行けたから良かったが、旅の予定はちょっと狂わされてしまった。
きちんと予定を立てたい人は、念の為、北京到着早々に予約を入れるべし。


とにかく、予約は受けてもらえたので、ある日の夕方、指定の時間に無用生活空間に到着し、扉を開けると、
中のスタッフが「予約の方ですよね?」とすぐに分かってくれ、早速“家園”見学がスタート。
ヒールの靴は厳禁らしく、まずは、用意されたスリッパに履き替え。
(脱いだ自分の靴はロッカーに入れるようになっている。)

見学の際には、一人のスタッフが随行し、内部の説明を行う。
ホテルが「うちの外国人宿泊客が見学を希望」と予約していたので、
私のためには、気を利かせ、英語対応できる若い女性スタッフが待っていてくれた。
とは言うものの、外国人見学者はまだ少ないらしく、
「どこでここの事を知ったの?」とか、「馬可を知っているの?」などと色々質問された。
私個人は、賈樟柯監督のドキュメンタリーで馬可を知った事、
彭麗媛のデザイナーとして馬可を知る人が最近日本でもぼちぼち居る事などを話したら、
彼女は「意外」と軽く驚いていた。
逆に私が驚いたのは、このスタッフの女の子が彭麗媛を歌手だと知らなかったこと。
私が、彭麗媛を誰か別の女性と勘違いしていると思ったらしく、
「いや、彭麗媛は歌手じゃなくて、国家主席の妻」と念を押された。
日本では、“国民的歌手”と紹介されることの多い彭麗媛だが、
現地の中国では、国家主席の妻が元歌手だと知らない若い子がもはや増えているのでしょうか…?


それはそうと、肝心の無用生活空間・家園見学。
内部での写真撮影は禁止されてるので、ここには馬可のインタヴュ記事からお借りした画像を。

イメージ 7

内部は、メディテーションルーム、リビング、キッチン、バスルーム、書斎、ベッドルーム、子供部屋等々で構成。
室内に配置されているのは、天然素材や手仕事で作られた物、古い木材を再利用した家具などばかり。
服のみならず、生活全般でも、馬可の理念を盛り込んだ空間となってる。

展示されている物の多くは購入可能。
値段は敢えて聞かなかったけれど、それなりの額と思われる。
旅行者の場合、仮にお金を払う気が有っても、重い家具などは買えませんよね…?
それでも、何か記念に欲しいなら、手作り石鹸がお手軽で良いかも。
よく覚えていないけれど、それなら確か一個千円くらいだったような…。
私は別に石鹼に興味が無いので買わなかったが(しつこいセールスなどは無いので御心配なく)、
このような場所を無料で開放して、丁寧なガイドまで付けてくれるのだから、
見学料代わりに石鹸一個くらい買うべきだったかも知れないと、あとで少々悪い気がした。


こうして、家園の見学は30~40分くらいで終了。

★ 無用生活空間:展廳

イメージ 8

続いて、“展廳”の見学。
こちらは、誰に付き添われることもなく、一人で自由気ままに見学。写真撮影もOK。
展示は基本的に半年に一度入れ替え。
この時は、“撐起頭上一片天- 傳統手作油紙傘展”と題し、
油紙を使った伝統の傘の展覧会が開催されていた。キュレーターはもちろん馬可。
薄暗いスペースに、お花が咲いたように、色とりどりの傘が浮かぶ光景は、幻想的。
中国は勿論のこと、他にも台湾、ベトナム、日本の傘も。



イメージ 9

説明によると、中国の油紙の傘が日本に伝来したのは唐の時代で、
日本独特の審美眼で改良され、多種多様な“和傘”に発展、またの名は“唐傘”。
江戸時代には、広く民間で使われるようになるけれど、明治維新以降、次第に洋傘に取って代わられていく。
和傘は大きく分類し、野外の茶会・野点で使われる“野点傘”、踊りの時に使う華やかな“舞踊傘”、
実用性の高い“番傘”、傘の中心からヘビの目のように円形に模様を施した“蛇の目傘”の4種類。
一般的に中国の物より長め、内側の竹骨はより細くより密で、表面には漆塗りが施されている。
糊はタピオカなどが使用され、最後は表面に亜麻仁油を塗り、仕上げられる。
現在、日本製の和傘は減少し、岐阜、京都、金沢、淀江、松山などのごく限られた工房で作られているとのこと。

日本に油紙傘が伝わったのは唐の時代だが、お隣・台湾はと言うと、もっと後らしい。
客家人が大陸の生活文化を続々と台湾へ持ち込み始めたのは、清朝乾隆元年から。
油紙傘の製法もその頃台湾へ伝わり、どんどんと発展。
台湾の油紙傘の主要産地は、美濃、屏東、南投。中でも、台湾油紙傘の故郷と呼べるのは美濃。
美濃人には、広東の梅州、潮州に起源をもつ人が多いため、伝えられた技術も広東式。
美濃の客家人が開いた傘工房に、“廣榮興”、“廣興”、“廣進勝”といったように、
“廣(広)”の字を冠しているものが多いのも、彼らが故郷に馳せる想いゆえ。
また、油紙傘が根付いている美濃では、客家の娘が結婚する時、
“紙”と“子”の発音が近いことから、子宝に恵まれることを願い、油紙傘を嫁入り道具にする風習もあり。


当の大陸では、主要産地はいくつか有るが、この展示で特に取り上げているのは湖南。
さらに細かく言うと、湖南の中でも、約6百年の歴史がある石鼓の油紙傘。
石鼓油紙傘は、取っ手に地元の水竹、骨に南竹を使用し、
全体には梅、蘭、竹、菊、カササギ、鶴などを題材にした中国画が自由に描かれている物多し。
この伝統を守ろうという動きがあるのだろうか。
2002年、石鼓傘を伝承する第一人者・趙文超が、実用性より装飾に重きを置いた工芸傘の制作を開始。
2015年からは、現地政府も、油紙傘を展示するギャラリーなどの設立計画を進めているそう。
30畝(≒2ヘクタール)の敷地内に随分立派な油紙傘工業区ができるみたい。


で、(↓)こちら、傘のパーツや、制作に使う素材の展示。

イメージ 10



この企画展とは直接関係の無い(↓)このような絵も。

イメージ 11

ここを訪れた美術学校生が描いた絵が素敵だったので、そのままここに残したそう。
本当に素敵な絵だし、美術好きが集える雰囲気のよいサロン的な空間になっているのが、また良いですね。



“展廳”の展示は、半年に一度入れ替えが行われる。
展示室はひとつだけで、展示品の数は決して多くはないけれど、
それらは馬可のこだわりや理念が感じられる品々で、そこに流れるゆったりした雰囲気もとても心地よい。
そうそう、この無用生活空間では、展示品の説明文なども全て繁体の漢字で書かれている。
そういう細かい部分にも、馬可のこだわりや美意識が感じられます。

とにかく、せっかく無用生活空間を訪れるなら、“展廳”のみならず、予約を入れて“家園”も見るべし。
英語でのガイドを希望するなら、予約時にその旨を伝えましょう。対応してくれるはず。



◆◇◆ 无用生活空间 Wuyong Living Space ◆◇◆
北京市 东城区 美术馆后街 77号 文创园1-101

 010-5753 8089

 10:00~20:00

 入場無料(但し、“家園”の見学には事前の予約が必要)

地下鉄5号線/6号線の东西(東西)駅から徒歩約20分

Viewing all articles
Browse latest Browse all 1332

Trending Articles