【2016年/中国・香港/120min.】
ひとつの時代が幕を閉じ、混沌とする1914年の普城。貧しくも、穏やかなこの村で、小さな食堂を営む李鐵牛のもとに、教師をする従妹の白玲が、数人の幼い生徒たちを伴い、逃げ込んで来る。なんでも、各地で殺戮と強奪を繰り返している北洋軍閥の将軍の息子・曹少璘が、彼女が暮らす石頭城にもやって来て、罪の無い村人たちを片っ端から殺害したというのだ。命拾いした生徒を連れ、なんとか逃げ延びた白玲が、李鐵牛の家に身を寄せ、しばらくしたある日、閑散とした彼の食堂に、一人の男がやって来て、ネギ抜き牛肉麺を注文。たまたま店に来た白玲は、テーブルで麺を待つその客を見て、凍り付く。忘れもしないその男は、石頭城で村人を皆殺しにしたあの曹少璘だったのだ…。

プロデュース作品なら、『小さな園の大きな奇跡』(2015年)が約半年前に日本に入ってきているが、
監督作品となると、『レクイエム 最後の銃弾』(2013年)以来。
本作品は、軍閥が割拠する混沌とした民国初期、普城という小さな村の自警団団長・楊克難が、
その普城で、いきなり3人の村人を殺害した悪名高き曹瑛将軍の息子・曹少璘を
下手に捕えてしまったがばかりに、軍閥という理不尽で大きな相手を敵に回すも、
村と村人を守るため、正義の名のもと、無謀とも思える闘いに挑む武俠アクション。
“悪人vs善人”、“権力者vs民衆”という非常に分かり易い対立。
軍閥の将軍の二代目・曹少璘は、気に食わなければ、女子供も殺す冷血非道な男。
一方、楊難克は三代に渡り、普城の自警団団長を務めてきた善良な熱血漢。
どんなに相手が大きな存在でも、屈することなく、
危機に直面した村と村人を守るため、命を投げ打ってでも、闘おうとうする。
…ところが、「楊難克はやっぱり頼りになる!有り難う!皆で一緒に闘おう!」と士気が上がって、
村人たちも立ち上がるかというと、いや、立ち上がらないのだ。
村人たちが選んだのは、正義のための無謀な負け戦より、悪に屈してでも静かに暮らすこと。
だから、闘う気マンマンの楊難克に、どうか闘わないで!私たちを不幸に巻き込まないで!と懇願。
そう、その日その日を地道に生きている庶民にとって、正義は時に有り難迷惑。
両極端な非道か正義ではなく、白黒つかない妥協案だって有るはず。
私は、村人たちの気持ちを理解したのだが、
妥協した彼らの一縷の望みは無残にも打ち砕かれ、甚大な被害をこうむり、結局闘いを余儀なくされる。
時代背景の民国初期は、陳木勝監督が、過去に『新少林寺 SHAOLIN』(2010年)でも描いている時代。
『新少林寺』もこちらの新作も、共に軍閥が割拠する同じ時代ではあるが、
前者は史実を元にしたお話で、後者はまったくの創作。
2作品で時代がカブッたのは、あくまでも偶然で、
陳木勝監督が、民国初期に特別強い思い入れがあるわけではないないようだ。
陳木勝監督曰く、民国初期は、中国が最も混乱していた頃だから、語るに足るエピソードが非常に多い、と。
そんな訳で、本作品はまったくのフィクションであり、ヒントになった史実は、どうやら無さそう。
舞台となる普城も、実在しない架空の村である。
ただ、中華圏では、この普城を香港の暗喩と受け止める人もボチボチ居るように見受ける。
私個人的には、中国関連だと、何でも政治に絡め、深読みしたがる近年の傾向には、疑問も感じている。
そもそも、そんなに分かり易い暗喩だったら、もはや暗喩ではないし。
ま、ブレーキが利かなくなった横暴な権力者というのは、どこの国にも、いつの時代にも居るので、
どうにでも捉えられる普遍的なお話という気がする。
言う事をきく人間を周囲に侍らせ、権力を乱用する二代目が暴走する普城は、
現在の日本だって、充分当て嵌まる(我が国で暴走中のあの男も、正義の味方に成敗してもらいたい…)。
もしかして、陳木勝監督も、普城という村の名前に、
“普=ごく一般的な”、“城=街”という意味を込めて名付けたのではないかと想像。
では、その架空の普城、
実際のロケ地は?

中国史劇の撮影場所というと、真っ先思い浮かべるのは横店だが、本作品が撮られたのは浙江省紹興。
2014年12月から5ヶ月かけ、紹興の2万平米の土地に、当時の江南の街をイメージした普城を建設。
使用した建材の90%以上は、解体された古い家屋のリサイクルで、
建物のどの部屋にも家具を配備したり、屋台も実際に煮炊きできるように作るなど、
細部にも拘った、もう本当の“村”らしい。建設時期が梅雨に重なり、かなり大変だったらしいが、
それでも、なお、一つの村を5ヶ月で作ってしまうとは、「・・・・・(ポカーン)。」
あの巨大な人民大会堂をたった10ヶ月ポッキリで建ててしまった中国なら、充分有り得る。
(↓)こちら、その紹興“普城”についての簡単な動画。
本当に、紹興に、民国初期の村が一つ出現しちゃっております。びっくり。
主な出演は、普城の自警団団長・楊克難に劉青雲(ラウ・チンワン)、
軍閥の曹瑛将軍の息子・曹少璘に古天樂(ルイス・クー)、
流れ者の馬鋒に彭于晏(エディ・ポン)、
馬鋒の兄弟子で、今は曹少璘の下で働く上校の張亦に吳京(ウー・ジン)。
楊克難と曹少璘は、対立する分かり易い正義と悪。
無関心を装う流れ者の馬鋒と、理想より現実を受け入れ、曹少璘の下で働く張亦は、グレーな存在。
私のお気に入り香港オヤジ劉青雲は、今回、2メートルの長いムチを使ったアクションに挑戦。
処刑用のムチは、史劇でよく目にするが、
ムチを主人公のお約束アイテムにした中国アクション映画は、今、他にパッと思い浮かばない。
劉青雲は、今回、役作りのために、ムチさばきを特訓。
前方に投げ出すのは簡単でも、自分の方に戻って来る時が怖くて、どうしても目が泳いでしまうため、
視線も訓練する必要があったという。
古天樂扮する敵・曹少璘のアイテムは
銃。

普通の黒い銃ではなく、お金持ち仕様(?)の
ド派手なゴールド。

古天樂が、劉青雲と共演するのは、本作品で13回目だって。
香港映画は、キャストがカブることが多いので、13回は多いようで、実は少なくも感じる。
そんな古天樂が、今回演じてる曹少璘は、本作品一の悪役。
ただの馬鹿なのか、サイコパスなのか分からない怖さアリ。どちらにしても、最後まで救いの無い外道であった。
取り分け記憶に焼き付いているのは、狂言自殺にしては鬼気迫った首吊り自殺を計るシーン。
顔を赤くし、口の中から止めどなくブクブクと出てくる白い泡に目が釘付け。
あと、曹少璘の致命傷となる“銃弾返し”も面白かった。
映画を観た人は、分かりますよね?刀に受けた銃弾を、あんなに上手いこと返せるものだろうか。
テコの原理(?)で撥ね返せるのは、中国ならではのシナリがある刀だからで、日本刀では難しそう。
この映画では、メインになっている善の象徴・楊克難vs悪の象徴・曹少璘だけではなく、
サイドストーリー的に描かれる彭于晏扮する馬鋒と、吳京扮する張亦の対立も結構重要。
この二人は、正義と現実の捉え方が異なり、違う道へ進んだものの、元々は同門の弟子同士。
仲が良かった頃の回想シーンでは…
清朝の遺物・辮髪で登場。恐らく、清朝崩壊直後と推測。
伸ばしかけの“モンチッチ辮髪”前頭部が、ズラ感満載で不自然だったのは、本作品一番の残念ポイント。
(意外にも深い辮髪に関しては、こちらの“辮髪(べんぱつ)大特集♪”を併せてどうぞ。)
でも、不幸にも敵対関係になってしまった元義兄弟の最終バトルは、
不自然な辮髪を忘れさせるほど印象的な闘い。

元々陳木勝監督は、別の対戦シーンを構想。ところが、紹興で撮影している内、
現地では、空になった酒壺を積んで天日干しにする伝統的習慣があることを知り、
このアイディアを思い付いて、対戦の構想を一新。
近隣の醸造所から、数万個の酒壺を運び込み、それを現場に設置するだけでも、まず一週間。
この酒壺バトルのシーンは、撮影に一ヶ月が費やされているのだと。
その甲斐あって、印象的なシーンになっている。
他の出演者では、楊克難の親友で、普城自警団の団員でもある廖甲長役の廖啟智(リウ・カイチー)、
普城村長・劉誠の護衛として雇われる王威虎役の釋延能(シー・ヤンネン)についつい目が。
それと言うのも、この二人が出演している
大陸ドラマ『四人の義賊 一枝梅~怪俠一枝梅』を、

つい最近観終えたばかりだから。
趣きの異なる二作品で比べるのは間違っているだろうけれど、
正直言って、この二人は、『一枝梅』で演じている役の方が、より魅力的であった。
でも、釋延能が、元“リアル少林武僧”たる力強いアクションを披露しているのは、
こちらの『コール・オブ・ヒーローズ』の方かも。
それにしても、“釋延能 Shì Yánnéng”を“シー・ヤンネン”と表記するのは、酷過ぎて、どうしても慣れない。
ナンなの、“ヤンネン”って。中国人というより北欧人っぽい。
日本でも、彼の熱心なファンの方々は、“シー・イェンノン”と呼んでいるようなので、
私もなるべくそちらを使おうと思います。
あと、そう、そう、もう一人忘れ難いのが子役。
劉青雲の娘・楊襄を演じている劉嘉藝(リウ・ジャーイー)という子。
一度見たら忘れられない非常に個性的な顔立ち。
14億近い人口を抱える中国では、これくらいキョーレツな個性が無いと、埋もれてしまうというのは、分かる。
…が、この子が、周冬雨(チョウ・ドンユィ)に似ていると言われているのは、どうなのかしらぁ…。
まぶたが腫れぼったい同系の顔に見えなくもないが、
言うなれば、郷ひろみと我修院達也のような、“似て非なるもの”という気が…。
周冬雨よりは、“実写版クレヨンしんちゃん”って感じ。
(2007年生まれとのことだが、“芸歴40年、浪速のベテラン女芸人”といった雰囲気も。)
私は、熱心なアクション映画ファンではないので、
年の暮れに、この作品を2017年度のベスト10に入れることは、まず無いと思う。
でも、これまでの陳木勝監督作品と同じように、
アクションに特別興味が無い人が観ても入り込めるテンポの良いストーリー展開で、
飽きることのない2時間ではあった。
ちなみに、この映画、日本では、広東語版で上映。
冒頭にまず登場する彭于晏が、普段とは明らかに違う声で、広東語を喋っているのには、当初、戸惑った。
香港明星の劉青雲や古天樂は、もちろん地声だし、彭于晏の吹き替え声にも、その内、慣れたけれど。
私は、本来、香港映画なら“広東語で観たい派”なのだが、
大陸との合作がこうも進んだ昨今、物語の設定によっては、広東語が不自然と感じることもある。
例えば、最近だと、『おじいちゃんはデブゴン』(2015年)。
舞台が大陸北方なのに、皆が当たり前のように広東語を喋っているのには、違和感を覚えた。
香港電影ファンのための広東語存続か、作品のリアリティかで、
北京語/広東語の選択は、悩ましいところですわね。
この『コール・オブ・ヒーローズ』の場合、舞台が架空の村なので、結局のところ、広東語OKかしら。
ついでに、本作品で声を吹き替えられているその彭于晏についても言及しておくと、
本人の希望通り、台湾偶像劇から脱却し、映画の世界へのシフトに見事成功したことは、良かったと思うが、
アクション映画の出演ばかりが目立っているのは、
特別アクション映画好きってほどではない私には、ちょっと残念。
なので、許鞍華監督最新作『明月幾時有~Our Time Will Come』への出演は、
方向性に変化が感じられ、期待が湧く。ひと皮剥けた彭于晏に出逢えるでしょうか…?