【2017年/アメリカ/163min.】
2049年、アメリカ・カリフォルニア。
ブレードランナーとして、日々、旧型レプリカントの行方を追っている新型レプリカントのKは、
新たにに、農場に身を隠しているサッパー・モートンというレプリカントを探し出し、処刑。
その際、小屋の近くで、不審な箱に入った骨を見付け、持ち帰る。
調べたところ、小さく刻まれたシリアルナンバーから、骨はレプリカントの物であると確定。
さらに驚いた事には、このレプリカントが、約30年前に帝王切開で子供を出産していた事まで判明。
なんと、レプリカントが人類と同等の生物になっていた事が明るみになったのだ。
人類の脅威となるこの事実を、警察が見過ごすわけはない。
上司のジョシ警部補から、全ての禍根を断つように命じられたKは、早速調査にのりだすが…。
相変わらずYahoo!ブログの不具合が続き、長文が投稿できない状態なので、
取り敢えず、こちら、かの『ブレードランナー』の続編を。(これも充分長文だが、他に比べればまだ短い。)
『ブレードランナー』(1982年)と『未来世紀ブラジル』(1985年)は、
SFにまったくと言って良いほど興味の無い私が、珍しく好きな80年代SF映画。
あれから35年もの歳月を経て、今更続編を作るなんて、
ハリウッドは余程ネタの枯渇に頭を抱えているのかと、ちょっと冷めた目。
私は基本的に“続編に名作ナシ”だと思っているし、
好きな作品なら、なおの事、続編を観るのは恐ろしい…。
でも、この春に観た、『トレインスポッティング』(1996年)の続編、
『T2 トレインスポッティング』(2017年)が意外に良かった事もあり、続編に対する負のイメージが緩和。
『ブレードランナー』の続編も、時間が経つにつれ、“観たい!”という気持ちが強くなっていった。
この続編『ブレードランナー2049』を手掛けたのは、カナダの
ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督。

一作目を監督したリドリー・スコットは、製作総指揮で本作品に関与。
原案と脚本は、ハンプトン・ファンチャーが続投。
まずは、前作を簡単におさらい。
『ブレードランナー』の時代背景は、
タイレル社が製造したレプリカント(人造人間)が奴隷として過酷な労働に従事している2019年。
レプリカントたちは、製造から月日が経つと、感情が芽生えてしまうため、寿命は4年と設定されているが、
それに抗い、脱走し、人間社会に紛れ込んだり、反逆の機会を伺う者も。
そんなレプリカントたちを探し出し、処刑するのが、“ブレードランナー”と呼ばれる警察の特殊捜査官。
主人公のリック・デッカードも、ブレードランナー。
レプリカントたちと死闘を繰り広げ、自分の責務を果たすが、
あろう事か、美しい女性レプリカントのレイチェルと恋に落ちてしまう。
前作を振り返り、ちょっと驚くのは、
80年代の人々が、今からたった2年後の2019年を、相当な未来として捉えている事。
地球上の人類も生活も、実際には、『ブレードランナー』で描かれているほど進化しませんでしたね。
(それとも、私が知らないだけで、私の周りにも、人間にしか見えないレプリカントが大勢居るのかしらー?!)
『ブレードランナー2049』の時代背景は、タイトルからも分かるように、2049年。
この続編は、ズバリ、前作の30年後、2049年を描くSF映画である。
遡ること2022年、アメリカで大停電が起き、ありとあらゆるデータが失われ、
レプリカントを製造していたタイレル社は倒産。
都市機能の麻痺で、経済は混乱し、大飢饉も蔓延するが、
二アンダー・ウォレス博士が提唱する遺伝子工学を応用した農法で、事態は収束。
ウォレス博士は、倒産したタイレル社を引き継ぎ、従順なレプリカント“ネクサス9型”を製造。
そして、2049年。
主人公は、製造番号KD6-3.7、通称“K”という、ブレードランナーを生業にする新型レプリカント。
この時代には、改良された新型レプリカントが、危険な旧型レプリカントを成敗しているのだ。
優秀なブレードランナーであるKは、いつものように任務を遂行した際、
現場で、箱に入れ、埋められていた人骨を発見。
検視の結果、それが女性レプリカントの骨で、
驚くべき事に、彼女がレプリカントでありながら、帝王切開で出産していたことまで判明!
レプリカントに生殖機能が有って、妊娠出産までしていたなんて、前代未聞なわけで、
余計な禍根は断たなければならない。
Kは、30年近く前に生まれたであろうその子供をはじめ、
全ての痕跡を見付け出し、抹消するよう命じられる。
そして、調査を進めるにつれ、明るみになっていく事実と、Kのおぼろげな幼少期の記憶が徐々にリンクし、
彼は気付いてしまうのだ、自分自身のマサカの出自に…!
詳細を知らずに鑑賞に臨んだ私にとって、
人造人間レプリカントが主人公の近未来SF映画で、
“出生の秘密”という昭和のメロドラマ的な展開は、意外性あり。
その後、自分を捨てた父と対面し、殴り合ったあと、酒を酌み交わしながら、
憎々し気に「アンタの子供を産んだ女の名前は何ていうだよ?」とか言ってみたり、
古今東西、この手の“出生の秘密モノ”には、共通項があるようだ。
しかも、話はここで終わりではない。
「あの時生まれた子は男児なんかじゃないわよ。本当よ。だって、アタシ、出産に立ち会ったもの。」
などと言い出す人物が登場し、出生の秘密にもうひと波乱。
ハリウッドスタアが演じるSF映画ではあるけれど、韓ドラ的展開である。
本作品で、新旧ブレードランナーを演じるのは、“K”ことKD6-3.7にライアン・ゴズリング、
30年前に姿をくらましたリック・デッカードにハリソン・フォード。
ライアン・ゴズリングは、目と目の間隔が狭い、ちょっと情けない顔立ちだから、
人間臭くて、憂いがあるレプリカントの役に合っている。
元々有名だし、『ラ・ラ・ランド』(2016年)で、さらにビッグになったわけだから、
ライアン・ゴズリング一人で充分話題作の看板を背負えるとは思うけれど、
でも、それでも、前作の主演俳優ハリソン・フォードが共演する意味は大きい。
(↓)こちら、前作と続編のハリソン・フォード比較。
1942年生まれの御年75歳ヨ。
生き馬の目を抜く芸能界を、ずっと第一線で活躍し、35年前の作品の続編に出演できるってスゴイ事である。
当初は、続編には出ないと噂されていたが、結局出演し、こういう役で物語に絡んできたかー!と。
前作の重要キャラと言えば、もう一人、リック・デッカードと恋に落ちるレプリカントのレイチェルである。
バブリ~!平野ノラを彷彿させるいかつい肩パッドですねー。
(いや、こちらが80年代の御本家だから、平野ノラの方が“和製レイチェル”なのでしょう。)
ファッションに時代感は出ているが、今見ても綺麗。
演じていたのは、最近お見掛けしないショーン・ヤング。
騒動を起こすなど、スキャンダルで話題を集めてしまった時期もあるようだけれど、
地元アメリカでは細々と女優活動を続けている様子。
(↓)こちら、3年ほど前のショーン・ヤング。
レイチェルを演じたのは20代前半だから、変化していて当然。
1959年生まれのショーン・ヤングは、正しい“50代女性”である。
このショーン・ヤングも、続編に(↓)こんな風に出ているのだ。
さすがはレプリカント!昔とまったく変わらぬ姿で、オッサン化したリック・デッカードと対面する。
昔の映像を切り取ってそのまま使っているのではなく、
周囲とのやり取りもちゃんと噛み合っているから、驚きである。
まず、前作の映像から、ショーン・ヤングをスキャンして、頭部の3Dモデルを作り、
それを、キャプチャー技術で、背格好の似たローレン・ペタという替え玉女優に当て込んでいったらしい。
担当したのは、これまでアカデミー視覚効果賞を複数回受賞している
イギリスのVFX制作会社、MPC(ムーヴィング・ピクチャー・カンパニー)。
なお、実際のショーン・ヤングも現場に来て、替え玉のローレン・ペタに、動きなどを指導したとのこと。
その他の出演は…
Kの家に暮らすホログラムの恋人ジョイにアナ・デ・アルマス、
Kの上司、“マダム”ことジョシ警部補にロビン・ライト、
レプリカント製造を手掛ける二アンダー・ウォレス博士にジャレッド・レト、
ウォレス博士の部下ラヴにシルヴィア・フークス等々。
ジョイに扮するキューバ出身のアナ・デ・アルマスは、
正直なところ、私はあまり好みではないのだが、日本ウケするタイプ。
一般的に日本人は、オトナっぽくキツイ顔立ちの西洋人女性は苦手で、
ミランダ・カーのような親しみ易いおへちゃ顔を好む傾向があるから。
アナ・デ・アルマスも、実年齢より若く見える童顔カワイ子ちゃん系で…
ブルーのウィグで登場するシーンなんか、もう二次元アイドルそのもの!
本作品一の悪役は、ラヴであろう。
いや、ラヴに命令を下すウォレス博士が一番悪い奴なのだけれど、
実際に手を汚して戦い、登場シーンも多いのは、断然ラヴだから。
演じているのは、シルヴィア・フークス。
初めて見る顔だと思っていたら、いえいえ、彼女、『鑑定士と顔のない依頼人』(2013年)で、
ミステリアスな女性クレアを演じていたオランダ人女優であった。
本作品のラヴもまたミステリアスなのだが、2作で随分雰囲気が違う。
『ブレードランナー』は、美術にもついつい期待してしまう。
前作は、SF映画なのに、レトロで無国籍な雰囲気が、当時としては新鮮であった。
日本語や日本語の看板が溢れていたのも、日本人にはツボ。
ハリウッド映画の中で、まさか強力わかもとの広告を目にするとは思わなかった。
続編の美術にも、あの猥雑な無国籍感は健在。相変わらず日本語も出て来るけれど、中国語や韓国語も。
日本がイケイケで、海外にもガンガン進出していた頃に制作された前作では、
その後衰退する日本の“栄華の名残り”を感じる2019年を見て取れるが、
現実には、日本が衰退するだけではなく、同時に他のアジア諸国が頭角を現した訳で、
続編の美術からは、この35年に現実世界で起きた変化まで感じる。
もう一つ印象に残った美術は(↓)こういうの。
地に転がる極端に大きな彫像が、まるでフェデリコ・フェリーニの世界観。
そうしたら、実際、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督は、
フェリーニが作品に奇怪な美術を盛り込んでいた60年代の自由な感じを表現したいと考えていたようだ。
こういうシーンはまた、『猿の惑星』(1968年)や、
ミケランジェロ・アントニオーニ監督の『赤い砂漠』(年)なども意識しているらしい。
あと、気になると言えば、IDチェックの機械が、日本語で「データが破壊されています」と喋るシーン。
日本語のイントネーションが、微妙に関西人なの(笑)。なんでSF映画で敢えて関西弁…?!
ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督があちらのインタヴュで、
「ジョイはKの映し鏡であり、彼の欲望の体現。
Kが聞きたいと思う言葉を囁く、ジミニー・クリケットのような存在」、
「Kは、まるでピノキオのように、自分が何者なのか確信が持てない。
もしかし、自分は人間の少年として生まれてきたのではないかと。
映画の中でKが追っているのは、彼自身のアイデンティティ探しだ。」と語っているのを読み、腑に落ちた。
昭和のメロドラマだ、韓ドラだなどと言って、スミマセン。
そう、この『ブレードランナー20149』は、ハリウッドの超大作でありながら、
(昭和のメロドラマや韓ドラの話はもう無かった事にして…)ヨーロッパ的なニオイのする点が気に入った。
ただ、163分という尺は、この手の作品にしては長過ぎるという気も…。
しかも、新宿ピカデリーが冬にも拘わらず冷房をガンガン入れているから、
寒くて寒くて、163分が263分にも感じてしまった。
あと、悪役が、前作のルトガー・ハウアーと比較してしまうと、魅力に欠けるので、
作品の印象がやや弱くなっている気がする。