【2018年/日本・フランス/110min.】
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奈良県吉野。
猟犬のコウと静かに暮らす山守の智に、
老女のアキが言う、「今日は山へ行くな、殺生はするな。明日は春日神社へお参りに行け」。
アキの言いつけに従い、春日神社を訪れた智に、女性が声を掛けてくる。
ジャンヌというフランスのエッセイストに随行する通訳の花であった。
ジャンヌがこの地へやって来た目的は、“Vision(ビジョン)”を探すため。
“Vision”、それは千年に一度姿を見せ、人類の苦痛を取り去ると言い伝えられている幻の植物。
そんな物は知らないと答えた智だが、
宿もなく困っている二人を、しばらくの間、自分の家に泊めてあげることを承諾。
間も無くして、ジャンヌに会ったアキは、
「あんただったんだね」と、まるで彼女の訪れを知っていたかのような口調で迎え、
ジャンヌもまた目の不自由なアキと、言葉の壁を越え、心で通じていく。
数日後、通訳の花が去り、ひとつ屋根の下、二人きりになると、無口な智もポツリポツリと話すように。
身も心も距離を近づける二人だが、ジャンヌは吉野に戻ることを約束し、フランスへ一時帰国。
吉野の山が色付く秋。
約束通り智の家に戻って来たジャンヌは、
そこで、彼女の不在中いつの間にか智と暮らし始めていた鈴という若い青年を目にする。
山の中で傷付き意識を失っていた鈴を智が見付け、家に連れ帰ったのだという。
こうして始まった、智、鈴、ジャンヌ、三人の生活。
鈴と過ごす内、ジャンヌに、岳という猟師の男との記憶が重なってゆく…。
河直美監督、長編作品10本目にあたる最新作を鑑賞。
是枝裕和監督のパルム・ドール受賞作『万引き家族』と公開が重なったため、影が薄くなってしまったけれど、
おフランスのあのジュリエット・ビノシュが主演した、注目に値する作品である。
なんでも、河直美監督は、昨2017年5月、第70回カンヌ国際映画祭に出席した際、
ジュリエット・ビノシュと御対面し、意気投合。
ジュリエット・ビノシュが、河直美監督の作品に出たいと話したことで、翌6月には、新作の制作が決定。
すぐさま河直美監督はアテ書きで脚本の執筆を始め、9月初旬にはクランクイン。
12月初旬にクランクアップし、2018年6月、こうして公開の運び。
うわぁぁぁ~、監督ってば“すぐやる課”!(←若い子は知らないだろうが、昔、こういう言い方があった。)
有名女優が口にする「是非監督の作品で出たいです」などという言葉を、社交辞令とは受け止めず、
前向きに“本心”と捉え、相手に心変わりするスキなど与えず、企画を一気に進め、クランクイン!
日本人離れしたこの攻めの姿勢とスピード感が、世界でやって行ける秘訣かも知れない。
本作品は、フランスのエッセイスト・ジャンヌが、
千年に一度出現し、人類の苦痛を取り去るという幻の植物“Vision(ビジョン)”を探しに吉野にやって来て、
そこに暮らす人々と交流を始めたことで、
人と自然、生と死が、時空をも超え交差していく様子を神秘的に描く物語。
説明したり、ジャンル分けするのが、とても難しい作品。
舞台は、河直美監督の故郷で、これまでにも多くの作品が撮られてきた奈良。
その中でも、荘厳な大自然を有する吉野。
主人公のエッセイスト・ジャンヌは、列車に乗って、この地へ向かう。
そして、トンネルを抜けると、その先にあるのは吉野。
トンネルの向こう側とこちら側では全然違い、この吉野だけが、まるで他から隔離された神秘の異世界。
「トンネルを抜けると雪国だった」(By川端康成)ならぬ、「トンネルを抜けると仙郷だった」って感じ。
ジャンヌはその異世界で、山守の智や、老婆アキと出逢う。
アキは、ジャンヌがやって来ることを知っていたかのようだし、
彼女がが探している幻の植物・Visionについても知っているよう。
ジャンヌとアキは、初対面で、共通の言語を持たなくても、魂のレベルで通じているように見える。
口数が少なく、内面が読みにくい智もまた、ジャンヌと身も心も繋がってゆく。
そんなジャンヌが、おフランスへ一時帰国するまでが物語前半で、
秋にまた吉野に戻ってきてから、物語は後半戦に突入。
後半では、他から隔離され、何百年も前から凍結されたままかのような異世界・吉野に、小さな変化。
いつの間にか、智の家に、鈴という青年が居ついていたのだ。
自分の留守中に現れ、智と親しくしている鈴に対し、戸惑い、嫉妬しているようにも見えるジャンヌ。
ここから、智、鈴、ジャンヌの三角関係の物語に発展していくのかと予想したら、
そんな単純なラヴストーリーではなかった。
鈴を通し、ジャンヌの脳裏に、どんどん蘇ってくる過去の記憶の数々。
ここから、物語は、現在と過去が交差。
過去にジャンヌは(ジャンヌ本人かも知れないし、ジャンヌに魂を引き継がせた別人かも知れない)、
岳という猟師と恋に落ちるも、岳は死亡。
岳亡きあと、ジャンヌが一人で産み落とした彼の子は、岳の両親のもと成長し、
やがて、山中で意識を失ったいるところを山守に助けられ、そのまま山守の家で暮らし始め、
それがまるで運命の巡り合わせだったかのように、実母との再会を果たす。
そう、その子こそ、鈴なわけ。
人類か自然界かに関係なく、そこに宿る命の継続や再生を表したかのような、神秘的で不思議なお話。
この物語後半に、頻繁に出てくる言葉が“素数 Prime Number”。
「素数は他とは交わらない」といった具合に。
そして、ジャンヌが探しているというVisionもまた素数と関係し、姿を現す周期が997年だという。
“素数”ねぇ、「・・・・・。」
その昔、学校でそんな物を教わった気もするけれど、これっぽっちも覚えていないので、
映画鑑賞後、調べちゃいましたヨ。
簡単に言うと、“素数=1より大きな整数で、1とその数以外で割れない数”。
で、千以下で、千に一番近い素数が997とのことなので、Visionが現れる周期は997年なのであろう。
映画『Vision』は、延々と紡がれる命を描きながら、
他とは決して交わらない物が、他と交わったことで起きる化学反応をも描いている作品という気がしてきた。
キャストでは、先程からすでに名前が出ている主演女優は、こちら(↓)
奈良の吉野にやって来たフランスのジャーナリスト、ジャンヌを演じるジュリエット・ビノシュ。
ジュリエット・ビノシュは、アジアの監督とのコラボにも積極的で、
過去には、侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督の『ホウ・シャオシェンのレッド・バルーン』(2007年)や、
アッバス・キアロスタミ監督の『トスカーナの贋作』(2010年)で主演を務め、
近々、是枝裕和監督の最新作にも出演予定。
でも、過去2作品は、前者はフランス、後者はイタリアが舞台、
是枝裕和監督最新作も国外での撮影が予定されているとの事なので、
吉野の山奥に佇んでいるジュリエット・ビノシュが見られるだけでも、この『Vision』は新鮮かつ貴重かも。
世界的にメジャーな女優となった今でも、
アジア人監督の、しかも、大ヒットが見込めない難解な作品に挑む姿勢には、歩みを止めない女優魂を感じる。
他のキャストも見ておきます。
ジャンヌを家に泊める山守の智(とも)に永瀬正敏、
智が親しくしている盲目の老婆アキに夏木マリ、
智に助けられ、共に暮らすようになる青年・鈴(りん)に岩田剛典、
通訳兼アシスタントとしてジャンヌに同行する花(はな)に美波、
過去にジャンヌと関係があった猟師の岳(がく)に森山未來、
そしてもう一人の老猟師、源(げん)に田中泯など…。
登場人物の名前が皆、漢字一文字に納まるシンプルな物にまとめられているのは、
共演者ジュリエット・ビノシュをはじめ、外国人にも覚え易いことを意識して命名したのだろうか?
(“H”から始まる“花(はな)”だけは、フランス人には発音しにくいと思うけれど。)
過去の河直美監督作品で、ここまで“一文字氏名”にまとめられていた作品は無かった気がする。
永瀬正敏は、『あん』(2015年)、『光』(2017年)、そしてこの『Vision』と
河直美監督作品に立て続けに3本出演し、今やすっかり“河直美監督御用俳優”。
河直美監督が、カンヌでジュリエット・ビノシュに出逢った時、
一緒にその場に居て、新作の企画に最初から組み込まれていたのも永瀬正敏。
もちろん監督は、智の役を永瀬正敏でアテ書き。
その智は、前2作品で演じた役と、“”無口で無骨”という共通点。
河直美監督にとって、永瀬正敏は、
“ニッポンの不器用な中年男を演じさせたら右に出る者はいない”と思わせる俳優なのかも知れない。
具体的には、智は、48歳で、吉野に暮らし20年という設定。
元々山守だったわけではなく、若い頃は都会で暮らし、
何かしらの事情で生活を一変させたという過去が垣間見える。
実は、ジュリエット・ビノシュや永瀬正敏以上に、強烈な印象に残ったのは、夏木マリであった。
見た目からして普段とはまるで違い、ノーメイクでスポーツ刈り。
扮するアキは、なんか巫女みたいなシャーマンみたいな謎めいた老婆で、
智に年齢を尋ねられると、「千年ほど前、胞子が放たれた時に生まれた」と答えるの。
約千年前といったら、平安時代ヨ(笑)。
日本でここまでの御長寿って、このアキ以外に、
“10万歳+地球年齢”で年を答えるデーモン小暮閣下くらいしか思い浮かばない。
現実には有り得ない超高齢者だが、
夏木マリ扮するアキは、ごく自然に人類離れしているというか、妖怪の域に達している雰囲気があるから、
彼女が言う「千年ほど前の生まれ」も、へぇー、そうなのね、とすんなり受け入れてしまった。
夏木マリには、彼女が長年続けている舞台活動の延長線上にあるかのような踊りのシーンも。
本作品には、他にも、舞踏家としても活動する森山未來や田中泯も出演しており、
彼らも同様に、作中、独特な踊りを披露。
映画の中に、舞台的な演出があると、そこだけワザとらしく浮いて見え、普段あまり好きではないのだが、
本作品の場合、そういう踊りが一種の“祈祷”のように見え、作風に馴染んいた。
日仏混血の美波は、2014年、文化庁の芸術家研修でパリに一年留学した後も、
日仏両国を拠点に、パリと日本を行き来しているらしい。
本作品で久々に見た美波は、フランス語を活かし、ジャンヌに随行する花という通訳を演じている。
他にも、『光』に続き、白川和子が、岳の母/鈴の祖母役で出演していたり、
河直美監督作品常連/初登板に関わらず、基本的には、作風に合った納得のキャスティング。
…が、唯一、岩田剛典だけは、出演を知った時、当初、“河直美監督作品的ではない”と違和感を覚えた。
そうしたら、エンディングで一番に「エグゼクティブプロデューサー:EXILE HIRO」とクレジットされていたので、
キャスティングには何やらオトナの事情もあったのかしら、…と勘繰ってしまった。
でもねぇ、岩田剛典が演じる鈴は、実のところ、全然悪くなかった。
“EXILE”と聞いただけで、何かギラギラした物を想像してしまいがちだけれど、
鈴からはそういうギラつきが抜けていて、ピュアな少年のような雰囲気が感じられた。
あと、これ、お犬様映画です。
智が一緒に暮らしている猟犬のコウ。
<西遊記>や<封神演義>に登場する二郎神がつれている神犬・哮天(こうてん)を重ねた。
そのコウが忽然と消え、死んで発見されるシーンが、あまりにもリアルだったため、
撮影中急死したから、急遽脚本を書き換え、死体を使って撮ったのではないかと想像。
が、その後、大阪で行われた舞台挨拶に、監督&キャストと共にコウが登壇したと知った。
コウ、生きてたのですね。ホッ…!
じゃぁ、作中、まるで死んだかのようにグッタリ微動だにしなかったのは、演技だったのか…?!
犬って、あそこまで演技するものなの…??
ちなみに、このコウは紀州犬とのこと。
昨今、“紀州”と聞くと、“紀州のドン・ファン”を思い浮かべてしまう私は、
『Vision』向きではない俗な人間なのかも知れません。
『あん』、『光』と、分かり易い作品が続いていたので、
河直美監督は今後その路線で行くのかとも思っていたけれど、『Vision』でその想像を裏切った。
その裏切りを、肯定的に捉える人も否定的に捉える人もいるであろう。
私は、肯定的な方。
大好き!と手放しの絶賛はしないが、
鑑賞後も「あそこは何を意味していたのだろう」等と考えを巡らせ、思いを引きずったという事は、
何かしら私の中に爪痕を残した作品であり、
鑑賞中瞬発的に楽しんでも、直後に忘れてしまうようなお気楽な作品より上等に思える。
単純に、吉野の自然や神秘を堪能する作品としても良し。
日本国内で、シャーマンとか自然崇拝とか超自然な存在との交信等々が違和感なくハマる場所というと、
私は真っ先に沖縄を思い浮かべるけれど、
こういう『Vision』のような作品を観ると、吉野の神秘もまた相当なものだと、圧倒される。
『Vision』は、吉野の大自然無くして成立しない作品で、
舞台が吉野だからこそ、物理的に説明がつかない非現実的なお話が、
あたかもそこで本当に起きているかのように淡々と綴られ、“現代の神話”になっている。
ちなみに、私のスピリチャルな物への関心は、限りなくゼロに近い。
そんな超現実派の私でも、自然の神秘に畏敬の念を抱いてしまう作品であった。
10人中7人は、退屈して、途中で爆睡してしまいそうなので、敢えて人には勧めないけれど、
こういう作品に興味がある人なら、公開している内に、是非映画館の大スクリーンで。