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映画『アッシュ・イズ・ピュアレスト・ホワイト(仮)』

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【2018年/中国・フランス/135min.】
2001年、山西・大同。
金銭でモメる仲間の仲裁に入った斌哥は、関羽像を前に、手際よく皆を納得させ、問題を解決。
斌哥は、周囲からの信頼も厚い兄貴分。
仲間たちと酒を囲み、改めて義兄弟の契りを交わす。
斌哥の恋人・巧巧は、彼の仲間たちから“姐御”と慕われる立場を理解しながらも、
自分は江湖の人間ではないと、平凡な幸せを求める女性。
宏安鉱山の閉山で、職を失った父を連れ、斌哥と共に新疆へ引っ越そうと考えるが、
斌哥はどうも結婚には積極的ではない。
ある晩、二人を乗せた車が、繁華街で若いチンピラたちの襲撃に遭う。
車から降り、若造たちからボコボコにされる斌哥。
巧巧は咄嗟に、斌哥が隠し持っていた拳銃を発砲し、暴徒を抑えるも、
斌哥をかばい、銃を自分の所持品だと主張し、収監。

2006年。
巧巧は、5年の刑期を終え、出所するが、
収監中、父はこの世を去り、一度たりとも面会に来なかった斌哥も、そのまま音信不通。
なんとか斌哥の消息を掴もうと、巧巧は巴東に居る潮州商会の林家棟を訪ねるため、
船で三峡を渡るのだが…。



第19回東京フィルメックスで、クロージング作品として上映された
賈樟柯(ジャ・ジャンクー)監督最新作を鑑賞。
原題は『江湖兒女~Ash Is Purest White』。

今年は、フィルメックスに、賈樟柯監督、来日せず。代わりに…

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会場では、ビデオメッセージが流された。




本作品を一言で表現すると、
『江湖兒女(江湖の男と女)』のタイトル通りで、
ヤクザな稼業で生きている男・郭斌と、彼を愛した女・巧巧の17年に及ぶ腐れ縁を描いたラヴ・ストーリー


物語の幕開けは、2001年の山西省・大同。
“斌哥”こと郭斌はヤクザ者であるが、仲間たちからの信用は厚い頼れる兄貴分。
その恋人の巧巧は、誰からも“姐御”と認められており、二人は夫婦も同然の仲。

ところが、平穏な日々は続かず、ある晩、繁華街で、斌が彼に恨みを持つ若者たちから集団で襲撃される。
巧巧は、暴徒を抑えるため、斌哥が隠し持っていた拳銃で発砲。
銃の所持は勿論違法。
巧巧は、斌哥をかばって、5年の刑に処せられる。

5年の歳月は、人を変える。
巧巧はようやく出所するも、かばった斌哥は迎えに来るどころか、音信不通。
風の便りに、斌哥の行方を追って、船で三峡を渡り、巴東を目指す。

ここら辺から、作品は、大陸横断のロード・ムーヴィの様相に。
撮影は、賈樟柯監督の故郷・山西にはじまり、三峽、新疆と、7700キロもに及んだという。


また…

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船で三峡を渡るこのシーンを見ると、『長江哀歌』(2006年)を思い出す。
このシーンと限らず、作中所々に賈樟柯監督の過去の作品とリンクする要素があるため、
本作品が、“賈樟柯監督の集大成”と言われる理由に納得。


賈樟柯監督自身に、本作品を“集大成”と位置付ける意思が有ったのかは分からないけれど、
江湖の物語を撮りたいという想いは学生時代から有り、それを遂に実現させたのが、本作品との事なので、
長年抱き続けてきた構想を形にしたという意味で、確かに賈樟柯監督の集大成なのかも。

ちなみに、分かるようで分かりにくいキーワードの“江湖”。
最近、日本に入って来ている大陸時代劇等では、“俠客の属する世界”と注釈が付けられていますよね。
本作品の日本語字幕では“渡世”と訳されている。
賈樟柯監督自身が定義する“江湖”は以下の通り。
方々に危険をはらむ環境。
複雑な人間関係。
至る所が住みか。
決して無くならない情義。

<水滸伝>から80年代の香港映画に至るまで、なぜ我々は江湖の物語を語りたがるのか?
それは、恐らく、江湖は興味深い“視点”であり、
その視点から、激しく変革する社会や、社会で起きている問題を覗き見ることが出来るのではないか?
それは、私が過去の作品ではやってこなかった事で、非常に新鮮に感じ、
この新作で、遂に江湖の物語を撮る決意を固めた、…と賈樟柯監督はインタヴュで語っている。



英語のタイトル『Ash Is Purest White(=灰は最も白い)』にも触れておく。
このタイトルに繋がる言葉は、主人公の斌と巧巧が、山を臨む平原を訪れるシーンに出て来る。

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「あの山は活火山かしら、死火山かしら?」、
「高温で焼かれているから、火山灰は一番綺麗なんじゃない?」、
「煙草の灰が一番綺麗ということはないわ」という巧巧の言葉。
賈樟柯監督は、どうやら“人”を“灰”に例えたようだ。
「どんな人も根底は純白、本作品の登場人物も、皆欠点は有っても、誰もが尊い存在」であると。
また、「世の大半の人々は、最終的に何の痕跡も残さず、灰のように散ってしまう。
だからこそ、我々が経験する事柄や、個々が向き合う問題を収めたのが、この映画」とも。

煙草の灰を引き合いに出したのは、昔、煙草の灰に消毒や止血の効果があると信じられ、
スリ傷ができた時などに、患部に塗っていたからで、
だから、今でも、喫煙時にジョークで、「タバコの灰は最も清潔だから」なんて言う事があるみたい。
私にとっては初耳だったけれど、
日本でも、ほぼ同様の理由で、煙草の灰や葉っぱを使う民間療法は有ったようですね。

ちなみに、撮影された場所は、山西省・大同の火山群の内、標高が二番目に高い金山。
賈樟柯監督は、『罪の手ざわり』(2013年)の時から、映画の脚本は、北京を離れ、大同で執筆。
この山は、賈樟柯監督が滞在する場所から、車で小一時間の距離にあり、
執筆に疲れた時などに、よく訪れる監督の秘密基地なのだと。





江湖の男女を演じているのは、(↓)こちらのお二方。

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ヤクザ者の“斌哥(斌アニキ)”こと郭斌に廖凡(リャオ・ファン)、斌哥の恋人・巧巧に趙濤(チャオ・タオ)

斌&巧巧と言えば、2001年の山西省・大同を背景に描いた作品、
『青の稲妻』(2002年)に登場する主人公の男女と同名!

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『青の稲妻』では、趙濤扮する主人公のおかっぱ頭が、かなり印象的だったが、
この新作でも、若い巧巧を演じる趙濤は、おかっぱ頭で、『青の稲妻』の巧巧を彷彿させる。
新作も、物語の幕開けは、2001年の山西省・大同だし、
つまり、『青の稲妻』の斌&巧巧の“その後”を想像して描いたのが、本作品なのかも知れない。

また、主演女優の趙濤が、一人の女性の長期間を演じ切るという点では、
前作『山河ノスタルジア』(2015年)で演じた沈濤に近い。
それら諸々からも、本作品は“賈樟柯監督の集大成”という印象で、
監督は本作品でもう趙濤を撮り尽くしたのではないだろうか?
趙濤が賈樟柯監督監督作品で主演を張るのは、これが最後なのではないだろうか?という疑問さえ湧く。
でも、次回作『在清朝』の主演コンビも、本作品と同じ、廖凡&趙濤という噂なので、私の考え過ぎですね。


で、その廖凡は、賈樟柯監督作品初出演。
大好きな俳優・廖凡が、賈樟柯監督作品に出るという期待も、私が本作品をいち早く観たかった大きな理由。
賈樟柯監督もまた私と同じで、廖凡のファンで、特に『薄氷の殺人』(2014年)が好きなのだと。

だからだろうか。
趙濤主演作『山河ノスタルジア』と廖凡主演作『薄氷の殺人』は…

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それぞれ主人公が妙なダンスで観衆を戸惑わせるのが面白い、私お気に入りの“中国二大ダンス映画”。
賈樟柯監督は、それら2作品の主演俳優、趙濤と廖凡に、本作品で一緒に踊らせているの。

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新たな“中国ダンス映画”、ここに誕生。
(今気が付いた!巧巧の衣装が『青の稲妻』の時と同じ蝶柄キャミと赤いシフォンの上着!)
『パルプ・フィクション』(1994年)のユマ・サーマンとジョン・トラボルタの如く、
おかっぱ頭の趙濤と廖凡にディスコで踊らせたこのシーンだけでも、私個人的には、本作品は及第点突破。
二人がディスコでノリノリに踊る曲は、1978年のヒットナンバー、ヴィレッジ・ピープルの<YMCA>。
あともう一曲、<YMCA>と同じくらい印象的に使われる歌が有って、
そちらは、イタリアのユニット、フィンツィ・コンティー二80年代のヒットナンバー<CHA-CHA-CHA>。
<CHA-CHA-CHA>は、社交ダンスにハマった斌の兄貴分・二勇哥が連れ歩いている
世界チャンピオンのダンサーが、踊りを披露する時に、いつも使っている曲。

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世界チャンピオンは、二勇哥のお葬式でも<CHA-CHA-CHA>。
日本では有り得ないお葬式シーンで、面白い。

西洋の曲ばかりではなく、もちろん中華圏の曲も使われており、
中でも効果的に使われているのが、葉倩文(サリー・イップ)1989年のヒット曲<淺醉一生>。
広東語の曲だけれど、当時大陸では、香港カルチャーが全盛期だろうし、
この曲は、『狼 男たちの挽歌・最終章』(1989年)のテーマ曲でもあったので、
若き日の賈樟柯監督もよく聴いたのではないだろうか。


趙濤と廖凡のダンスに興奮し、話がすっかり反れてしまった…。
軌道修正して、その廖凡扮する斌哥。
斌哥のモデルは、賈樟柯監督がまだ6~7歳の頃、地元にいた江湖の兄貴分。
カッコよくて、義理人情に厚く、屈強で、拳で問題を解決するその兄貴は、賈樟柯少年の憧れだったという。
その後、大学生になり、帰郷した時、うずくまって麺をススッている小太りで、髪の薄い中年男を目撃。
その中年が、あのカッコよかった兄貴だと気付いた瞬間、
賈樟柯監督は、時間の流れというものに、非常に強い感慨を覚えたという。

廖凡は、25~6歳から40代までの斌哥を演じているが、
まさに賈樟柯監督がかつて覚えた感慨をそのまま表現した人物像である。
作品前半の斌哥は、義侠心があって、周囲に人がいつも集まってくるカッコイイ兄貴分。
色々あって、音信が途絶え、巧巧の前に久し振りに姿を現す作品終盤の斌哥は、
長年の不摂生から脳内出血を起こし、車椅子生活を余儀なくされ、
身体の衰えから精神的にも衰えが進み、かつての覇気はこれっぽっちも無い、孤独な中年男…。
廖凡は、ギラギラの男も、枯れた男も、どちらを演じさせても、非常に上手い俳優だと再確認。

ただ、廖凡がいくら優秀な俳優で、賈樟柯監督も“ファン”を自認していても、起用には一つ問題が。
湖南省・長沙出身の廖凡は、賈樟柯監督作品には必要不可欠な山西方言を喋れない。
(趙濤が、賈樟柯監督作品御用達女優なのは、彼女が私生活で監督のパートナーだというだけではなく、
山西省出身で、山西方言を自然に喋れるのが、大きいとのこと。)
そこで、賈樟柯監督は、山西省の話劇院の先生に台詞を録音してもらい、それを廖凡に渡し、3ヶ月特訓。
結果、クランクイン時、廖凡の山西方言は、6割方出来上がっていたという。
キビシィ―!6割?!でも、私を含む多くの日本人には、完璧な山西方言に聞こえるから、大丈夫。
賈樟柯監督自身、「私の英語より、廖凡の山西方言の方がずっと上手い」と一応誉めてはいる。




他、脇には、同じ映画界の監督仲間や、
過去の賈樟柯監督作品に出演した俳優たちが、小さな役で沢山出演しているので、
そういうのを探すのも楽しみ。一例を挙げておくと…

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潮州商會の林家棟に刁亦男(ディアオ・イーナン)監督、
奉節のレストランで巧巧が騙そうとする男に張一白(ジャン・イーバイ)監督、
奉節のレストランで巧巧が次に騙そうとする男に張譯(チャン・イー)
巧巧が被害を訴える奉節警察の警官に董子健(ドン・ズージェン)
巧巧が車中で出逢う克拉瑪依(カラマイ)出身の男に徐崢(シュー・ジェン)等々。

真面目ななようでいて胡散臭い徐崢は、面白い。
一番分かりにくいのは、制服を着ている上、顔があまり映らない董子健かも。
張一白監督は、これまでにも、他の監督の作品に数多く顔を出しているので、
本作品で見ても、あまり驚きが無いけれど、
『薄氷の殺人』の刁亦男監督の出演は珍しい。
そもそも、普段から、“映画監督”というより、普通の“勤め人”で充分通用する見た目だし、
演技も至ってナチュラル。
刁亦男監督を見たことが無い人は、林家棟を演じている人物を、プロ俳優だと思うのでは?
それにしても、役名がなぜ“林家棟”なのだか…??林家棟といったら…

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お馴染みの香港明星・林家棟(ラム・カートン)でしょー。
本作品の日本語字幕では、この役名・林家棟を、
北京語読みの片仮名表記で、確か“リン・ジアドン”にしてしまっていた…。
人名を片仮名表記にすることで、似たり寄ったりの名が増え、紛らわしくなるだけではなく、
本来有る意味も伝わらず、面白みを半減させるから、ホント、やめて。
(なお、本作品の“林家棟”に関しては、賈樟柯監督が香港のあの林家棟を意識したかは不明です。)


あと、脇キャラでは、実は、馮小剛(フォン・シャオガン)監督が、
半身不随になった斌哥を診察する医師の役で出演している。
馮小剛監督は、日本でも報道された范冰冰の脱税問題で、やはり渦中の人となってしまったため、
彼のシーンは大陸ではカットされて公開。
よって、本作品の大陸公開版は、本来の141分から136分に短縮。
一方、日本では、第19回フィルメックスの公式サイトに、オリジナル版と同じ“141分”と明記。
ところが、当日、上映前に、市山尚三Pが、「上映時間は2時間15分(=135分)です。
本当はもう少し短くしてもらえたら良かったんですけれど」とプロデューサー目線のジョーク。
つまり、フィルメックス上映版も、大陸公開版と同じで、
馮小剛監督のシーンは切られているのだと理解し、映画を観始めたら、
いえいえ、馮小剛監督、白衣を着て、ちゃんと出てきました。
どうやらフィルメックス上映版は、オリジナル版のままだったようだ。
但し、本作品が、日本で正式に公開される際、そのシーンがどうなるのかは、不明。






賈樟柯監督×廖凡コラボというだけでも観応えあるし、
その廖凡が、趙濤と踊ってくれるなんて、この映画、私mango的にはもうサイコー。
過去の賈樟柯監督作品をずっと観てきている人たちは、色々な“仕掛け”の発見を楽しめるから、
この新作を気に入るのではないだろうか。
賈樟柯監督作品初心者が、どう感じるのかは、初心者ではない私が想像することは不可能だけれど、
決して難解な作品ではないので、取っ付き易いとは思う。
所々にユーモアも散りばめられており、
船内でお財布をスラれ、無一文になった巧巧が、メゲるどころか、
裕福そうな男性を騙し、お金を巻き上げたり、祝いの長桌宴に紛れ込んでタダ飯にありついたり、
挙句、スリ寄って来たバイク運転手から、バイクを奪い取った上、
姿をくらました斌哥を身元引き受け人に仕立て、自分を迎えに来さす等々
彼女の悪知恵と逞しさに笑いが漏れた。

治療の甲斐あって、歩けるようになった斌哥が、お世話してくれた巧巧のもとを、
またまた去って行ってしまうという不義理なラストは、
皆さま、どう受け止められたのでしょうか。私は…
巧巧の世話になる事を、斌哥の自尊心が許せなかった。
江湖の男というものは、一ヶ所に落ち着くことが出来ない。
…という2点を理由に考えた。
特に大きな理由は前者かも。


本作品は、2019年夏頃、文化村ル・シネマ、新宿武蔵野館他にて、公開がすでに決まっている。
それまでに、良い邦題を付けて欲しい。
出来れば、日本語字幕も、人名をきちんと漢字表記の分かり易い物にやり直して正式公開して頂きたい。



追記
全て書き終わり、画像あさりをしていて、気付いた。
本作品で、趙濤扮する巧巧の衣装が、過去の賈樟柯監督作品で趙濤が演じた女性と同じなのは、
『青の稲妻』だけではなかった…!

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本作品で、船で三峡を渡り、奉節へ向かった巧巧が身に着けている
クリーム色の綿シャツやバイカラーのショルダーバッグは、
『長江哀歌』で、三峡を渡り、奉節の行った山西の女性・沈濤とほぼ同じ…!
うしろで一つに束ねた髪形も。
勿論、ダム建設に伴い、近隣の多くの街が、間も無く水の底に沈む2006年という時代設定も同じ。
うわぁ、やはり本作品は、“賈樟柯監督の集大成”ですねー。
作中、あちらこちらに遊びが散りばめられていて、面白い。
益々映画を観直したくなった。2019年夏の正式公開が楽しみ。

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