【2014年/アメリカ/106min.】
1958年。夫フランクと暮らした家を飛び出し、娘ジェーンとの生活を始めたマーガレットは公園で似顔絵描きをしている時に知り合った画家のウォルターと恋に落ちる。間も無くしてそのウォルターと再婚すると、彼は二人の作品をギャラリーやバーに持ち込み、売り込むが、反応は芳しくない。ある時、ひょんな事から、ウォルターが持ち込んだ、大きな目をもつ子供の絵が注目を浴びる。これは、マーガレットが描いた<ビッグ・アイズ>シリーズの一枚であったがちょっとした誤解から、ウォルターの絵として、世間に認知されていくように。傷付くマーガレットであったが、<ビッグ・アイズ>シリーズの人気はうなぎ登り。ウォルターに説得され、彼女は家で絵を描き、ウォルターは外でそれら絵の作者として営業を続け、夫婦はついに夢のセレブ生活を手に入れるのだが…。
『フランケンウィニー』(2012年)以来の
ティム・バートン監督作品。

今回はアニメじゃなくて、実写。
本作品は実話がベース。
タイトルにもなっている『ビッグ・アイズ~Big Eyes』とは…
60年代に人気を博した、その名の通り、
大きな瞳をもつ子供を描いた一連の絵画作品。

このシリーズを手掛け、一躍時の人となり、
莫大な財産と名声を手に入れたアーティストが、ウォルター・キーン。
…のハズが、実は一枚残らず全て妻マーガレット・キーンが描いたものだったというからビックリ!
ゴーストライターならぬゴーストペインター。
本作品は、夫ウォルターに言い包められ、ひとつ屋根の下に暮らす実の娘にまで嘘をつき、
影の存在に徹し、ひたすら夫名義で絵を描き続けてきたマーガレットが
約十年後、真実を公表したことで、世間を震撼させたアート界の一大スキャンダルを描く伝記映画。
こんな事になったのには、いくつかの要因が。
まず、今でこそ“強く逞しい”という印象のアメリカ女性だが、当時はアメリカでも♂男性断然優位。
女性の社会進出は珍しく、家庭内でも“妻は夫に従うもの”と植え付けられている女性たちは
夫の言動を理不尽に感じても、なんとなく耐えてしまう。
マーガレットも、理不尽に感じながらも、夫ウォルターが自分の絵の作者に成りすまし、
自分の代わりに名声を得るという、腑に落ちない“内助の功”を続けてしまう。
しかし、マーガレットがどんなに従順な妻でも、ウォルターが愚鈍な男だったら、
事態はこんなに大きくならなかったはず。
ウォルターは下手に頭が良く、人心を掌握し、納得させてしまう話術にも長けている。
この才能で、女房のみならず、世間をも追従させ、ビジネスで大成功。
天才詐欺師と天才商人は、紙一重みたいなところがあるものだ。
今も昔も、アメリカのアート界を見ていると、才能だけでは名声は得にくいと、つくづく思わされる。
そもそも芸術の良し悪しを判断する基準など無い。
アメリカでアーティストが富と名声を得たかったら、芸術の才能より、
むしろ、ゴミをも名品として売り込めるプレゼン能力の方が、余程有益だと感じる。
もしマーガレットに、アンディ・ウォーホル並みの商魂と図々しさが有ったら
例え男尊女卑の時代の女性アーティストでも、自分一人の力で世に出られたかも知れない。
でも、純粋に絵を描くことだけが好きだった彼女には、そういうものが欠けていた。
その部分を補えたのが夫ウォルターなのだから、きちんと役割り分担をし、互いを尊重することさえできれば、
この夫婦は本来最強のビジネスパートナーに成り得たのに…。
あと、この映画では、50年代から60年代にかけてのアート・シーンの移り変わりがおさらいできるのも良い。
抽象画人気からポップアートの誕生、
お金持ちしか買えない高価で稀少な芸術品から、大衆でも手にできる複製品へ、というトレンド。
<ビッグ・アイズ>シリーズも、当初芸術評論家からは“キッチュ”とコキ下ろされるが
ウォルターは、むしろその“キッチュ”であることを武器に、“高尚”など求めない大衆を相手に、
安価なポスターやポストカードを大量生産するという、当時としては大胆な方向転換を図る。
商才に長け、時流を見極める目を持ち、良くも悪くも節操の無いウォルターだからこそ出来た戦略。
この夫婦を演じているのは、妻マーガレット・キーン(1927-)にエイミー・アダムス、
夫ウォルター・キーン(1915-2000)にクリストフ・ヴァルツ。
オドオドした妻マーガレット役のエイミー・アダムスとの対比で、余計に際立つのだろうけれど、
夫ウォルター役のクリストフ・ヴァルツが、まぁキョーレツなこと…!
この人、本当に曲者や胡散臭い男を演じさせたらピカイチ。
今回も舌好調で、捲し立てております。
終盤の裁判のシーン、公開で絵を描くように命じられ、
最後の最後まで妙な小芝居をする往生際の悪いウォルターが可笑しくて、可笑しくて、
涙流して笑った。

他の出演は、記者ディック・ノーランにダニー・ヒューストン、
画廊オーナーのルーベンにジェイソン・シュワルツマン、
芸術評論家ジョン・キャナディにテレンス・スタンプ、著名興行主エンリコ・バンドゥッチにジョン・ポリト、
マーガレットの親友ディーアンにクリステン・リッター等々…。
ウォルターを見ていたら、“全聾の天才作曲家”佐村河内守を思い出した。
「急におなかが痛くなって電車に乗り損ね遅刻」みたいな、ありがちな小さな嘘はバレ易いもの。
どういう訳か、嘘は嘘くさければ嘘くさいほど、大袈裟であればあるほど、非現実的であればあるほど、
人は「まさかそんな嘘をつく人なんて居るワケが無い」という勝手な思い込みから
信じ難いマサカの嘘を鵜呑みにしてしまうという意外が起きる。
映画化もされた日本の結婚詐欺師、自称ジョナサン・クヒオ大佐だって
カメハメハ大王やエリザベス女王の名を出して誰が信じるんだ?!と思うけれど
結果的に、何人もの女性を騙し、お金を巻き上げることに成功しているわけだし。
実際のウォルターは、裁判で負けようと、世間からバッシングされようと、
2000年に亡くなるまで、「自分が描いた」と言い続けたそうだ。
自分を正当化して、世間の批判を躱したかったというより、
あまりにも真剣に嘘をつき過ぎ、嘘をつくことが日常化し過ぎて、
自分でも嘘と現実の区別がつかなくなっていたのかも知れない。
こういう人たちには共通して、演技性人格障害の気を感じる。
この映画を観る限り、ウォルターは口が達者なだけでなく、メディア戦略にも長けていたようで
絵を売ることばかり考えず、注目のイベントや話題の人物には、無償で寄贈もしていたようだ。
作中、「今度、台湾から蔣介石の奥さんが来るから…」という台詞も有るのだけれど
実際のところ、宋美齡は<ビッグ・アイズ>をもらったのかしら?
ちなみに、<ビッグ・アイズ>を高額で買ってくれた初の上客は、この映画の情報が正しければ、
タイプライターで有名なイタリアのオリヴェッティさんだったらしい。
ティム・バートン監督作品の中では、素直に表現した直球勝負の作品だと感じる。
それでも、“事実は小説より奇なり”と言うように、唖然呆然の連続で、
下手なフィクションなどより余程楽しめた。