【2014年/フランス/69min.】
人妻と独身男が出逢う。二人は愛し合い、言い合い、もつれ合う。一匹の犬が街を、田舎を、彷徨う。時は流れ、男女は再び出逢う。かつての夫が全てを台無しにして、第二幕が始まる…。
2014年第67回カンヌ国際映画祭で、
審査員特別賞とパルムドッグ審査員特別賞をダブル受賞した


ジャン=リュック・ゴダール監督作品は、昔の物が好き。近年の作品は、実はそれほど好きではない。
それでも、本作品をわざわざ観たかったのは
これがジャン=リュック・ゴダール監督83歳にして初めて手掛けた3D作品だから。
これまでにも、従来では考えられなかった様々な手法を取り入れ、
映画界に新風を吹き込んできたジャン=リュック・ゴダール監督の長いフィルモグラフィの中でも
本作品はもしかして後々“取り分け革新的代表作”の一本になるかも…?
3Dにはもう飽き、“3Dは観客から余分なお金を搾取するための口実”くらいにしか思っていない私でも
ジャン=リュック・ゴダール監督の3D作品なら観てみたい。
なのに、本作品、日本では、2015年1月末に公開され、ズルズルと先送りにしていたら、
あっと言う間に2ヶ月が経過。
結局観逃してしまった…、とガッカリしていたところ、シネマート新宿でまだ上映されていた事を知る。
ちょっと待てば、直にソフト化されるだろうけれど、うちのテレビでは3Dで観ることができないし、
今度こそ機会を逃すまいと、映画館で駆け込み鑑賞。
結果から言うと、非常に感想を述べにくい作品であった。
感じる部分は多々あっても、それを文字で表現しにくいと言うか…。
本作品については、当ブログに感想を書くのをやめようかとも思ったけれど、
「“もしかしてジャン=リュック・ゴダールを代表する一作になるかも知れない作品”を観た」
という証し(?)のために、例え支離滅裂でも、簡単に記録を残しておくことにする。
作品に登場するのは、何人かの♂男と♀女と、そして
犬。

ストーリーは有るような無いような…。
この手の作品は、“理解した人=知的”、“分らなかった人=お馬鹿”と
観衆の理解度がその人の知性を計るバロメーターと見做されがち。
もしそうなら、私はお馬鹿の仲間入り…!ホント、まったくチンプンカンプンでしたワ(笑)。
原題は、“言葉にさよなら”を意味する『Adiue au Langage』だけれど
実際の作品の中は、言葉、言葉、そしてまた言葉の応酬。
冒頭語られる「想像力のない人間は現実に逃避する」という台詞で、もうつまずいた。
えっ、普通は逆で、想像や妄想は、現実から目を背けたい人間の逃避場所なのではないの?と疑問が湧き、
ジャン=リュック・ゴダール監督が何を言わんとしているのかという事ばかりを考え込んでしまった。
自分が知る既成概念に当て嵌めて考えている時点で、すでに私は想像力を欠いた人間なのでしょう。
主要キャラクターの一人(一匹)である犬のロクシーは
何かに縛られることなく、街や自然の中を自由に行き来。
言葉を持たずとも、人間たちを静観し、思考を広げられる犬のロクシーのようにお利口になりたかったら
“Adiue au Langage(言葉にさよなら)”と決別するも良し。
ただ、このタイトル『Adiue au Langage』も、単純に“言葉にさよなら”とは受け止めにくい。
分解して、“Ah Diue!(あぁ神よ!)”や“Oh langage!(おぉ言葉よ!)”といった言葉遊びにもなっており、
“さよなら”どころか、崇拝にも感じ、翻弄させられる。

そこにさらに加わる3D技術。
3Dを“飛び出し系”と“奥行き系”に分類するなら、本作品は“奥行き系”。
ジャン=リュック・ゴダール監督作品に、銀河系を高速移動したり、
槍がビュンビュン飛んでくるシーンが有るとは考えにくいので、
“飛び出し系”ではないだろうと予想していたら、その通りであった。
しかし、その3D映像も通常の物とは異なり、右目から入って来る映像と、左目から入って来る映像が
ブレブレに重なり合う、といった実験的な手法が、一部試されている。

台詞以外の音は、主に音楽だが、他に、私の耳にこびり付いたイヤーな音がふたつ有る。
ひとつは、1816年、確かバイロン卿の妻がスイスの湖畔で文字を書いているシーン。
インクを付けて書く、昔ながらのペン先が紙をこするキシキシという音は
黒板に字を書くチョークがたまに発するキ、キッ、キーッという音にも通じ、私にとっては不快な音で
「頼むから早くペンを置いてーっ…!」と心の中で叫んでしまった。
もうひとつは、バスルームで便器に腰掛けた男が発するブリブリッという排便音…!
まさかそんな音がおフランスの映画に使われるワケが無いという思い込みが有ったので
最初は自分の空耳かと思った。そうしたら、一度ならず、二度もブリブリッ…!
しかも、その男、真顔で「ウンチは平等」とまでのたまわったので、
空耳ではなく、本当に排便の音だったのだと知る。
香港映画のゲロには、もうとっくの昔に慣れっ子になっている私でも、
おフランス映画の“ブリブリッ!”には、なかなか馴染めそうにありませんわ…。![]()

出演は、女①ジョゼットにエロイーズ・ゴデ、女②イヴィッチにゾエ・ブリュノー、
男ゲデオンにカメル・アブデリ等々。
…なのだけれど、私にとっては、恐らく初めて見る俳優ばかり。
女性二人は、見分けがつかず、裸になった時、“胸が小さい方”と“胸が大きい方”で勝手に区別。
もっとも、見分けが付かないのもまた、この物語にとっては、悪くない。
実際にはどちらの女なのだろう?とか、もしかして二人は同一人物なのではないだろうか?、
それともその両者ともが虚構なのか?と、混乱を招くのが狙いかどうかは分からないけれど。
もう一人(一匹)重要なキャストが、本名で登場するロクシー・ミエヴィル。
ジャン=リュック・ゴダール監督の愛犬で、カンヌ国際映画祭でパルムドッグ審査員特別賞を受賞。
ま、確かに可愛いけれど、名演技を披露しているとは感じなかった。
本作品は、演出力で見せる作品で、ワンちゃんの演技で見せる作品ではないような…。
一般的に、老人を喜ばせたかったら、老人本人より、むしろ老人の孫を褒めてあげた方が効果的な事がある。
それと同じで、この賞は、長年映画界で頑張ってきたゴダール爺を喜ばすために
業界の後輩たちが爺様の愛犬に捧げた心尽くしの功労賞なのかなぁ~と。
実際、過去ほとんどの場合、パルムドッグ賞は
一匹(もしくは同じ作品に出演する複数匹)のワンちゃんに贈られ、
2014年は、ハンガリー映画『ホワイト・ゴッド~Fehér isten』に出演する2匹のワンちゃんLukeとBodyが受賞。
『さらば、愛の言葉よ』のロクシーが受賞したのは、正確にはパルムドッグ賞ではなく、
普段は無いパルムドッグ“審査員特別”賞なのだ。
年々集中力の低下を実感しているので、この手の作品は途中で爆睡してしまうかとも思ったが、
意外なことに、最後までバッチリ覚醒して観賞。
“映画館で鑑賞する映画”としては、大好きとは言えないけれど、
これをもし美術館で展示されている現代アートの一映像作品として観たら、案外私好みだったかも知れない。
目から入って来る紡がれた断片、断片の画が、脳に刺激を与えてくれる感じ。
それでも、この調子で2時間続いたら、さすがにキツイので、69分という潔い短さは正解。
昨年、還暦過ぎたペドロ・アルモドバル監督の『アイム・ソー・エキサイテッド!』を観た時は
あまりのキレの無さに、監督の老いをまざまざと見せ付けられた思いであったが、
その点、ゴダール爺は、80を過ぎても、未だアグレッシヴに攻めている印象。
ゴダール爺には、ウケようとウケまいと、もうこのまま好きなようにやっちゃって!と申し上げたい。
もっとも私にそんな事を言われるまでもなく、我が道を行くのでしょうが。
昨日、2015年4月2日、ポルトガルのマノエル・ド・オリヴェイラ監督が
106歳で亡くなったという訃報が飛び込んで来た。
百歳を過ぎても映画を撮り続けていたマノエル・ド・オリヴェイラ監督を思えば、
ジャン=リュック・ゴダールはまだまだ現役でいけるはずなので、新作にも期待。
(何はともあれ、マノエル・ド・オリヴェイラ監督の御冥福をお祈りいたします。)
ちなみに、普段当ブログに外国映画の感想を書く場合は、トップにその国のポスター映像を載せているけれど
今回は珍しく日本のポスターを選んでみた。おフランス版ポスターは、(↓)こちら。
この映画は、日本のポスターの方が私好み。デザインが良いし、作品のイメージも表現されている。
デザイナーさん、優秀。