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映画『いつか、また』

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【2014年/中国/104min.】
中国最東端の小島。
ここで地理の教師として働く江河は、西の地に赴任することが決まる。
外の世界で見識を広め、過疎化した故郷を立て直そうと意気込み、戻って来たものの、
現実に夢破れた浩漢も、またこの島を出ることを決意。
二人の友人・胡生もこれに便乗し、三人の青年は、浩漢の車で、西を目指し、島をあとにする…。



80後を代表する人物、時代の寵児と、これまで日本のメディアにも幾度となく取り上げられてきた
大陸の人気作家・韓寒(ハン・ハン)の初監督作品。

日本だと、“映画監督がメインで小説も書く”という人は居るけれど、
作家が映画を撮って成功した例は、あまり無いような…。
“映画も撮る作家”で真っ先に辻仁成を思い浮かべ、
「韓寒大丈夫?!キャリアに汚点を残すような事はやらない方が良いかもヨ…」と不安が過る。

韓寒はレーサーとしてもプロだし、興味の範囲が広く、
またそれを徹底的に突き詰めたいタイプなのかも知れない。
今まで文字で表現していた自分の世界観を、自らの手で映像化してみたいという気持ちは分からなくもないし。
この初監督作品では、当然脚本も自分で手掛けている。



物語は、中国最東端の小島に暮らす三人の青年、馬浩漢、江河、胡生が、
車で西の地を目指す道中、幾つかの出逢いと別れを繰り返しながら、様々な経験をし、
それぞれの人生を歩みだす様子を描く大陸横断3890キロのロード・ムーヴィ


原題は『後會無期』。
中国語には、再会の時がまたある、機会があればまた会うことを意味し、
「じゃぁまたその内に会いましょう」という感じで使う“後會有期”という言い回しが有る。
それをもじった本作品の原題だと、“期が無く”、次が無く、今度いつ会えるかなんて分からないのである。
日本語のタイトル『いつか、また』は、希望的逆説か。
作中、日本語字幕では、確か“一期一会”と訳されていた。

実際のところ、「じゃぁその内にまた」と言ったところで、それは形式的なばかりで、
その“また”が訪れることはほとんど無く、人生は一期一会の積み重ねなのかも知れない。

ましてや、この物語は、一ヶ所に留まらず、見知らぬ地を常に移動し続けるロード・ムーヴィなのだから
出逢いと別れの繰り返しがより顕著で、人生の縮図のよう。




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旅する男たちを演じるのは、西の地に赴任が決まった地理の教師・江河に陳柏霖
故郷の島を変えようと理想に燃えるも、現実の壁に阻まれる馬浩漢に馮紹峰
江河、馬浩漢の友人で、一緒に旅立つ最年少24歳の胡生に高華陽(ザック・ガオ)
バイクで自由気ままに旅するライダーで、
浩漢の車に途中から同乗することになる阿呂に鐘漢良(ウォレス・チョン)と両岸三地の男優が集結。

一緒に旅をスタートさせた江河、浩漢、胡生という3人の青年の物語なのかと予想していたら、
一番若い胡生が、突然の騒動の中、仲間たちに忘れられ、置いてけ堀を食らうという事態が発生し、
旅の序盤で早々にマサカの戦線離脱。

後に、東莞出身のライダー阿呂が加わり、また3人になるが、彼もまた想定外の謀反を起こし(?)
消えていくので、物語の主人公は、江河と浩漢の二人と言えるであろう。
この二人に扮する陳柏霖と馮紹峰がヒゲ面で、いつになくムサいのだけれど
それがまたカッコよくて、私のツボにはまった。“ムサくしている男前”と
私の周囲にいくらでも居る“本当にムサいオヤジたち”とでは、どうしてこうも違うのでしょう。不・思・議。


さらに言うと、主人公二人の内、陳柏霖扮する江河は、最終的に作家になるので、
もしかして韓寒監督が自分自身を一番投影している人物なのかも知れない。

姓が“江”で名が“河”と、川尽くしの名前を持つ彼は、その名の通り、どんな事態も受け入れ、淀まず、
静かに流れに身を任せ、前に進んでいく自然体の人。
但し、本気で気に入ったものには執着するらしく、
辣醤を塗った好物のトーストを食べるために、わざわざトースターを持ち運んだり、
一度は捨てたコールガール蘇米の名刺を、未練がましく便器の中から拾い出したり…。
30過ぎた陳柏霖は、さらに金城武化が進み、益々私好みのイイ男に成長中。
声や喋り方まで金城クンに似てきている。素敵。


江河に比べると、馮紹峰扮する浩漢は、やや激情型。
旅立つ前に、住んでいた家を焼き払ったのには驚いた。究極の断捨離!
いくら退路を断つためでも、普通の人はそこまで徹底的に潔くなれない。

馮紹峰も良いワ。以前は何とも思っていなかったのに
ドラマ『蘭陵王』効果で、いきなり素敵に見えるというマジックにかかり、私の中で急高騰した馮紹峰株。
昨今ドラマに留まらず、映画出演がドッと増え、活躍が目覚ましい。
娯楽作から文芸作まで器用にこなす姿に、偶像劇のただの二枚目じゃなかったのだと改めて感心。
まぁ好きなのも、そうでないのも色々有るけれど、映画に限定すると、本作品は、馮紹峰出演作史上、
今のところ、最も彼の力量と魅力が発揮されている作品と感じた。

この作品では、お笑い担当という程ではないにしても、
一見オトナな浩漢の、ちょっとズレた言動が、クスッと笑わせてくれる。
あの高潔な蘭陵王が、立ちションした挙句(!)、直後に指の臭いを嗅ぎ(!!)、
しかも、その手で人の肩を叩くなんて…!あ゛あ゛ーーーっ、四爺ーっ…!!!
逆に、密かに想いを寄せていた文通相手・劉鶯鶯から、予想だにしなかった真実を打ち明けられた後の
複雑な心境を滲ませた表情は、多くを語らないだけに、余計に切ない…。



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女性陣にも目を向けると、浩漢の幼馴染みで、都会で女優を夢見る周沫に陳喬恩(ジョー・チェン)
江河が宿に呼んだコールガール蘇米に王珞丹(ワン・ルオダン)
浩漢の長年の文通相手・劉鶯鶯に袁泉(ユアン・チュアン)等々。

この中で、最も印象的だったのが、蘇米役の王珞丹。
王珞丹は、私が好きな張震(チャン・チェン)との共演作『悠長駕期』も控えているし
近頃映画出演が一気に増え、大躍進。
私は、比較的最近チャンネル銀河で放送された主演ドラマ『賢后 衛子夫~衛子夫』で少し彼女を見たが、
途中で録画に失敗し、鑑賞を断念したのが、残念でならない。再放送やらないかしら。
時代劇では、ひたすら清らかな美人に見えた王珞丹が、
この現代劇だと、影があり、謎めいて、雰囲気のある魅力的な女優さん。単純に顔立ちも好み。


ちなみに、この王珞丹扮する蘇米の叔父さん、三叔役で…

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賈樟柯(ジャ・ジャンクー)監督が登場。
自身の監督作『罪の手ざわり』で扮した男と同様、田舎ヤクザのような風貌であった。
蘇米の電話に、三叔が“3 uncle”と登録されていたけれど、その英訳って、どーなのでしょう?)


陳喬恩は、テレビ専門で、映画館のスクリーンで見るのは初めてかも。
台湾偶像劇の視聴率女王から、徐々に大陸偶像劇にシフトし、最近は彼女もまた映画出演が激増。
本作品は現代劇なのに、ポスターで、彼女だけレトロな旗袍を着ているを不思議に思っていたら、
本番前に有名女優のスタンドインをしたり、台詞の無い“その他大勢”をやる女優の卵の役であった。
陳喬恩の出演シーンは思いの外短かったが…

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撮影所で休憩中に手を温めているキティちゃんのマフに目が釘付け。
オールド上海のセットをバックに、旗袍にキティちゃんを組み合わせた画がシュール。



本作品には、日本も少しだけ関わっており、音楽を小林武史が担当。

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『いつか、また』の北京プレミアにもちゃんと出席。
小林武史と中国映画界の接点が見えないので、意外な起用に感じた。
中華圏でもそこそこに知られる岩井俊二監督作品の音楽を過去に手掛けているから、とか…?
あと“小林武史と中国”といえば、自分の会社の名前を烏龍舎にするほど、烏龍茶が好きらしい。
烏龍茶好きという理由だけで、親近感をもたれて起用されたとは、考えにくいけれど…。


最後に、主題歌。
60年代のヒット曲<この世の果てまで~The End of the World>を
香港の紫棋 G.E.M.が中文でカヴァーした映画と同名の<後會無期>にしようかとも思ったが
ここには、もう一曲のオリジナル主題歌で
シンガーソングライター朴樹(プー・シュー)が十年ぶりに発表した新作でもある<平凡之路>を。
作曲と歌は朴樹、歌詞は朴樹と韓寒の共作。聴けば聴くほど味があるし、映画の雰囲気に合っている。







期待半分、不安半分で観たが、結果的に結構好みの作品であった。
江河がいきなりコールガールを部屋に呼んだかと思ったら、直後に警察が踏み込んできて、
ドタバタしている間に恋に落ちていた…、といったような唐突な展開が多いのは、
説明不足で雑だと批判的に捉えるべきなのか、はたまたテンポが良いと好意的に捉えるべきなのか、
自分でもよく分からない。
しかし、そういう細々とした疵を帳消しにできるほど、全体から醸される雰囲気が好み。

その“醸している雰囲気”が、これまでの中国映画にはあまり無かったタイプなので、新鮮にも感じた。
寂れた安宿、薄暗いビリヤード場、無人のガソリンスタンド…、と出てくる場所は
ことごとく“場末感”が漂っているのだが、これも新鮮。
これまでの中国映画だと、こういう場所は、リアリティを追求する社会派作品や文芸作品の中だけで
目にするものであった。
本作品の場合、寂れた場所でも、画的にどこか洗練されている点が、中国社会派作品とは異なり、
むしろ『ストレンジャー・ザン・パラダイス』や『バッファロー'66』のようなアメリカ映画に近い匂いを感じた。

昨今の中国映画は、両極端に、ギラギラなエンタメ超大作と、非商業的な文芸作品が目立っているので、
その中間に位置する、このようにフツーな作品は、有りそうであまり見ない(少なくとも日本では)。
“ユニクロでも売っていそうな一見何の変哲も無いVネックのセーターが、
実はロロピアーナのヴィクーニャ素材で百万円”といった感覚と似ていて、
お金もキャストも贅沢に使っておきながら、「肩肘張らずに撮りました」とさり気なく見せられるのは
中国に、洗練された高感度のクリエイターがどんどん出てきていて、
市場もそれを受け入れられるように変わってきている証しかも知れない。

作家が撮った作品らしく、作中、「なるほど」と頷ける台詞が数多く散りばめられているのも、特徴。
珠玉のお言葉は数有れど、今一番記憶に残っているのは、浩漢が故郷の美しい海岸を眺めながら
「素晴らしいだろ。ここは“黄金海岸(ゴールドコースト)”とは呼べなくても、
“陽光沙灘(陽ふりそそぐ砂浜)”と呼べるだろ。“陽光沙灘”って英語で何て言うんだ?」と質問したのに対し、
胡生が得意げに答えた、ビミョーに間違っている(そして意味はえらく違っている)
「知っているよ、“son of bitch(≒sun of beach)”」。
あっ、そうそう、宇宙探査機ボイジャー1号を、中国語で“旅行者1号”と呼ぶとは知らなかった。
まんま“Voyager1=旅行者1号”。へぇー。むしろ日本語の“ボイジャー”の方が何の事だか判らない。


ついでに、もうひとつ記しておくと、クロージングに出た「吸烟有害健康 骑摩托车请正确佩戴头盔」
(喫煙は健康を害します バイクに乗る時はきちんとヘルメットをかぶりましょう)
という注意勧告も、もしかして中国映画で初めて見たかも知れない。

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確かに、特に馮紹峰は喫煙シーンが多い。
中国も欧米並みに喫煙に厳しくなっているようだ。…嫌煙の私には嬉しいが。
(ヘルメットは、むしろ、被る必要の無いシチュエーションでまで被っていた。)


この映画、公開初日に観に行ったら、ポストカードのプレゼントがあった。

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チケット購入時に、窓口で、4種類ある中から2種類選べる。
列の後ろの人に申し訳ないので、ぐずぐず迷ってもいられず、適当に2枚選択。
皆さまは、どれをお選びになりましたか。

蘭陵王(『蘭陵王』)と李大仁(『イタズラな恋愛白書~我可能不可愛你』)の共演作だからか、
会場には、従来の中華電影ファンより、ドラマニア風の女性客が多いように見受けた。

“多い”と言っても、あまり宣伝もされていないし、観客はまばら。
シネマートで上映される作品に有りがちだけれど、前売り券を出さないってどうなの…?!
集客を考えたら、来場者にポストカードを配るより、そっちでしょ。
わざわざ1800円払ってまで映画を観たいという人は、決して多くない。
相も変わらず日本語字幕で、人物名を片仮名で表記しているのも、いただけないし。
最近の日本人は漢字が読めないからとか、“余計な配慮”以外の何ものでもない。
作品自体は良くても、日本の配給会社の姿勢には感心できないことが多々ある。

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