【2009年/台湾/92min.】
台北・忠孝路。幼い女児を抱えた中年男が、歩道橋から身を乗り出し、飛び降りようとする事件が発生。野次馬やテレビ局が集まり、現場は騒然とする。騒動から2週間前の高雄。7歳の娘・妹仔を男手ひとつで育てている無免許ダイバーの武雄は、自分に親権が無く、このままでは妹仔が学校に入学できない事を知る。早速役所に手続きに行くが、事態は武雄が想像していた以上に複雑で、まったく取り合ってもらえない。困り果てた武雄は、友人・財哥の助言で、同郷の議員・林進益を頼ろうと、妹仔を連れ、バイクで台北の立法院へ向かうが…。
2015年6月14日に営業を終えたシネマート六本木が
閉館前の“Last Present”と称し、上映した4本の内の一本。
私は、2本の台湾映画、『夜に逃れて』と本作品を2本立てで鑑賞。
2本目に観たこちらは、俳優として有名な
戴立忍(レオン・ダイ)の監督作品。

今年は、馬志翔(マー・ジーシアン)の『KANO-カノ-1931海の向こうの甲子園』を観て、えらく失望したこともあり、
俳優が手掛ける監督作に、一抹の不安が過る。
その反面、以前から戴立忍の監督作品には興味があり、漠然と「なんか良さそう」という期待も。
戴立忍監督作品は、2002年の『台北晚九朝五~Twenty Something Taipei』も
その内と思いながら未見のままなので、私にとっては、今回がお初。
戴立忍監督長編劇場作第2弾となる本作品は、2009年、第46回金馬獎で

2003年、台湾で実際に起きた事件をベースにしており、脚本も戴立忍が手掛けている。
主人公は、7歳の娘・妹仔と高雄で暮らす中年のシングルファーザー、李武雄。
物語は、自分に親権が無いため、妹仔を就学させられない上、
それどころか、妹仔を取り上げられてしまう恐れもあると知った武雄が
愛娘との生活を守るために懸命に奔走する姿を、白黒の映像で綴る、実話ベースのヒューマン・ドラマ。
そもそも、なぜ武雄には親権が無いのか?
妹仔は、武雄と、張明秀という女性との間に、7年前に生まれた女の子。
明秀は、武雄と婚姻関係が無いまま2年間同棲し、出産もするが、
その後、武雄と娘を捨て、家を出たきり音信不通。
今の今まで、自分に親権が無いことすら知らずに過ごしてきた武雄。
親権は、娘の母親・明秀、もしくは明秀の夫・謝念祖にあるという。
明秀が、謝念祖という男とすでに新たな家庭を築いていると知り、少し顔を曇らせる武雄であったが、
追い打ちをかけるように、お役所の人から、明秀と謝念祖は11年も前に結婚していると説明される。

結婚して夫がいながら、別の男と2年間も同棲し、その間、その男の子供まで産み、
シレーッと夫との元の生活に戻るなんて、随分大胆な女が居るものだ。
とにかく、まさか人妻とは知らずに共に暮らした明秀との関係は破綻しても、
武雄は愛情を注ぎ、男手ひとつで妹仔を育ててきたわけだ。親権の話は、武雄にとっては青天の霹靂。
今後もこの二人の生活を守るため、DNA鑑定で実の父娘であることを証明しようと考えるが、
この場合、遺伝子上の立証も、現状は覆せないらしい。
つまり、法的には、“ずっと愛情いっぱいに娘を育ててきた実父<娘を捨てたけれど親権を持っている母親”
という力関係。うーン、これは解せない…。
武雄は、この理不尽な状況を変えようと、ほんの僅かな縁故を頼り、
台北の立法院に同じ客家人の議員を訪ね、懇願するが、結果は案の定「・・・・・。」
体の良い言葉で、あちらこちらを散々たらい回しにされた挙句、状況は寸分も改善されず、
追い詰められた武雄は、妹仔を抱え、歩道橋をよじ登ることになる。
融通が利かないお役所仕事や“たらい回し”は、ここ日本でも多かれ少なかれ経験した人が居るはず。
出演は、僅かな日銭を稼ぎながら男手ひとつで娘を育てる李武雄に陳文彬(チェン・ウェンビン)、
武雄の7歳の娘、通称“妹仔”こと張玉婷に趙祐萱(チャオ・ヨウシュエン)、
武雄の親友・財哥に林志儒(リン・チールー)等々。
監督としても活躍している陳文彬だが、俳優としては、いつも脇でチラリチラリと見掛ける程度で、
こんなに大きな役で出演している作品を観るのは、私は初めて。
日本に入ってきている最もメジャーな出演作は、本作品とはまったく毛色の異なる…
陳柏霖(チェン・ボーリン)&林依晨(アリエル・リン)主演の偶像劇『イタズラな恋愛白書~我可能不會愛你』。
主人公二人の高校時代の恩師・孟志先生役で出演(孟センセー、ドラマ後半、惜しまれつつ死亡)。
そういうドラマで見ている時は思わなかったが、陳文彬はこの映画で見ると…

“毒を抜いたチェ・ミンシク”、“うだつの上がらないチェ・ミンシク”って感じ。
演じているのは、勇ましい“武雄”という名に、ちょっと負けしている感じの無免許ダイバー。
弱い立場だから、不法で雇われ、いいように使われている。
彼が、命を危険にさらしてまで海に潜ってやっている仕事が何なのか、私にはよく分からなかった。
作風も設定も異なるが、“学の無い地方出身の貧しい労働者が、現状を変えるために、
それまで無縁だった役人らに掛け合い奔走”という共通点から
『秋菊の物語』(1992年)で鞏俐(コン・リー)が扮する主人公・秋菊を思い出した。
ちょっとでも心証を良くしようと、自分なりに良かれと選んだ手土産を持参して、役人を訪ねるくだりとか。
もっとも、本作品の武雄は、『秋菊の物語』の鞏俐より、ずっとしおらしいのだけれど。
武雄は、確かに貧しく、無学で口下手だが、下手に頭が切れるズルい男とは違い、
少ない言葉や、ふとした表情から、娘に対する不器用でも深い愛が感じられる。
終盤、潜水中の事故で、武雄が今度こそ本当に死んでしまったのかとドキッとした。
騒動を起こし逮捕され、娘と引き離された上、再会が叶わぬままあの世逝きとは、あまりにも踏んだり蹴ったり。
とことん救いの無い話を、イタリア・ネオリアリズム作品に重ね、一瞬どんよりブルーになったが、
武雄は実は生きており、彼の想いが報われるエンディングだったので、ホッと胸を撫で下ろす。
…が、映画を観終わり、時間が経った今、改めて考えてみると、
あのラストを、果たしてハッピーエンディングと呼んで良いものかどうか分らない。
ラストシーンに登場する9歳に成長した妹仔は、顔こそ映らないけれど、
エナメルのストラップシューズを履いたお嬢様ルックな足元から、
彼女がこの2年、里親の元で、少なくとも経済的には満足に生活していた事を想像させる。
一方、父・武雄の方にも、問題が発覚してからのこの2年に、色々な事が起きたが
彼が、危険な潜水の仕事で日銭を稼いでいるという生活は、ちっとも改善されていない。
つまり、ラストシーンの、妹仔が2年振りに父と再会したあの瞬間に
妹仔の“愛しか無い生活”が再び始まったのだ。
うーん、映画には描かれていない父娘の“その後”を考えると、ちょっと複雑な気持ち…。
単純な感動作とは片付けられない作品。
確かに、娘なしには生きていけない父の深い愛を描いた感動作という側面もあるけれど、
その一方で、社会の底辺で生きる人々の現実をも見せ付ける、結構辛口な作品。
引き込まれるストーリー展開だし、それぞれの登場人物の言動に、人間の本質が垣間見え、面白い。
この直前に観た『夜に逃れて』も気に入ったけれど、こちらはもっと気に入った。
ちなみに、本作品の監督・戴立忍は、『夜に逃れて』の方には俳優として出演しているので、
その日は、私にとって計らずも“プチ戴立忍祭り”となった。