【2014年/中国/103min.】
巴特爾と阿迪克爾は、裕固族の兄弟。両親が放牧する土地を求め、奥地に移住してしまったため、兄・巴特爾は祖父の家に預けられ、弟・阿迪克爾は学校の寮に入れられている。明日から夏休みという学校最後の日、同級生たちは父親に連れられ寮を離れていくのに、阿迪克爾には迎えがなく、ひとり残されてしまう。そこで阿迪克爾は、嫌がる兄・巴特爾を説得し、二人で駱駝に乗って、大草原のどこかに居る両親を訪ねる旅に出るが…。
昨年、第27回東京国際映画祭コンペティション部門に選出され、
『遥かなる家』という邦題で上映された
李睿珺(リー・ルイジュン)監督作品『家在水草豐茂的地方』。

映画祭でしか上映されない地味な作品だと思っていたら、
意外なことに、『僕たちの家に帰ろう』と名を変え、一般劇場公開の運びとなったので、有り難く鑑賞。
ちなみに、李睿珺監督は、1983年甘肅省生まれ。
近年、監督作品が海外の映画祭で紹介され、注目されつつあるようだが、私は一本も観たことがない。
李睿珺監督作品は知らなくても、プロデューサー方勵(ファン・リー)が過去に手掛けた作品なら観ている。
婁(ロウ・イエ)監督作品『天安門、恋人たち』(2006年)、
『ロスト・イン・北京』(2007年)、『ブッダ・マウンテン』(2011年)といった李玉(リー・ユー)監督作品等々。
最近では、作家・韓寒(ハン・ハン)の初監督作品『いつか、また』(2014年)をヒットさせている。
こうしてタイトルを挙げてみると、結構私の好みを突いてくるプロデューサーだと分る。
この『僕たちの家に帰ろう』はどうでしょう。
本作品の舞台は河西走廊(河西回廊)。
河西回廊とは、黄河以西、甘肅省の蘭州、武威(涼州)、張掖(甘州)、酒泉(肅州)、
敦煌(沙州)、安西(瓜州)にまたがる一帯のこと。
主人公は裕固(ユグル)族の幼い兄弟。
裕固族は、その多くが甘肅省を居住とする回鶻(ウイグル)人の末裔。
かつて強大な王国・甘州回鶻(甘州ウイグル王国)を築きながらも、西夏に敗れ、離散し、
時代の流れの中で人口を減らしていった民の子孫。
1953年に“裕固”の名称で正式に少数民族に指定され、現在ではもう14000人程しか残っていないという。
物語は、そんな裕固族の幼い兄弟、巴特爾(バタール)と阿迪克爾(アディカー)が、
夏休みに、ラクダに乗って、離れて暮らす両親を訪ねる旅をするロード・ムーヴィ。
少数民族のちっちゃな兄弟、夏休み、エキゾティックな河西回廊の風景、移動手段はラクダ…、
と作品のキーワードを並べると、雄大な大自然を背景にした心温まるほのぼの珍道中が頭に浮かぶ。
ところが、いざ蓋を開けてみたら、ぜんぜんほのぼのしていなーい…!
それどころか、主人公の兄弟間には確執があり、ギスギスしているではないか。
旅の目的は親に会うことだが、そもそも幼い子供が親と離れて生活していること自体ワケあり。
その“ワケ”とは?
政府の農業政策のシワ寄せで、草原地帯の水が干上がり、砂漠化が進むにつれ、
遊牧民は草地を求め、大陸の奥へ奥へと移動せざるを得なくなっているという現実が。
兄弟の両親も例外ではなく、子供を街に残し、奥地へ行くことを余儀なくされているワケ。
出演は、祖父の家に預けられている兄・巴特爾に郭嵩濤(グオ・ソンタオ)、
学校の寮で生活する弟・阿迪克爾に湯龍(タン・ロン)。
兄弟役は地元の子供を起用。
さすがは地元っ子、なんだかよく分からない言葉を喋っているわ、…と思っていたら、
実は古い突厥(テュルク)語は、今や裕固族でさえも喋れる人がほとんど居なくなっているという。
そこで、喋れるお年寄りに発音してもらった台詞を録音し、子役に聞かせて覚えさせるという
結構面倒な作業があったようだ。
物語の中で、この兄弟は普段一緒に暮らしていない。
兄は様々な事情で祖父の家に預けられ、弟は学校の寮で暮らしている。
弟は、洋服でも何でも兄が優先され、自分にはお古しか回ってこないと兄を恨み、
兄は兄で、弟ばかりが大切にされ、自分は要らない子なのだと卑下し、弟を嫌っている。
よくある兄弟間の対立である。
ただ、ちょっとした子供の喧嘩でも、厳しい環境の中では命懸け…!
残り僅かな水を奪い、相手をカラカラの砂漠に放置するなんて、
兄弟喧嘩のレベルを越えた体のいい殺人よねぇ…?!
物語が終わる時、兄弟がちゃんと揃って存命でいるかどうかが気になり、ハラハラさせられっ放しであった。
ちなみに、兄の名前“巴特爾(バタール)”は、裕固族と限らず、広くあの一帯を描く作品の中によく登場する。
蒙古(モンゴル)族を描いた『トゥヤーの結婚』(2006年)の主人公の夫も、
『我が大草原の母』(2010年)の主人公の息子も巴特爾であった。
蒙古語で、英雄や勇者を意味するのだとか。
甘肅や内蒙古の近辺で広く使われている、中国内陸部版“英雄(ヒデオ)”とか“勇(イサム)”みたいな感じか。
出演者は、子役のみならず大人も素人ばかり。
物語後半、兄弟が寺院に立ち寄り、ラマ僧と出会うシーンがある。
撮影は、甘肅省張掖にある本物の馬蹄寺石窟で行われているし、
ラマ僧は馬興春(マ・シンチュン)と名前がクレジットされているので、
馬蹄寺石窟のリアル僧侶に出演してもらったのかと思いきや、
実は馬興春というこのラマ僧、李睿珺監督の叔父上なのだと。
他も、そのラマ僧と同門の若い僧侶が監督の従弟だったり、
兄弟の母親役が監督の妻だったりと、一家総出で制作費削減に協力。![]()

有りがちなほのぼのロード・ムーヴィと思わせておき、
その実、滅び行く少数民族や環境破壊を問題提起する社会派であった意外。
大都市の繁栄の影で、その恩恵を受けない地方が、負担だけをかせられている理不尽を描いている点は、
『我が大草原の母』にも少し通じる。
扱っているテーマも、スクリーンに映し出される河西回廊の風景も興味深いのに
ググッと惹き付けられる何か決定的な魅力に欠け、冗長に感じてしまったのは少々残念。
一体何が足りなかったのでしょう…?
基本的には良かったけれど、その“何か”が有れば、もっとずっと面白くなった気がしたのは、私だけか。