昨日、2015年11月28日(土曜)、
第16回東京フィルメックスでクロージング作品として上映の
賈樟柯(ジャ・ジャンクー)監督最新作、

『山河ノスタルジア~山河故人 Mountain May Depart』を観賞。
賈樟柯監督作品は大好きだけれど、これは日本での公開がみすみす決まっている作品なので、
パスしてしまっても良いと思っていた。
(『山河ノスタルジア』という邦題も、フィルメックス期間中に発表。)
…が、せっかく土曜日の上映だし、Q&Aも付くというから、チケットを入手。
当然、賈樟柯監督が来日するものだと思い込んでいたら、その後発表されたQ&Aの登壇者は、
女優として本作品に出演している張艾嘉(シルヴィア・チャン)。
張艾嘉は好きだけれど、この場合はやはり賈樟柯監督のお話の方が興味あったのにぃ~、と拍子抜け…。
張艾嘉は、今回のフィルメックスで審査員を務めており、
『山河故人』のみならず、自身の監督作品『念念~Murmur of the Hearts』と
出演とプロデュースをしている『華麗上班族~Office』でもQ&Aを担当。
一人の女性を酷使して、審査員から3作品のQ&Aまでやらせるとは、
フィルメックスってばブラック映画祭なんだからぁー、…なんて心の中でボヤいていたら、![]()

当日になってまたまた状況一転。
張艾嘉の登壇キャンセルと賈樟柯監督&妻で主演女優・趙濤(チャオ・タオ)の緊急来日が発表されたのだ。
私、賈樟柯監督の微博を追をっているけれど、東京に居る気配が微塵も感じられなかったので、
これは突然の嬉しい想定外。
決して張艾嘉がイヤだったわけではないのヨ。
でも、この場合、聞きたのは、やはり監督直々のお話じゃないか?!
賈樟柯監督が来ないのなら、一般劇場公開まで待っても良かった…、と
よぎりつつあった、わざわざチケット取った事への後悔が一気にふっ飛び、晴れやかな気分で有楽町へ。
★ 第16回東京フィルメックス授賞式
クロージング作品上映前には、第16回東京フィルメックスの授賞式。
受賞者には、どうやら事前に結果が伝えられているようだが、賞に漏れた人々も一応会場内に居る。
『酔生夢死~醉‧生夢死』の俳優さんたちも、まだ東京に居たのですね~。
私の近くには、タイ映画『消失点~Vanishing Point』のジャッカワーン・ニンタムロン監督が、
妖怪ウォッチのシールを大切そうに持つ、お嬢さんらしき小さな女の子と一緒に居た。
もはやフィルメックス名物のアミール・ナデリ監督も案の定居て、飲食禁止の場内で、
ナッツのようなドライフルーツのような物を、胸ポケットのビニールから出し、もそもそ食べておられた(笑)。
以下、
受賞結果。

最優秀作品賞
『タルロ~塔洛 Tharlo』:萬瑪才旦(ペマツェテン)監督/中国審査員特別賞
『べヒモス~地底巨獸 Behemoth』:趙亮(チャオ・リャン)監督/中国スペシャル・メンション
『白い光の闇~Dark In The White Light』:ヴィムクティ・ジャヤスンダラ監督/スリランカ『クズとブスとゲス』:奥田庸介監督/日本観客賞
『最愛の子~親愛的 Dearest』:陳可辛(ピーター・チャン)監督/中国・香港学生審査員賞
『タルロ~塔洛 Tharlo』:萬瑪才旦(ペマツェテン)監督/中国
『タルロ』強し。観たい…!(画像左は、受賞時の萬瑪才旦監督)
萬瑪才旦監督作品は、2012年に同映画祭で最優秀作品を受賞した
『オールド・ドッグ~老狗』さえ未だ観ていない。どこか二本一遍に上映してくれないかしら。
スペシャル・メンションを獲得した『クズとブスとゲス』の奥田庸介監督が
「“メンション”って何だかよく分からなくて、
スタッフに辞書で調べてもらったら、“ちょっと触れる”という意味だそうで…。
“特別にちょっと触れるで賞”をありがとうございます!」というスピーチが面白かった。
★ 『山河ノスタルジア~山河故人』 賈樟柯監督&趙濤Q&A
約40分の授賞イベントの後は、クロージング作品『山河ノスタルジア~山河故人』の上映。
2時間強の映画の後、いよいよ賈樟柯(ジャ・ジャンクー)監督と、妻で主演女優の趙濤(チャオ・タオ)が現れ、
フィルメックス・プログラム・ディレクターで、本作品のプロデューサーでもある市山尚三を司会進行役に
Q&Aがスタート。
以下、気になったお言葉をいくつか抜粋。

過去を描いているわけではないのに、なぜ『山河“ノスタルジア”』というタイトルなのですか?

(日本の配給会社が決めた邦題で、監督には関係ないという説明の後)
知りません。僕は別に『一、二、三』でも構いません。
中国語の原題『山河故人』の“山河”は日本語の“山河”と同じ意味で、空間を差し、
“故人”は日本語と違い、死んだ人の意味ではなく、古い友人を意味します。

作中、葉蒨文(サリー・イップ)の歌と、<Go West>が使われています。
<Go West>は、ヴィレッジ・ピープルのオリジナル版ではなく、
ペット・ショップ・ボーイズのカヴァー・ヴァージョンが使われていますが、なぜそちらを選んだのですか?

映画の冒頭は1999年が設定です。脚本を書いている時、当時何が流行っていたかを考えました。
その頃、中国の人々はディスコで踊ることが好きで、よく流れていたのがこのヴァージョンでした。
葉蒨文の方は、僕が90年代に好きだった<珍重>という曲で、今でも好きですし、もっと好きになりました。
この映画には、自分の好きなものを詰め込んでいます。

女性主人公の名前が、演じている趙濤と同じ“濤”で、
“波”を意味すると説明されるなど、印象的に使われています。名前に関する何かエピソードは?

役名はあまり考えません。
濤に限らず、炭鉱のオーナー張も、もう一人の男性・梁子も、役者本人の名です。
演者は、脚本に自分の名があると、役を自分の事のように考えてくれるように思います。
僕が脚本を書く時は、大抵まだキャストが決まっていないので、その時点では名前は書かれておらず、
キャストが決まってから入れます。

自分と同じ“濤”という名前で役に親近感が湧きますし、彼女の環境にも入り込み易かったです。

2015年のパートに梁子が出てきませんが、彼はどうなったのでしょうか?

僕は彼が生きていてくれることを願います。
梁子のその後を想像したら、それが辛いもののように思えたので、撮りませんでした。

息子に“到樂(ドル)”と名付けた意味は?

一週間ほど前に、中国で2ツの事件が起きました。
ひとつは、僕の故郷で、この映画のように爆弾を使い、ある役人が愛人を爆死させた事件です。
もうひとつは、上海の役人の事件で、なんと彼の息子の名前が“Cash”だったのです。
僕はこの話を人から微信を通じ教えてもらい、「あなたの映画は予知していた、預言者だ」と言われました。
映画の中で、息子に“到樂(ドル)”と名付けたのは、
ひとつには、息子が生まれた時、本当にこの子のためにお金を稼ごうと思ったのと、
もうひとつには、面白がってだと思います。

これまでの作品では、未来が描かれたことはありません。今回、未来という空間を描いた意味は?

仰る通り、未来を描くのは初めてです。
脚本で2014年を書いている時、あの息子がその後どうなるのかが気になってきました。
到樂は何の決定権も無く、幼い頃両親が離婚し、7~8歳の時、父に連れられオーストラリアへ渡ります。
そういう子がどうなるのかが知りたくなりました。
ただ、未来については神様が答えることで、僕ごときが聡明ぶって答えるべきではありません。

作中、画角が変えたのはなぜですか?

1999年のパートでは、ディスコや春節、トラックのシーン等に当時の映像を挿入したからです。
2014年のパートでは、梁子の炭鉱の部分などに古い映像を使っていますが、
当時の画角はすでに1.85に変わっています。
だったら、未来はいっそワイドで、ということになりました。
最後の質問を受け付けた時に当てられた中国人と思しき女性が
質問をせず、「作品に感動した、監督に会え感激した」と感想を述べ、時間切れ。
私の位置からは顔が見えなかったけれど、声の感じから若い女性を想像。
ホントーッに感激したのであろう。喋っている内に、感極まり、声がどんどん涙声になり、上ずっていくわけ。
日本だと、賈樟柯監督がまだ純朴な映画青年だった頃から監督作を追っている人も多いと思うけれど、
中国の若い世代では、賈樟柯はもはや神レベルの巨匠と崇められているようにも見受ける。
そんな賈樟柯監督が、最後に、本気か冗談かは不明だが、
「自分自身も傷つくから、こういう映画はもう撮らない。次回は古裝でも」と語って、イベント終了。
王家衛(ウォン・カーウァイ)の『グランド・マスター』然り、侯孝賢(ホウ・シャオシェン)の『黒衣の刺客』然り、
中華な映画監督たちは巨匠に成長すると、方向性を変え、武侠や古裝に挑戦したくなるものなのかも知れない。

好きなタイプの作品で、とても楽しめた。
2016年4月、Bunkamura他で公開予定。その時もう一度観るつもり。