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映画『黄金のアデーレ 名画の帰還』

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【2015年/アメリカ・イギリス/109min.】
1989年、アメリカ・ロサンジェルス。
亡くなったばかりの姉ルイーゼの手紙にしたためられていた
叔母アデーレの肖像画に関する記述が気になったマリアは
その肖像画を自分の手元に取り戻したいと思い、友人に弁護士の紹介を依頼する。

やって来た弁護士は、その友人の息子・ランドル。
美術品に大して造詣のないランドルは、早速のその絵について調べてビックリ。
ウィーンのベルヴェデーレ美術館が収蔵するクリムトの絵で、評価額はなんと1億ドルだという。
オーストリアという国家を相手に、名画を取り戻そうなんて、前代未聞。
弁護士としての経験もまだ浅い自分には重すぎる仕事と躊躇しつつも、
ランドルはマリアを助けることになり…。



『マリリン7日間の恋』(2011年)のイギリス人監督、サイモン・カーティス最新作。
監督の名前や作風ではなく、取り上げているテーマに興味があり観賞。


本作品が取り上げているのは、ズバリ、こちら(↓)

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誰もが何らかの形で一度は目にしたことがあるであろう、グスタフ・クリムト(1862-1918)、1907年の作品、
<アデーレ・ブロッホ=バウアの肖像Ⅰ>、通称<黄金のアデーレ>



物語は、ウィーンのベルヴェデーレ宮殿美術館に展示されている国宝級の名画<黄金のアデーレ>を
絵のモデルであるアデーレの姪で、長年アメリカに暮らす82歳の女性マリア・アルトマン(1916-2011)が
「私に返して!」とオーストリア政府相手に無茶とも思える要求を突き付け、案の定難航するが、
2006年、マサカの名画奪還に成功したという実話を描いた奇跡のドラマ

私が特に知りたかったのは、
マリア・アルトマンがどういう根拠で「絵は自分が所有すべき」と主張したかという点と、返還に至る経緯。

本作品は、それらの疑問に答えてくるのみならず、他にも色々な要素がテンコ盛り。

歴史ドラマ
1938年、ナチスがオーストリアを占拠したことで始まるユダヤ系住民迫害の悲劇。
主人公マリアの実家も、叔母アデーレの嫁ぎ先も、非常に裕福なユダヤ系ファミリーで、
肖像画を含む高価な家財などをナチスに略奪される。

逃走劇
当時のユダヤ人には、物のみならず命をも奪われる危機が迫っていたため、
主人公マリアは、夫フリッツと共に、国外への脱出を計る。
ナチスは勿論のこと、非ユダヤ系の一般市民までが厳しい監視の目を光らせている中、
いつ捕えられてしまうか分らないスリリングな逃走劇が繰り広げられる。

法廷ドラマ
時代が現代になると、長年アメリカに暮らす80を越えた主人公マリアと、
経験の浅い青年弁護士ランドル・シェーンベルクという一見勝ち目の無さそうなコンビが、
オーストリアという国家を相手に、法のもと闘う様子が描かれる。

青年弁護士の成長記
青年弁護士ランドルは、仕事が上手くいっておらず、
お金のために気乗りしないままマリアの案件を引き受ける。
実は、彼もまたユダヤ系で、著名な作曲家アルノルド・シェーンベルク(1874-1951)の孫。
マリアと共にオーストリアへ渡り、自分のルーツに触れたことで、強い衝撃を受け、意識を一変させ、
絵画の返還要求に本気で取り組み、奇跡とも思える結果を勝ち取る。

…とまぁ、金太郎飴みたいに、どこを切っても何かしらのドラマが出てくる。




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出演は、叔母アデーレの肖像画返還を求めるマリア・アルトマンにヘレン・ミレン
そのマリアの若い頃はタチアナ・マズラニー
肖像画のモデル、アデーレ・ブロッホ=バウアーにアンチェ・トラウェ
マリアの案件を引き受ける若手弁護士ランドル・シェーンベルクにライアン・レイノルズ
マリアとランドルをオーストラリアで支援する記者フベルトゥス・チェルニンにダニエル・ブリュール等々…。


イギリスのベテラン女優ヘレン・ミレンは、今回ドイツ語訛りの英語で演技。
長年アメリカで暮らしている女性なのに誇張し過ぎなのでは?とも当初思ったが、
調べてみたら、マリアが渡米したのは、1938年、22歳の時。
その年齢では、もう訛りは抜けないと納得。

扮しているマリア・アルトマンは、実在の人物ではあっても、一般に顔が広く知られているわけではないから、
自由に演じられるだろうと想像。

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しかし、実際のマリア・アルトマンの写真を見て、
ヘレン・ミレンは容姿もかなり本人を意識して近付けていたのだと分った。
このマリアは、80を過ぎて裁判をやろうなんていう女性だから、ちょっとした毒を吐くくらいシッカリ者である。


似ていると言えば、登場シーンこそそう多くはないが、マリアの叔母アデーレに扮したアンチェ・トラウェが、
まるであの肖像画から抜け出してきたかのような雰囲気!
クリムトが肖像画を描いている冒頭のシーンで彼女を見て、ハッと息を呑んだ。
いざ実際に絵と比べてみると…

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クリムトの絵には、特に目元などに実際のアデーレの特徴がよく出ており、
アンチェ・トラウェ扮する映画の中のアデーレは、ぜんぜん“ソックリさん”ではなく、
今どきの美女であることが分る。でも、非常に上手く雰囲気を掴んでいるのだ。


そのアデーレを描くグスタフ・クリムトは、予想に反し、登場シーンがとても少なく、顔もほとんど出さない。

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どうせ後頭部くらいしか映らないから、適当にスタッフにでもやらせたのかと思いきや、
後でモーリッツ・ブライプトロイが演じていたと知り、ビックリ。
まったくモーリッツ・ブライプトロイである必要が無い、超贅沢なカメオ出演ではないか。


もう一人重要な人物、マリアとコンビを組むランドル・シェーンベルクも見ておこう。

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こちらは、実物とは別人。
ライアン・レイノルズの方が、“典型的なアメリカ人”のイメージ。敢えて、そこを狙ったのだろうか。





人間ドラマ、史劇、戦争映画、逃走劇、法廷ドラマ、成長記、サクセス・ストーリー、バディもの等々、
ありったけの要素をこれでもかーっ!というほど盛り込み、それでいて散漫な印象はなく、
むしろスッキリ観易くまとめられた上手いエンターテインメント作品
ただ、感動した!泣いた!と手放しで礼賛する他の多くの観衆のようには、
この映画を観ることは出来なかった。冷静に色々な事を考えさせられてしまうのだ。

例えば、主人公のマリアは、大好きな叔母が遺した唯一の形見を取り戻した途端、
当初の評価額1億ドルを大きく上回る1億3500万ドルで、
化粧品で有名なユダヤ人エスティ・ローダ(1906-2004)の息子ロナルド・ローダ(1944-)に売却している。
アメリカの相続税はどれ程度なのだろう。
日本だったら、こんなに価値のある物を遺されたら、遺族の迷惑になりかねない。
絵が手元に戻ってきた時、すでに90歳だったマリアが、自分の死後を考え、絵を大切に管理してくれ、
多くの人に観賞してもらえる場所として、NYノイエ・ガレリアを選んだのは理解できる。
ただ、お金に興味が無く、絵をきちんと管理してくれ、しかも多くの人に観てもらえる場所だったら、
ウィーンのベルヴェデーレでも良かったわけだ。
高齢にも拘わらず、返還ためのアクションを起こしたのは、それがどうしても許せないという心の問題。
本作品は、綺麗な言い方をすれば、尊厳を取り戻そうとした一人の女性の感動作だが、
平たく言ってしまうと、自分や自分の家族、延いてはユダヤという民族を不幸のドン底に突き落とした
ナチスやオーストリア政府に対する“約70年越しの執念の復讐劇”と捉えられる。

裕福な家庭に育ったユダヤ人女性が、著名なユダヤ人作曲家の孫の助けを借り取り戻した名画を
化粧品大手ユダヤ人創始者一族に託すまでの話を、
ユダヤ系イギリス人監督サイモン・カーティスが一本の映画にした事からは、
過去を忘れてはならないというメッセージも感じられる。
(うがった見方をするなら、一大ユダヤ系ネットワークの強大な力があってこそ実現したとも言える。)

作中、オーストリアで絵に対する想いを語ったマリアに、地元の青年が近付いてきて、
「過去にこだわるな、ホロコーストへのこだわりは捨てるべきだ」と吐き捨てるシーンがある。
マリアに肩入れしている多くの観衆は、この青年を“悪”と見做すだろうが、
この青年が口にしたような言葉は、昨今の日本でよく聞かれる言葉である。
その青年とは逆に、自分自身はまったくの無関係でも、ナチの熱心な党員だった父の罪を償うため、
マリアに協力するオーストリア人記者フベルトゥス・チェルニンは、加害国側の人間でありながら“善”の象徴。
「先の世代の子たちに謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」といった安倍首相の70年談話が
咄嗟に頭に浮かんだ。過去を葬っての都合の良い“未来志向”は、
世界中どの民族でも、被害を受けた民族には通用しないのだ。

ナチスの蛮行を描いた映画は、本作品と限らず、世の中に腐るほど存在し、
ここ日本でも名作と称えられたり、ヒットする物も少なくない。
それらを観る度に、ドイツでは(今回の場合はオーストリアも)「反独映画だ!歴史を湾曲している!」と
上映禁止を求めたり、訂正や謝罪を求める大騒ぎは起きないのだろうかと考えてしまう。
そして、そう考える度に、日本ってやっぱり狭量…、とゲンナリする。


もうひとつ考えたのが、本作品の公開が起爆剤となり、戦時下に略奪された品々の返還を求める動きが、
世界中で活発になっていくのかどうかという事。
本作品の中でも、裁判中、アメリカ政府の代表が「これを前例にしてしまったら、国際問題になりかねない」
とマリアが行っている返還要求に難色を示し、日本やフランスの国名を挙げている。
この場合、アメリカが想定しているのは、日本からの返還要求だろうが、
日本だって、中国、韓国などのアジア諸国からの返還要求が激しくなれば、他人事ではない。
この先、世界中でそのように訴えられた国々はどう対処していくのだろう。


本作品を観賞することで、私が当初知りたかったマリア・アルトマンの主張も返還の経緯も分ったが、
それ以上に、改めて“日本”を考えさせられる作品であった。

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