【2014年/ハンガリー/98min.】
1970年代のハンガリー・ブダペスト。リザは、住み込みで元日本大使夫人・マルタ田中の面倒を見ている看護人。日本の恋愛小説を読むことと、彼女にしか見えない日本人歌手トミー谷の幽霊と交流することぐらいが、心の拠り所。一人でひっそり30歳のお誕生日を迎えたその日、ようやく2時間の外出を許され、憧れのメック・バーガーでハンガーがーを頬張り帰宅すると、有ろうことか、何者かに殺害された未亡人・マルタの遺体が床に。遺族たちは、金目当ての犯行と、リザに疑いの目を向け、ゾルタン巡査のもと、捜査も徐々に進められていく。落ち込むリザは、新たな人生を模索し始めるが、彼女が気に掛けた男性がどういう訳か次々と死亡。リザに向けられた疑いの目は益々厳しくなってゆき…。
実はこれも2015年12月に観た作品。グズグズしている内に、年を跨いでしまった…。
こちら、2015年3月に開催された第10回大阪アジアン映画祭にて、
『牝狐リザ』の邦題で上映されたハンガリー映画。
『リザとキツネと恋する死者たち』と名を変え、9ヶ月後に一般劇場公開。
案外早く一般公開の運びとなった事を喜んだのも束の間、レイト・ショウのみと知り、ガッカリしていたら、
公開2週目で昼間の上映が追加された。
バンザイ。

私のように、日中の上映を待ち望んでいた人が多いのか、派手な宣伝をしていない作品にも拘わらず、
映画館は満員御礼であった。(勿論、キャパ80席程度の小さなスクリーンで、昼間の上映は一回のみ、
しかも週末という条件が重なった事が大きいだろうが…。)

本作品で長編監督デビュー。
どこの国でもCM出身監督の長編映画は、画にコダワリ過ぎて内容が無く薄っぺらと、
酷評されがちだけれど、私は結構好き。
本作品の主人公は、元日本大使夫人マルタ田中を住み込みでケアする30歳の専属看護人・リザ。
日本の恋愛小説と日本人歌手トミー谷の幽霊くらいしか心の拠り所の無い内気な彼女の周辺で、
マルタ田中の死を機に、多くの男性が次々に命を落としていくという事件が勃発。
物語は、この不可解な死亡事件が狐の呪いに依るもので、
さらなる悲劇を断ち切るには、自分を無私に愛してくれる男性と出逢うしかないと知ったリザが、
迷い、悩みながらも真の愛を掴むまでを描くファンタジー。
本作品は、ウッイ・メーサーロシュ・カーロイ監督が、
栃木県・那須を訪れた際に知った
九尾の狐の伝説をモチーフにしているという。

九尾の狐の伝説発祥の地は中国で、その後、近隣国に伝わり、
ここ日本でも歌舞伎などの題材に取り上げられ、広く知られている。
…が、そんな日本の中でも、“九尾の狐と言えば那須”というのは、知らなかった。
九尾の狐が玉藻前(たまのもまえ)という美女に化け、鳥羽上皇から寵愛を受けるも、
鳥羽上皇が病に伏したことで、九尾の狐である彼女の仕業だと陰陽師・安倍泰成に正体を見破られてしまい、
宮廷から脱走し、那須野に逃げ込むが、朝廷が送ってきた軍に殺され、巨石に変化。
巨石に籠った怨念は毒気となって発せられ、近付く人や動物の命を奪うため、“殺生石”と呼ばれるようになり、
今なお栃木県那須町の那須湯本温泉に存在し、観光名所になっているらしい。
このように、日本で九尾の狐所縁の地と言えば那須なのだそう。へぇー、知らなかった。
まぁ、一般にある九尾の狐のイメージは、“美女に姿を変え、男たちをたぶらかす妖魔”でしょう。
本作品の主人公・リザは、ぜんぜん妖艶な美女ではなく、むしろ地味で内気でオクテなのだけれど、
どういう訳か、この狐の呪いにかかってしまったため、
彼女に見初められた男性が次々と死んでいくという不可解な事件が起きてしまうわけ。
本作品は、この九尾の狐伝説のみならず、作中あちらこちらに“
日本”が盛り込まれているのが特徴的。

こんなに日本語(←タドタドしい日本語)満載のハンガリー映画を観るのは初めて。
作中描かれる日本は、日本人が見て違和感の無いリアルな日本ではなく、(↓)このように…
昔の外国映画によく見られた“間違った日本”、“変テコなニッポン”なのだけれど、
それが上手いこと作用していて、70年代ヨーロピアン・レトロと調和し、この作品を面白い御伽噺にしている。
出演は、主人公のリザにモーニカ・バルシャイ、
リザにしか見えない日本人歌手トミー谷の幽霊にデヴィッド・サクライ、
事件の捜査を担当する刑事ゾルタンにサボルチ・ベデ=ファゼカシュ、
リザにちょっかいを出してくる女たらしのヘンリクにゾルターン・シュミエド、
リザが看護する元日本大使夫人マルタ田中にピロシュカ・モルナール等々。
ハンガリー映画は過去に何本か観ていても、
馴染みのあるハンガリー俳優は、まったくと言ってよいほど居ない。
本作品の主演女優・モーニカ・バルシャイも、初めて見る顔。舞台出身の女優さんらしい。
正直なところ、1973年生まれ、もう40代の彼女が、30歳のリザを演じるには老け過ぎというのが第一印象。
が、しかし、その老け気味で地味な顔立ちと、少女のような痛々しいおさげ髪から、
ずっと他人の介護に明け暮れ、浮いた話の一つも無い女性の“行かず後家”感が滲み出ており、
リザの設定に合っていると思えてきた。
そのように、地味で男っ気も無いリザなのに…
その後きちんとお洒落をしたら、案外綺麗に化けたので、一瞬目を疑った。
ちょっと『奥さまは魔女』のサマンサっぽい。
でもねぇ、日本の観衆ならどうしても気になってしまうのは、主演女優モーニカ・バルシャイ以上に…
トニー谷ならぬトミー谷に扮する謎の男優、デヴィッド・サクライである。
日本人の父とデンマーク人の母の間に生まれ、現在はロスを拠点に活動する俳優らしい。
ハンガリーとは縁が無さそうなので、ハンガリー語はどうするのかと思ったら、
幽霊なので、基本的に台詞が無い。
徐々に邪悪な顔を覗かせ、終盤ついに喋る台詞は日本語。
(デヴィッド・サクライは日本で暮らした経験もあるらしいが、日本育ちではないので、明らかに訛りがある。)
それ以外の登場シーンでは大抵ノリノリで歌を歌っているのだけれど、それも日本語。
トミー谷のヒット曲
<ダンスダンス☆ハバグッタイム~Dance Dance Have A Good Time>はこちら(↓)

私は当然デヴィッド・サクライが歌っているものと思い込んでいたのだが、どうやら口パクみたい。
サントラ情報を見ていたら、これの作曲と歌に、ハンガリーの音楽プロデューサー兼作曲家、
エリク・サモがクレジットされていた。
えぇぇーっ、日本語上手くない…?!特に“everybody”、“hava a good time”といった英語が
“エブリバディ”、“ハバグッタイム”とバリバリ日本人発音のイタイ英語に再現されていることに驚いた(笑)。
そもそも、“いかにも日本に本当にありそうな曲”を、ハンガリー人が作っちゃったというのがスゴイ。
この曲、日本ではよく“昭和歌謡”と説明されているのを見掛けるけれど、
それより、平尾昌晃、ミッキー・カーチスに代表されるような日劇ウエスタンカーニバル調というか、
グループサウンズ調って感じがする。
なんか初めて聴いたとは思えない懐かしさが湧く上、ノリノリで、記憶にこびり付く。
映画館を出てからも、「弾む~ビィ~ト~」というメロディが頭の中で何度も再生してしまった。
ハンガリー映画は、日本でメジャーとは言い難い。
ハンガリーの映画監督で、パッと名前が出るのは、う~ん、多分タル・ベーラ監督くらい。
私が過去に観た数少ない作品から受けたハンガリー映画の印象は、
娯楽作より文芸作や芸術作、明か暗なら“暗”。
過去の悲劇や政治を背景にした社会派作品のイメージも少なからずある。
本作品は、その存在を初めて知った時、『牝狐リザ』という邦題から、ヌーヴェルヴァーグっぽい物とか、
美輪明宏が出ている昔の日本映画っぽい物が(←それはキツネじゃなくてトカゲか …苦笑)
漠然と頭の中に思い浮かんだ。
…が、実際に観た本作品は、私が思い浮かべたそのような雰囲気とも、これまでに観たハンガリー映画とも
毛色の異なるポップなファンタジー。
ひとつひとつのカットがいちいちキュートで、
CM出身のウッイ・メーサーロシュ・カーロイ監督のセンスが光っている。
全編に盛り込まれた“日本”も、日本人の私にとっては食い付き所で、非常に楽しめた。
かと言って、オシャレなだけのお気楽映画とも片付けられない。
民主化が進み、ハンガリー共和国となる1989年以前、社会主義政権下にあった70年代のハンガリーには
本来無いはずのハンバーガーショップやファッション誌も、本作品にはキーとして登場し、
抑圧された当時の人々の儚い夢やささやかな希望が綴られていると考えると、
まさに“狐につままれた”ような、ちょっぴり物哀しいブラックなファンタジーで、
実のことこ、私がこれまでに観たハンガリー映画とも根っ子の部分では繋がっているようにも感じられた。