【2015年/中国・フランス/121min.】
文化大革命が始まり2年近く経つ1967年、北京の学生・陳陣は、友人・楊克と共に、内蒙古の羊牧場に送られ、地元の子供たちに勉強を教えながら、仕事を手伝うことに。陳陣にとって、ここでの生活は驚きの連続。遊牧民たちとの交流を通じ、多くを学び、みるみる内にこの地に魅せられていく。ある日、常々「入ってはいけない」と言われていた場所に足を踏み入れてしまった陳陣は、獰猛な狼に襲われそうになるが、狼は金属音を嫌うという教えを思い出し、なんとか難を逃れる。この体験で、陳陣は狼の恐ろしさを知ると同時に、この気高い動物に心を奪われてしまう。草原に穏やかな春が訪れると、彼は楊克の助けを借り、巣穴から一匹の小さな狼を捕獲。“小狼”と名付け、誰にも見付からぬよう、こっそりと飼育を始めるが…。
ヒューマントラストシネマ渋谷で開催の未体験ゾーンの映画たち2016で、


ジャン=ジャック・アノー監督は『セブン・イヤーズ・イン・チベット』(1997年)を撮ったことで、
中国政府のお怒りに触れ、長らく入国禁止にされていたが、いつの間にかシレーッと和解し、
2012年には上海國際電影節に審査委員長として参加し、ついには本作品を撮るに至っている。
ヨーロッパ人や中国人は、往々にして日本人より臨機応変。
ちなみに、ジャン=ジャック・アノーは、漢字で“讓·雅克·阿諾”と表記。
これだと、“ラン=ヤーク・アノー”になっちゃうと思うけれど…。

日本でも<神なるオオカミ>のタイトルで出版されているが、私は未読。
姜戎は1946年生まれ。“姜戎”はペンネームで、本名は呂嘉民。
文化大革命期の1967年、知識青年として内蒙古(内モンゴル)に下放され、1978年北京に帰郷。
中國工運學院で副教授の職を得るも、六四天安門事件で逮捕され、1991年まで拘留。
その後、リタイアする最近まで、北京の大学で政治経済学の教鞭をとっていたという。
内蒙古での自身の経験をもとにした<狼圖騰>は、
“姜戎”のペンネームで書いた初めての小説で、2004年に出版。
海外でも20ヶ国以上で翻訳されるベストセラーとなり、
姜戎は、2006年に発表された“中國作家富豪榜(中国富豪作家番付)”では10位にランクインしている。
(ちなみに、この時の上位3名は、著名な学者で作家の余秋雨、
『雍正王朝』、『康煕王朝』などドラマ化も多い二月河、
そして『いつか、また』で映画監督デビューも果たした韓寒。)
原作者・姜戎が重なる物語の主人公は、
文化大革命期、内蒙古・額侖(オロン)大草原に下放された北京の知識青年・陳陣。
彼は、地元の遊牧民たちと交流し、彼らの伝統や文化に感銘を受けていうく内に、
人々から恐れられながらも崇拝もされている動物・狼に取り分け魅せられ、
捕らえた幼い狼に“小狼”と名付け、こっそり飼うようになる。
タンゴル(天)の掟を破った陳陣のこの行為が、それまで保たれてきた伝統や自然界の均等を
徐々に狂わせていく様を壮大なスケールで描いたドラマが、本作品。
都会の知識青年である主人公・陳陣が、
友人・楊克と二人、場違いな田舎に下放されてくる冒頭のシーンを観て、
『小さな中国のお針子』(2002年)を重ねた。
『小さな中国のお針子』では、閉ざされた田舎で育った少女が、
都会からやって来た知識青年によりもたらされた文学や音楽を通し、それまで知らなかった世界を知り、
やがて外へ飛び出していく物語だが、
『神なるオオカミ』の知識青年・陳陣は逆で、田舎の人を感化するより、田舎の人から感化される側。
中でも
狼がなぜそこまで陳陣の心を捕らえたのかは、私には理解しかねる。

ただ、その後展開していくお話を見ていると、陳陣が捕まえ育てる小さな狼“小狼”が、
自然体系や、伝統文化、価値観までもを滅ぼしてしまう“引き金”の象徴的存在になっていると感じる。
陳陣自身は、それまで当たり前になっていた漢人の思想を覆されてしまうほど、
遊牧民の文化や精神に感銘し、敬い、ここが自分の求めていた土地だとさえ本心で思っているのだが、
そんな彼が内緒で始めた“狼を飼う”という行為で、自分が敬う自然や文化を崩壊させる引き金を引いてしまう。
分かり易い“悪”の象徴として、包主任のような余所者が登場するけれど、
陳陣もまた知らず知らずの内に蒙古の伝統文化を崩壊させる手助けをしてしまう、結局のところ、所詮余所者。
こういう事は、多かれ少なかれ、どの時代にもどこの国にも有る。
国土の広い多民族国家・中国なら、なおのこと。
「漢人はなぜ少数の蒙古人を防ぐために長城を築く必要があったのか?」
「肉を食べる彼らに、農耕民族の漢人がかなうわけがない。」
「遊牧民はずっと肉を食べて生きてきた。だから死んでも埋葬せずに、草原に還すのだ。」
「聖なる狼を自分に従う羊にしてしまう気か?」等々、所々に印象的な台詞も多々あり。
単語を置き換えれば、現代社会への批判や風刺とも捉えられる台詞も。
出演は、北京から下放されてきた青年・陳陣に馮紹峰(ウィリアム・フォン)、
陳陣と共に内蒙古にやって来る友人の楊克に竇驍(ショーン・ドウ)、
陳陣らの世話をする遊牧民の長老・畢利格に巴森扎布(バーサンジャブ)、
政府の役人で東部出身の包順貴主任に尹鑄勝(イン・ジョション)等々…。
近年、映画での活躍が目覚ましい馮紹峰。
『蘭陵王』に代表されるテレビドラマの二枚目俳優のイメージが強いけれど、
映画では、その二枚目のイメージを覆すような役に挑戦しており、頑張っているなぁ~と感じる。
今回演じているのも、文革中に下放される青年で、
オシャレ感ゼロの“これぞ中国!”な緑色のミリタリールックで登場。
この主人公・陳陣は、原作者・姜戎自身と思われるので、年齢設定は21歳くらいのはず。
すでに30代後半の馮紹峰には、無理があるのではないかと、案じながら観始めたけれど、
途中から気にならなくなった。優しく柔らかな声も、助けになっているかも知れない。
その声は、実年齢以上の若さのみならず、都会の(悪く言えば)ヤワな青年の雰囲気も醸している。
そんな都会のヤワな青年も、内蒙古で暮らし始めてからは、日焼けして、土地の雰囲気に馴染んでくる。
日サロで焼いたホスト風のこんがり肌ではなく、土方焼けっぽいムラ焼け。
やけにリアルだが、特殊メイク?それとも、もしかして、本当にあんな風に焼いちゃったのか?
ダメージを受けたお肌の回復が大変そう…。
竇驍扮する友人・楊克は、想像していたより出番が少ない。
楊克より重要な役と感じるのは、陳陣に多大な影響を与える遊牧民の長老・畢利格。
演じている巴森扎布は、実際に蒙古族の俳優。
日本の作品にも出演経験が有り、2001年、NHK大河ドラマ『北条時宗』で忽必烈(クビライ)を演じている。
私、もはや、それ、よく覚えていない…。でも、(↓)こちらはよく記憶している。
『レッドクリフ』(2008年)の関羽。見た目が、関羽廟に祀られている関羽像そのものであった。
今回の『神なるオオカミ』でも、厳しくも、大らかで優しい雰囲気が、イメージする遊牧民の長老のまんま。
尹鑄勝が出演しているのは、知らなかった。
尹鑄勝がチラッと出演している作品は、『捜査官X』(2011年)や『ドラッグ・ウォー 毒戦』(2013年)など
日本にもちょこちょこと入ってきている。
でも、この『神なるオオカミ』で演じている包主任は、
苦虫を噛み潰したよう顔や、眼鏡の奥で光る目の胡散臭さが…
吳奇隆(ニッキー・ウー)の叔父・殷成貴と、とても重なった。
“文革モノ”は私の大好物。
私がその中に求めてしまいがちなのは、恐らく波瀾の歴史や人間ドラマ。
たとえ文革期の物語であっても、狼や大自然を捉えた壮大なシーンなどには関心が薄いため、
本作品のそういう部分は少々退屈に感じてしまった。
ただ、好き嫌いは別にして、どうやって撮影したのだろう?!と不思議に思ったり、
驚かされるシーンは沢山有った。
動物を殺すシーンなども、昔と違い、今は動物愛護協会とか世間の目が厳しくなっているから、
撮るのが難しいのではないかと想像するが、やけにリアルに表現されている。
漢人と蒙古人の文化や精神性の差や、漢人的な思想への疑問、現代人や文明への批判などが
抽象的に沢山盛り込まれている点は、とても興味深く観ることができたけれど、
売りの一つでもある大自然のシーンを“中ダルミ”と感じてしまったため、
総合すると本作品は私にとっては“まぁまぁ”くらいの位置だろうか。
キャストは良かった。あと、狼の子供って可愛い。子犬のよう。
あんなに可愛かったら、私もタンゴルの掟を破って、こっそり飼ってしまい、天罰が下されそうで、怖い…。