【2014年/台湾/109min.】
1980年代、台湾映画界に新しい潮流をもたらした台湾新電影(台湾ニューシネマ)。台湾の、そして世界の人々は、それをどのように受け止め、後世にどのような影響を与えたのだろうか。名だたる映画人や芸術家へのインタヴューを通し、あの映画運動を振り返る。

現在、新宿K's Cinemaで開催中の“台湾巨匠傑作選2016”で鑑賞。
この“台湾巨匠傑作選2016”は、台湾を代表する3人の監督、侯孝賢(ホウ・シャオシェン)、
楊昌(エドワード・ヤン)、蔡明亮(ツァイ・ミンリャン)、それぞれの過去の作品と、
台湾映画近年のヒット作という4ツの軸でプログラミング。
2014年制作の本作品は、この特集上映の開催記念として特別上映。
これ、日本での初上映は、2015年に開催された第10回大阪アジアン映画祭であった。
大阪まで映画を観に行くことなどまず無い私は、その時も東京に留まり、映画は当然未見。
地味な作品なので、もう二度と日本のスクリーンでかかることは無いと諦めていたのに、
このような機会でお目に掛かれるとは、嬉しい想定外。
何はともあれ、まずは、“台灣新電影/台灣新浪潮電影(台湾ニューシネマ)”とは。
台湾で1980年代から90年代に展開した、新世代の映画監督による映画の改革運動で、
作品は台湾社会や現実の生活を題材に写実的に表現され、おおよそ“商業的”とは言い難い作風が特徴的。
この『台湾新電影時代』は、その台湾新電影の足跡と、後世に与えた影響を、
世界中の映画人などへのインタヴュを通し、浮き彫りにしたドキュメンタリー作品。

中国大陸、香港、日本、タイ、フランス、オランダ、アルゼンチン。
作品は、現代舞踏を代表する台湾の著名な舞台芸術家・林懷民(リン・フアイミン)が
台湾新電影の起源を説明するところで幕を開け、その後、台湾新電影の代表的な作品の映像を交えながら、
映画関係者や芸術家など50人以上のインタヴュで繫がれる。
(クレジットされていても出てこない人もいた。
数えていないので断定はできないけれど、作中登場する取材対象は50人に満たないかも。)
そういうインタヴュを見ていると(もちろん個々の意見の違いは色々有るのだけれど)、
大雑把に地域別の特徴が感じられた。
例えば、欧米人は、中国や西洋の映画と比較しながら、台湾新電影を論理的に語り、分析したがる傾向。
欧米人が討論好きで、物事を論理的に語りたがるのは、
そもそも喋っている言語が論理的、合理的にできた言語である事に基づいているからだと感じるので、
取り上げるテーマには必ずしも関係無いのだろうが、
特に一般の欧米人にはあまり馴染みのない台湾映画を語るとなると、なおの事である。
「最初は中国的だと思ったが違った。台湾新電影は、西洋の映画と同じような現代映画」
と熱く語るオリヴィエ・アサイヤス監督は、ヨーロッパのアジア映画ヲタそのもの。
逆に、タイのアピチャッポン・ウィーラセタクン監督は、もっと感覚的な捉え方で、アジア人らしさを感じる。
「映画とは記憶」、「台湾映画は観ていて眠くなる。それは私の作品も同じ」と。
“眠くなる=つまらない”ではなく、眠気と共に映画という世界に誘われ、目覚めて現実に戻ると、
自分は変わらずスクリーンの前の椅子に座っているという状況が、
まるでタイムトラベルしたかのような感覚であると。
“やっぱり南国タイランド”、“やっぱりアピチャッポン・ウィーラセタクン監督”と納得させられるお言葉。
同じアジア人でも、中国人はまた別。
台湾とは、共通の言語を持つ同じ華人だからこそ意識をするし、
歩んできた歴史や政治体制の違いなどが影響しているであろう表現の差異に目を向ける。
登場するの中国人の多くが、広電総局と対峙しながら作品を撮り続けている独立電影系の監督や、
劉小東(リウ・シャオドン)、艾未未(アイ・ウェイウェイ)といった独自の活動をする芸術家なので、
基本的に台湾新電影への評価は高い。
特に王兵(ワン・ビン)監督は、張藝謀(チャン・イーモウ)や陳凱歌(チェン・カイコー)といった
中国の第五世代の監督にそれなりの敬意を払いながらも、
「台湾新電影は“人”を撮っている、第五世代の監督の作品にはそれが無い」とバッサリ。
それに対し、「『覇王別姫』の蝶衣は人ではないというのか?!」と反論する
楊超(ヤン・チャオ)監督とのバトルは結構面白かった。
そして、
日本。

ここ日本は、台湾新電影が好きだったり、影響を受けた人が多い国のひとつだと思う。
本作品に登場するのは、映画評論家の佐藤忠雄、数本の侯孝賢監督作品をプロデュースした市山尚三、
侯孝賢監督の日本語作品『珈琲時光』(2003年)に出演した俳優の浅野忠信、
そして映画監督の黒沢清と是枝裕和。
やはり、日本人の私には、日本人の話に共感する部分が多い。
佐藤忠雄と是枝裕和監督は、台湾新電影を通し、日本の台湾植民地支配にまで話が及ぶのだが、
そこにも深く共感。台湾映画の中にある種の懐かしさを感じ惹かれ観続けると、
その先でノスタルジーだけでは片付けられない過去の瑕や厳しい現実にぶち当たる…、というあの感覚。
是枝裕和監督が取り上げるのは、初めて観た台湾新電影、侯孝賢監督作品『童年往事 時の流れ』(1985年)。
これを観た時、「これだ、ここに自分が撮りたい物がある」と感じたという。
そもそも是枝裕和監督は、自身の父親を通じ、幼い頃から台湾と接点があったようだ。
父上は、高雄で育ち、嘉義農業(←映画『KANO』の?)で学んだ後、旅順へ渡り、シベリアで抑留と波乱万丈。
若い頃の良い思い出は台湾時代で終わってしまっているせいか、
バナナが美味しいとか、パイナップルも美味しいとか、
台湾というとほのぼのとした楽しい思い出ばかりを聞かされていたため、
初めて台湾映画を観た時、親近感のようなもの感じたが、
その後、よくよく考えると、そんな“ほのぼの”では済まない事だったと気付いたという。
ちなみに、是枝裕和監督がインタヴューに応じている場所は、
小津安二郎監督の常宿として知られる、国が有形文化財に指定している旅館・茅ヶ崎館。
是枝裕和監督は本作品の中で、
「ここは小津安二郎監督が『東京物語』などの脚本を執筆した場所です」と説明している。
佐藤忠雄が挙げたのは、萬仁(ワン・レン)監督作品『超級市民~Super Citizen』(1985年)。
…と言っていたが、同監督1995年の作品『超級大國~Super Citizen Ko』の誤りではないだろうか?
どちらにしても私は未見。『超級市民』、『超級大國民』、『超級公民』という萬仁監督の“超級三部曲”は
いずれも日本未公開で、私は具体的な内容を知らない。
佐藤忠雄曰く、戦後白色テロで逮捕された、日本の教育を受けた世代の老人のお話。
ラストは、長い刑期を終え、出所した主人公が、犠牲になった友人のお墓を探しだし、
そこに跪いて、日本語で「すみません」と謝り、物語は幕を閉じる。
佐藤忠雄は、「世界中で、植民地支配が上手くいった例は無い」とした上で、
そんな時に口をつく言葉さえ、自分たちの言葉ではないという事実に、胸が苦しくなったという。
それ、なんか分かる…。私は、「台湾の老人は皆日本語が上手」、「台湾人は日本時代を懐かしんでいる」
などと嬉しそうに言う日本人には、違和感しか感じないので、
『台湾新電影時代』に挿入されたその『超級大國民』のラストシーンの映像を観ただけで、グッと来た。
他、楽しい所では、市山尚三と浅野忠信から、侯孝賢監督の東京の常宿についての話が出た。
そう、侯孝賢監督ファンの間では誰もが知る大久保のホテル、
世界的巨匠が宿泊するには、あまりにも気兼ねの無い、あの甲隆閣について。
甲隆閣はもちろん国の有形文化財ではありません。![]()

(今回甲隆閣にカメラが入り、未だ健在であったことを知る。勝手にツブレたと思っていたので、軽く驚いた。)
近年の台湾映画の全てがクズだとは言わない。
でも、『海角七号』(2008年)の大ヒットで台湾が突入した、テレビの2時間ドラマのようなお気楽映画全盛期や、
「それまでの台湾映画は、監督の自己満足映画で退屈なだけ」と過去を批判し、
現状を持ち上げ満足顔の台湾人を傍観していると、台湾映画の復興は相当困難に見受けられ、
台湾映画の一ファンとして、寂しくも感じるわけ。
この『台湾新電影時代』の中で、侯孝賢監督や賈樟柯監督が語っているように、
時代の要求から映画が生まれるのも確かな事なので、
民主化が進む80~90年代の台湾に相応しい映画が台湾新電影だったように、
大陸との関係など様々な面で岐路に立たされ、不安や怒り、閉塞感に苛まれる現在の台湾人が、
それにしても、観衆の好みが楽な方へ楽な方へと流れるこの風潮の中では、真の名作は生まれにくい。
台湾映画界は、興行的には、ドン底だった一時期よりはマシになっても、
かつて台湾新電影で盛り上がった頃のような勢いは、もはや感じられない。
今回観たこの『台湾新電影時代』は、ドキュメンタリー作品として、欠けている部分もあるような気はするのだが、
これを観たことで、改めて台湾新電影の良さと、現在の台湾映画界の体たらくを感じてしまった。
そして、最近観ていなかった懐かしの台湾新電影を、改めて観たくもなった。
あの頃の台湾映画は、日本でビデオ化はされていてもDVD化はされていない作品が多く、
今の環境では鑑賞しにくくなってしまっているし、
『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』(1991年)に至っては、様々な権利をもっていた配給元の倒産で
お蔵入り状態になってしまっているのが残念でならない。
“台湾巨匠傑作選2016”開催中に、最低限、大好きな作品『童年往事 時の流れ』くらいは
映画館のスクリーンで再見しておきたい。
