BSジャパンで放送中のドラマ『琅琊榜(ろうやぼう)麒麟の才子、風雲起こす』関連の検索で
当ブログにお越しになる方が激増している今日この頃なので、期待外れで申し訳ございませんが、
本日は『琅琊榜』とは無縁の俳優で“男前名鑑”を更新させていただきます。
久々に更新する“男前名鑑”で取り上げるのは、
大陸の黃軒(ホアン・シュエン)。

私が観たい!と思う作品にかなりの確率で出演しているのに、
そういう出演作がなかなか日本に入って来ない俳優さん。
そんな黃軒、数ヶ月前に、こちらに記した通り、日中合作映画『妖猫伝~妖貓傳/妖猫传』で、
日本の染谷将太と共演することが判明。
これは、
夢枕獏の小説<沙門空海唐の国にて鬼と宴す>を


この作品なら、完成すれば、日本で上映されること間違い無し!
これを機に、黃軒出演作が、日本でもっと観られるようになるといいなぁ~という願いも込め、
今回、男前名鑑で取り上げた次第。
では、早速、簡単なプロフィールを。
氏名 :黃軒 (拼音:Huáng Xuān)
日本での通称:ホアン・シュエン/ホアン・シュアン
生年月日:1985年3月3日
出身地 :甘肅省蘭州市
身長 :177センチ
学歴 :廣東舞蹈學校→北京舞蹈學院音樂劇系(ミュージカル学科)卒
2007年、22歳の時、張弛(チャン・チー)監督の映画『地下的天空~The Shaft』でデビューした黃軒は、
すでにキャリアが10年近い、30歳を過ぎた俳優だが、
中華圏でも、名が知られるようになったのは、ここ数年のこと。やや遅咲きの俳優である。
実際、インタヴュなどを通し知る黃軒は、近年有名になるまでの人生前半戦が、
決して順調ではなかったことが窺える。
小学3年生の時、出身地の蘭州から広州にお引越し。
言葉も分からず、友達もできず、加えて両親まで離婚と、踏んだり蹴ったりで孤独な少年時代。
当時は学校の成績も振るわず、好きだったのは
マイケル・ジャクソンとダンス。

舞踏家の母と相談し、高校は舞踏を学ぶため芸術学校に入学。
しかし、卒業を前に負傷。身動き取れず悶々としていた半年の間に、舞踏より演技への興味がふつふつ。
…が、プロフィールからも分かるように、それでも進学した大学は、北京舞蹈學院。
舞踏を諦めた青年が、なぜ舞蹈學院に進学したのかという疑問が湧く。
実は、黃軒、中央戲劇學院にも北京電影學院にも受からなかったため、北京舞蹈學院に入学。
それでも、北京舞蹈學院もまた中国の有名な芸術院であることには変わりなく、
映画監督が出演者を探しに来るお決まりの場所の一つだという。
事実、在学中の黃軒にもチャンス到来。
…のハズが、チャンスが訪れてはポシャる黃軒の不遇時代が、ここから始まる。
以下、黃軒が“逃した大きな魚”をいくつか列挙。
2005年、まだ学生だった黃軒に舞い込んだビッグチャンス。
張藝謀(チャン・イーモウ)監督の新作で、
大スタア・鞏俐(コン・リー)や周潤發(チョウ・ユンファ)と共演できると興奮するが、
ある時、スタッフからの連絡がプツリと途絶え、新聞紙面で『王妃の紋章』がクランクインした事を知り、愕然。
その後、助監督から「ゴメン、周杰倫(ジェイ・チョウ)が撮影に加わった。君に合う役は無い」と説明。
人気作家・海岩(ハイイェン)の小説が原作のこのドラマでは、準主役が約束されていたが、
『王妃の紋章』に出演するため放棄。→結果的に無駄な放棄に。
2009年、第62回カンヌ国際映画祭に出品され、脚本賞を受賞した、
この婁(ロウ・イエ)監督作品の撮影にも実は参加していた黃軒。
自分のシーンが全てカットされ、最後に名前だけクレジットされた事を、
主演男優の一人・陳思成(チェン・スーチェン)のマネージャーからの話で初めて知る。
自閉症の青年・大福役に抜擢。
この役は、泳げる事が必須条件だったため、ひと夏水泳の練習に没頭。
同時に、養護施設にも入り、そこの生徒たちと、寝食を共に。
そんなある日、監督から「軒兒、明日はもうスイミングに行かなくていいから」と電話。
最後の最後で、他の俳優がキャスティングされた事を知らされ、
電話を切った後、自分がどうしていたかさえ覚えていないという。
黃軒に代わり、その役を得た俳優は、言うまでもなく文章(ウェン・ジャン)である。
この作品では、監督の王小帥(ワン・シャオシュアイ)が、ずっと黃軒を使いたいと主張し続けたが、
投資会社からの要請で選手交代。
丁度この頃、父、祖父、祖母が立て続けに他界。仕事でも私生活でも、精神的打撃を受ける。
不遇続きではあるが、この間出演作がまったく無かったわけではなく、
例えば、小さな役ではあっても、李少紅(リー・シャオホン)監督の『紅楼夢 愛の宴~紅樓夢』のような
話題の大作ドラマにも出演。
オムニバス映画『成都,我爱你~Chengdu, I Love You』では、
第66回ヴェネツィア国際映画祭にも参加。

映画人が一堂に会するこんな大規模な映画祭に身を置いたのは初めてのこと。
この初体験に奮い立たされた反面、帰国後の変わらぬ生活を考えると失望も大きく、
トランジットのパリで、クレジットカードと2百ユーロそこそこの現金を手に、「取り敢えずここに残ろう」と決意。
消息を絶った黃軒を探し当て、「まだ生きているか?!スタア総出演の映画のオーディションがある。
取り敢えず帰って来い!」と事務所から連絡が入るまで、一泊20ユーロのユースホステルで寝起きしながら、
美術館巡りをしたり、ボーッと街を散策する十日間を過ごしたという。
帰国すると、すでに萎えていた黃軒は、何の期待もせずに、張楊(チャン・ヤン)監督と軽い雑談をし、
なぜかそのまますんなり映画『無人駕駛~Driverless』への出演が決定。
この頃から、ものごとは成るようにしか成らないと学び、
自分でコントロールし切れない事には過度な期待を抱かなくなり、気持ちも軽くなったという。
その後も小さな役をボチボチこなしながら、読書や書道をし、“潜伏期”を過ごし、運命の2012年末、
かつて『スプリング・フィーバー』で黃軒のシーンをばっさりカットしたあの婁(ロウ・イエ)監督の新作、
『推拿~Blind Massage』の撮影に参加。演じたのは、盲人のマッサージ師・小馬という重要な役。
この作品は、2014年、
第64回ベルリン国際映画祭に出品され、芸術貢献賞を受賞。

同年、第51回金馬獎でも、最優秀作品賞、改編脚本賞、新人賞、撮影賞、編集賞、音響効果賞と
6部門もで受賞の快挙。
2014年は、黃軒の名を世に知らしめた記念すべき年で、
婁監督作品『推拿』以外にも、許鞍華(アン・ホイ)監督作品『黄金時代』(※)、
周迅(ジョウ・シュン)主演のドラマ版『紅いコーリャン~紅高粱』といった具合に、
秀作、話題作と呼ばれる出演作が立て続けに公開。知名度も人気も
一気に急上昇。

その辺りから、黃軒の活躍っぷりは、まさに飛ぶ鳥を落とす勢い。
2015年には、
中国版<GQ 智族>の“年度人物 Men of the Year”の一人にも選出。

これは、雑誌<GQ>が一年に一度、各界で最も輝いた男性に贈る賞。
画像左から、黃軒、映画監督の侯孝賢(ホウ・シャオシェン)、俳優で監督の徐峥(シュー・ジェン)、
建築家の劉昊威(リウ・ハオウェイ)、作家の張嘉佳(チャン・ジャージャー)、
中国博奇CEOの白雲峰(バイ・ユンフォン)、俳優の李易峰(リー・イーフォン)、
700bike創業者の張向東(チャン・シャンドン)、シンガーソングライターの李榮浩(リー・ロンハオ)。
黃軒は、“年度突破藝人”という部門での選出。
同じ俳優でも、華のあるイケメン俳優(笑)李易峰の方は、“年度流行藝人”として受賞。
ちなみに、イケメンではないけれど、実力派のミュージシャン李榮浩は、
現在、年上の楊丞琳(レイニー・ヤン)と交際中。
男は顔が多少マズくても、実力さえあれば、カワイ子ちゃんとも付き合えることを、身をもって証明。
人気爆発の昨今の黃軒は、映画の文芸作のみならず、メジャーなテレビドラマからも出演オファーが絶えない。
孫儷(スン・リー)主演の『羋月傳~Legend of MiiYue』や
楊冪(ヤン・ミー)主演の『親愛的翻譯官~Les Interprètes』といった話題のドラマに次々出演。
日本には、劉詩詩(リウ・シーシー)主演の『女医明妃伝~女醫·明妃傳』がすでに入って来ている。
また、主演を務めた超大作ドラマ『九州·海上牧雲記~Tribes and Empires-Storm of Prophecy』は、
すでにクランクアップし、放送待機中。
映画では、張藝謀(チャン・イーモウ)監督初の3D英語作品『長城~The Great Wall』が、
2016年12月16日に中国で公開予定。
マット・デイモンが出演する張藝謀監督作品なので、日本公開も有り得るかも…?
このように、今やすっかり売れっ子の黃軒。実は
日本ともちょっとした御縁が。

(↑)こちら、黃軒の曽祖父・黃文中(1890-1945)。
孫文が提唱した“三民主義”を支持し、“民主闘士”と呼ばれた甘肅出身の黃文中は、
師範学校卒業後、日本に私費留学し、中華革命党の活動に参加しながら、
明治大学で政治経済の学位を取得した人物。
日本から帰国するギリギリ前の1920年には、上原悦二郎の<日本民権発達史>を翻訳。
黃文中が手掛けたこの翻訳書には、かの孫中山/孫文(1866-1925)から…
「世界潮流浩浩蕩蕩順之則昌逆之則亡」という有名な題辞を贈られ、
1926年、上海商務印書館から、初版が出版されている。
また、この黃文中は、大変多才な人で、特に詩や楹聯(えいれん/対で掲げる句)、書に長けていたという。
取り分け、当局から睨まれ、甘肅から逃げるように移り住んだ杭州・西湖では、その才能を遺憾なく発揮。
その頃の作品は<黃文中西湖楹帖集>に収録され、出版されている。
そんな杭州・西湖時代の黃文中の作品で、最も有名なのが、こちら(↓)
孤山の西湖天下景亭に掲げられた「西湖天下景」の扁額と、
亭の両柱に記された「水水山山處處明明秀秀 晴晴雨雨時時好好奇奇」の楹聯。
黃軒は、お身内に随分立派な方がいらしたのですね~。
ただ、その黃文中はあんな昔に私費留学しているくらいだから、
あちら風の言い方をすれば“出身が悪い”のだろうし、政治的混乱にも巻き込まれ、
中国で生きる子孫は、ある時期、辛酸を嘗めさせられたのではないかと想像する。
実際、西湖天下景亭の扁額や楹聯は、
文化大革命真っ只中の1972年、“黃文中”の文字が消され、破壊されたらしい。
文革が終わった80年代には、黃文中の娘・黃國梅が、当局に元の写真を持ち込み、修復を訴えるも、
相当な時間を要し、ようやく修復されたそれに記されていた“黃文中”の文字は、やたら小さく(苦笑)、
原型からは程遠い代物だったいう。
「あの娘、うるさいから、取り敢えず申し訳程度にパパの名前を入れといてやるか」って感じだったのだろうか。
で、もっともっとその後、娘・黃國梅は、その昔、黃文中が杭州でしたためた楹聯の筆跡を探し出し、
それを今度は、当時浙江省委書記だった習近平に渡し、改めて修復を訴え、
2004年、よーーやくオリジナルと同じ複製が完成し、西湖天下景亭に掲げられたんですって~。
身内にしてみれば、破壊された1972年から、実に32年もの歳月を費やした執念の名誉回復ですワ。![]()

黃軒から知性や文芸の香りが感じられるのは、
脈々と受け継がれたこのひぃおじい様のDNAなのかも知れない。
俳優自体が芸術的なお仕事だけれど、趣味の書道もかなり本格的で、腕前は相当なもの。
お馴染み日本の化粧品メーカー、
シュウウエムラも、

2016年春、“東京美藝”をテーマにしたキャンペーンで、黃軒をビューティアンバサダーに御指名。
(↓)こちら、書道にインスパイアされて生まれた商品、カリグラフィック・アイライナーの広告。
この“美”の字も、黃軒の筆によるものだと。達筆…!
私、自分の悪筆が小っ恥ずかしくて、間違っても黃軒の前で字を書くことなんてできない…。

腫れぼったい目といい、地味ぃーな感じといい、かなり私好みの黃軒。
アイドル的な華やかさにはやや欠けるので、
日本の中華ドラマニアの女性に、どれ程度受け入れられるかは不明だが、
中華電影ファンには絶対にウケるタイプの俳優だと思う。
黃軒も出演している陳凱歌監督の新作『妖猫伝』は、日本でいつ公開されるだろうか。
彼のバックグラウンドを考えると、『妖猫伝』で演じる白居易は、適役と感じる。
染谷将太との共演を見るのも、楽しみ。
他の出演作ももちろん観たい。
取り敢えず、私がずーーーっと観たい!と言い続けている婁監督の『推拿』を、
もうそろそろ日本で上映して欲しい。すでにどこか買ってくれていると良いのだけれど…。
関係者の皆さま、そこのところ、どうなのでしょう。日本公開宜しくお願いいたします。
軽いテイストの物にはあまり惹かれないので、
ドラマ作品の場合、すでに日本に入って来ている『女医明妃伝』には、実は大して興味が無い。
『紅いコーリャン』は、たとえ原作がノーベル賞作家・莫言(ばく・げん/モウ・イェン)で、
映画版がベルリン金熊賞受賞作でも、日本の軍服が映るだけでピリピリする昨今の状況を考えると、
残念ながら、入って来るとは考えにくい。
なので、せめて『羋月傳』と『九州·海上牧雲記』が、日本語字幕付きで観られれば嬉しい。
【追記:2016年10月16日夜】
たった今、映画『妖猫伝』の最新スチール公開。
張雨綺(キティ・チャン)の出演は予想していた通りとして、他にも秦昊(チン・ハオ)が出ていたのですね。
黃軒が染谷くんと共演しているのを実際に目にして、軽く感動。この映画、益々観たくなった…!
【追記:2016年10月17日】
黃軒&染谷将太主演、陳凱歌(チェン・カイコー)監督最新日中合作映画『妖猫伝~妖貓傳』の邦題が
どうやら『空海 KU-KAI』に決まった模様。日本公開は2018年を予定しているらしい。
来年2017年中はお預けになってしまいますね。ふぅ…。早く観たい。