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映画『湾生回家』

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【2015年/台湾/111min.】
徳島県に暮らす冨永勝さんは、高齢になった今でも、18歳まで暮らした台湾に何度も足を運ぶ。
目的は、古い友人たちを探すこと。
ようやく探し当てた家で、友人にそっくりな中年男性に会う。彼の息子であった。
しかし、その息子から、友人がほんの数ヶ月前に他界したことを聞かされ、涙が込み上げる。

警察官の父のもと、花蓮に生まれた松本洽盛さん。
その地には、日本の国策で移民してきた農民も多かったが、
“楽園”という話は真っ赤な嘘で、目の前に広がるのはただの荒れ地。
人々は土地を一から耕すのに、大変な苦労をしたという。

祖父の代で台湾に移民した中村信子さんは、終戦の時、蘇澳に暮らす女学生。
限られた引き上げ船で、日本人がどんどん帰国していく中、
飼っていた犬、猫、猿との別れが辛くて、自分だけここに残りたいと本気で考える。
それでも、引き上げが決まった時、猿は自分に背を向け、目を合わせてくれなかったという。


戦前の台湾で生まれた日本人“湾生”たちが、故郷・台湾での記憶や望郷の念を語る…。



『野麻雀』(1997年)で、第34回金馬獎・最佳創作短編(最優秀短編作品賞)を受賞した経験もある
黃銘正(ホァン・ミンチェン)監督作品。

本作品は、今年3月に開催された第11回大阪アジアン映画祭で上映され、観客賞を受賞。
それから約8ヶ月後の11月に、一般劇場公開。
東京で唯一の上映館・岩波ホールは、結構な混雑になっていると聞き、行くのを躊躇していたが、
このまま延ばし延ばしにしていたら、前売り券を無駄にしてしまう!と焦り、ようやく重い腰を上げ、神保町へ。



タイトル『湾生回家』は、“わんせい・かいか”と読む。
では、聞き馴れない言葉“湾生(わんせい)”とは…?
御存知のように、日本は1895年、下関条約により台湾を割譲され、
1945年の敗戦までの50年間、統治し続けてきた。
その間に台湾で生まれ育った約20万人の日本人のことを“湾生”と呼ぶそう。

本作品は、敗戦という歴史の転換により、故郷を追われ、未知の祖国・日本へ戻って来た湾生たちを追い、
彼らの望郷の想いをカメラに収めたドキュメンタリー映画

私の足がなかなか岩波ホールへ向かなかったのは、混雑状況が気になったことが大きいけれど、
それ以外にも、近年異様に増えた、“戦中、台湾に居た日本人は素晴らしく、現地人から尊敬されていた”、
“日本は台湾の発展に大きく貢献した”、“台湾は親日”といった
日本人の自尊心をくすぐる内容に終始していたら気持ち悪ーいっ…!と思ったことも大きい。
事実、第9回大阪アジアン映画祭で、同じように観客賞を受賞した台湾映画『KANO』は、
私にとっては、まさにそんな“日本人の自尊心くすぐり系”の映画であった。


ところが、実際に本作品を観たら、登場するそれぞれの湾生たちの人間ドラマとして、興味深いものであった。
戦争を経験した世代は、どんな平凡な人も、
平和な時代を生きる我々とは比べものにならない何かしらのドラマを人生に背負っていると常々感じていたが、
この映画に登場する湾生たちも、やはり“人生色々”だし、
彼らの話から見えてくる“戦争”というものを考えさせられもする。

年齢は、当然ながら皆高齢。
幼い内に終戦を迎え、日本に帰国した人でも、1943年生まれの70代。
もう充分オトナな18歳まで台湾で暮らした1927年生まれの男性もいる。
どこで生まれ育とうと、人生の終着点が見えてくると、
人は自分の原点を振り返りたくなるものなのかも知れない。
その原点が、一時はもう二度と戻れないと思った台湾なら、益々望郷の念が募るだろうし、
日本へ帰国後、先の戦争について徐々に知ることで、台湾に対して複雑な思いも抱いたであろう。




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率直な話しぶりで、私が最も感情移入し易かったのは、家倉多恵子さんという1930年生まれの女性。
父親が台北の総督府に勤める公務員で、
彼女自身きちんとした教育を受けたと分かる、大変品の良いおばあちゃま。
当時通っていた台北州立第一高等女学校は、ほとんどの生徒が日本人で、
台湾人はほんの一握りしか居なかったが、そのほんの一握りの台湾人が、
日本人など足元にも及ばないほど成績優秀な生徒だったという。
ところが数年前に再会した時、その台湾人同級生が、「日本人に見下されないためには、
成績を良くするしかないと思って、懸命に勉強した」と言ったのを聞き、ドキーッ!としたと語る家倉さん。

祖父の代に台湾に移住した湾生3世の中村信子さんという女性も、
「当時、台湾で暮らしていた日本人は、日本が台湾を植民地支配しているなんて教わらなかった。
他の人も皆、日本に帰ってから色々知ったのでしょう」と話す。

多くの普通の日本人、ましてや当時まだ子供だった湾生は、
日本と台湾の実際の力関係も、植民地支配とは何なのかも、本当に知らなかったのであろう。
人は知らず知らずの内に他者を傷付けてしまうこともあり、
家倉さんが何十年も経て、台湾人同級生からのちょっとした告白に、ドキッ!としたのは、理解できる。

“知らなかった”といえば、この家倉さん、
その女学生時代に、空を飛ぶ戦闘機めがけて手榴弾を投げた話もしていた。
「そうしなきゃいけないと思っていた。戦争では、しなきゃいけないと思っているのが怖い。
マインドコントロールって言うんでしょうか」と。
現在の家倉さんを見ると、至極真っ当な人なのだ。多分若い頃も真っ当だったであろう。
そんな人でも、洗脳されていくんだぁ…、と思うと、確かに怖い。


あと、非常に印象深いのが、郭清子さんという女性。
全ての湾生が戦後日本に帰国したわけではなく、
現地の男性と結婚したとか、何らかの事情で、台湾に残った人もいる。
この郭清子さんもそんな一人で、今の今までずっと台湾在住。
そもそも自分の出自も、ある程度成長するまで知らなかったらしい。
母・片山千歳に、子供を育てる余裕が無く、まだ物心もつかない幼い内に、台湾人の家に養女に出されたそう。
その台湾人の家では、“ゆくゆくは息子の嫁に”と考え、清子さんを引き取り、
実際に彼女は、成長すると、その家の息子・郭さんと結婚。
“ヨメ要員”として養女を取るなんて、今の時代では考えられないことだけれど、
清子さんの場合は、夫婦仲が良いのが幸い。
御主人は、重い病で今やほとんど喋ることすら出来ない清子さんを、献身的に介護している。
良い家族にも恵まれ、映画の中では、娘や孫たちがが、日本まで飛び、
清子さんの母・片山千歳のお墓探しを一生懸命にする姿を、カメラが捉えている。
日本からの帰国後、お墓や戸籍が見付かったことを報告されると、
普段はすでに表情が無い清子さんの目から涙…。
幼い自分を捨てた母親や日本に対しての複雑な思いは、
何十年経っても、心の中のワダカマリになっていたんだなぁと分かる瞬間に、グッと来る。
台湾生まれとか日本生まれとか、何も関係なく、
普遍的な親子の話を収めたドキュメンタリーとして、見入ってしまう。





湾生である父親の影響で行った台湾を好きになったという30~40代と思しき女性が、
「台湾の方たちは、日本人だという理由だけで、親切にしてくれる。
アジアで日本を嫌いじゃない国があるんだと知り感激しました」といった発言は、
私が思う、近年激増した“親日・台湾大好き日本人女性”の典型に感じ、これっぽっちも同意できなかった。
多くの台湾人は、日本人という理由だけで親切にするほど、単純な馬鹿ではない。
台湾をアジア唯一の親日国、他を(特に中韓を)反日国とレッテル貼りするのも、感心できない。
私とその女性に意見の相違があるように、どこの国にも色んな考えの人が混在しているのが自然。
ごくごく平凡な日本人が、メディアなどが報じるイメージにいとも簡単に捕らわれ、
他国を親日/反日と白黒で決め付け、浮かれたり声を荒げたりする姿を見ると、
さきの戦争も入り口はこんな感じだったのではないだろうかと想像し、空恐ろしくなる。
もっとも、湾生の父をもつその女性は、「日本はもう絶対に外へ出てはいけないと思っています。
人が住んでいる国に勝手に乗り込んでいくのはいけないこと」とも付け加えているので、
今回に限り、前の発言は聞かなかったことにいたします。

湾生を通し、湾生や日台関係のみならず、色々な事を考えさせられる、良いドキュメンタリー作品であった。
それにしても、最年長湾生・冨永勝氏の“日本でヤクザになった”発言は、意外過ぎて、腰抜かした(笑)。
本物のヤクザがあまりにも怖くて、結局すぐに足を洗ったらしいけれど。
(中村信子さんの“ジロー”という名のペットを犬だと思い込んでいたら、猿だったのも意外。)
身体をひどく壊した家倉さんが、台湾にロングステイした途端、みるみる回復し、
C型肝炎まで不思議と消えたという話も記憶に残っている。“病は気から”は、ある程度本当だと思う。
あと、時々挿入される、過去を再現したアニメも、結構好みのテイスト。


会場の岩波ホールは、平日にもかかわらず、噂通りそこそこ混んでいた。
お客さんの年齢層は高い、…非常に高い。すでに若くない私が、あの中で最年少だった気がする。
自身も湾生というご老人もかなり居た。別に私から声を掛けて、質問したのではない。
皆さん、お耳がすでに遠いせいか、声が大きく、話が丸聞こえなのだ。
「家の敷地内にいると静かだけれど、外に出ると、日本の軍人が台湾人を殴っているのをよく見た」とか
「普通の台湾人は日本人より下で“本島人”と呼ばれていて、山に住んでいるのは“蕃人”で、もっと下」
などと悪びれずに語っておられた。
そんな話はここではなく、日本の過去を美化している人たちに聞かせてやって、と思いましたワ…。

ま、このように、高齢のお客さんが多いので、もしかして夕方以降の上映の方が空いているかも知れません。
2016年12月半ばまでやっているそうなので、興味のある方はどうぞ。

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