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映画『ラスト・プリンセス 大韓帝国最後の皇女』

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【2016年/韓国/127min.】
1919年、朝鮮半島・京城、徳寿宮。
日韓併合後、日本寄りの臣下から、何かと日本の天皇の名を持ち出され、屈辱的な要求を迫られ、
辛酸を嘗めてばかりの大韓帝国の太上皇・高宗。
顔がほころぶのは、まだ幼い翁主・徳恵と過ごす時間だけ。
徳恵翁主もまた優しい父・高宗が大好きで、ある晩、寝所を訪ねると、そこには変わり果てた父の姿。
傍らに転がり落ちているのは、飲み残しの椀…。
高宗毒殺の噂が、にわかに流れ始める。

日本の権勢が日に日に幅を利かせ、それでも屈することなく、美しい少女に成長していく徳恵翁主。
生前高宗が、娘の将来を案じ、許婚に決めた金章漢とも、仲睦まじい。
そんな徳恵翁主に、1925年、日本への留学が命じられる。
今度こそ断れず、13歳の徳恵翁主は、長年仕えている侍女・福順を伴い、海を渡る。

「学習院を卒業したら、帰国させる…。」 あの約束は、一体何だったのか…?!
徳恵翁主は、未だ日本に足止めされ、兄・李垠が日本人の妻・方子と暮らす東京の邸宅に身を寄せている。
ある日、そこを訪れた来客の中に、意外な人物が。
日本の軍服を身にまとったその将校は、久し振りに再会する金章漢であった。
あんなに高い志をもっていた金章漢が、今では日本軍に仕える将校。
失望を隠せない徳恵翁主であったが…。



韓国のホ・ジノ監督最新作を鑑賞。

この作品は、映画館でたまたま予告編を観るまで知らなかった。
日本も関係している歴史上の人物を扱っている点には興味を引かれたが、
作風がやや安っぽく感じられたので、これはわざわざ観なくても良いかしら…、なんて思っていたら、
最後に、“ホ・ジノ監督作品”と説明され、俄然観たくなった。

ホ・ジノ監督は、『八月のクリスマス』(1998年)、『春の日は過ぎゆく』(2001年)、『四月の雪』(2005年)といった
比較的初期の作品は好きだったけれど、小遣い稼ぎで撮ったとしか思えない中国エンタメ作品、
『きみに微笑む雨』(2009年)と『危険な関係』(2012年)で、少々幻滅。
もう充分稼いだでしょ!韓国に戻って、もっと“らしい”映画を撮れば?!と心の中で愚痴っていた。
そうしたら、ようやく、このように韓国映画を発表した訳だ。だったら観ようじゃないの!と映画館へ。




本作品は、ズバリ、大韓帝国皇帝・高宗の娘として生まれた徳恵翁主の波乱の生涯を描いた人生ドラマ

徳恵翁主(1912-1989)は、実在の人物。

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私、知りませんでした、徳恵翁主なる女性。
ただ、彼女の周囲の人は、ボチボチ知っている。
彼女の父親は、李氏朝鮮第26代国王にして、大韓帝国初代皇帝の高宗(1852-1919)。
高宗と言えば、ここ日本で有名なのは、
第7子・李垠(1897-1970)と、その妻・梨本宮方子/李方子(1901-1989)。
清朝のラストエンペラー溥儀の弟・愛新覺羅溥傑&浩夫妻の朝鮮半島版といった感じの政略結婚夫婦。
本作品の主人公は、その李垠の異母妹なのだと。
我々日本人がよく知っている李方子にとっては、義理の妹(夫の妹)に当たる。

日本がアジアに勢力を拡大する中、歴史に名を刻んだ人物といったら、
溥儀、溥傑、川島芳子(愛新覺羅顯㺭)といった清朝の皇族が、ここ日本では大変有名だが、
大韓帝国の皇族も、李垠のような男性のみならず、歴史に埋もれた女性もコマとなっていたわけだ。
彼らを、学習院や陸軍士官学校で学ばせ、日本人と政略結婚させるのは、
清朝の人でも大韓帝国の人でも同じ。


本作品は、ある程度知られている李垠と違い、
これまで語られることが無かった徳恵翁主を取り上げているのが、新しい。

徳恵翁主の生涯は、ザッと以下の通り。
1912年、高宗と、元女官の側室・梁貴人の間に生まれ、
1925年、13歳で日本に留学し、学習院に入学、
1931年、旧津島藩主・宗家の宗武志と政略結婚し、娘・正恵を出産するも、統合失調症を患い、
戦後、精神科の病院に入院し、宗武志との離婚が成立、母方の姓・梁を名乗るようになる。
当時の韓国は、王政復古を危惧していたため、徳恵翁主は、祖国から入国を拒絶される状態であったが、
韓国人新聞記者が、帰還運動に尽力し、1962年1月26日、ついに故郷への帰国を果たし、
1989年4月21日、死去。享年76歳。

映画は、このような史実をベースに、フィクションを盛り込んだエンターテイメント仕立て。
例えば、日本での生活を強要された徳恵翁主が、日本で地下活動をする同国民たちと独立運動をしたり、
その結果、激しい銃撃戦に巻き込まれるなどという展開は、明らかに映画ならではのフィクションと感じる。




日本絡みの作品なので、ロケ地も気になる。
実際、日本でも撮影は行われており、それは北九州とのこと。
北九州は、北九州フォルム・コミッションが、映画やドラマの撮影誘致に力を入れているようですね~。
今回、『ラスト・プリンセス』の中で、特に印象に残ったのが、李垠+李方子夫妻が暮らす東京の邸宅。

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“北九州、洋館”というヒントで、すぐに分かった。
辰野金吾設計で、1911年竣工、国の重要指定文化財にも指定されている旧松本邸。
現在は、西日本工業倶楽部が管理運営し、結婚披露宴などに使われているようだ。

では、ホンモノの李垠邸は、もう取り壊されてしまったのか?!というと、いえいえ、現存。
しかも、非常に身近な東京・赤坂に。
これまた、ぜんぜん知らなかった、赤坂プリンスの旧館が、李垠の東京の邸宅・李王家邸だったなんて…!
こちらは、赤プリのリノヴェーションと共に、“赤坂プリンス クラシックハウス”と名を変え、
北九州の旧松本邸と同じように、披露宴などの宴会場として使用されているようだ。
その赤坂プリンス クラシックハウスの公式サイトを見ると、
「1930年、この紀尾井町に国の要人であるご家族の邸宅が建てられます」という簡単な説明しかない。
その“国の要人であるご家族”が、朝鮮半島の李王家だったとはねぇ。へぇー、知らなかった。





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キャストを見てみましょう。主人公・徳恵翁主に扮しているのは、ソン・イェジン
過去に観た出演作で、良いと思ったのは、ホ・ジノ監督作品『四月の雪』だけ。
私は、可愛い系のアイドル女優っぽい人が苦手なので、彼女も好きなタイプの女優さんではない。
ソン・イェジンが出ているだけで、映画がテレビの2時間ドラマのような雰囲気に格下げされてしまう。
今回、この『ラスト・プリンセス』で見ても、当初、特別良いとは思わず、
なぜ彼女がキャスティングされたのだか理解できなかったのだが…

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残されている実際の徳恵翁主の写真を見ると、なんとなくソン・イェジンに通じる顔立ち。
ソックリではなくても、似た系統の顔である。

ソン・イェジンで意外にも良かったのが、晩年の徳恵翁主。
高齢にしては綺麗すぎる気もするけれど、その分、“老けメイク”のワザとらしさは無い。
何より、歩き方とか佇まいが、老婦人らしく、自然であった。
特に、韓国の空港の到着ロビーで、迎える大勢の人々を前に、立ち尽くすシーン。
30代半ばのソン・イェジンが、ちっちゃなおばあさんに見えた。
夢にまで見た懐かしい故郷に降りたつあの瞬間は、実際の写真も残されている。

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コートなどの衣装も、残された写真を参考にしていたのですね。




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他の主だった出演は、幼い頃に徳恵翁主と婚約し、後に独立運動に身を投じる金章漢にパク・ヘイル
徳恵翁主を長年に渡り支える侍女・福順にラ・ミラン
日本側に付き、反乱分子の封じ込めに奔走する韓澤秀にユン・ジェムン等。

この3人は架空の人物。
ただ、徳恵翁主に仕えていた侍女や、日本の犬と化し、暴走した朝鮮人は、実際にも居たであろう。
扮するラ・ミランとユン・ジェムンは、主役以上に印象に残ったものの、
ああいう大袈裟な演技は、韓流エンタメ作品向きではあっても、ホ・ジノ監督作品向きとは思えなかった。

金章漢は、子供時代に徳恵翁主の許婚となり、
その後、表向き日本の忠実な軍人を装いながら、裏で独立運動を遂行するも、失敗し、
死んだと思われていたら、実は生きていて、戦後新聞記者として、行方不明になっていた徳恵翁主を探し出し、
彼女の帰国を手助けする人物。
徳恵翁主の元許婚が新聞記者になったなどという史実は無いようだが、
彼女の帰国に尽力した新聞記者が居たのは事実みたい。
金章漢という男性は、その実在の記者をドラマティックに膨らました役なのであろう。




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日本ゆかりの人々は、大韓帝国皇帝・高宗の第7子、英親王・李垠にパク・スヨン
梨本宮の娘で、李垠の妃・李方子に戸田菜穂
そして、徳恵翁主と政略結婚する旧津島藩主・宗家の当主で伯爵の宗武志にキム・ジェウク

李垠と李方子が映像化されるのは、初めてではない。
私が観たのは、日本のテレビドラマ『虹を架ける王妃』。

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そのドラマでは、岡田准一と菅野美穂が、それぞれ李垠と李方子を演じている。
岡田准一は、小柄なところだけ李垠に似ていたけれど、顔は今どきのイケメン過ぎた。
その点、映画のパク・スヨンは、人の良さそうなポッチャリさんで、より実際の李垠に近い?
戸田菜穂は、決して李方子のソックリさんではない。
でも、内から自然に上品さが醸され、菅野美穂よりノーブルな役が無理なく合っていると感じた。


宗武志(1908-1985)に関しては、徳恵翁主を知らなかったくらいだから、その夫も当然知らなかった。

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ズングリした昔のニッポン男児ではなく、スッと線の細いモダンな二枚目という印象。
日本人役なのだから、日本人俳優をキャスティングすれば良かったのに、…と当初思ったけれど、
残された写真で見ると、キム・ジェウクは、実際の宗武志に、なかなか似ているのヨ。
しかも、このキム・ジェウク、父親の仕事の都合で、子供の頃、日本に住んだ経験があるらしく、
日本語が上手く、日本人役に違和感なし。






好みかどうかは別として、2時間をまったく飽きずに楽しませていただいた。
今まで知らなかった徳恵翁主という人物を、この作品を通し、知ったのは、一番の収穫。
日本ではあまり有名ではなくても、韓国では知られた悲劇のプリンセスなのかと思いきや、
ホ・ジノ監督自身、8年前に観たドキュメンタリー番組で初めて知ったという。
後の皇帝を産んだとか、何か余程の功績が無いと、例え皇族であっても、女性が歴史に名を残しにくいのは、
アジア全般に言えることかも知れないが、さらに徳恵翁主の場合、日本に身売りした売国奴、韓国の恥部、
…みたいな負のイメージがあって、韓国でも長年封印されてきたのだろうか?

楽しんだにも拘わらず、「好みかどうかは別として」と前置きしたのは、
本作品の作風が、私が求めるホ・ジノ監督テイストとは程遠かったため。
2時間の大河ドラマ、壮大な娯楽作品ではあっても、芸術性は、まったくと言って良いほど感じられなかった。
『危険な関係』の延長線上にある作風で、もはや『八月のクリスマス』の影は無い。
中国で撮った2作品を、“小遣い稼ぎ”と受け止めていた私だが、
韓国に戻って韓国映画を撮っても、この路線なら、
残念だけれど、ホ・ジノ監督は、もうこういう凡庸なエンタメ作品監督になったのだと理解するしかない。
同じ日本統治時代を描く韓国映画だったら、今年観たパク・チャヌク監督の『お嬢さん』の方が
個性や芸術性で、比較にならないほど勝っていた。

史実にフィクションを大胆に盛り込んだのも、実はあまり好みではない。
日本人を悪者にするなんて史実の歪曲だ!反日映画だ!などとネトウヨのような事を言っているのではない。
私が言いたいのは、徳恵翁主のような立場にいた女性の人生は、
一般庶民などとは比べ物にならないほど波乱に満ちていたはずだから、
“まんま”を描いただけで、充分ドラマティックで、しかもより説得力が出たはずだ、という事。
愛新覺羅溥傑と浩を描いた日本のドラマ『流転の王妃・最後の皇弟』を観た時も、
浩が女工と、身分を越えて友情を育むなどというリアリティの無い、ただの“イイ話”の部分が、
私には邪魔でしかなく、一番感動したのは、最後に映し出される実際の夫妻の写真であった。

でも、それは、あくまでも私の好みの問題。
とにかく、最後の最後まで飽きることのない2時間だったのは、確か。
最後、年老いた徳恵翁主が、一観光客として、懐かしい徳寿宮を訪れ、
立ち入り禁止の札を無視して、中和殿の玉座に近寄り、今は亡き両親を思い出すあのシーンは…

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かの『ラストエンペラー』(1987年)の、(↑)あまりにも有名なラストシーンへの
オマージュと受け止めて、良いのでしょうか?


あっ、あと、映画自体以上に、日本語字幕の固有名詞の表記が気になってしまった。
もはや漢字を使わなくなった韓国ではあるが、
ここ日本では、今でも、韓国の歴史上の人物や政治家などは、漢字で表記するのが通例。
“徳恵”のように漢字表記している人もいれば、そうでない人もいたり、
通常、漢字で記される李承晩(イ・スンマン)、朴正煕(パク・チョンヒ)といった韓国歴代大統領を
片仮名のみで表記するなど、なんの統一性も無く、めちゃくちゃ。
ただでさえ、キムだのパクだの似た名前が多くて混乱を招き易いのだから、
ちゃんと漢字を使って、スッキリ分かり易い日本語字幕にして欲しかった。
戦中の日本や日本人にちょっとでも批判的な表現があると、槍玉に挙げられる危険性がある昨今、
この映画を買い付け、配給したことに関しては、評価。

北京2016:三里屯

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久し振りに更新、2016年北京旅行備忘録。
今回は、チラリと立ち寄った三里屯(Sānlǐtún さんりとん)について少々。


三里屯は、以前は、多くのバーが立ち並び、
“バー・ストリート”と呼ばれる通り・三里屯路でよく知られたエリア。
なんでも、ある統計によると、一時期は、北京のバーの約60%もが、ここに集まっていたらしい。
その後、什刹海など、他の地域がバー・エリアとして急浮上してきたため、
三里屯は御株を奪われ、存在がやや希薄になりかけるが、
2008年、三里屯Villageができ、イメージ一新。

三里屯Villageは、店舗、オフィス、ホテルなどが集まる複合施設。
ここを開発し、全ての権益を有しているのは、香港系ディベロッパー太古地產(スワイヤー不動産)。
(正確には、清代から中国と交易をしているイギリスのスワイヤー家が執り仕切るイギリス系企業。)
この太古地產が、太古ブランドの強化を図り、
2013年、正式名称を三里屯Villageから“三里屯太古里(Taikoo Li Sanlitun)”に改名している。

その後、向かいに三里屯SOHOができるなど、周辺もどんどん開発され、以前とはかなり異なる様相。
昨今、日本人からは、“北京の代官山”、“北京の表参道”、“北京の六本木”などと称されることが多い。
私個人的には、代官山も表参道も六本木も、どうもシックリ当て嵌まらないと思っているのだが、
要は、“お洒落っぽい地域”、“洗練されたエリア”と言いたいのであろう。

私は、朝型な上、下戸なので、
バーエリアでしかなかった頃の三里屯は、一生行かなくても良いナイトスポットだと思っていたけれど、
最近は、たまに立ち寄る。
今回、私は、まだお店が開店しない午前中の早い時間に、三里屯太古里へ。

★ アクセス

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三里屯太古里へ行くのは簡単。



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まずは、地下鉄10号線・团结湖(団結湖)で下車し、A出口から地上へ。
地上に出ると、そこは、东三环北路(東三環北路)という大通り。

その大通りを、ほんのちょっとだけ南下すると…

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すぐに、工人体育场北路(工人体育場北路)という通りに当たるので、そこを右折。
あとは、この工人体育場北路を西にテクテク直進するだけ。
この辺りには、すでにバーやカフェがボチボチ有って、
お天気が良い夕暮れなどには、オープンテラスで水タバコをやっている西洋人の姿を多く見掛ける。


間も無くして、左手に見えてくるのは…

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三里屯SOHO。ここも、北京を舞台にした映画やドラマの中にしばしば登場します。
でも、今回、私が行くのは、ここではない。

★ 三里屯太古里:南区 Taikoo-Li South

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私が行くのは、三里屯SOHOの真向かい、右手に見えてくる三里屯太古里(Taikoo Li Sanlitun)の方。
モザイクのような建物は、日本のメディアにもたまに取り上げられているので、
北京へ行ったことが無い日本人でも、目にしていることでしょう。

三里屯太古里(旧称:三里屯Village)の設計は、
日本の隈研吾と香港の歐華爾顧問有限公司(The Oval Partnership)がマスタープランを担当。
大きく南区/北区という2区域から成り、
それぞれ、南区は“胡同”型、北区は“四合院”型と、北京伝統の様式を建物の配置などに応用。
各棟の設計は、隈研吾、松原弘典、LOT-EK、SHoP/Sharples Holden Pasquarelli、SAKOなど
日本、香港、アメリカの建築事務所が担当。



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工人体育場北路に面している南区で、
目立つ所にバーンと建っているのがアディダス、ユニクロ、アップルストア。

さらに、胡同風と言われているように、小さな店舗も迷路のように建ち並ぶ。
南区は、価格が比較的お手頃なカジュアルなお店が中心なので、日系のアパレルショップも多い。
(これら日系ブランドは、恐らく、香港随一のアパレル企業I.Tが、大陸で展開しているはず。
I.Tは、2011年、巨額の負債を抱えたNIGOのブランド、A BATHING APEを事業買収した企業。
香港へ行ったことがある人なら、そのI.Tが運営する“I.T”もしくは“i.t”というセレクトショップを
街角で一度は目にしていることでしょう。大陸では、香港の比にならない規模で、事業を展開。
宮あおいが三里屯で微笑んでいられるのも、香港I.T様のお陰。)

★ 三里屯太古里:北区 Taikoo-Li North

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南区から北区へ移動。
四合院をイメージした北区は、三方を囲むように建物が建っている。
北区の方から行くと、まず目に飛び込んでくるのは、
香港発のセレクトショップI.T(前からここに有りましたっけ?)
小文字の“i.t”ではなく、大文字の“I.T”の方は、ヨーロッパのブランドなど、高級ラインを扱うセレクトショップ。
この時は、ザディグ&ヴォルテールの大きなバッグ(中に通常サイズのバッグがいっぱい)が
お店の横に出現していた。

このITと限らず、北区は、高級店のエリア。中心はやはりヨーロッパの一流メゾン。
以前、日本のテレビで、「中国は偽物が多いから、中国人は皆、日本で買いたがる」などと
分かった口をきくコメンテーターを見たが、そんなの嘘。
北京には、日本にも入って来ていないヨーロッパの一流メゾンも進出しているし、
多くのブランドが、日本の物よりずっと立派な店舗を構えており、品揃えも豊富。
…ただ、日本と比べ、価格がずーーっと高い!!
私が、中国で、その手の物を購入しないのは、偽物を掴まされる事を恐れているからではなく、
日本で買った方が格段安いからであり、中国人が日本など海外で買い物したがる気持ちもよく分かる。


そんな訳で、私にとっての三里屯太古里北区はブラブラするだけの場所で、購入意欲はまったく無し。

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人影まばらな午前中のまだ早い時間、所々に置かれたパブリック・アートを見学。
画像左の赤いオブジェは見覚えがあるのだが、作者が出て来なくて、モヤモヤしている。
誰?!劉永剛かしら…??どなたか、正解を御存知の方、教えて下さい。
知ったからどうという事もないけれど、知ってスッキリしたい。

★ 瑜舍

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この三里屯太古里北区の片隅に建つのは、瑜舍 The Opposite House
隈研吾が設計した、有名なホテル。
私は、地下鉄駅からやや遠い事と、客室のお風呂が丸見えな事を理由に、ここに泊まったことが無いのだが、 
とても評判の良いホテルなので、興味のある方は是非お試しを。

★ 叶壹堂書店 Page One Bookstore

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そろそろ多くのお店が開店する10時なので、北区から、三里屯路沿いに南下。
三里屯に来た目的は、ここ、叶一堂书店 Page One Bookstore(叶壹堂書店)
中華圏に展開しているシンガポール系の書店で、北京には3軒あり、その内の一件がこの三里屯店。
よく行くのは、王府井か西単の大型書店だが、美術書ならこちらも良い。



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2フロアから成り、内部は、外から見た印象より広い。
太陽光が差し込む、明るく、落ち着いた店内で、雰囲気も本のセレクトもセンス良し。


結局、この日、お目当ての本を買えなかった私。
でも、この本屋さんには、本以外に、雑貨なども売られている。
洒落たカードや文具、お土産になりそうな中国テイストの雑貨もアリ。

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(↑)こちら、ワインの栓。
確か台湾のメーカーが作っている物で、
北京では、ここと限らず、798芸術区とか今日美術館などでも目にした記憶が。

ただ、私はお酒を飲まないので、ワイン栓は無用の長物。
そこで、同様に以前からしばしば目にしていた同じメーカーの(↓)こちらを購入。

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中国伝統の官帽や、清朝の格格の大拉翅をモチーフにしたシリコン製の栞。
今後、中国関連の本を読む際は、この栞を使用いたします。読書が楽しくなりそう。




◆◇◆ 叶一堂书店 Page One Bookstore (三里屯店) ◆◇◆
北京市 朝阳区 三里屯 三里屯路19号 三里屯太古里南区S2-14a-b

010-6417-6626

?-?
(私が行った時は、午前10時開店であったが、
三里屯太古里公式サイトの最新情報では、営業時間00:00-24:00となっている。事前に要確認!)

地下鉄10号線・团结湖(団結湖)駅 A出口から徒歩15分

サヴァラン2種(映画/テレビ雑記)

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許鞍華(アン・ホイ)監督最新作『明月幾時有~Our Time Will Come』が、
2017年7月1日の大陸に続き、6日香港、7日台湾と公開地域が広がってきて、
目にする作品情報も増えてきた。

映画『明月幾時有』については、当ブログでも、これまでにちょっとだけ触れたことがあるけれど、
改めて簡単に説明すると、1941年末、日本軍により陥落されてから1945年までの香港を舞台に、
抗日ゲリラ部隊の女隊長となった小学校教師“方姑”こと方蘭(1921-1988)を中心に、
人々が闘った史実をベースに描いた香港抗日史劇。

私が『明月幾時有』を観たい一番の理由は、これが許鞍華監督の最新作だから。
最後に日本で公開された許鞍華監督作品は『桃(タオ)さんのしあわせ』(2011年)で、
その次の『黄金時代』(2014年)はお蔵入りしてしまった(←少なくも、現時点では)。


『黄金時代』に続く新作『明月幾時有』は、キャスティングも気になる。

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主人公・方蘭を演じているのは、許鞍華監督作品初登板となる周迅(ジョウ・シュン)。
もう二人の主要登場人物も許鞍華監督作品お初の、彭于晏(エディ・ポン)と霍建華(ウォレス・フォ)。
これまでエンタメ色の強い作品ばかりに出演していた二人の台湾明星は、
許鞍華監督作品で、新たな一面を見せてくれているのでしょうか。

脇の俳優も、両岸三地からかなり豪華に取り揃えており、例えばこちら(↓)

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梁家輝(レオン・カーフェイ)from香港。ここまでの老け役、今までありましたっけ…?

さらに、日本からは、(↓)こんな人も。

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永瀬正敏も出ていたのですねー。彼が演じているのは、山口誠一大佐。
劇中、特に絡みが多いのは霍建華。

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永瀬正敏&霍建華の珍しいツーショット写真。
山口は、中国の古典文学をこよなく愛する軍人で、
日本の憲兵隊に潜伏し、秘密裏に情報収集を行う李錦榮(霍建華)と、
敵のような友のような複雑な関係を築くようだ。
先に全撮影を終えた霍建華は、それでも現場を離れず、永瀬正敏のクランクアップを待ち、
最後にスタッフらと共に、永瀬正敏が作品に参加してくれたことに拍手で感謝を表したのだと。

永瀬正敏が参加した中華系作品というと、真っ先に『KANO』(2014年)を思い浮かべるが、
私は、あれは、永瀬正敏の無駄遣いでしかなかったと思っているので、
こちらの『明月幾時有』で、お口直ししたい。
永瀬正敏にとっても、『KANO』より許鞍華監督作品の方が、比べ物にならないほどキャリアに箔が付くハズ。
(永瀬正敏本人は、“箔”など考えず、どんな作品でも、いつも誠心誠意演じているのだろうけれど。)
ただ、昨今の日本の風潮では、抗日関係だと、公開が厳しくなりそう…。
永瀬正敏出演!という売りで、
『桃さんのしあわせ』以来、久々に許鞍華監督作品日本公開という運びになれば嬉しいのだが。
あと、そう、日本からは、永瀬正敏以外にも、久石譲も音楽担当で参加しております。
(久石譲は、“宮崎駿御用作曲家”と紹介されていた。)




続いて、近々放送の要録画テレビ番組。

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明日、7月10日(月曜)、テレビ東京のお馴染み『未来世紀ジパング』が、
“驚き!中国の観光に異変~巨額マネーの行方 そのとき日本は!?”と題し、またまた中国特集。

昨今、“ディスカバー・チャイナ”とも呼ぶべき国内旅行熱が高まっていることで、
飽和状態になっている不動産投資から、リゾート開発に向かうチャイナ・マネー。
政府も、貧困対策の名目で、農村部のリゾート開発に乗り出すが、
その反面、生活の場を追われる少数民族の問題なども発生。
さらに、日本勢も、このチャンスに食い込もうと、参戦。
番組では、巨大リゾート開発に乗り出す日本企業にも密着。
一方、海外旅行も相変わらず人気で、国外に出る中国人旅行者が、年間1億3千万人を突破。
真ガキの大量発生に悩む北欧のある国では、首相自らがトップセールスに出向き、
中国人観光客を呼び込み、“カキ食べ放題ツアー”で問題を解消しようと画策、…というのが主な内容みたい。

中国でリゾート開発に乗り出す日本企業と聞き、パッと思い浮かんだのは、H.I.S。
赤字だったハウステンボスを再生させたH.I.Sの澤田秀雄が、
上海近郊に同じようなテーマパークを作ると話してるインタヴュを、ちょっと前にたまたま見たから。
“ハウステンボスin中国”ができるかも知れないことが、私は、どうも釈然としない。
私が中国で見たいものは、あくまでも“中国”であり、“なんちゃってヨーロッパ”の街並みなどではない。
ましてや、それが、日本企業の手による物なら、日本人の私は、なおの事シラケる。
中国でも、富裕層なら、“なんちゃってヨーロッパ”など見向きもせず、直接ホンモノのヨーロッパへ行くだろうが、
拡大しつつある中間層なら、この手のテーマパークに食い付くと、澤田秀雄氏は踏んでいるのだろうか。
(もっとも、今回の『未来世紀ジパング』で密着しているのがH.I.S澤田秀雄かは、現時点で不明。)

真ガキの大量発生問題解消案が、“カキ食べ放題ツアー”という北欧某国の発想は、想定外であった。
いくら14億近い人口を抱える中国でも、大量発生した真ガキを食べ尽くせるほどの人数が、
その北欧某国に押し寄せてくれるものなのだろうか。
北欧は物価が高いから、ガツガツ食べまくる層の人は、
そもそも北欧まで行く経済的余裕が無いのでは、…という気も。
まぁ、全ては、明日放送の『未来世紀ジパング』で。




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同日、同時刻に、もう一本、Eテレで放送の『グレーテルのかまど』も。
毎回、様々な人物やエピソードにちなんだスウィーツとそのレシピを紹介する番組。
レシピを学んで、自分で再現してみようと思ったことは一度も無いが、
取り上げるテーマによっては、30分弱のちょっとした教養バラエティー番組のような面白さがあり、
しばしば録画して観ている。
で、次回の放送では、“馳星周のマンゴープリン”と題し、
<不夜城>シリーズなどでお馴染みの作家・馳星周が愛してやまないマンゴープリンを紹介。

マンゴープリンといえば、香港スウィーツの代表格。
作家・馳星周は、今から30年前、中国返還前の香港で、
まだ日本では知られていなかったそのマンゴープリンと出会い、その後の人生を変えたという。
ちょっと、ちょっと、どんな人生なのでしょう、マンゴープリンに変えられてしまう人生って。
番組では、そのドラマティックな馴れ初めと魅力に迫るそう。

馳星周と香港は、少なからず関りが有り、
ペンネームの由来も香港繋がりだという事を、最近の若い子たちは知っているのでしょうか。
(そもそも馳星周を知っているのだろうか。)

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『少林サッカー』(2001年)などで知られる香港の監督兼俳優“周星馳(チャウ・シンチー)”の名を
逆さにして、“馳星周(はせ・せいしゅう)”というペンネームにしたのは、有名な話。

そんな訳で、今回の『グレーテルのかまど』のテーマも、
私は“周星馳(チャウ・シンチー)のマンゴープリン”と読み違え、
えっ、周星馳作品でマンゴープリンがフィーチャーされた物なんて有ったかしら?
周星馳作品で印象に残る食べ物なら、強いて言えば、『食神』の“尿牛丸(小便団子)”とか、
『少林サッカー』で太極拳しながら作る饅頭じゃなぁーい??と考えを巡らせてしまった。



最後は番外で、夏の新ドラマ。

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日本のドラマは、wowow以外は積極的に観ない私だけれど、
7月14日(金曜)にスタートするTBSの『ハロー張りネズミ』は、ちょっと気になっている。
原作は弘兼憲史の漫画で、過去に何度か映像化済み。
私は、原作漫画のファンどころか、その存在すら知らなかったし、
日本で映像化された作品も観たことが無いのだが…

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2005年、台湾の公共電視台が制作した“台湾版ハロー張りネズミ”『探偵物語~偵探物語』が好きなのです。
メガホンを取ったのは、『GF*BF』(2012年)などで知られる楊雅(ヤン・ヤーチェ)監督ら。
日本のコミックをドラマ化した一般的な台湾偶像劇は、少女漫画ちっくで、幼稚な物が多いけれど、
『探偵物語』は、そういう偶像劇とは一線を画した本格派。
台湾の土着感ムンムンで、台湾作品として確立しているので、原作を知らない私には、
それが、まさか日本にオリジナルをもつ作品とは、思えなかった。
じゃぁ、その漫画を本場日本でドラマ化したらどうなのるのか…?
監督は、『モテキ』(2011年)の大根仁とのことなので、台湾の楊雅超えは難しいという気もしなくもないが、
主演が瑛太なので、取り敢えず初回はチェック。

“台湾版ハロー張りネズミ”『探偵物語』は、当時、日本のテレビでは放送がかなり限定されていた上、
確かDVD化もポシャッたはずなので、この機会に、TBSが、深夜でも良いから放送してくれればいいのに…。
キャストも作風もとても良い。台湾偶像劇のファンより、台湾映画ファンにおススメしたい一本。



ドラマと言えば…
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7月8日(土曜)、BSジャパンで放送が開始された。
久し振りにBSに登場した中華ドラマが、あの低予算ドラマ『太子妃狂想曲』とは、
さすがはBSジャパン、攻めますよねー(笑)。
私は、すでに一度視聴済みなので、今回の放送開始をすっかり忘れていたのだが、
この週末、当ブログで、いきなり『太子妃狂想曲』関連の検索がドッと増えた事で、思い出した。
当時は無名でも、このドラマでいきなり頭角を現した勢いのある若手俳優が沢山出演しているので、
興味のある方は、BSという観易い環境で放送されているこの機会にどうぞ♪

日本でも公開が決まっている日中合作映画『空海 KU-KAI~妖貓傳』にも出演している
『太子妃狂想曲』主演女優・張天愛(チャン・ティエンアイ)については、
こちらの“大陸美女名鑑:張天愛”を参考に。




お菓子は、今回、洋モノ。おフランス菓子の定番、サヴァランを2ツいっちゃいます。

★ ル・フレザリア・パティスリー:サバラン・ロム・エラブル

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カップの大きさは、直径約6センチ、深さ約4センチ。
ラムを効かせたメープルのシロップを浸み込ませた生地に、
たっぷりのメープル・シャンティイを合わせたサヴァラン。




一つめは、ル・フレザリア・パティスリー(公式サイト)“サバラン・ロム・エラブル”

名前の通り、“rhum(ロム)=ラム”と“エラブル(ėrable)=メープル”を主に作られたシロップを
たっぷり浸み込ませているのが、このサヴァラン。
実際、お子ちゃま向けが多い日本のサヴァランにしては、ラム酒をしっかり効かせていると感じる。
メープルは、お砂糖とも蜂蜜とも違う、特有の柔らかな甘さで、
それでいて、ラムと混ざると、黒蜜にも似た濃厚なコクを感じる。

上にたっぷり盛られたクリームも、メープル風味。
このクリームだけでも、美味。

とても好きな味なんだけれど、一つ惜しいのが、生地。
煮込み過ぎたお麩のような食感。
それを、“このサヴァランの特徴”と捉える人も居るだろうが、
私は、もっと弾力のあるサヴァラン生地の方が好み。

★ パティスリー・ドゥネル:サバラン・オーフリュイ

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大きさは、直径約6センチ、高さ約4.5センチ。
生地の中央に生クリームを詰め、フルーツを盛ったサヴァラン。




もう一つは、パティスリー・ドゥネル(公式サイト)“サバラン・オーフリュイ”
こちらは、以前にも食べたことがある。
確か以前は簡単に“サバラン”と呼ばれていたように記憶している。
“オーフリュイ”とくっ付いたが、商品自体は以前の物と同じ。

名前に“fruit(フリュイ)”と付いている通り、フルーツが盛られているのが、このお店のサヴァランの特徴。
使われているフルーツは、時期によって多少変わってくる。
この時に盛られていたのは、りんご、パイン、苺、ぶどう、ブルーベリー、
そして、影にひっそりグレープフルーツも。

シロップの量は充分だが、アルコール分はあまり感じられない。
その代わり、果汁のような爽やかな酸味が感じられる。

生地は、お麩っぽいル・フレザレア・パティスリーの物とも違うけれど、このお店のも、どちらかと言うと軽め。
悪くはないが、私は、やはり、もっと目の詰まったシッカリした生地の方が好み。

北京2016:天津百餃園

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まだまだ終わりそうにありません、2016年の北京旅行備忘録…(汗)。

今回は、種類豊富な水餃子でお馴染みの有名店について。

★ 天津百餃園

チャンネル銀河でまたまた再放送中の『琅琊榜(ろうやぼう)麒麟の才子、風雲起こす~瑯琊榜』
皆さま、御覧になっていますか。
ドラマの中に登場する様々な食べ物の内…

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年越しのシーンに出てくる水餃子を思い出す視聴者も多いであろう。
(ちょっとしたスキに、お兄様方に完食され、飛流クンをガッカリさせた、あの水餃子。)



日本では、有りそうであまり無いのが水餃子。
存在しないわけではなく、メニューに入れているお店は有るし、おうちで手作りする人もいるであろう。
でも、本場・中国の水餃子は、種類がハンパじゃありません。

天津百饺园(天津百餃園)は、種類豊富な水餃子で有名な天津発のお店。
“百餃”と言うくらだから、百種類もあるのです。…ではなく、なんと全部で229種類!
メニューを見ながら数えたことが無いので、常時229種類が用意されているのか未確認だが、
とにかく種類がハンパないことは確かで、あのギネスにも、
“the most varieties of dumplings(餃子の種類世界一)”として登録されたらしい。

そんな天津百餃園は、北京にも2軒支店があるので、わざわざ天津まで足を運ばなくてもお試しできます。
私が今回行ったのは、毎度の西単店。
劉家窯のお店には行ったことがない。そちらは、どんな感じだろうか。

★ アクセス

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最寄りの駅は、地下鉄1号線/4号線・西单(西単)駅。
お店に一番近い出口は、4号線のJ1出口だが、
1号線を下車すると、その出口は多分見付けにくいので、E出口から地上に出れば良い。
(E出口から出た場合は、地上で道路を横断することになる。)

地上に出たら、大通り・宣武门内大街(宣武門内大街)を南下。
そして、右折して、新文化街という通りに入り、直進していると、間も無く、左手に…

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はい、天津百餃園が見えてくる。

★ オーダー

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店内はすでに賑わっていたが、小さなテーブルがひとつ空いていたため、
待たされることなく、グループの客より先に、席に案内された。



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席に着き、テーブルの片隅に目をやると、宝源餃子屋にあったのと、まったく同じ
黃曉明(ホアン・シャオミン)の写真入りブルーの爪楊枝入れを発見。(→参照
中国では、“餃子屋=黃曉明の爪楊枝入れ”なのだろうか…?

メニューは、写真入りで分かり易い。
他店と同じように、水餃子の価格は、重さ単位、“两(両 liăng=50グラム)”単位で記されている。
と言っても、正確に重さを計っているわけではなく、このお店では、どの餃子でも1両=5個という設定。

種類がいっぱあって、あれもこれも試したいのに、いかんせん食欲不振…。
普段は、食欲が無くても、困ることはないのだけれど(むしろ、おなかが空かない方が便利なことも多い)、
旅行中の食欲不振は哀しい…。“食”は、旅行の楽しみの一つなので…。
とにかく、悩みに悩んで、2種類オーダー。

★ 食前準備

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オーダーを終えたら、食べるための準備。
付けタレの他、白湯、蕎麦湯ならぬ“餃子湯”は、全てセルフ。
皆さん、数種類のタレを取っていく。
中でも、ニンニクを黒酢に漬けた中国北方定番のタレ、腊八蒜(臘八蒜)は人気。
私は、ニンニクがあまり得意ではないので、無難に黒酢と辣油。


席に戻り、テーブルの隅に置かれいる伝票が目に入り、偶然にも間違いを発見。
各1両ずつ2種類頼んだつもりが、各2両ずつ2種類と記されている。
えぇ~、20個も食べられなーい!仮に20個なら、4種類頼む。

オーダーをとった若い男の子が見当たらないので、
近くにいた安藤玉恵似の女性従業員を捕まえ、間違いを指摘。
そうしたら、「じゃぁ、今、厨房を見てくるから、ちょっと待っていて。
もしまだ作り始めていなかったら、1両にオーダーを変更、
もう作っちゃっていたら、2両のままという事でいい?」とタマエちゃん。
どうせ安い物なのだし、私もオトナなのだから、それで承諾すれば良いものを、
なぜか、「えぇぇー、以前なら1両で受けてくれたのに…」とボソッと口をついてしまった。
すると、タマエちゃん、「以前はそうだったの…?ちょっと待って」と厨房に消え、
しばらくして戻ってきたら、「大丈夫、1両にした」と。

わーい、バンザイ。
…が、よくよく考えてみると、オーダーの時にハッキリと量を言わなかった私に全面的に非アリ。
たまにしか中国へ行かないので、忘れてしまいがちだが、
この手のお店では、一種類の最低オーダーを2両からと設定している場合が多いのだ。
天津百餃園の場合は、1両からの少量オーダーを受けてはくれるけれど、
敢えて何も言わなければ、2両と思われて当然。
本当に申し訳ないことをした。猛省。
そして、イヤな顔ひとつせず、ワガママを聞いてくれたタマエちゃん、ありがとう。
皆さまも、オーダーの際には、気を付けて下さいませ。


ちなみに、このやり取りからも分かるように、
全ての餃子は、作り置きではなく、オーダーを受けてから作られる。

★ 皮皮蝦

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まずは、“皮皮虾(皮皮蝦)”。一両14.8元也。
皮皮蝦 Pípíxiāは、中国語でシャコのこと。“ぴーぴーしあー”って、可愛い響きですよね。

シャコが好きだから、これをオーダーしたのだが、想像していたのと違い、シャコがかなりミンチ状。
ここまで細かくミンチにしてしまうと、シャコ特有のプリッとした食感が楽しめない。
味は確かにシャコなのだけれど、食感が期待外れ。
これだったら、エビとセロリを合わせた“虾仁芹菜(蝦仁芹菜)”の方が好み。

★ 猪肉尖椒

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もうひとつの方は、“猪肉尖椒”。1両8.8元也。
2年前のブログを見たら、8.2元と記してあるので、僅かに値上げしたようだ。

こちらの餡は、ぶた肉に青唐辛子を混ぜ込んだ物。
刻んだ唐辛子が、シャキシャキの食感で、かなりたっぷり混ぜ込まれているが、
口から火が出るような辛さはなく、ピリ辛程度。
ぶた肉の脂っぽさと唐辛子が絶妙の調和。食感も良いし、これ、お気に入り。





ごちそうさま!
あちらの水餃子は、中の具材が何であれ、手作りのムチッとした食感の皮が美味しい。
帰り際に、「小姐、また来てね」とタマエちゃん。
行く、行く。今回は、オーダーで面倒をかけ、本当に悪いことをした。次回は気を付けなければ。


◆◇◆ 天津百饺园 Tianjin Hundred Dumplings Park ◆◇◆
北京市 西城 区 新文化街甲 12号

LINCH 11:00~14:30/DINNER 15:00~21:30

地下鉄1号線/4号線・西单(西単)駅、J1出口から徒歩8分程度

北京にはもう一軒、地下鉄5号線・刘家窑(劉家窯)駅近くに方庄(方莊)店という支店あり

夏のフルーツ大福2種(+祝・方大同御生誕記念日!)

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本日、7月14日は、方大同(カリル・フォン)、御生誕記念日。
草食系で、あまりガツガツ生きている感じがしなせいか、年齢を把握しにくい大同クンであるが、
今日で34歳になりました。


昨年、自身の音楽レーベル・賦音樂 FU MUSICを立ち上げてから初のアルバム<JTW 西遊記>を発表し、
2017年の今年、第28回金曲獎 Golden Melody Awardsで、
最佳國語男歌手獎(最優秀中国語男性シンガー賞)に6度目のノミネート。

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6月24日に行われた授賞式では、“6度目の正直”で、ついにその賞を獲得し、
歌王の座に君臨したことは、こちらに記した通り。

元々旅行好きな大同クンであるが、近年の旅はいつも仕事絡み、
この5年は休みが無く、一週間7日間音楽づくりに明け暮れていたと、最近のインタヴュで語っております。
金馬獎受賞で、多忙な日々も報われましたよね。
あの日から約3週間、今年のお誕生日は格別であろう。



そう言えば、2年前、2015年のお誕生日の際、
常々、日本語版wikiに使われている方大同の写真に絶句してた私は、
「誰かあの写真を変えてくれ…」といった旨、当ブログでポツリと呟いたのだが、
今日、久々に改めてwikiを確認したら…

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いつの間にか写真が変えられていたのですねー。
wikiの写真って、誰が編集しているの?
例の写真は方大同を日本でプロモートしていく上で、不利にはなっても得にはならない…、
と危惧していたファンが、私以外にも居たのでしょうか(笑)。
ま、今となっては、カラーレンズの眼鏡をかけたあの怪しげなソウルボーイの写真も懐かしかったりして。
ちなみに、最近の大同クンは、昭和の教師or公務員風の眼鏡がお気に入りと見受けます。

ついでなので、日本版wikiについて、もう一つ言っておくと、
プロフィール欄でレーベルの所が未だに“ワーナーミュージック”のままになっているのは間違いなのだが、
これも、その内、どなたかが、訂正してくださるのでしょうか。



最後に何か一曲。
せっかくなので、アルバム<JTW 西遊記>からの曲。
お誕生日なので、失恋ソングなどは避け、
さらに、当ブログに一度も使ったことが無い曲ということで、<很不低調 HBDD>を。


レトロなオフィスミュージカル風なMVを撮ったのは、
方大同とのコラボも多い日本人監督・佐山重人によるものです。



では、改めて、方大同様、34回目のお誕生日おめでとうございます!
あと、もうずーーーっと言い続けておりますが、方大同東京公演開催熱烈希望。
他の人との抱き合わせではなく、絶対に単独公演…!
夢のまた夢だろうけれど、その内、万が一叶うかも知れないので、毎年お誕生日には叫ばせていただきます。




お菓子は、お誕生日でもケーキではなく、
厳格なベジタリアンの大同クンでも食べられそうな、フルーツを使った和の甘味・大福。
“大福”って、名前からして、おめでたいから、案外お誕生日向き。

★ 赤坂青野:れもん大福

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大きさは、直径約4.5センチ。
レモン餡をお餅で包んだ大福。



ひとつめは、赤坂青野(公式サイト)“れもん大福”
信玄餅風の風呂敷包みきな粉餅の元祖・“赤坂もち”で有名な赤坂青野。
普通の大福や、赤坂大福なる物は食べたことがあるけれど、こらは初めて。
レモンを使った大福は、5月限定で売られていた笹屋伊織の“檸檬大福”なら食べた。
青野の物はどうでしょう。

笹屋伊織の檸檬大福は、レモン果汁を練り込んだ白餡と共にレモン果肉を包んだ大福であった。
赤坂青野のれもん大福には、果肉はそのまま入っていない。
中のレモン餡は、やはり白餡をベースに、レモンを練り込んだ餡。
画像では分かりにくいが、さらに、所々に細かく刻んだレモンピールも入っている。
色は、黄色味が強いので、何も知らずに見せられたら、黄身餡だと思うであろう。
ところが、口にすると、甘い黄身餡とはぜんぜん違い、レモンの味がシッカリ利いた酸味のある餡。
練り込まれたレモンピールは、味も香りも良いし、
歯応えがあるので、ちょっとした食感のアクセントにもなっている。

見た目だけだと、のっぺり面白みのない大福に感じられたのだが、
ちゃんとレモンが生かされた爽やかな大福で、美味。

★ 聖和堂:ピオーネ大福

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大きさは、直径約5センチ。
丸々一粒のピオーネを、白餡と共に、お餅で包んだ季節のフルーツ大福。



もう一つは、聖和堂(公式サイト)“ピオーネ大福”
聖和堂は、季節ごとに様々なフルーツ大福を販売している岡山の和菓子屋さん。
別に“大福屋”という訳ではない。他の和菓子もあるが、私が食べたのは、フルーツ大福ばかり。

で、今回は、ピオーネを使った物。
聖和堂の葡萄を使った大福では、高級マスカット・桃太郎を包んだ“桃太郎葡萄大福”が気に入り、
その後も何度か食べた。ピオーネ大福は、初めてである。

基本的には、桃太郎葡萄大福と同じで、
大きなピオーネが皮付きのまま、白餡と共に、一個丸ごとゴロンと入っている。
皮付きだから、噛むとプチッと弾け、中から果汁がジュワー。
果肉は、ぐにょぐにょしておらず、身がしっかり締まっている。それに、種なしだから、食べ易い。


サッパリしたマスカット系も良いけれど、巨峰系のコクのある甘さも、白餡に合う。

北京2016:孔廟+國子監①~孔廟(前編)

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以前、何の予習もせずに行き、“見所”を見逃してしまったため、
ずっと再訪したいと思っていた孔庙(孔廟)国子监(國子監)へ。


この2ツの施設は、「左庙右学(左に廟、右に学)」という中国伝統の建築規定にのっとり、並んで建っている。
(前をはしる通り・国子监街(國子監街)の側から見ると、向かって右が孔廟、左が國子監となる。)

私は孔廟だけでいい!もしくは、国子監だけでいい!という人も居るだろうけれど、入場チケットは共通。
チケット売り場、及び入り口は、孔廟の方にのみ有り、2ツの施設は中で繋がり、国子監側が出口になっている。
なので、時間に余裕のある人は、両方とも見学すると良いでしょう。

★ アクセス

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最寄り駅は、地下鉄2/5号線の雍和宫(雍和宮)駅。
駅名からも分かるように、北京最大のチベット仏教寺院・雍和宮の最寄り駅である。
地下鉄駅D出口から地上に出たら、目の前を通るメインストリート雍和宫大街(雍和宮大街)を南下。



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雍和宮大街は仏具屋さんストリート。
仏具や参拝グッズを売る小さなお店が、道の両脇に並ぶ。寝そべって、細密に曼荼羅を描く人も。



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祭祀の時などに焚く金銀の色紙で折られた元宝もゴッソリ袋詰めで売られております。
(“元宝”は中国の昔のお金。時代劇の中などでも見掛けますよね。)




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駅から雍和宮大街を5分も歩くと、右手に“成賢街”と記された牌楼が見えてくるので、
その道・国子监街(國子監街)を右折。あとは、ただただ直進するだけ。
(国子監街を曲がらず、雍和宮大街を南下し続けると、左手に雍和宮が見えてくる。)

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國子監街は、交通量が少なく、緑が生い茂る気持ちの良い小道。

★ 孔廟

前述の通り、孔廟と国子監がセットだが、
先に見学することになる孔廟について、まず簡単に説明。

“孔庙(孔廟)”とは、アジア各地に見られる孔子を祀った廟で、日本では一般的に“孔子廟”と呼ばれている。




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北京の孔廟は、元の初代皇帝・忽必烈(フビライ/クビライ 1215-1294)が、大都(北京)を都と定めた後、
思想統治を強化し、当時被支配民族だった漢人の封建貴族や士大夫を懐柔するため、
孔子を祀る廟の建設を命じ、元大6年(1302年)に創建されたと言われる。 
以後、元、明、清と3王朝に渡り、孔子を祀り続けた廟。
今、たまたま胡軍(フー・ジュン)が忽必烈を演じているドラマ『フビライ・ハン~忽必烈傳奇』を観ているため、
遠い昔の蒙古の可汗(ハン)だと思っていた人物が、北京の孔廟で繋がることに、不思議な感覚を覚える。




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そんな北京の孔廟、広さは、約2200平米。
これは、孔子の故郷・山東省曲阜に建つ、世界遺産にも登録されている中国一大きな孔廟に継ぎ、
2番目の規模とのこと。
その山東省曲阜文廟、南京夫子廟、吉林孔廟と共に、“中国四大文廟”の一つに数えられている。



また、映画ファンの注目ポイントとして、ここは…

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陳凱歌(チェン・カイコー)監督の名作、かの『さらば、わが愛/覇王別姫』(1993年)のロケ地でもある。
孔廟が登場するのは、映画のクライマックス、文化大革命のシーン。
批判集会で吊し上げにあった張豐毅(チャン・フォンイー)扮する段小樓が、保身のため、
張國榮(レスリー・チャン扮する程蝶衣と、鞏俐(コン・リー)扮する菊仙に対し、酷い言葉を吐くあのシーンが、
実は北京の孔廟で、撮影が行われたのは、1992年の夏とのこと。

★ 下馬碑

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孔廟見学は、孔廟に入る前に、実はすでに始まってる。
最初に見ておくべきは、孔廟の左右両側にある、清代に建てられた“下馬碑”
これは、孔子を皇帝と並ぶ偉大な人物と見做し、敬う意味で、
どんなに位の高いお役人などでも、この場所で馬から下りなさい!と指示を出している碑。
偉そうに馬で、孔廟の正門に乗り付けたりしたら、無礼なワケです。
こういう風習は、大陸に留まらず、台湾、韓国、ベトナム等々各地に広まり、
日本でも“下馬碑(げばひ)”と呼ばれ、今でも残っている所があるようだ。




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北京孔廟の下馬碑は、「官員人等至此下馬」を意味する文が、
満、漢、蒙、回、藏、托忒という6種類の言語で記されているのが、多民族国家ならでは。
(残念ながら、この画像だと、文字が読み取れない。)


実は、私、駅から孔廟に向かう途中、道の両脇を気にしていたにも拘わらず、
その下馬碑を見付けられないまま、孔廟に到着。
あまりにも気になったので、入り口にいた係り員に、「下馬碑はどこ?」と尋ねたら、
内一人の女性が、「私について来て」と、下馬碑まで連れて行ってくれた上、解説までしてくれた。

なぜ、私は見落としてしまったのだろう…?
北京孔廟の下馬碑は、孔廟の正門から左右約20メートルの場所に建っている。
孔廟に向かって、国子監街を歩いていれば、誰でも右側に見付けられるはず。

★ 先師門

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話は前後してしまったが、入場チケットを購入。大人一人30元也。
入り口になっているのは、孔廟の正門である先师门(先師門)
入母屋造りの門である。





孔廟の本格的な見学は、ここから。
北京2016:孔廟+國子監②~孔廟(後編)に続く。



◆◇◆ 北京孔庙 Beijing Temple of Confucius ◆◇◆
东城区 国子监街 13号

8:30~17:00(冬季 11月~4月) 8:30~18:00( 夏季 5月~10月)
   入場は閉門の30分前まで

30元

地下鉄2/5号線の雍和宫(雍和宮)駅下車 D出口から徒歩10~15分

北京2016:孔廟+國子監②~孔廟(後編)

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前編では、正門である先師門を入ったところまで。
孔廟見学は、そこからが本番。では、早速先へ進みます。

★ 大成門

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故宮など、北京の他の伝統建造物と同じで、孔廟の敷地も南北に広がり、
中軸線上に重要な建物が配置されている。
孔廟の正門・先師門をくぐり、まず目にするのは、寄棟造りの大成门(大成門)



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ここでは、10基の石鼓を見ることができる。
“石鼓”は、字からも想像できるように、太鼓のような形をした石。
オリジナルは、唐初期に出土された秦代の物。
狩猟の様子を描写した詩が刻まれた石鼓で、それは、現存する中国最古の石刻文字とされている。
ここにあるのは、そのレプリカ。“レプリカ”などと聞くと、安っぽく感じてしまうが、
清の乾隆帝が作らせた、充分有り難いレプリカである。

★ 硯水湖

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大成門を抜けると現れる中心院落で見ておきたいのが、御堂の西側にある砚水湖(硯水湖)
科挙の受験生が、孔子を参拝した後、この井戸の聖水を飲んだり、
この聖水で墨を磨ったら、字がスラスラ書けたという言い伝えがあり、乾隆帝により“硯水湖”と命名。
現在、井戸は閉じられ、聖水を汲むことは不可。

★ 大成殿

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大成門の先にドーンと建っている大成殿は、孔廟の祭祀主殿。
孔子の位牌が安置されており、歴代皇帝が孔子を祀る祭祀を執り行った重要な場所。



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内部中央には、孔子の位牌を収める厨子。
その両脇の楠の柱には、乾隆帝の御筆による「齊家治國平天下,信斯言也,布在方策」、
「率性修道致中和,得其門者,辟之宮牆」という對聯。


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その孔子の位牌の両側には、顏回、孔伋、曾參、孟軻の位牌。
さらに、東西両側には、その他の孔門“十二哲”の位牌がズラーッと並ぶ。



上方に目をやると、清の康熙帝から宣統帝まで9名の皇帝による、
孔子を称賛する4文字の題匾が掲げられている。
康熙帝御筆による「萬世師表」という題匾だけ、建物の外、正面に堂々と(「大成殿」という扁額の真下)。

前編で記した通り、この孔廟では、陳凱歌(チェン・カイコー)監督の名作、
『さらば、わが愛/覇王別姫』(1993年)の文革のシーンの撮影が行われたのだが…

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確かに、作品の中で、建物の題匾に「萬世師表」の文字は読み取れ、
そこが孔廟内の大成殿であることが確認できる。(→画像右。画像左の方は、私が現地で撮った物。)

但し、これは、時代考証の面では誤り。
実際には、清朝滅亡後、封建時代の遺物である皇帝たちの題匾は、北洋政府によって全て撤去され、
その後、代わりに、当時、中華民国大統領に君臨していた黎元洪(1864-1928)の書「道洽大同」が掛けられ、
元に戻されたのは1983年。
『覇王別姫』で描かれる文革真っ只中の時には、康熙帝の題匾は、ここに掲げられているハズが無いのです。
(黎元洪による「道洽大同」の額は、現在、殿内に移され、孔子の位牌の真上に掲げられている。
それはそれで図々しいようにも思うが、清朝と中華民国の要人による題匾が一緒くたに掲げられているなんて、
この大成殿に、中国の波乱の近代史がギューッと凝縮されているようで、面白いとも言えるでしょうか。)



殿内に掲げられている他の8皇帝も、即位の順に題匾を見ておくと…

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雍正帝「生民未有」、乾隆帝「與天地參」、嘉慶帝「聖集大成」、道光帝「聖協時中」、咸豐帝「齊幬載」、
同治帝「聖神天縱」、光緒帝「斯文在茲」、宣統帝「中和位育」といった感じ。
高尚すぎて、意味は分からないが(笑)、歴代皇帝は皆さま達筆だということは分かる。
力強く、明確な、乾隆帝の字が、一番好きかも。クセが強いのは、道光帝と咸豐帝だろうか。



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殿内には、他にも、楽器、礼器、祭器等の展示もあり。
これらは、清朝・康熙/雍正/乾隆年間の物。

★ 触奸柏/辨奸柏

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大成殿を去る前に、もうひとつ見ておきたいのが、
殿の前方右に植えられた、“触奸柏”、もしくは“辨奸柏”と呼ばれる、樹齢7百年以上の柏の古樹。
元代、国子監の祭酒(校長)を務めた許衡(1209-1281)が植えたとされる。

“触奸柏”という名は、悪の限りを尽くした明代の奸臣・嚴嵩(1480-1567)が、この柏の横を通った時、
風で枝が揺れ、嚴嵩の烏帽子を吹き飛ばしたというエピソードに由来し、
この柏の木は忠奸を見分けられると言い伝えられている。


嚴嵩って、誰ヨ?!という、そこのアナタ様、

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嚴嵩は、大陸ドラマ『四人の義賊 一枝梅(イージーメイ)~怪俠一枝梅』で、一番の悪役として登場する
立民(ドン・リーミン)扮する奸臣です。
(ドラマの日本語字幕では、“イェン・ソン”という片仮名表記にしているため、非常に分かりにくい。)

★ 崇聖祠

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続いて訪れるのは、敷地内最北に位置する崇圣祠(崇聖祠)
明・嘉靖9年(1530年)に創建された、孔子五代を祀る廟で、独立した四合院造りになっている。

現在、ここでは、<大成礼乐(大成禮樂)>という約15分程度の伝統パフォーマンスが、
日に何度か行われている。
私は、効率よく見学するため、午前10時スタートの初回で鑑賞しようと、現地へ行ったら、
客は、私と、アメリカ人男性を伴った中国人女性の計3人だけ。
開始時間になっても始まらない事を不思議に思っていたら、
な、な、なんと、“客が少ない”という理由で、勝手に公演がキャンセルされていた(苦笑)。
私は「外国って、そんなものよね…」とアッサリ諦めたが、中国人女性の怒りは収まらず、
呑気に休憩している演者たちに詰め寄るも、それで事態が変わることは無かった。
(まぁ、私も、日本で外国人ゲストを連れている時に、同じ事が起きたら、同様に激怒するであろう。)


仕方なく、予定を変更し、11時に戻ったら、今度はお客さんで賑わっており、無事、公演スタート。

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孔廟見学者は、別料金を払うことなく鑑賞できるので、皆さまも、お時間の都合が合えば、どうぞ。


<大成礼乐(大成禮樂)>公演スケジュール(4月-10月)
10:00 / 11:00 / 14:00 / 15:00 / 16:00 
冬季のスケジュールは不明。事前に確認を。

★ 乾隆石経

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パフォーマンスを鑑賞し終え、崇聖祠を出たら、そのすぐ西側に位置する建物へ。
ここで見られるのは、“乾隆石经(乾隆石経)”。別名“十三经刻石(十三経刻石)”。

“十三経”とは、<周易>、<尚書>、<詩經>、<周禮>、<儀禮>、<禮記>、<左傳>、<公羊傳>、
<穀梁傳>、<論語>、<爾雅>、<孝經>、<孟子>という儒家が重視する13の経典。

全部で約63万字にもなるそれら十三経を、
江蘇出身の貢生(=科挙に合格した国子監の学生)で、清代の著名な書家でもある蔣衡(1672-1743)が、
雍正4年(1726年)から乾隆2年(1737年)まで12年もの歳月を費やし、楷書体で書き上げ、
さらに、乾隆帝の命で、乾隆56年(1971年)から乾隆59年(1794年)まで3年かけ、石に彫らせた
全189体もの石碑が、この乾隆石経。

つまり、言うなれば、乾隆石経は、世界で最も大きく、最も重い教科書。
完成した現物は、国子監の六堂前に置かれ、先生や学生たちが、研究討論するのに使用し、
全国各地には、これらの拓本を配布したらしい。
(拓本という事は、地方の学生たちは、逆さになった字でお勉強をしていたのだろうか。)


私が以前訪れた時、ここは、ガランと大きな倉庫のような、体育館のような殺風景な建物であったが、
御無沙汰している間に、リニューアルされ、入り口に「乾隆石經」という扁額まで掛けられた。
この扁額は、中国籍作家とした初のノーベル文学賞を受賞した莫言(ばく・げん/モウ・イエン)の書。
2012年、莫言がノーベル賞を受賞した後、2013年から掲げられたものの、これが物議を醸すことに。
…と言うのも、その扁額が左から右に「乾隆石經」と書かれていたから。
伝統的建築では、本来、右から左に「經石隆乾」と書くべきだろう!という御批判多数。
一方、現代ではそこまで左右にこだわる必要は無いとの意見もあったので、そのまま放置かと思いきや…

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いつの間にか、伝統に則した右から左の「經石隆乾」に替えられていた。


中に入ります。

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行けども行けども続く石の本たち。建物と言うより、ここは圧巻の“書棚”。

この書棚(?)は、入ってすぐの所に、(↓)こんな物もある。

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“康熙御书大学碑(康熙御書大學碑)”
“<大学>”とは、元々<礼記>の中の一篇で、
<中庸>、<論語>、<孟子>と合わせ、儒教四書の一つに数えられる経書。
この石碑は、康熙帝の御筆によるもので、元は国子監の彝倫堂に置かれてあったのを、ここに運んだらしい。
内容は、修身斉家に始まり、治国平天下の道理までを説いているとのこと。

★ 進士碑林

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この孔廟には、乾隆石経に、もうひとつ有名な石碑群がある。
孔廟の入り口・先師門の方まで戻り、その石碑群“进士碑林(進士碑林)”を、最後に見学。

“進士碑林”、もしくは、“進士題名碑”は、その名の通り、
元・明・清、3朝に渡る進士(科挙試験登第者)51624人の名前、出身地、順位を刻んだ石碑。
簡単に言うと、石に刻まれた“合格者リスト”。
石碑は全部で198体。内、元代は3体、明代は77体、清代は118体。
ここに名を刻まれることは、エリート中のエリートの証で、大変な名誉だったのでしょうねぇ~。

中には、前述の奸臣・嚴嵩(1480-1567)の名や、
もっと新しいところでは、日本でも有名な李鴻章(1823-1901)の名も刻まれているようだが、見付けられなかった。

中国の皆々さまが、こぞって撮影していたのは、最後の石碑。

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清朝道光年間あたりから、科挙制度は衰退し、ついに光緒30年(1904年)が最後の実施となる。
その頃、政府にはすでに経済的余裕が無かったため、登第者たち自らが資金を集め、立てた石碑がソレ。
その最後の石碑の中で、一番有名なのが、
新中国成立後、全国人民代表大会で副委員長を務めた沈鈞儒(1875-1963)。

★ オマケ

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オマケでおトイレ情報。
どこの国でも、観光地のおトイレに行くのは、イヤなものです。
私は、勇気を振り絞り、試しに崇聖祠と乾隆石碑の間にある女子トイレに行ってみた。
結果を言うと、人の少ない午前中ということもあり、清潔であった。
洗面ボールに青花瓷を使っているのは、北京の観光地のおトイレでボチボチ見る。
中国らしい情緒が感じられ、良いです。




北京2016:孔廟+國子監③~國子監に続く。
孔廟見学を終えたら、次は国子監の方へ移動いたします。



◆◇◆ 北京孔庙 Beijing Temple of Confucius ◆◇◆
东城区 国子监街 13号

8:30~17:00(冬季 11月~4月) / 8:30~18:00( 夏季 5月~10月)
   入場は閉門の30分前まで

30元

地下鉄2/5号線の雍和宫(雍和宮)駅下車 D出口から徒歩10~15分

香港映画『十年』伍嘉良監督+蔡廉明P公開初日Q&A

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香港オムニバス映画『十年』が日本公開。

2016年、第11回大阪アジアン映画祭で上映され、好評を博したものの、
地味な作品なので、一般公開はあまり期待していなかった。
ところが、嬉しい誤算で、案外早々に公開が決定。

しかも、公開初日には、5人の監督の内の一人、伍嘉良(ン・ガーリョン)監督と、
プロデューサー蔡廉明(アンドリュー・チョイ)が来日し、Q&Aを行うという。

去年の大阪アジアン映画祭では、このお二方に加え、
黃飛鵬(ウォン・フェイパン)監督、歐文傑(ジェヴォンズ・アウ)監督という計4名が登壇しているが、
どうせ公開されないと思っていた作品を、Q&A付きで観られるのだから、2人の登壇でも充分嬉しい。
本当は、もっと先になってから観るつもりだったのだけれど、予定を変更して、初日に行くことにした。


ちなみに、『十年』は、5話から成るオムニバス映画で、
今回登壇の伍嘉良は、第5話『地元産の卵~本地蛋 Local Egg』を担当した監督さん。

★ 会場

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会場は、キャパ84席のミニシアター、新宿K's cinema。
Q&Aが付くのは、公開初日の初回、午後12時20分の回。
席を確保するため、私はチケット窓口が開く午前10時10分より5分早い10時5分に現地に到着。

そうしたら、階段に並び、3階のチケット窓口が開くのを待つ人の列が、すでに一階までのびていた…。
K's cinemaがこんなに混んでいるには珍しい。
「地味な小品だから…」と見縊っておりました。
そう、香港映画には、根強い固定ファンがいるのだ。もっと早く来るべきだったと後悔。

列の後方にくっ付いてる私にまでチケットが残っているのかしらとドキドキもしたが、
あっさり30番台の整理券を入手して、ホッ…!



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初日プレゼントで、香港風情漂う素敵なポストカードもいただきました。

結局、その後、その回は満席となったが、84席中の30番台なので、開場時、比較的自由に席を選べた。
今回はQ&Aが有るので、真ん中よりやや前方を選択。
映画鑑賞だけなら、本来私は最後列希望だけれど、
K's cinemaは、改装後の新宿武蔵野館に比べ、構造が良いので(←少なくとも私個人はそう感じる)、
どこの席でも、割りと映画鑑賞し易い。

★ 映画『十年』 蔡廉明P+伍嘉良監督Q&A

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映画が終了したのは、午後2時5分。
その後、5分程度の準備で、すぐにイベント開始。多くはないが、メディアの取材も入っていた。
あと、蔡廉明Pのお子さんだろうか。
舞台袖附近で、「ダディー!」と声を上げる可愛らしい小さな子供が2人いた。

画像は、向かって左が蔡廉明P、(通訳を真ん中にはさみ)右が伍嘉良監督。
監督もプロデューサーも若いので、真ん中に陣取る通訳者が一番偉く見えなくもない…。

なので、監督お一人の写真を今一度(↓)こちらに。

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イベント開始時に照明を明るくしてくれたので、今回撮った写真は、珍しくピントが合っている。
(他の舞台挨拶でも、これくらい明るくしてくれれば良いのに…。
その方が、より鮮明な写真がSNS上で流れ、配給会社とか主催者にとっても、利があるような…。)


作品については、また後日として、
ここには約30分のQ&Aから、印象に残った部分を、備忘録程度にザッと残しておく。




質問
蔡廉明Pと伍嘉良監督で、どのような役割り分担だったのですか。

蔡廉明P
この企画を起こしたのは、我々二人です。二人で揃って、他の4人の監督を選びました。

伍嘉良監督
その後、他の監督らと話し合うのは、私の担当でした。
彼らの考えを聞き、それらをどうまとめるか考えました。




質問
(普通話に押され、広東語が薄れていく様子を描いた第3話『方言~Dialect』に絡め…)
香港でも、繁体字ではなく、簡体字を使えというような要請はあるのですか?

伍嘉良監督
そのような要請は、今現在中央政府からは来ていません。
ただ、以前は学校で“国語”といえば広東語でしたが、それが徐々に普通話(北京語)になりつつはあります。
歐文傑(ジェヴォンズ・アウ)監督は、このままでは広東語が無くなってしまうという危惧から、
あの第3話『方言』を撮りました。
香港ではありませんが、映画の中で描かれているのと同じように、
普通話のテストに受からないと、空港などでタクシーが営業できなくなっている場所は有るので、
いつか香港もそうなるかもという危機感はあります。




質問
この『十年』は、香港の電影金像獎で賞を獲ったにも拘わらず、
その後、監督たちに活躍の場が無いと聞きましたが、どうなのでしょう。

蔡廉明P
『十年』は、香港で2015年に8週間上映され、満席も続いていましたが、
その後、どういう訳か、公開が終わりました。
それから、関係者は中国側へは入っていません。
来るなとは言われていませんが、行かない方が良いかも知れないと思い、行っていないんです。

伍嘉良監督
新作でプロデューサーをやらないかといったオファーは色々有ります。
でも、私が『十年』の監督だと分かると、「今回は…」と体よく断ってきた人もいます。
ただ、それは悪い事だと思っていません。最初の時点で、相手の考えが分かるからです。
企画が動いてから、問題になるより、良いと思います。




質問
物語の設定を2025年にした理由は。

蔡廉明P
時間設定をいつにするかは、考えました。
2025年にしたのは、今生まれたばかりの子でも、もうすでに大人の人でも、
誰しもが、十年後なら、そこに関わっている可能性が高いからです。
さらに、現実的な事を言うと、予算の都合もあります。
例えば、50年後を描くとすると、大掛かりになり、我々の予算では足りません。




質問
香港が大きく変化する中での制作過程で、何か変えなければならなくなった事は有りますか。

蔡廉明P
少し有りました。
撮影が始まる前に、雨傘革命が起きたので、何人かの監督は、それを作品に反映させようとしました。

伍嘉良監督
雨傘革命で、脚本を少し変えました。その後、普通選挙もあり、また脚本を変えました。
人々が、“やっても良いけれど、やらない方が良い”と、あやふやな感じになった部分は、
脚本に取り入れました。




お二方とも人柄が穏やかな感じで、真面目に丁寧にお話をしてくださった。
“十年ひと昔”とも言うし、物語の時代設定を“節目の十年”にするのは、
まぁ自然で分かり易いと、単純に思っていたけれど、
映画を制作する人たちは、(当たり前だが…)ちゃんと予算も考えるのですね。
確かに、50年後では、ちょっとしたSF映画になっちゃうものね。

約30分のQ&Aが終わったのは、午後2時40分頃。
終了後、取材を受けることになているお二方が、午後4時半頃、またホールに戻って来て、
サイン会をしたり、質問に答えてくれるという事であったが、私は用があったので、そのまま退散。
(帰りのエレベーターで一緒になった蔡廉明Pの御子息らしき2人のお子ちゃまが、
海苔のパックを抱え、バリバリ食べていた。海苔、好きなのかしら?)
4時半にまた映画館に戻った方々、また2時半の回で映画を観た方々、
ホールでのその交流会(?)は、如何でしたか~?


映画『十年』の詳細は、また後日。

夏に美味しい和の甘味3種(+テレビ雑記)

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いつの頃からか姿を見掛けなくなり、行方が気になっている知人が二人いるのだが、
ちょうど一週間前、その内の一人の現在を、思わぬ形で知ることとなった。

その日の晩、部屋のテレビをつけた時、たまたまチャンネルが合っていたのがTBSで、
『あいつ今何してる?』という番組を放送中。
観たことの無い番組だったのだけれど、小島慶子の同級生を探せ!みたいな内容だったので、
取り敢えずそのままテレビを付けっ放しにして、他の用をしながら、横目でチラ見程度の視聴を続けていたら、
な、な、なんと、私が行方を気にしていたその彼女が登場したから、我が目を疑った。
彼女の行方を気にしていたのは、私だけではなく、小島慶子もだったのですねー。
最近東京で見掛けなくなったのは当然で、香港→バルセロナと移り住んでおられた。
私は、この数年の間に、携帯とパソコンを繰り返し壊し、多くの人の連絡先を失ったが、
彼女に関しては、元気で、相変わらず自由でゴーカイに生きていることが判明し、嬉しくなった。

さて、もう一人の方は何処。さらに高齢なので、気掛かり。
数年前、「落ち着いたら連絡する」と言い残し、それっきり。
その後、ハリウッドの大物であるお身内が亡くなった事は、ネット上のニュースで知ったのだが、
彼女本人の行方は分からぬまま。Oさん、お元気ですか~?!もし東京にいるなら、連絡下さいませ。



近々放送の要録画番組もチェック。

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しょっぱなから再放送番組。
明日、7月27日(木曜)、過去の名番組を改めて紹介するNHK BSプレミアムの“プレミアムカフェ”枠で、
『中国映画を支えた日本人~“満映”映画人 秘められた戦後』を放送。
戦前、“満映”こと満州映画協会に勤め、戦後は共産党政権下の中国に残り、
映画制作に携わった日本の映画人の知られざるドラマに迫るドキュメンタリー番組。
確か、“満映最後の生き証人”と呼ばれる女性映画編集者の草分け・岸富美子女史を中心に進行する番組で、
2008年の初回放送で観て、面白かったような印象がおぼろげにある。
仮にすでに観たことのある番組でも、どうせ忘れているし(笑)、
波乱の人生ドラマとしても、日中映画史としても、これはなかなか興味深い内容のはず。
27日(木曜)の午前中に録画をしくじった場合は、28日(金曜)午前0時45分に、もう一度放送あり。





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27日(木曜)のNHK BSプレミアムは、その後も、どういう訳か“満映繋がり”で、
午後のプレミアムシネマ枠でかの『ラストエンペラー』を放送。
清朝最後の皇帝・愛新覺羅溥儀(1906-1967)の人生を描いた
言わずと知れた、ベルナルド・ベルトルッチ監督1987年の作品。
清の宮中の人々がみんな英語ペラペラとか、川島芳子がアグレッシヴにエロ過ぎるとか、
戦犯収容所尋問官がカタギに見えないとか、ツッコミ所は多々有れど、
約3年前に久し振りに観たら、それら欠点が有ってもなお傑作と認められる
よくできたエンターテインメント作品だと改めて感心させられた。

撮影が北京の“リアル紫禁城(故宮)”で行われている点にも注目。
本作品が公開された1987年、故宮は世界遺産に登録されたし、
横店に原寸大で紫禁城のセットも建造されたので(…!)、
その後、そしてこれから先も、リアル紫禁城でここまで大々的に撮影をする作品は出てこないであろう。
横店のセットも充分リアルなんだけれど、私、久し振りにこの『ラストエンペラー』を観たら、
ホンモノだけが放つ圧倒的オーラのような物に、クラっと来ちゃったのよねぇ…。

主人公・溥儀を演じた尊龍(ジョン・ローン)のお陰で、
「へぇー辮髪にもイケメン居るんだ~」と辮髪のイメージを一新し、辮髪の地位を高めた、
辮髪界(?)のエポックメイキング的作品でもある。
辮髪イケメンに興味のある方は、こちらの“辮髪(べんぱつ)大特集♪”も併せてどうぞ。)

ちなみに、なぜ“満映繋がり”かと言うと、
この映画には、満映でお馴染みの甘粕正彦の役で坂本龍一も出演しているから。
もう、こうなったら、2013年カンヌ国際映画祭で上映された『ラストエンペラー3D』も、日本で公開して欲しい!





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7月29日(土曜)は、TBSの『世界ふしぎ発見!』を。
今週は、“東京から3時間で奇跡の絶景に出会える!?台湾で世界一周の旅”と題した台湾特集。
初めてミステリーハンターを務める乃木坂46の斎藤ちはるが、
“台湾版ウユニ塩湖”、“台湾版カッパドキア”、“台湾版ナイアガラ”(笑)、
はたまた1994年まで住人以外の立ち入りに制限があったため、
台湾の人々でもあまり行かない最北の島にまで足をのばし、
台湾の中で世界の絶景巡り気分を味わう旅をレポするみたい。
カッパドキアとナイアガラは、本物を見ているけれど、ウユニ塩湖には行ったことが無いので、
番組の中の“台湾版”で取り敢えず満足しておこうかしら。




お菓子は、今回、和の物で。
今朝の東京は雨で、日中もさほど気温が上がらないようだけれど、
もっとムシムシした夏らしい日でも美味しくいただけるであろう和菓子を3ツ。

★ 鈴懸:大葉餅

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大きさは、直径約5センチ。
こし餡を包んだ道明寺を、2枚の大葉ではさんだお菓子。




ひとつめは、お馴染み鈴懸(公式サイト)“大葉餅”
春には桜、冬には椿と、鈴懸では、道明寺+葉っぱというお菓子を季節ごとに出しているが、
それの夏ヴァージョンが、この大葉餅。

葉っぱ以外は、春の桜葉餅、冬の椿餅と同じで、本体は道明寺。
中には、鈴懸ならではの、藤色の上品なこし餡。
その道明寺を上下からはさんでいるのは、2枚の柔らかな大葉。
一般的には、お料理には使っても、お菓子には使わない大葉だが、不思議と餡との相性良し。

優しい甘さと、微かな清涼感。
これは、毎年夏になるとリピートして買ってる鈴懸の傑作の一つ。
塩漬けした桜葉などとは違い、フレッシュな大葉は、デリケートで、しおれ易く、
暑い夏に長時間持ち歩けないため、“これまらまだ用が有る”という時には買えず、
結局、入手のタイミングを逃してしまいがちなのだけが、残念…!

★ 仙太郎:笹くずめ

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大きさは、直径約5センチ。
刻んだ青梅を混ぜ込み、平たく成形した葛を、笹の葉でくるんだ涼菓。




続いて、仙太郎(公式サイト)“笹くずめ”
仙太郎が毎年夏に出しているお菓子だが、確か昨夏は食べていないので、恐らく2年ぶり。

平たくツヤやかなこのお菓子は、詩的に言えば水滴のようにだが、
実際には、色合いといい、質感といい、まるで樹脂のよう。
見た目が樹脂っぽいその透明な本体は、実のところ葛で、ほんのり梅の味がする。
梅果汁が練り込まれているのだろうか。
さらに、そこに混ぜ込まれている刻み梅は、ちょっとコリッとしているので、
柔らかな葛との異なる食感が楽しめる。

爽やか。
…でも少ない(笑)!美味しいが、この大きさだと、瞬時に完食してしまう。

★ 松月堂:栗苞

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大きさは、直径約3.5センチ。
栗きんとんを、葛の衣で包んだお菓子。



最後は、創業明治40年、岐阜県中津川の老舗・松月堂(公式サイト)“栗苞(くりづつみ)”
中津川は、蒸した栗を茶巾絞りにしたお菓子、いわゆる“栗きんとん”の発祥の地と言われている場所。
松月堂も、中津川の老舗和菓子店らしく、栗きんとんをはじめとする栗のお菓子で有名なお店。

この栗苞は、“創作栗きんとん”と添え書きしてある通り、アレンジされた栗きんとん。
なんと、お馴染み栗きんとんが、透明の繭に包まれてしまているのだ。
その表面の部分は、寒天や本葛をブレンドした生地で、プルンとした適度な弾力あり。
中には、甘さ控えめで、滑らかな栗きんとん。
栗餡入りの葛まんじゅうと似ているけれど、こちらは、栗の含有率が高いので、
“栗餡”ではなく“栗きんとん”だという明らかな違いを感じる。


こちら、実際には、夏限定商品ではないのだが、
秋のイメージが強い栗きんとんを、夏にも美味しくいただける良いアイディアだと思った。
普通の栗きんとんより好きかも。季節に関係なく、食べたい。
常温のままでも良いが、冷やしても良し。
その場合は、本来の食感を損なわぬよう、冷蔵庫で冷やすのは2時間程度が目安とのこと。

映画『十年』

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【2015年/香港/104min.】


低予算作品ながら、2015年、香港で公開以降、ジワジワと観客動員数を伸ばし、
2016年、“香港版アカデミー賞”とも称される第35回香港電影金像獎で、
最佳電影(最優秀作品賞)を受賞したオムニバス映画。

日本では、その年、第11回大阪アジアン映画祭で上映。
日本でも、観た人々の評判は上々のようであったが、
地味な小品だから、一般劇場公開は難しいかしら…、と私は半ば諦めていた。
日本も好景気な頃は、色んなタイプの中華圏作品がどんどん入って来ていたけれど、
近年は淋しい限りだからねぇ…。

ところが、案外早くあっさり公開決定。
しかも、公開に合わせ、伍嘉良(ン・ガーリョン)監督とプロデューサーの蔡廉明(アンドリュー・チョイ)が来日し、
初日初回の上映終了後にQ&Aを行うというから、私もそこへ行ってきた。(→参照



本作品を簡単に説明するなら、十年後の香港を描く5ツのショートストーリーで構成されたオムニバス映画

1997年7月、主権がイギリスから中国へ返還された香港。
その際、向こう50年、2047年までは、一国二制度の適応が約束されたわけだが、
その期間の半分にも満たない内に、自治権に陰りが見えだし、多くの香港人を不安にし、
2014年には、ついに、“雨傘革命”と呼ばれる大規模な反政府デモまで勃発。
雨傘革命に関しては、香港人の間でも賛否両論みたいだけれど、
どちらにしても、あのデモで事態が収束したわけでも、ましてや好転したわけでもない。

そんな香港の“十年後”を仮想した本作品が、“バラ色の近未来”を描いている映画ではないことは、
観る前から、誰もが想像している通り。

5本の短編は、それぞれ一人の監督が担当。そのほとんどが、あまり知られていない新進の監督さん。
“十年後の香港を見据える”というテーマだけが共通で、表現は自由。
出演者も同様で、大半が無名。



以下、上映順に一作ずつ簡単にチェック。

 『エキストラ~浮瓜 Extras』

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二人の下層の男、長毛とインド系のピーター仔が、
兄貴分から命じられた通り、労働節のイベントに参加する政治家二人を襲撃するが、
実はこれ、“テロを起こし、社会の不安を煽り、国家安全法の制定を促す”と目論む当局が
裏で仕組んだヤラセ芝居。
襲撃は失敗し、政治家は無事。一方、実行犯となった長毛とピーター仔はその場で射殺。
事件は大きく報道され、人々のテロへの恐怖は高まり、
当局上層部は、自らの手を汚すことなく、思惑通り、国家安全法を通過させる。


監督:郭臻(クォック・ジョン)


この第1話だけ、時代設定がどういう訳か、5年後の2020年。そこに監督の意図が何か有るのだろうか…?

『十年』を観て、「決して香港だけの事ではなく、日本の状況にも重なる」という日本人が多いので、
どういう事か興味が有ったのだけれど、確かにこの第1話を観て、しょっぱなから、
皆さまが言っておられた“日本と重なる状況”とは、例えばコレだったのかと感じた。

 『冬のセミ~冬蟬 Season Of The End』

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身の回りのありとあらゆる物を標本にし続けている若い男女。
ある時、男の方が、女に、自分自身を標本にしてくれと頼んでくる。
女は当初困惑するが、ついに彼の標本作りに着手する。


監督:黃飛鵬(ウォン・フェイバン)


これねぇー、5作中一番の異色作。
あまりも抽象的ゆえか、私の周囲でコックリコックリと夢の世界へ誘われてしまった人が複数(苦笑)。
私は逆に、一体これは何を言わんとしているのか?!と気になり、覚醒してしまった。
急速に変化していく世の中で、もはや意味をなさなくなった博物学を継承する男女が、
終末期の近付く香港で、香港人であるその男自身を標本にして残そうとするお話、…というのが私の解釈。
皆さまは、どう捉えましたか?

 『方言~方言 Dialect』

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かつて重要と言われた英語に代わり、今や必要不可欠となった普通話。
学校で習い流暢に喋る息子と違い、父親のタクシー運転手はちんぷんかんぷん。
息子との会話は噛み合わないし、仕事にも少なからず支障が出て、
ついに稽古を始めるが、一向に上達せず、トラブルにまで巻き込まれ、苦労は絶えない。


監督:歐文傑(ジェヴォンズ・アウ)


『冬のセミ』とは対極で、一番分かり易く、単純に楽しめる作品。
映画の中の2025年の香港では、タクシー運転手も普通話(北京語)のテストに受からないと、
空港などで仕事ができない決まりになっている。
経済的損失に気付き、一応学習するものの、中年のタクシー運転手にはすでに習得が難しく、
きつい広東語訛りが抜けず、カーナビにさえ音声認識してもらえないの…(苦笑)。

言葉は、その土地の人のアイデンティティに深く関係するから、禁止にするのは大いに問題だろうが、
広く使われているメジャーな言語が、色々な面で役立つのも、また事実である。
世界中の非華人が、今習っている中国語は、圧倒的に広東語より普通話であろう。

その昔、生粋の日本人でありながら、ワケあって娘を中華学校に入れたというあるお姐サマに会った。
「お嬢さん、中国語ペラペラなんて凄いですね」と私が言ったら、
「でも、娘が喋るのは北京語だから。広東語じゃないと将来役に立たないでしょ…」と心配顔のお姐サマ。
そう、当時、世界をまたにかけビジネスをしている華人は大抵香港人で、
その後の中国の大発展を予想している日本人なんて、ほとんど居なかった。
本作品の中には、外来語の広東語音訳と北京語音訳で噛み合わないシーンも描かれている。
普通話をそこそこ解する日本人なら分かると思うが、
普通話で使われる外来語には、本来の音とは掛け離れている物が結構多い。
思うに、かつて“世界への唯一の窓口”だった香港には、多くの外国の言葉が入って来て、
広東語の音に合わせ漢字があてられ→その漢字が普通話圏に入り
→漢字そのままに普通話の音で発音されるから、本来の外国語とは掛け離れた音になってしまったのでしょう。

このように、世界で中国語といえば広東語だった時代はあったのだ。
どんなものにも栄枯盛衰は絶対にあり、世界での重要性が広東語から普通話に移行していったのは
仕方の無いことで、この流れが逆方向に戻ることは、取り敢えず現時点では考えにくい。
多くの香港人も、その現実を理解し、普通話を喋り、そこから何らかのメリットを得たとしても、
自分たちの本来の言葉が絶滅してしまうという危機感とのはざまで、ジレンマはきっと有るであろう。

また、このお話は、日本統治時代には日本語、戦後は中国語と、
その時その時の支配者によって、新たな言語の習得を迫られた台湾ともちょっと重なった。
ただ、本来の言語を奪われる“言葉狩り”は論外だったとしても、喋れる言語が増えること自体は、得も多い。
たとえ戦争に負けても、戦勝国の言語を強要されず、ずーーと日本語だけでやってこられたものの、
すっかり外国語が苦手になってしまった日本に私が暮らしているからこそ、余計にそう思う。

あとねぇ、『方言』では…

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街角を捉えたこんなちょっとしたショットだけでも、香港好きはワクワクしちゃいますよね。

この『方言』を手掛けた歐文傑は、5人の中で唯一私が他作品を観たことのある監督さん。
観たのは、『大樹は風を招く』(2016年)の任賢齊(リッチー・レン)のパート。そちらも、良かった。


ちなみに、作中、発音が悪くて、カーナビに拒否されるタクシー運転手であったが、
私自身はたまに百度の音声検索に単語を吹き込み、自分の普通話の発音をチェックすることがある。
手前味噌になりますが、この運転手さんよりは、誤認識率低いです。

 『焼身自殺者~自焚者 Self-Immolator』

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イギリス領事館の前で何者かが焼身自殺を計る。目撃者も遺書も無く、動機も身元も掴めない。
ちょっと前、獄中のハンストで絶命した香港独立派のリーダー歐陽健峰の支持者ではないかという憶測も。
大学生の栢陽は、インド系の恋人カレンが、以前、死をほのめかしていたのを思い出し、胸騒ぎをおぼえる。


監督:周冠威(キウィ・チョウ)


これは、雨傘運動に一番直結する作品かも。
5本の中で、『冬のセミ』の次に重い。(そもそも、『冬のセミ』を“重い”と表現して良いものか…。)
関係者や専門家のインタヴュなども“それっぽく”挿入し、ドキュメンタリーのような作風になっている。
また、焼身自殺したのが誰なのかという謎解きの要素もあり、先が気になった。

 『地元産の卵~本地蛋 Local Egg』

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香港で卵を生産する唯一の養鶏場が間も無く廃業し、経営者は台湾へ移住してしまうという。
ずっとそこから卵を卸していた森は、今後はどこから入手すれば良いものかと頭を悩ませながら、
最後の地元産卵を、自分が営む小さな食品店の店頭に並べる。
そこへやって来たのは、“良くない言葉リスト”を手にした4人の小さな少年団。
彼らは、“本地蛋(地元産卵)”と書かれた札を見付け、“本地”の二文字は違反だと森に警告をする。


監督:伍嘉良(ン・ガーリョン)


これも、『方言』と同じように分かり易く、単純に楽しめる作品。
深読みかも知れないが、“本地蛋(地元産卵)”は、香港人の隠喩にも思える。
細かい事を言ってしまうと、英語タイトルが『Local Egg』と単数になっている点が気になる。
もはや、残された“本地蛋”はたったの一個で、空前の灯だと強調したいのだろうか。

主人公・森のお店に検査にやって来る“少年団”には、誰もが紅衛兵を重ねるであろう。
困ったことに、森の息子・明仔もまた、周囲に流され、少年団の団員になってしまう。
それに気付いた森は、明仔に「言われた事を受け売りせず、ちゃんと自分の頭を使って考えるんだ」と諭す。
伍嘉良監督は、忖度や自己規制は、香港社会でも蔓延してきていると語っているので、
本作品を通し一番訴えたかったのは、森のこの言葉なのであろう。

物語の終盤では、森の息子・明仔が、実は周囲に流されてはおらず、
ちゃんと自分自身の意思で、少年団の裏情報をリークし、闇書店の店主を助けていた事が判明。
将来のある子どもに、希望を託す幕閉めとなっている。


この『地元産の卵』はキャストにも注目。ほぼ無名の俳優ばかりが出演している『十年』であるが…

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主人公・森役で、香港電影ではお馴染みのバイプレーヤー廖啟智(リウ・カイチー)が出演。
眼鏡+ヒゲ+帽子ですっかり変装しているため、森が廖啟智だと気付くのに、少々時間を要した。
他の香港電影で見る廖啟智より、この廖啟智の方が、断然好み。
ただ、今までで見た最高の廖啟智は、皮肉だが、香港の作品ではなく、
大陸ドラマ『四人の義賊 一枝梅(イージーメイ)~怪俠一枝梅』で演じた鄭東流でございます。





『地元産の卵』の最後もそうだが、『十年』全体の最後も、
「為時已晚(もう手遅れ)、…為時未晚(まだ間に合う」という希望を込めた言葉で幕を下ろす。

色んなタイプの作風が一度に楽しめるオムニバスは元々好きなので、これもまぁまぁ気に入った。
現時点で、最も印象に残っている3本を挙げるなら、『冬のセミ』、『方言』、そして『地元産の卵』。
一番分かりにくい一本と、分かり易い2本。
『冬のセミ』は好き嫌いの問題ではなく、これだけ毛色が違ったため、やけに記憶に焼き付いた。

そんな『十年』を全体で見て、私が最も評価している部分は、“香港色を出してる”という点。
近年、香港の監督たちが、こぞって大陸へ流れ、大きな予算を使って、超大作を撮るようになった結果、
香港臭ムンムンの作品は激減してしまった。
しかも、特に日本に入って来る香港映画は、クライム・アクションなどに偏ってしまっているので、
私は、“そういうのではない香港映画”に飢えているのです。

この『十年』は、香港や香港映画が好きな人が観たら、それなりに楽しめるだろうけれど、
だからと言って、それ以外の日本人が、「大傑作!」、「香港で大きな映画賞を受賞!」、「大陸で封殺!」
などという言葉に惹かれ、観たところで、期待外れになるのではないかという懸念は、無きにしも非ず…。
背徳は蜜の味で、人は“禁”の字が付くものにソソられがちだが(笑)、
大陸で禁じられた映画は、我々日本人の感覚からすると
「えっ、これ程度でNG?」と肩透かしを食らうことが多い。
表面的に禁じたところで、実際には、大陸でも多くの人々が観ているわけだし、
あまり“封殺”にばかり食い付いて、スキャンダラスな物を期待せず、さらっと鑑賞することをお勧めいたします。
期待し過ぎると、その反動で失望も大きくなるのは、どんな作品でも同じ。
私個人的には、近年観た同じ香港の“大陸禁片”だったら、『大樹は風を招く』(2016年)の方がより好き。
『大樹は風を招く』は日本で公開されないのかしら。こちらの方がより広く映画ファンにウケそうな気も…。



日本での公開初日に行われた伍嘉良監督と蔡廉明PによるQ&Aについては、こちらから。

北京2016:孔廟+國子監③~國子監

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「左庙右学(左に廟、右に学)」という中国伝統の建築規定に従い、
2ツ並んで建っている北京の孔庙(孔廟)国子监(國子監)
2ツの施設は、入場券が共通で、孔廟側に入り口、国子監側に出口が設置されている。

北京2016:孔廟+國子監②までで、孔廟見学を終えたので、今度はもう一方の国子監へ。
孔廟と国子監は中で繋がっているので、移動するのに、門の外へ出る必要は無い。

★ 国子監

国子监(國子監)は、隋代以降、古代中国の最高学府。

その前身は、秦以前、周代の辟雍にはじまり→上庠→成均→太學と名を変え、
隋朝初期に設立された国子寺が、間も無くして国子監と改称したと同時に、
全国の教育行政機能を統括するように。

隋以降、各王朝の都、長安、洛陽、開封、南京などに設けられた国子監は、
明代になると、南京と北京の二都に設けられる。

★ 北京国子監

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北京の国子監は、元代の至元24年(1287年)創建。
その頃は、元の世祖・忽必烈(フビライ/クビライ)が天下を治めていた時代。
wikiや百度、日本でお馴染み<地球の歩き方>などには、元の大10年(1306年)創建と記されているが、
北京国子監の公式サイトの情報では、至元24年(1287年)なので、当ブログでは、そちらを採用。
もし大10年(1306年)なら、
忽必烈の孫で、元朝第2代皇帝・成宗鐵穆耳(テムル)が天下を治めていた時代の末期という事になる。
とにかく、以降、元、明、清と3朝に渡る国家最高学府であったのが、この国子監。



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敷地面積は、27000㎡以上。
中国の他の伝統建造物と同じように、敷地は南北に広がり、中軸線上に重要な建物が並ぶ。
明代、永楽年間と正統年間に大規模な拡張工事が行われ、
さらに清代、乾隆年間にも“辟雍”が増築され、現在に至っているので、
起源は元朝に遡っても、建築にその頃の面影はもはやあまり見られない。


ちなみに、明の正統年間は…

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霍建華(ウォレス・フォ)が演じていた英宗朱祁鎮(1427-1464)が皇帝だった時代。
あの時代、英宗は、女医にウツツを抜かすだけではなく、国子監の改築も手掛けていたのですね。


以下、駆け足で国子監を見学いたします。

★ 集賢門

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敷地の南端に建つ集贤门(集賢門)は、国子監の正門。
我々見学者は、孔廟の方から入って来るので、この集賢門は入り口としては使われず、出口になっている。

★ 太学門

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集賢門のすぐ北に建つのは、太学门(太學門)
“太学”とは、漢代以降、中国の最高学府の名称。
この太学門が、国子監のメインの教育区へアクセスする門となっている。
元々ここにあった様々な規律が刻まれた“五朝上諭碑”、“曉示生員臥碑”といった7ツの石碑は、
現在、乾隆石経の方に移されている。

★ 琉璃牌坊

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集賢門の北に建つのは琉璃牌坊
三門四柱七座の寄棟造りで、鮮やかな琉璃瓦が目を引く大きな牌坊。
北京にある牌坊で唯一寺院に属さず、教育のためだけに建てられた物なのだと。
清・乾隆48年(1783年)に創建され、
乾隆帝の御筆で、正面に「圜橋教澤」、裏面に「學海節觀」と記されている。

★ 辟雍

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辟雍は、清・乾隆48年(1783年)に創建された国子監の中心的建物。
正面には、乾隆帝の御筆で「辟雍」の扁額。

この辟雍は、中国に唯一現存する古代の学堂。
元々皇帝は彝倫堂で講義をしていたのだが、
乾隆帝の命で辟雍が建てられてからは、新皇帝が即位する度に、一度ここへ来て講義を行ったという。



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本来、“辟雍(Bìyōng/へきよう)”は、今から約3千年前の周の時代、天子の命で作られた学府。
周代の歴史資料の記載によると、そもそも辟雍は、天子が学んだり、様々な議事を執り行う場所。
そこは、湖に浮く小島のように周囲に水を張り巡らせた建物で、その周りは木々に囲まれ、
政治文化を学ぶのみならず、礼、楽、射、御、書、数といった六芸の修養も行われる
安全かつ静寂で、美しい自然環境だったという。
そんな事から、“辟=君主”、“雍=穏やか”と名付けられたというが、
実際には、“辟雍”の語源は不確かで、諸説あるようだ。
例えば、“辟雍”の“辟”の字が、“玉璧(円形の玉器)”の“璧”と同じ音で通じることから、
周囲を水に囲まれた円形の場所が、無疵の玉璧の如くであり、また“雍”は水の中の陸地を意味し、
水面に浮かぶこの建物を“辟雍”と命名した、…などという説も。
(上の画像は、漢代の辟雍図。)

清代、そんな辟雍がまだ無かった頃、即位して2年目の乾隆帝が国子監を訪れ、
先例に倣い、彝倫堂で講義するも、これには甚だ不満で、以降、幾度となく辟雍の建設を提案。
が、その提案はスルーされ続け、ようやく実現に漕ぎ着けたのは、古稀も過ぎた乾隆48年(1783年)。
「朕、何がナンでも辟雍つくる…!」と駄々をこねたのでしょうか。
いざ計画実行が決まっても、参考にできる建造物などは無く、
人々は簡単に記述された文面でしか紀元前・周代の辟雍を知らない、
水が不可欠であることは分かっていても、国子監に水など無い、…等々、問題は山積み。
結局、水に関しては、井戸を深く掘り、その地下水を使うことで解決したそうだが、
この水回りを整える工程だけでも、かかった時間は一年以上。
美意識の高い風流皇帝・乾隆帝の“朕のひと言(?)”に振り回された人々は大変でしたねぇ~。



内部も見てみましょう。

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幅17.6メートル、面積約310平米。
乾隆帝のコダワリで、内部には支柱を置かず、梁(はり)を上手く渡すことで、建物を支えている。
そのため、視界を遮ることなく、空間を広々と見せている。
正面上方には、乾隆帝御筆の「雅涵於樂」の扁額。
他にも、道光帝による「涵泳聖涯」、咸豐帝による「萬流仰鏡」といった扁額が。

見ての通り、中央にドカーンと置かれ、スペースを占めているのは玉座で、我々が考える“講堂”とは程遠い。
なんでも、皇帝が講義する際、内部に居られたのは、ごくごく限られた王公大臣のみで、
あとの大臣や学生たちは、外で跪いて拝聴したのだと。
(当然、マイクなど無く、皇帝が声を張り上げることもなく、内部に待機した“傳臚官”なる人物が、
皇帝のお話を大きな声で逐一外に伝達したらしい。まるで伝言ゲーム…。)

乾隆帝自身、この辟雍が落成した翌年の早春、早速ここで講義の大典礼を開催。
その際、集まった学生は3088人。さらに、官僚や朝鮮使節団もいて、参加者は4~5千人は居たという。
…で、そのほとんどが、長時間、外で跪き続けているわけでしょ?!聴講も楽ではありませんね…。

★ 彝倫堂

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辟雍の後方に建つのは、彝倫堂
元代では、“崇文閣”と呼ばれていたが、明の永楽年間、改築された際に“彝倫堂”と改称。
残念、写真がピンボケになってしまった…。

前述のように、ここは元々皇帝が講義する講堂だったのだが、
清の乾隆年間にできた辟雍に、そのお役目を譲ってからは、蔵書所に。
ちなみに、建物正面に掲げられた「彝倫堂」の扁額は、康熙帝の御筆。

★ 復蘇槐

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辟雍と彝倫堂の間の空間には、2本の有名な古樹あり。
一本は、彝倫堂のすぐ前、西側に植えられている“復蘇槐”

孔廟の方にある、忠奸を見分けられるというお利口な柏の古樹“触奸柏”と同じで、
元の時代、国子監の祭酒(校長)を務めた許衡(1209-1281)が植えたと言われている槐(えんじゅ)。
清・乾隆16年(1715年)、母・崇慶皇太后60歳の祝いの時、
すでに枯れ果てていたはずのこの古い槐が、突如蘇生し、新芽を吹いたことから、
吉祥の兆しとして、皇帝に献上。
乾隆帝はこれを讃え、詩にしたため、後にこの槐の古木を“復蘇槐”と命名したと言い伝えられている。

この逸話、信じるも信じないも、あなたサマ次第(笑)。
唯一無二の絶対君主が君臨している時代には、
その天下人を喜ばせ、取り入りたい一心の臣下たちのお陰で、
やたらミラクルが起きまくるわよねぇー、とこのエピソードをサラッと聞き流す冷めた私が居る反面、
あの神秘の超大国・中国なら、何が起きても不思議ではない…と思ったりもする。


ちなみに、その時、60歳になった乾隆帝ママ・崇慶皇太后は…

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孫儷(スン・リー)が演じた甄嬛のモデルになった雍正帝の妃です。

★ 羅鍋槐

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もう一本の古樹は、“罗锅槐(羅鍋槐)”と呼ばれる槐(えんじゅ)。

この槐にまつわる逸話は以下の通り。
猫背であることから“劉羅鍋(猫背の劉)”とあだ名されている工部尚書・劉墉(1718-1805)の指揮のもと
辟雍を建てるにあたり、邪魔になった木々を雍和宮に移植することになったのだが、
当時すでに老木だったこの槐に思い入れのあった劉墉は、独断でそこに残すことを決定。
やがて辟雍が完成し、文武百官を引き連れ、視察にやって来た乾隆帝が、この槐の古木を発見。
このクネッと曲がった槐を、普段からやたら饒舌で、乾隆帝を困惑させていた猫背の劉墉に重ね、
「曲がっているのは雅じゃない!朕が真っ直ぐにしてやるわっ!」と、槐の背面をバサッとカット。
乾隆帝は、劉墉に対し、積もりに積もった不満が有ったのか、古い槐を介して鬱憤晴らし…?

そんな訳で、この古樹は“羅鍋槐(猫背の槐)”と呼ばれるようになったのだと。
羅鍋槐を裏から見ると、今でも削られた痕跡が。

★ 敬一亭

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彝倫堂の後方、中軸線上最北端に建つのは、敬一亭
明・嘉靖7年(1528年)の創建。
ここは現在一般公開されていない。
壁に囲まれた独立した空間になっており、主殿は皇帝の訓諭碑を保管する場所。
但し、元々ここに保管されていた“敬一箴”や、康熙帝の“訓飭士子文碑”などは、
現在、孔廟側の乾隆石経の方に移動し、公開されている。

主殿をはさみ、東西に対照的に建つ建物は、それぞれ祭酒(校長)と司業(副校長)のオフィスとして使用。
つまり、今風の言い方をすると、校長室と教頭室。
但し、西側に建つ司業のオフィスは、琉球からの留学生受け入れ時は“琉球學館”として使用されるため、
東側の建物が祭酒と司業の共同オフィスになったらしい。


空いている隙間から、ちょっとだけ中が見えた。

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綺麗に整備されている。
放置されている訳ではなく、今もオフィスとして使われているらしい。

★ 六堂

中軸線から外れたところもちょっと見ておくと、左右両側に、計33間になる六堂が並ぶ。
六堂の具体的な名称は、率性堂、诚心堂(誠心堂)、崇志堂、修道堂、正义堂(正義堂)、广业堂(廣業堂)。
これらは、監生(国子監の学生)、貢生(科挙の予備試験合格者の中から選抜され国子監に入学した者)の
お教室として使用。


六堂の内、西側で一番目立つのは、(↓)こちらの修道堂。

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正面に大きく「狀元及第」と書かれた扁額が掲げられたそこに入ると、片隅にちょっとした売店が設けられ、
あとは室内全体に真っ赤なお札がゴッソリ掛けられている。
以前、国子監を訪れた時は、こういうお札は、辟雍の周りの欄干に掛けられていた。
お札も数が大量になると、相当な重さになるだろうから、歴史的建造物保護や安全を考慮し、
“お札掛け専門ルーム”を設けたのかもね。 
日本の受験生も、いにしえの中国最高学府で、真っ赤なお札を買って、願掛けしてみてはいかがでしょうか。
(人口14億近い超大国より、ライバルの少ない小さな島国でお祈りした方が、
神様に願いが届き易いという気もしなくもないが…。)


東側の方は、国子監や科挙制度に関する様々な資料を紹介する展示室になっている。
例えば、(↓)こちら。

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六堂の一つ・率性堂での当時の様子を再現したもの。
率性堂は、国子監の上級クラス。
ここに居る4体のマネキンは、学生と助教授と先生二人。
先生の講義に対し、何か疑問がある場合、学生は敬意を表し、先生の前で跪いて質問したそう。


(↓)こちらは、貢院号舎の再現。

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“貢院”とは科挙の試験会場のことで、そこの中心になっているのが、“号舎”と呼ばれる小さな独立空間。
号舎ひとつの広さは、約1.16㎡。
試験は3回行われ、一回の受験が3日間。
受験生は、試験問題に格闘するのは勿論のこと、
寝るのも食べるのも全てこのちいさな独居房のような空間で済ませなければならなかったという。
頭脳明晰なだけでなく、心身ともに丈夫でないと、エリートへの道は厳しそう…。

田中裕子が西太后を演じるドラマ『蒼穹の昴~蒼穹之昴』でも…

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周一囲(ジョウ・イーウェイ)扮する主人公・梁文秀は、
田舎から北京に上京し、貢院での受験に臨み、そこで夜も過ごしておりました。
(で、夜中に現れた不思議な老人のお陰で、状元に見事合格し、光緒帝に仕えることとなる。)

試験終了後は…

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精魂尽き果て、支え無しでは歩けないほど(笑)。
北京の国子監には、ドラマの中で梁文秀も持っていた“考籃(お受験バスケット)”の展示もあり。
受験生は、これに、文具や食べ物を入れて、試験に参加。
カンニング防止のため、編んで網目になったカゴであることは、絶対条件だったらしい。


このように様々な苦労を乗り越え、合格すると…

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俗に“金榜”と呼ばれるこのような紙に、成績順に名前や出身地が記され、掲示される。
これは、清・同治7年(1868年)の物。
今でも中国語では、金榜に名前が記されることを意味する“金榜題名”という表現が、
難しい試験などに合格するという意味に使われる。


他にも色んな展示が有るのだが、日本人の目に留まり易いのは、琉球に関しての資料だろうか。
朝鮮、ベトナム、ロシア等々、海外からの留学生を受け入れていた国子監に、
琉球もまた留学生を送っていたのは、日本でも広く知られるところ。
琉球からの留学生の学費や生活費は全て国子監側もちで、留学期間は、一般的に明代が6年、清代が3年。
中軸線上最北端の敬一亭を“琉球學館”として使用していたことは前述の通りだが…

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その琉球學館の模型も展示されている。

また、清朝乾隆年間、国子監で琉球官学を担当していた潘相(1713-1790)が、
琉球留学生の学習や生活の様子を記した<琉球入學見聞録>も展示されている。

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これ、日本でも、琉球の研究に結構使われている著書みたいね。

当時、琉球の留学生たちは、自主的に現地で大きなイベントへも参加。

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乾隆26年(1725年)、崇慶皇太后(=『宮廷の諍い女』の孫儷)70歳の祝賀の際には、詩を献上したり、
監生たちと西直門に出向き、謁見し、乾隆帝自らの下問を受けたという。




以上で、見学終了。
北京は有名な観光スポットが多いので、ここは日本人観光客がついついパスしがちだけれど、
実は案外見応えがあり、なかなか面白いのです。


最後に、3ツに分けた孔廟&国子監のエントリをまとめてリンクしておく。

北京2016:孔廟+國子監~國子監




◆◇◆ 北京国子监 Beijing Guozijian Imperial Academy ◆◇◆
东城区 国子监街 13号

8:30~17:00(冬季 11月~4月) / 8:30~18:00( 夏季 5月~10月)
   入場は閉門の30分前まで

30元 (チケットは孔廟と共通)

地下鉄2/5号線の雍和宫(雍和宮)駅下車 D出口から徒歩10~15分

フルーツを使った夏ケーキ2種(+映画テレビ等々日々の雑記)

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この春、こちらに記したように、私も大好きな中国のフォトグラファー陳曼(チェン・マン)をトヨタ本社に招待し、
直々に接待をした豊田章男社長。
自ら乗り出し、中国でのプロモーションに力を入れていく気合を感じていたら、
やはり、2017年8月2日の昨日、今度は自身の微博を開設。
記念すべき第一声は「大家好,我是丰田章男,我开通新浪微博啦。从今天起,希望在这里跟大家成为朋友
(皆さん、こんにちは、豊田章男です。新浪微博を開設しました。
今日から、この場を通し、皆さんとお友達になりたいです。)」
日本のヘタな芸能人より、フォロワー数増加の勢いが凄い。
大企業の経営者って、注目度が高いものなのですね。
早速、「良い車を作って、国産はやめて」、「CT200をもう少し安くして」等々、多くのコメントが寄せられている。




微博といえば、吳宇森(ジョン・ウー)監督が、ちょっと前に、やはり微博を通し、東京滞在を明かしていた。
滞在目的は、『君よ憤怒の河を渉れ』(1976年)の中華版リメイク『追捕 MANHUNT』のアフレコ作業。
本日、その時のお写真をアップ。

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左上から、倉田保昭、、國村隼、トクナガクニハル、そして池内博之。
東京でアフレコをするのは、日本人キャストだけか?東京で張涵予(チャン・ハンユー)とスレ違いたい…。
コレ、私にとっては、観るのがコワい映画なのだけれど、着々と完成に近付いている模様。




“巨匠の新作”だったら…

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張藝謀(チャン・イーモウ)監督最新作『影 Shadow』の方はどうであろう。
スチール写真はちょっと王家衛(ウォン・カーウァイ)監督の『グランド・マスター』(2013年)っぽい。
何かと物議を醸した前作の怪獣映画(?)『グレートウォール』(2016年)より手堅い作品という気がする。
確実な内容は不明だが、どうやら<三国志>の中の蜀のお話に重点を置き、
タイトルの『影』は、劉備の影武者を意味しているとか、いないとか。
主演は超(ダン・チャオ)で一人二役。
超の奥方・孫儷(スン・リー)も重要な役で登場し、夫婦共演する他、
王千源(ワン・チェンユエン)、王景春(ワン・ジンチュン)、胡軍(フー・ジュン)といった
実力派のオジ様方もキャスティング。えぇー、オヤジばっかりじゃイヤー!というそこのアナタ、大丈夫です。
平均年齢をぐっと下げる(↓)こんな出演者も。

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吳磊(ウー・レイ)君も出ています。張藝謀監督作品に出るなんて、大出世ですね。
左は張藝謀監督と、右は胡軍とのクランクアップの際のツーショット。
張藝謀監督×三国志なんて、日本市場では最強の組み合わせ。これは、確実に公開されますね♪




胡軍と言えば、チャンネル銀河で放送の主演ドラマ『フビライ・ハン~忽必烈傳奇』が、明日でいよいよ最終回。
それと入れ替わるかのように、8月1日(火曜)から、LaLaTVで…

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趙麗穎(チャオ・イーリン)&霍建華(ウォレス・フォ)主演の大陸ドラマ、
『花千骨(はなせんこつ) 舞い散る運命、永遠の誓い~花千骨』がスタートした。
現地で放送当時、良くも悪くも話題になったこと、衣装担当が奚仲文(イー・チュンマン)であること、
この2点を理由に、取り敢えず観てみた。

うーン、ど、ど、ど、どうなのでしょう、コレ…?!
初回で、すでに、自分の感性とのズレを感じたのだが、それでも観ていたら、
趙麗穎扮する主人公・花千骨の血液を封じ込めたペンダントヘッドがバリッと割れて…

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ギャーッ!中から、イモムシにも似た(↑)このような不思議生物が誕生した…!
“糖宝”というお名前の霊虫らしい。
のっぺり、ムッチリした質感が、映画『モンスター・ハント』(2015年)のキャラクター・胡巴と似ているかも。

こういうキモ可愛いキャラクターは、結構好きな人がいるから、グッズが有ったら売れそう~と思い、
大手ショッピングサイト・淘寶 taobaoを覗いてみたら…

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案の定、出るわ、出るわ、キリ無く出てくる糖宝グッズの数々。

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着ぐるみは、子供用なら可愛いけれど、大人用はなんかコワいですね。
(しかも、絶対に公式グッズじゃないクオリティ。…笑)
身長165センチから175センチに対応。欲しい!サイズもピッタリ!という方は、淘寶でお買い求めを。


そんな『花千骨』、本日放送の第3話の終盤には…

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人を食べるという“食人花”なる恐ろしいお花まで出てきた。
この食人花、おとなしく地面に埋まっておらず、走って追いかけて来るの(笑)。


奚仲文の衣装はというと、こちらも、今のところ、期待には及ばず…。
『天龍八部 -新版- ~天龍八部』も、奚仲文の衣装に期待して観たら、
映画のために手掛ける衣装との落差が激しく、えらくチープだったので、ガッカリしてしまった。


どうしましょ、『花千骨』。ここで潔く捨てるか、思いっ切り笑うために観続けるか。
週一ペースで全20話程度だったら、迷わず、“笑うために観続ける”を選ぶが、
週5回の放送で、全50話となると、キツイかしらぁ…。皆さまは、どうなさいますか…?




近々放送の要録画番組も一本。

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8月8日(火曜)、NHK BSプレミアムで放送の『2度目の台湾~台東編 おこづかい3万円で充実旅』
このシリーズでは、以前にも台湾と取り上げているが、今回は台東にスポットを当てているのがニュー。
原住民の文化が色濃く残る台湾の東側エリア・台東を、俳優・堀井新太が訪れ、
古代から続く、ちょっと物騒なマッサージ、地元で大人気の朝ゴハン、原住民のアクセサリー作り、
サンゴ礁から湧き出る温泉などなどを体験するそう。


“台東”、“原住民”ときたら、MATZKAでしょー。
その名もズバリ、<台東帥哥>を貼ろうと思ったら、公式MVが無いみたいなので、
ここには<V-ao V-ao Ni>を。


夏っぽくて良いです、原住民レゲエ。





お菓子は、洋モノ。こちらもやはり夏っぽくフルーツを使ったケーキを2種。

★ ル・ジャルダン・ブルー:れもんのタルト

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大きさは、直径約7センチ、高さ約5・5センチ。
生地の中にレモン・ムースを流し入れ、その上に生クリームを盛ったタルト。




一つめは、ル・ジャルダン・ブルー042-339-0691)の“れもんのタルト”
このお店では、ついついサヴァランばかりを買ってしまうので、なかなか他の商品を試せない。
これも、初めて食べる物。

レモンタルトは大好きなお菓子のひとつ。
私が本当に好きなのは、“レモンカード+メレンゲ”でできた伝統的なレモンタルト。
これは、見た目こそ伝統的なレモンタルトに近いが、
レモンカード→レモンムース、メレンゲ→生クリームと、アレンジされている。
それが吉と出るか凶と出るか…?

メインの部分は、レモンムースと言うより、“レモン風味のカスタードクリーム”に近いかも。
角の無いまろやかな酸味で、口当たりは、滑らかで、柔らか。
想像していた通り、レモンカードよりは、軽い感じ。

上に盛られた生クリームは、まるで大輪のマーガレットのようで可愛らしい。
たっぷりの生クリームは、見ているだけで、シアワセ気分。
本当はメレンゲが良かったのだが、この生クリームも、メレンゲ並みの軽さ。
食感に大差は無いけれど、ほんのりミルキーな後味があるのが、メレンゲとの違い。

それらをまとめているタルト生地は、バター風味で、サクッとした食感。
薄いから、軽いムースや生クリームの邪魔になっていない。


伝統的なレモンタルトではない事が、ちょっと引っ掛かっていたのだが、これはこれで美味しかった。
ル・ジャルダン・ブルーのケーキは、ケチケチしたサイズではなく、しっかり食べ応えがあるのも嬉しい。

★ ラ・ヴィ・ドゥース:ももパイ

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大きさは、直径約7センチ。
中にカスタードクリームを詰めたフレッシュな桃丸々一個を、薄いスポンジ生地の上にのせ、
トップに生クリーム、周囲にパイを添えたお菓子。




もう一つは、ラ・ヴィ・ドゥース(公式サイト)“ももパイ”

近年、桃を丸々一個使ったこの手のお菓子を販売するお店がドッと増えた。
好きで、見掛けると買って、色々なお店のを試しているのだけれど、元祖はどこなのでしょう…?
(こうも真似られてしまうと、このアイディアを最初に思い付いた元祖はあまり面白くないでしょうね。)

ラ・ヴィ・ドゥースのは初めて。
基本的には他店の商品と同じで、メインの部分は、中をくり抜き、カスタードクリームを詰めたフレッシュな桃。
柔らか過ぎず、適度に身が締まった桃は、ジューシー。
中のカスタードクリームはサッパリめで、桃を邪魔しない感じ。

今までに食べた他店の物との一番の違いは、パイが添えられていること。
下に敷かれた少量のスポンジ生地だけでも充分で、パイは有っても無くても良い気がした。
まぁ、それを言ってしまったら、そもそも“ももパイ”と名付けられている意味が無くなってしまうのだが…。


シンプルで、なおかつ桃の存在感が非常に大きいので、
良い桃さえ使えば、9割がた美味しさが保証されるお菓子だと思う。
だからと言って、デリケートな桃を痛めずに、果肉にベッタリくっ付いた大きな種を取り除くのは
案外難しいだろうから、素人にはなかなか真似できる物ではない。さすがはプロのパティシエのお仕事。
これまで試したお店の物は全て失敗がなく、今回食べたラ・ヴィ・ドゥースのもまた美味であった。

映画『ダイ・ビューティフル』

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【2016年/フィリピン/120min.】
人々の注目が集まる大きなビューティー・コンテストで栄冠を勝ち取ったばかりの美女、
トリシャ・エチェバリアが、突如この世を去った。
棺に納められたトリシャは、親友のバーバスの手で、華やかにメイクが施され、
その姿はまるでアンジェリーナ・ジョリーのよう。
遅れて葬儀場に駆け付けたのは、シャーリー・メイ。
まだ幼い内に孤児となった彼女を引き取り、育ててくれた母・トリシャの死に、戸惑うばかり。

“トリシャ・エチェバリア”…、これは、彼女が生まれた時に親から与えられた名ではない。
元の名前はパトリック。
綺麗に着飾るのが大好きで、ビューティー・コンテストで女王になることを夢見ていた小さな少年は、
そのまますくすくと成長し、厳格な父が頭を抱える原因となる。
ある日、ついに父子は衝突。パトリックは「私はトリシャ!」と言い放ち、家を飛び出す…。


フィリピンのジュン・ロブレス・ラナ監督作品。

近年勢いづいているフィリピン映画界だが、それでもまだあまり馴染みが無い。
フィリピンを舞台にした作品だったら、例えば、三池崇史監督作品『天国から来た男たち』(2001年)とか、
王家衛(ウォン・カーウァイ)監督作品『欲望の翼』(1990年)は好きだけれど、
生粋のフィリピン映画となると、観ている本数が少ないので、
咄嗟に名前が出る監督は、ブリランテ・メンドーサくらい。

この『ダイ・ビューティフル』は、日本で、2016年、第29回東京国際映画祭での上映が発表された際、
簡単な作品紹介を読んで、なんとなく面白そうと予感したフィリピン映画。
…が、観に行けなかった。そうしたら、閉会式で、主演男優賞と観客賞をW受賞。
そういうのを知ってしまうと、益々観に行けなかった後悔がふつふつと湧いてくるものだ。
でも大丈夫。かなり早い時点で、この作品が買われ、日本で配給されることが発表されたのだ。
こうして私も、東京国際映画祭で御覧になった皆さまから遅れること約7ヶ月で、
このフィリピン映画に有り付けました。



本作品は、肉親から理解されず、いくつかの恋にも破れ、幾度となく悲しみの淵に沈んでも、
それでもなお誇りをもって自分らしくあろうとした一人のトランスジェンダー、トリシャの生涯を描く人間ドラマ


鑑賞前、本作品について知っていたのは、
主人公トリシャはトランスジェンダーでミスコンの女王であること、作品冒頭すでに死んでいること、
死から葬儀までの7日間、日替わりで有名人を真似た死化粧を施されること、…くらい。

死者を主人公に、彼女に施される7パターンの死化粧だけで、どうやって2時間をもたせるんだ?!
そもそもトリシャの周囲の人々は、なぜ亡くなった彼女の死化粧を毎日替えるのか?という疑問が湧いた。


に関しては、トリシャがすでに死者である現在は、あくまでも物語の基軸。
そこを出発点に、トリシャの生前の色んな地点に、幾度も幾度もフラッシュバックがある。
それら数々の回想シーンは、時系列通りではないので、
観ているこちら側は、最初の内、ちょっと混乱もするけれど、直に慣れ、
バラバラだった回想シーンが、パズルのピースのように、徐々に組み合わさり、
いつの間にか、トリシャという一人のトランスジェンダーの人生が浮かび上がってくる仕組み。

トリシャの人生、トリシャの人となりが見えて初めてに繋がる。
人生終盤のトリシャは達観しており、いくつもの困難や悲しみを経験した自分に誇りをもっているが、
それでも、まだ充分若い自分が、近い将来、くも膜下出血で死ぬなんて、思ってもいないであろう。
結果的に人生最後の参加となったコンテストの楽屋で、トリシャは親友のバーブスに、冗談交じりで言うのだ
「こんな大きなコンテストで勝てたら、もう死んでもいい。
死んだら、女王らしく、一週間毎日違うセレブリティのメイクをして、華やかに送ってもらいたい」と。
死を意識していない時にふと出た本音、
…あるいは、無意識下で死の足音を感じていたからこそ口をついた言葉かも知れないが、
バーブスをはじめとする友人たちは、トリシャの意思を汲み、トリシャをトリシャらしく送ってあげようとするのだ。
つまり、7日間の日替わりメイクや華やかな葬儀は、
トリシャを本当に大切に思い、尊重している友人たちの弔いのイベントだったのです。


葬儀には、宗教やお国柄がかなり出るので、お葬式が描かれる外国映画は、いつも興味深く観ている。
本作品で、主人公・トリシャのお葬式が執り行われているのは、
フローラというゲイの男性が運営する“ハッピー・エンディング”という葬儀場。
普通の葬儀場でなかなか受け入れてもらえないLGBTの受け皿として、フローラはここをオープン。
このようなLGBT向きの葬儀場が、フィリピンに実際に存在するのかは不明。
仮に有っても、映画の中で描かれているような葬儀が、フィリピンで一般的だとは思わない。
でも、葬儀を3日から一週間ほど続けるのは、実際にも当たり前だという。
理由は、フィリピンでは海外に働きに出る人が多いこともあり、
より多くの友人知人に、参列できる時間的余裕をもたせるためだったり、
もっと現実的には、より長く葬儀をやることで、より多くのお香典を集めるためらしい。
参列者の服装は、日本ほど厳格な決まりは無く、カジュアルでも良いのだと。


人々が気軽にお葬式に参加し、あまりジメジメした雰囲気が無いのは、
フィリピンと限らず、暖かな南の国々共通のユルさにも感じる。
但し、フィリピンは、人口の約8割がカトリックを信仰するカトリック大国でもある。
南国で、しかも多民族国家だと、誰に対しても寛容というイメージが湧くが、
カトリック信仰の強い点が、“LGBT先進国”とも呼ばれる近隣のタイなどとは異なる。


そもそも、自身が同性愛者で、同性婚もしているジュン・ロブレス・ラナ監督が、本作品を撮ろうとしたのは、
2014年に起きた俗に“ジェニファー・ロード事件”と呼ばれる殺人事件がキッカケだったという。
フィリピンで、ジェニファー・ロードさんというフィリピン人のトランスジェンダーが、
アメリカ人海兵隊員に殺害された事件で、裁判はフィリピン国内で大層な注目を集め、
犯人は有罪になったものの、その刑は軽かったらしい。
ジュン・ロブレス・ラナ監督が、その判決以上に心を痛めたのは、
SNSなどで「トランスジェンダーなんて殺されて当たり前」といった差別的発言が飛び交った事で、
だからこそ、セクシャル・マイノリティに対する理解を深め、
一人の人間であると分かってもらいたいという気持ちから、この作品を手掛けたみたい。




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主人公のトリシャ・エチェバリアを演じ、
前述のように、第29回東京国際映画祭で主演男優賞を獲得したのは、パオロ・バレステロス
私は、本作品を観るまで、彼のことをぜんぜん知らなかった。
フィリピン本国では、俳優のみならず、テレビ番組の司会などもしているそう。 普段は、(↓)こんな感じ。

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アメリカの青春学園ドラマに出てくるイケメンって感じ。

1982年生まれ、現在34歳のパオロ・バレステロスは、
本作品の中で、まだ“パトリック”という本名を名乗っていた高校生の頃から、死ぬまでのトリシャを
(正確には、死後のトリシャをも)、文字通り“七変化”で演じている。

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無理して普通の男の子として振る舞っていた高校生の頃、華やかに装い、コンテストに出場する時、
はたまた飾り気の無い日常と、メイクや衣装によって印象がガラリと変わる。
しかも、時系列バラバラで、過去と現在を行ったり来たりするから、
最初の内は、パオロ・バレステロスが同一人物に見えず、ちょっと混乱した。

死んで棺に納まっているトリシャは、日替わりで、様々なスタアに変身。
地元フィリピンの有名人は、元ネタを知らないので、似ているのか似ていないのか判断できないけれど、
アメリカのセレブだったら、特にジュリア・ロバーツとレディ・ガガはよく似ていた。

パオロ・バレステロスは、インスタなどを通し発表している、こういうスタアの変身メイクでも有名とのことで、
物語の中では、“メイクが得意な親友バーバスの手で変身させられる”という設定だが、
実際には、パオロ・バレステロス自身が自分の手で変身メイクを施したらしい。

東京国際映画祭に参加した時も…

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開会式はアンジェリーナ・ジョリー、閉会式はジュリア・ロバーツ。
観衆の目を楽しませてくれるエンターテイナーだわぁ~。そして、完成度が高い…!
こんな華やかな装いをナマで見た人は、得した気分ですね。
(補足しておくと、横で一緒に写っているのは、ジュン・ロブレス・ラナ監督。)
日本で物真似メイクというと、ざわちんが有名だけれど、そう言えば、ざわちんもフィリピンのハーフ。
物真似メイク好きは、フィリピンのDNA…?(←そんな事もないわね。清水ミチコはフィリピン人じゃないし。)


ま、ついつい外見的な変貌ぶりばかりを語ってしまうが、演技も良かった。
印象に残っているのは、例えば、恋心が踏みにじられるシーン。
高校時代の想い人、ミグスに誘われ喜んだのも束の間、輪姦(!)とか、
ゲイ・クラブのダンサーだったミコと付き合うようになり、美容整形代まで出してあげたのに(!!)、
相手にとって自分はただの金ヅルだったとか、
ようやく出逢った運命のお相手・ジェシーが、実はその昔ミグスと輪姦した仲間だったと判明するとか、
ダメンズにズタズタにされてばかりで、切ないのなんのって…。
最後のジェシーだけは、罪滅ぼしや同情心だけでトリシャと付き合ったのではなく、
キッカケは最悪でも、最終的には本当にトリシャを愛していたと信じたい。

あと、もっと印象的なのは、人生最後の晴れ舞台。
いくつもの困難や悲しみを経験した人生終盤のトリシャは、ひと皮剥けている。
昔から、ビューティーコンテストに出場する時は毎度毎度、
質問に対し、暗記しておいた“審査員ウケの良い答え”をそのままそらんじるトリシャは、
人生最後の大きなコンテストでも、暗記していた通りに、
「もし私が死に、もう一度生きるチャンスを与えられたとしたら、
他の誰でもなく、私自身であることを選ぶでしょう!」と答えるのだが、
その時のトリシャは、すでに自信に満ち溢れ、内面から輝き、
その模範回答が、もはや彼女自身の心からの言葉になっていると感じさせてくれるのだ。

演じているパオロ・バレステロス自身は、つい数ヶ月前、同性の恋人がいることをカムアウト。
もしかして、トリシャを演じた事や、その演技が認められた事が、
自信や、自分らしくいる勇気に繋がったのではないだろうか。





自分の性の問題を保守的な親から理解されず、頭ごなしに否定され、止むを得ず縁を切るとか、
純粋に愛した男性から、からかわれたり、気持ちを踏みにじられるとか、
本作品に描かれるセクシャルマイノリティに対する社会の無理解や差別、
彼らが抱える孤独や葛藤、またそこからの再生や希望といったものは、
これまでに発表された多くのLGBT作品と基本的には通じるので、目新しさは無い。
ただ、分かり易い普遍的な内容が、“フィリピン風味”で調理されている点は新鮮で、楽しく観ることができた。

フィリピンのビューティーコンテスト、ミス・ゲイ・フィリピーナのシステムは、最後までよく分からなかった。
作中、主人公・トリシャは、“ミス・バハマ”や“ミス・スコットランド”としてコンテストに参加しているのだが、
あれは、別に偽って海外からの参加者を装っているわけではなく、
観ている側も、それを“演出”として受け止め、ショーを楽しんでいるのよねぇ…?

大陸ドラマ『フビライ・ハン~忽必烈傳奇』

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1215年、蒙古、金、宋の三大勢力が競う中国大陸。
蒙古の英雄・成吉思汗(チンギス・カン)が、四男・ 拖雷(トルイ)を伴い、金に攻撃を仕掛けている最中、
拖雷の正妃・帖尼が、騒がしい軍営で第2子となる男の子を出産。
この子は、“忽必烈(フビライ)”と命名される。

1224年、蒙古軍が遠征から4年ぶりに哈拉和林(カラコルム)に帰還。
9歳の元気な少年に成長した忽必烈は、祖父・成吉思汗と父・拖雷に対面。
成吉思汗は早くも、忽必烈に他の子とは違う何かを感じ取り、自ら騎馬を教え、可愛がる。

1226年、蒙古軍は、西夏への攻撃を決定。
蒙古の伝統に従い、初陣を飾ることとなった忽必烈は、祖父に伴い、意気揚々と故郷を出発するが、
敵の防御は固く、想定外の苦戦を強いられることに。
これといった打開策も無く、誰もが頭を抱えている時、意外にも幼い忽必烈が良策を提案。
驚いた事に、この作戦で、なんと忽必烈の読み通り、蒙古軍は中興府をたったの3日で陥落。
ところが、喜びも束の間、成吉思汗の長男・朮赤(ジョチ)の訃報が舞い込む。
ショックと悲しみから、体力がみるみる内に衰え、死を悟った成吉思汗は、
三男・窩闊台(オゴデイ)に大汗の座を継承すること、
才気あふれる孫・忽必烈の教育を四人の忠臣に託すことを言い残し、この世を去る…。



2017年5月末、チャンネル銀河で始まった大陸ドラマ『フビライ・ハン~忽必烈傳奇』が、
8月上旬、全50話の放送を終了。
主演俳優の名前以外、惹かれる所がまったく無く、これっぽっちの期待もせずに観始めたら、
これが案外面白かった。(但し、一般的なドラマ好き女性にお薦めするような作品ではないかも…?)

★ 概要

徐小明(ツイ・シウミン)監督による2013年度のドラマ。

徐小明は、粵劇(広東オペラ)俳優の両親のもと、1953年、香港に生まれ、幼少期から武術をたしなみ、
5歳で子役としてスクリーンデビュー。
その後は、俳優業のみならず、監督、プロデューサー、武術指導者としてマルチに活躍。
私にとっては、『ロアン・リンユィ 阮玲玉』(1991年)、『墨攻』(2006年)、『ツインズ・ミッション』(2006年)、
『僕は君のために蝶になる』(2008年)といった映画のプロデューサーとしての印象が強い人で、
過去に監督した大陸ドラマは未見。

念の為、補足しておくと、同様に、監督、プロデューサーとして活躍し、
『五月の恋』(2004年)などを手掛けた徐小明(シュー・シャオミン)は、同姓同名の台湾人で、別人です。

ドラマのタイトルは、放送地域によって異なり、台湾では『大漠風雲』、香港/澳門では『建元風雲』。


このドラマが得た栄誉にも一応触れておくと、
MPAAアメリカ映画協会や中国の広電総局らの主催で、2004年からロスで行われている
中美電影節 Chinese American Film Festivalにおいて、
2013年、最佳電視劇(最優秀テレビドラマ賞)12本の内の一本、
また徐小明監督が、最佳電視劇導演(最優秀テレビドラマ監督賞)に選ばれている。
但し、この賞がどれ程度名誉な物なのかは不明。
中美電影節は、恐らく米中文化交流事業の一環で行われている映画祭で、
日本における東京・中国映画週間のようなイベントなのではないか…、と。
だとすると、そんなに有り難い賞ではないであろう。

★ 物語

内容は、誰もがタイトルから簡単に想像するように、
ズバリ、忽必烈(フビライ)の生涯を描く伝記ドラマ…!



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日本では“フビライ”、もしくは“クビライ”と呼ばれる忽必烈(1215-1294)。
名前くらいは知っていても、具体的に何をした、どんな人物かは、案外知らない日本人が多いであろう。
かく言う私がそういう日本人でして(苦笑)、忽必烈に関しては、蒙古襲来(1274/1281)を仕掛けた人、
<東方見聞録>のマルコ・ポーロ(1254-1324)が謁見した人、…という程度の認識。

(↓)こちら、イタリアの画家、トランクイッロ・クレモーナが1863年に描いた作品
<Marco Polo alla Corte del Gran Khan(大ハンの宮殿でのマルコ・ポーロ)>。

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この絵で見る忽必烈は、“モンゴル感”ゼロで、まるでヨーロッパの王様だが、
実のところ忽必烈は、蒙古帝国(モンゴル帝国)第5代大汗(大ハン)にして、元朝初代皇帝。

そもそも私は、蒙古の歴史が分かっていない。
蒙古で突出して有名なのは、成吉思汗(チンギス・カン 1162-1227)。
蒙古の遊牧民を統一し、蒙古帝国の基盤を築き、初代の大汗(大ハン)に君臨した人物。
忽必烈は、その成吉思汗の孫にあたる。具体的には、成吉思汗の四男・拖雷(トルイ)の次男。
(蒙古では、財産は末子相続、家督は実力によって継ぐ場合が多く、
長男でないことは、必ずしも帝位継承に不利ではないようだ。)

私と同じように、蒙古の歴史に暗い日本人だと、
蒙古の大汗というと、成吉思汗と忽必烈の2人しか答えられない人が多いだろうけれど、
実際には、成吉思汗→窩闊台(オゴデイ:成吉思汗の三男)→貴由(グユク:窩闊台の長男)
蒙哥(モンケ:成吉思汗の四男・拖雷の長男で忽必烈の兄)
忽必烈(蒙哥の弟)&阿里不哥(アリクブカ・忽必烈の弟)
…といった具合に、成吉思汗と忽必烈の間に、他3人が大汗の座に就いているし、
忽必烈と同時に実弟の阿里不哥も即位という異常事態になり、真の大汗の座を巡り骨肉の争いが勃発。
さらに、窩闊台の死後、窩闊台の妻・脫列哥那(トレゲネ)が、
貴由の死後、貴由の妻・海迷失(ガイミシュ)が、監国として実質政権を掌握していた時代もあるので、
忽必烈が大汗に君臨するまでには、長ぁーーい道のりがあるわけ。
その“忽必烈、大汗への棘の道のり”を描いているのが、本ドラマ。


忽必烈でもう一つ注目しておきたいのが、
1260年、開平で第5代大汗の座に就き、自らを“皇帝”と名乗った後、
1271年には、国号を“大元”とし、元朝を建立し、元朝初代皇帝となり、
首都も哈拉和林(カラコルム)から大都(現・北京)に移すなど、様々な改革を打ち出した点。

それら改革に、漢人の制度をかなり取り入れたり、漢人を重要なポストに登用したため、
蒙古の保守派から大きな反発を買う様子も、ドラマでは描かれる。

現在の北京で、忽必烈がここに都を造営した頃の面影が偲ばれる物はごく僅かで、
その一つが、元朝の城壁を遺した元大都城垣遺址公園。

元朝の面影はもはや無いが、忽必烈の命で創建された中国第二の規模の孔子廟は、有名な観光スポット。
参考までに、以下にリンク。

★ キャスト その①:主人公

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胡軍(フー・ジュン):忽必烈(1215-1294)~蒙古帝国第4代大汗にして元朝初代皇帝

本ドラマの主人公・忽必烈に関しては、前述の通り。
忽必烈どころか、蒙古の歴史にも文化にも大して興味の無かった私が、このドラマを観たのは、
この胡軍が主演俳優だったからに他ならない。
「えっ、胡軍が主演なの?じゃぁ、取り敢えず観てみようかナ」と。
北京出身の胡軍自身は、蒙古族ではなく、満族。
本来なら、蒙古帝国/元朝のドラマより、清朝のドラマの方が、血統的にはシックリ?

ドラマ冒頭では、忽必烈の祖父にあたるかの成吉思汗(チンギス・カン)は、まだ存命。
その頃、まだ幼かった忽必烈は、子役が演じているが、
第2話の初盤で成吉思汗が崩御し、次に描かれる“8年後”のシーンで、胡軍は早々に登場!
成吉思汗の崩御は1227年。その8年後、1235年だと、忽必烈は若干ハタチだったはず。
初々しいハタチの青年を演じるには、あまりにもオッサン過ぎる胡軍に、当初戸惑った私だが、
“厳しい自然環境の中、勇猛に生きる蒙古の男は、若干老けていて、年齢不詳”という思い込みもあり、
案外簡単に“ハタチのオッサン”に対する違和感は払拭された。

満族である胡軍が、蒙古族を演じる違和感も、同様に引っ掛からず。
胡軍は役作りのため、撮影前、国内外の関連本を読みまくる他、
内蒙古の呼倫貝爾(フルンボイル)草原で半月ほど蒙古族と生活を共にするという体験も。
さらに、トレーニングで筋肉を付け、体重を増量。
そのお陰で、身長184センチと、元々長身の胡軍が、2メートルくらいの大男に見える。
実際の忽必烈が大男だったかは不明だが、
胡軍の大きな身体からは、蒙古の英雄の勇壮さや大らかさが感じられ、なかなか良かった。
決して美中年ではないが、セコセコしていないあの感じは、結構好み。

このドラマで、胡軍は、アフレコも自ら担当。

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我々視聴者は、自分自身の声で演じる胡軍を鑑賞できます。…まぁ、日本では当たり前なのだけれど。
吹き替えがもうすっかり文化になっており、ほとんど慣習的に続けているとしか思えなかった中国だが、
近年ようやくその慣習に変化が見えてきて、俳優本人の声を聞きたい私には嬉しい。


ちなみに、プチ忽必烈は、(↓)こんな感じ。

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演じているのは、蘇嘉航(スー・ジアハン)くん。この可愛い子が、いきなりオッサン化しちゃうの。
2001年生まれで、今秋16歳になる彼は、
ヘイデン・クリステンセン、ニコラス・ケイジ、劉亦菲(リウ・イーフェイ)らが出演する中米合作映画
『ザ・レジェンド』(2014年)にも、結構重要な役で出ているみたい。(←私は未見)

★ キャスト その②:蒙古の歴代大汗たち

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唐國強(タン・グオチャン):成吉思汗 チンギス・カン(1162-1227)~初代大汗 忽必烈の祖父

北海道で肉料理の名前にもなるほど有名な英雄・成吉思汗(ジンギスカン)役で、名優・唐國強が出演。
しかし、本ドラマの主人公はあくまでも忽必烈なので、祖父の成吉思汗は早々に崩御。
贅沢な“唐國強使い”とも言える。
将来の大汗継承に関する成吉思汗の遺言は有ったのか、有ったなら誰を指名していたのかといった問題は、
後々まで引きずられ、争いの火種にもなる。



巴森(バーサンジャブ):窩闊台 オゴデイ(1186-1241)~第2代大汗 成吉思汗の三男

巴森は実際に蒙古族。しかも、成吉思汗の次男・察合台(チャガタイ)の末裔!
彼は、もしかして、本ドラマ出演者の内、日本で一番知られた俳優かも…? と言うのも…

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2001年放送のNHK大河ドラマ『北条時宗』に、忽必烈役で出演したから。
そう、巴森は、多くの日本人俳優が夢見る“大河俳優”なのですヨ。

そんな巴森が本ドラマで演じているのは、NHKで扮した忽必烈の叔父にあたる窩闊台。
窩闊台は、ちゃんと父・成吉思汗の御指名で即位したものの、
人徳があって出来の良い弟・拖雷と彼の息子たちの存在に怯え、排除を目論むイヤな男かと思いきや、
性悪の策士は彼の妻・脫列哥那で、窩闊台自身は脫列哥那の暴走を止めようとする、むしろイイ人であった。
(ただ、脫列哥那に簡単に丸め込まれてしまう不甲斐ない面も。)



黃建群(ファン・ジャンクン):貴由 グユク(1206-1248)~第3代大汗 窩闊台と脫列哥那の長男

意外にも公平な目を持っていた窩闊台は、無能な長男・貴由では大汗は務まらない、
国のためにも、自分の後継者にはしないと考えるが、それでは女房・脫列哥那の気は納まらない。
窩闊台の死後、脫列哥那はあの手この手の政治工作で、腹を痛めて産んだバカ息子・貴由を即位させる。
けれど、馬鹿はやっぱり馬鹿なので、自分の侍女・海迷失(ガイミシュ)を、貴由に嫁がせ監視させる。
利口者の母親と女房から監視され、元々の馬鹿に加え、自暴自棄にも陥るが、
その後、海迷失との夫婦愛に目覚め、人が変わり、二人で手を取り合って、善政を敷くようになるも、
その事で、夫婦VS母・脫列哥那の対立を深めてゆく。
演じている黃建群は、やけに精悍な暑苦しい二枚目で、“台湾版Ken Watanabe”って感じ。
なお、海迷失は、歴史上、貴由の第三皇后ではあったけれど、
脫列哥那の侍女だったという記述は残されていない。



高發(ガオ・ファ):蒙哥 モンケ(1209-1259)~第4代大汗 拖雷の長男 忽必烈の兄

拖雷の息子たちの中にも、武闘派と穏健派がいて、武闘派の代表格がこの蒙哥で、穏健派の方が忽必烈。
蒙哥は頭で考える前に、カーッとなって、手を上げてしまうタイプ。現代にもいる典型的な直情型の男。
性格は違えど、血の絆は固く、元々忽必烈との仲は良好だったのに、
次期大汗を決める段階になると、有能な弟・忽必烈を恐れ、牽制。
忽必烈が兄への忠誠心を示し、身を引いたことで、無事第4代大汗に即位できたため、
最初こそ弟に感謝し、厚遇もするが、取り巻きたちからの焚き付けもあり、
また徐々に忽必烈への疑念を募らせ、自分の力を示そうと言わんばかりに、釣魚山へ無謀な侵攻をし、
結果、戦いに大敗した上、疫病にかかり、死亡する。
このドラマで見る蒙哥は、一見ゴーカイ、でも中身はちっちゃな男で、頭もあまりよろしくないという印象だが、
実際の蒙哥は、指導力があり、それなりの功績を遺した有能な大汗だったようですね。



吳樾(ウー・ユエ):阿里不哥 アリクブカ(1219?-1266)~第4代大汗 拖雷の七子 蒙哥・忽必烈の弟

阿里不哥もまた拖雷家の武闘派。兄弟の中で気が合うのは、もちろん長兄・蒙哥。
忽必烈とも元々は仲良しだったのだが、初恋の女性・庫薩爾(クサアル)を取られたことで、
激しい怨みを募らせていく。
蒙哥が戦地で死んだ時、都・哈拉和林(カラコルム)を任されていた阿里不哥は、大汗に即位するが、
同時期に忽必烈もまた開平で即位したたため、一国に大汗が二人という異常事態になり、
真の大汗の座を巡る骨肉の争いに発展。
史実では、女を取られた恨みなどは語られていない。
阿里不哥は、漢人を登用したり、漢人の文化を取り入れる忽必烈の漢化が許せず、
あくまでも蒙古にこだわったようなので、兄弟対立の一番の要因は、
やはり考えや政策の違いが大きかったのであろう。現代にも通じる保守派と革新派の対立って感じ。

阿里不哥を演じているのは、回族の俳優で、アクション出身の吳樾。

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武術の形を決めている吳樾は、本当にカッコイイ…!
キレのあるアクションと、明るく優しい人柄で、日本にもファンがいっぱい居るけれど、
ドラマの中の阿里不哥は、卑屈で、セセこましく、ほんと、イヤな奴!全登場人物の中で一番嫌いっ…!
演じる本人とこれだけギャップがあるということは、それだけ上手いんでしょうね。

★ キャスト その③:その他

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このドラマは登場人物が多いので、他のキャストは絞りに絞った数名を。


呂良偉(レイ・ロイ):拖雷 トルイ(1192-1232)~成吉思汗の四男 忽必烈の父

実直な性格で、人望が厚く、父・成吉思汗からも目を掛けられるが、あくまでも控えめで、
第2代大汗を継いだ兄・窩闊台を支え続けるが、有能ゆえ窩闊台の妃・脫列哥那から危険視され、
重病に陥った窩闊台の身代わりになれと、妖しい汚水を飲まされ、健康を害し、死亡。
真偽のほどはさておき、この“呪いの汚水で死亡説”は、実際に逸話として言い伝えられているそう。
演じているのは、ベトナム出身の香港明星・呂良偉。
精悍で、誠実そうで、とても素敵な呂良偉、私生活では、石田純一とタイ記録の結婚3回。
一度目と二度目は、結婚期間たったの一年ポッキリ。“三度目の正直”で3回目は続いております。
ちなみに、一度目の奥さんは、『武則天 The Empress~武媚娘傳奇』での楊淑妃役が記憶に新しい
周海媚(キャシー・チャウ)。



哈斯高娃(ハースカオワー):帖尼 ベキ(1192-1252)~拖雷の正妃 忽必烈の生母

拖雷の正妃・帖尼は拖雷と同じように控えめな性格で、贅沢を好まず、質素。
“能ある鷹は爪を隠す”タイプで、実のところ聡明な、一家をまとめる良妻賢母。
帖尼が生きている間は、性格の違う息子たちも、彼女の言う事を聞いて、何とか均等を保てていたのに、
帖尼の死で、ブレーキをかけてくれる人が居なくなり、兄弟間に亀裂が…。
歴史上の帖尼は、蒙哥、忽必烈、阿里不哥を大汗、
三男・旭烈兀(フレグ)を伊兒汗國(イルハン朝)の創始者に育て上げた“四帝之母”と称えられているそう。
扮する哈斯高娃は、特徴的な名前からも分かるように、実際に蒙古族の女優さん。



佘詩曼(カーメイン・シェー):察必 チャブイ(1227-1281)~忽必烈の正妃

忽必烈から愛され、大切にされている察必は、だからと言って、可愛いだけの女性ではなく、
忽必烈に的確なアドバイスをだし、政でも彼を支えるキレ者のパートナー。
実際の察必も、忽必烈と深い愛情で結ばれ、
さらに、財テクまで上手かった賢い女性と言い伝えられている。
察必役の佘詩曼は、1997年、女優への登竜門とも言われる香港小姐(ミス香港)で3位を獲得し、
TVB 無綫電視と契約、以降、香港のテレビドラマを中心に出演作多数の香港明星。
ちょっとクセのある美人なのが、いかにも“香港女優”って感じ。

ちなみに、本ドラマの中の察必ママ・五公主は、(↓)こんな人。

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母娘でぜんぜん似ていなーい。ママ、モンゴル相撲できそう。
五公主役の劉思博(リウ・スーボー)は、身長178センチ、
横にも縦にも大きなインパクトのあるボディを生かし、コメディエンヌとして注目されてきてはいるものの、
まだ出演作が少なく、情報も少ない。恐らく、娘役の佘詩曼よりずっと若いのではないだろうか。



徐冬梅(シュー・ドンメイ):庫薩爾 クサアル~阿里不哥の想い人 忽必烈の側妃

架空の人物・庫薩爾は、阿里不哥が初めて本気で愛した女性。
阿里不哥は自分の身分や気持ちを隠し、庫薩爾と交流し、彼女と両想いであるという確信を得たため、
ついにプロポーズしようとしたら、な、な、なんと、庫薩爾は忽必烈の側妃になってしまう。
庫薩爾がずっと想っていたのは忽必烈で、半ば“押しかけ女房”的な強引さで、側妃の座を射止めたのだが、
阿里不哥は、「忽必烈に愛する女を奪われた」と兄を逆恨みし、以後、兄弟間の亀裂を深めていく。
たかが失恋で、あそこまで兄を怨み、凶暴化していく阿里不哥も阿里不哥だが、
この庫薩爾の言動にも大いに問題あり。彼女の様子を見ていたら、誰だって阿里不哥と両想いだと思う。
庫薩爾の「初めて見た時からずっと忽必烈が好きで、嫁ぐのは彼と決めていた」発言は、あまりにも唐突で、
視聴者の多くは、我が耳を疑ったに違いない。忽必烈も、こんな面倒な女をよく娶ってあげたものだ。
演じているのは、踊れてアクションもできる徐冬梅。
まるでゴーギャンが描くタヒチの女のようにエキゾティックな風貌だが、漢族です。




蔡雯艷(ツァイ・ウェンイェン):脫列哥那 トレゲネ(?-1246)~窩闊台の妃 貴由の生母

脫列哥那は本ドラマ一の悪役。まずは夫・窩闊台を、次いで息子・貴由を大汗に即位させ、
我が家の基盤を強固なものにしたいという嫁ゴコロ、母ゴコロが根底にあって盲目の爆走をする
フツーの女性に見えなくもない。同じ悪役でも、阿里不哥と違い、卑屈さは無く、
日本でもそこらにゴロゴロ居る“悪びれずにフテブテしいオバちゃん”って感じなので、
私も慣れがあるのか、仕舞いには、彼女の暴挙を笑って傍観できるようになってしまった。
そんな暴走オバちゃん脫列哥那にも色々あって、蒙哥の大汗即位後は、人格が180度激変し、
己の過去を悔い、従順になり、かつての宿敵・忽必烈に誠心誠意仕えるようになる。
実際の脫列哥那は、息子・貴由の大汗即位を成功させた2ヶ月後に、安心したかのように亡くなっているので、
ドラマの中で描かれるその後の脫列哥那については、全てフィクション。
演じている蔡雯艷は、大陸屈指のベテラン女優!と言いたい風格だが、
実のところ、出演作多数でも、これまで小さな役が多かったため、注目されることもあまり無く、情報が少ない。
孫儷(スン・リー)主演作『ミーユエ 王朝を照らす月~羋月傳』の嬴夫人役で、再度注目が集まっているので、
熟女になってから一花咲かせた大器晩成型女優と言えそうですね。



徐向東(シュウ・シアントン/じょ・こうとう):霍赤 フチ~脫列哥那の側近

脫列哥那といつもセットで登場する側近・霍赤もまた忘れ難い。
“霍赤”なる人物は歴史上存在しないようだが、ドラマの中に描かれている、“脫列哥那に重用された”、
“脫列哥那を後ろ盾に、耶律楚材ら邪魔な忠臣を排除した”、
“窩闊台に酒を勧め、死期を早めた”といった数々の黒いエピソードから、
モデルは、回国(イスラム)商人出身の奧都剌合蠻(アブドゥッラフマーン ?-1246)と考えて間違い無いであろう。
コブラのように広がったエキゾティックな髪型からして、ミステリアスな西域の香りがするし。
実際の奧都剌合蠻も、ドラマと同じように、脫列哥那とタッグを組んで、貴由の大汗擁立を成功させるのだが、
1246年に脫列哥那が死ぬと、その貴由から処刑されてしまう。
本ドラマの方では、失脚し姿を消したものの、実は生き永らえていて、終盤、阿里不哥に見出され、再登場。
演じているのは、日本でも、コアな武術マニアから地味に支持され続けている鷹爪拳の名手・徐向東…!
指導者としてお忙しくされているため、年齢の割りに出演作が少ないので、
この『フビライ・ハン』は、胡散臭い徐向東を堪能できる貴重な作品です。…但し、アクションはほぼ皆無。



張岩(チャン・イェン):耶律楚材 やりつ・そざい 1190-1244~成吉思汗四大忠臣の一人 契丹族

耶律楚材は、成吉思汗に才能を見出され、仕官し、その後、第2代大汗・窩闊台にも重用され、
初期の蒙古帝国を支えた契丹族の忠臣。
本ドラマで、耶律楚材は、成吉思汗が遺した後継者に関する秘密の遺言を、
窩闊台の死後、監国になった脫列哥那から守るため、逃亡するが、
脫列哥那の手先に追われ、無残にも殺されてしまう。
…ところが、忘れた頃に、なぜか耶律楚材が生き返り再登場!
いや、これ、耶律楚材と生き写しの息子・耶律鑄(1221-1285)。
父の意思を継ぐ耶律鑄は、時の大汗・蒙哥に仕えるようになる。
耶律楚材&耶律鑄父子は、張岩の一人二役。



馬浚偉(スティーブン・マー):劉秉忠(1216-1274)~忽必烈の宰相 漢人

劉秉忠は、17歳で官職に就くが、乱世の史事に失望し、出家して、“子聰”の法号を名乗る僧侶になるも、
師匠・海雲大師の推挙で忽必烈に出会ったことで、還俗して、忽必烈に仕えるようになる漢人。
忽必烈は、劉秉忠のような漢人に重要なポストを与えたり、漢人の文化や知恵を積極的に取り入れた事で、
“蒙古ファースト”の蒙古の保守派から大反発を受けるのだが、
漢人が大多数を占める大陸を、マイノリティの蒙古族・忽必烈が支配し、元朝まで建立できたのは、
やはり民族に縛られず、才能で人材を登用したり、漢文化の理解に努めた事は、大きいであろう。
そんな劉秉忠に扮しているのは、歌手で俳優の馬浚偉 from香港。
TVB 無綫電視の契約俳優として出演した同局のドラマは数多く有っても、
他が少ないので、日本では目にする機会が少ない香港明星ですよね。
のっぺりしたお顔立ちが、“元僧侶の宰相”という設定にピッタリ。

★ 衣装

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蒙古の服飾文化には、あまり興味が無い私。
それでも、脫列哥那ら女性の頭にのっているお帽子は、目に留まってしまう。
当ブログでは、以前にも、ちょこっと触れた事があるのだが、
塔のように高くそびえ立つこの被り物は、蒙古特有の“姑姑冠”というもの。
他にも、“顧姑冠”、“罟罟冠”等々、呼び方は色々あり。



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画像右は、忽必烈の正妃・察必(チャブイ)の肖像画。
このような姑姑冠は、高さがだいたい三十数センチ。
本体は樺などの樹皮で作られ、そこに、さらに、布を貼ったり(蒙古族は特に赤を好んだという)、
金銀、宝石、羽毛などで装飾を施した物も。
残念ながら、素材の特質上、保存が困難で、現存する物は稀。

姑姑冠を被るのは、蒙古貴族の既婚女性。
見た目で簡単に未婚/既婚を識別させるのは、蒙古に限った事ではなく、多くの民族が行っていること。
蒙古族の間では、婚礼の際に、新郎が新婦に姑姑冠を被せることも、重要な儀式だったという。

「平民は姑姑冠を被るべからず!」というお達しは明確には出されておらず。
ただ、この背の高~い姑姑冠を被ったら、アクティヴに動けなくなるのは、想像に容易い。
野良仕事などをしなければならない下々の女性には、明らかに不便な無用の長物。
姑姑冠が、高貴な女性の象徴になたのは、必然かも知れません。

★ テーマ曲

オープニング曲は、戴玉強(ダイ・ユーチャン)が歌う<乾坤無地不包容>
エンディング曲は、金婷婷(ジン・ティンティン)が歌う<淚水打落了花蕾>
戴玉強は著名な男性声楽家、金婷婷は女性のソプラノ歌手。
主演のアイドル俳優にテーマ曲を歌わせることも多いけれど、本ドラマの場合は、実力派による本格的な歌。
オープニング曲は、“日本の演歌歌手が民謡調に歌う力強い大漁節”を彷彿させ、
日本人にはどこか懐かしさがある。
エンディング曲の方は、子守歌のようなゆったりした曲調で、これまた郷愁を誘う。
もしかして、演奏に馬頭琴を使っている?モンゴルの大草原を思い起こす音がする。
そんな訳で、ここには、そのエンディング曲<淚水打落了花蕾>を。







忽必烈阿里不哥の帝位継承の乱で、忽必烈が勝利し、蒙古帝国唯一の大汗になった時点で、
ドラマは実質終了。その後、元号を“大元”に改めたこと、大都に都を築いたこと、1294年に没したことなどは、
ナレーションで簡単に説明されるのみ。
脚本が多少雑、映像が特筆するほどではない、そもそも蒙古にも忽必烈にも関心が低い、…とまぁ、
惹かれる要素のほとんど無いドラマだったにも拘わらず、結構楽しめた。
同じチャンネル銀河で、同時期、夜に放送の『皇貴妃の宮廷~多情江山』より、こちらの方に夢中になったのは、
自分でも想定外。一体『フビライ・ハン』の何が良かったのでしょう…??
実際、心揺さぶられた!涙が止めどなく溢れた!などというタイプの作品ではなく、
想像で肉付けした史実を淡々と追っているだけと言ってしまえばそれまでなのだが、
大帝国を支え、歴史に名を残した人物には、やはりそれなりのドラマが有るもので、
その波乱の歩みを、長いようで短い50話の中で、サクサクと見せてくれたら、退屈なわけがないのです。
日本の歴史とは比べ物にならない程スケールが大きいし、壮大な大河ドラマでしたワ。
甘ったるいラヴストーリーなんかより、有るがままの歴史を学べる方が、知的好奇心も満たされる。
この前に放送した『絢爛たる一族 華と乱~木府風雲』も、映像に野暮ったさがあっても、地味に面白かったし、
チャンネル銀河の夕方4時半枠は、意外と侮れない。

こうなると、次にも期待してしまうところだが、本日、2017年8月7日(月曜)スタートの後番組は、
スコットランド女王を描くアメリカ制作のドラマ『クイーン・メアリー 愛と欲望の王宮~Reign』で、
しかも、吹き替え版なので、迷うことなく捨てました。
夕方に吹き替え版ドラマを放送するのは、やはり家事の片手間に“ながら視聴”をする主婦層狙い?
恋愛要素がほとんど無い『フビライ・ハン』のような歴史ドラマは、恐らく中高年男性向きで、
もしかして、ちゃんと宣伝して、他の時間帯に放送したら、もう少し視聴者が増えたかも知れませんね。

山椒を使った和の甘味2種(+日々の雑記)

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2016年12月、何の前触れもなく急死した前任のパソコンに代わり、
急遽購入したおニューのパソコンが、半年で妖しい動きを見せ始め、先週、8ヶ月でついに完全故障。
私が買ったのは、もちろん中古ではなく、ぴかぴかの新品。
よく「家電製品には当たり外れがある」という人がいるけれど、
確かに、私、“ハズレ”を掴んでしまった気がしている。
早々の故障にただでさえガックリなのに、
お盆休みの時期という事で、普段より修理に時間がかかるという二重の悲劇。
こんなに早く壊れるとは思っていなかったため、画像のバックアップを取っていなかったのだが、
それらが無事保護されたまま、この度、修理を完了し、私の手元にこうして戻ってきたのが、不幸中の幸い。
私の金城武フォルダ、張震(チャン・チェン)フォルダ、『琅琊榜(ろうやぼう)』フォルダ等々、
魅惑の男たちの画像の数々が、消えずに生き残っていてくれた事に、ありがとう!




そんな訳で、パソコンが戻ってきたので、久し振りに自分のブログを覗いたら、
ここのところ、常に、映画『狙った恋の落とし方。』(2008年)で検索し、
当ブログにお越しになる方が、かなりいらっしゃる。
十年近く前の中国映画が、よりによって今なぜ?!と疑問ふつふつ。
最近テレビで放送されたのか?
私がこの映画を観たのは、もう随分前。もし放送されたのなら、久し振りに私も観たかった。
観逃してしまい残念!などと悔いたのだが、結局のところ、放送はされておらず、
どうやら皆さまが検索する理由は他にあるようだ。
7月下旬、北海道で行方が分からなくなった中国の小学校教師・危秋潔さんに関しての報道で、
『狙った恋の落とし方。』が何度か取り上げられたようですね。


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そう、“お正月映画の巨匠”馮小剛(フォン・シャオガン)監督作品『狙った恋の落とし方。』は、
北海道で撮影されたコメディ映画。
この映画の大ヒットで、中国では北海道旅行ブームが起きたとまで言われている。

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毒蝮三太夫なら“ババァ”、みのもんたなら“お嬢さん”と呼びそうな
年季の入った日本のお姐サマ4人組なども出てきて、日本人が観ても楽しい。
(但し、あくまでもお気楽コメディであり、これを観て、北海道への旅情を駆り立てられる映画だとは思えない。)

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日本で有名な徐若瑄(ビビアン・スー)も、台湾外省人のお嬢様役で特別出演。
(ぜんぜん関係ないけれど、徐若瑄は、2014年に結婚したシンガポールの富豪の御主人が、
破産の危機に直面しているため、稼いで家計を支えなければならないと最近報道されたが、大丈夫か?)

どういうキッカケであれ、この映画に興味をもったのなら、試しにご覧下さい!とお薦めしたいところだけれど、
この映画のタイトルで検索して当ブログに来る人の多くが、
続編の『狙った恋の落とし方。2』の方ばかりにアクセスしている。
恐らく、ネットで検索すると、続編の方が上位に出てきてしまうのであろう。
続編の舞台は北京と三亞で、北海道は関係ない。

改めて、以下にリンクしておく。

→北海道で撮影されたヒット作。

→こちらは続編。

危秋潔さんに関しては、無事見付かることを祈るばかりです。





お菓子は、山椒を使った和の甘味を2ツ。
唐辛子をチョコレートなどと合わせた洋菓子は、何種類か試してみたものの、
今のところ、美味しい!と心底感動したことが無いのだが、
山椒を合わせた和菓子には、傑作が多いい気がする。
どの山椒菓子にも、“斬新さを狙って、変わった和菓子を作りました!”というアザトさは無く、
ちゃんと伝統的で上品な和菓子であり、しかも美味。
今回の物は、一つが私の定番、もう一つはお初の品なのだけれど、どちらも美味しくて、お気に入り。

★ 仙太郎:和三盆 山椒餅

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箱の大きさは、だいたい幅8センチ×長さ17センチ×深さ2.5センチ。
山椒を練り込んだ求肥に和三盆糖をまぶした餅菓子。




ひとつめは、仙太郎(公式サイト)“和三盆 山椒餅”
仙太郎の店頭はよく覗くが、このような商品があることは知らなかった。見付けて、ビビッと来て、即購入。

平たい円盤状に成形された求肥は、一個の大きさが3~4.5センチと不定形。
ザッと数えたところ、ひと箱に20個程度入っている。

求肥は柔らかで、かつ、モッチリした弾力あり。
山椒の味は、ピリッとしっかり感じられる。

そこにまぶされているのは和三盆糖。
…いや、正確には、和三盆糖だけではなく、和三盆糖をベースに、上白糖とグラニュー糖をブレンドした物。
和三盆だけの方が高級なイメージで、混ぜ物をするなんてズルイ!なんて思ったら、大間違い。
3種類ブレンドしているのが、意外にもミソ。
それぞれ、食感や口の中で溶ける速さが違うので、面白い効果になっている。


山椒の辛みと、和三盆の優しい甘さが調和して、美味。
山椒を練り込んだ求肥というと、鎌倉・長嶋屋の“切山椒”がお気に入りだが、
こちらは、あれを、もう少し上品にした感じ。
またまた好きな山椒菓子が増えてしまった。
これ、最初に聞いた話だと、通年商品とのことだったので、
「えぇー、今までこんな商品があったなんて気付かなかった!これからはしょっちゅう買う!」と意気込み、
実際、2回は購入したのだが、最近また買おうと思ったら、ショウケースの中に見当たらない。
店員さんに尋ねたところ、「今年の販売は終わりました」とのこと。
通年商品ではなく、夏季限定商品だったのだろうか。ガッカリ…!
仙太郎さま、頼むから一年中売って。
一年中いつでも食べたいし、生菓子なのに、賞味期限が4~5日あるのも、良いのです。

★ 鈴懸:山椒餅

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大きさは、直径約4センチ。
山椒を混ぜ込んだヒヨクモチでこし餡を包んだお菓子。




もう一つは、鈴懸(公式サイト)“山椒餅”
こちらは初めての物ではない。
毎年、8月になると、店頭に並ぶ商品。

ヒヨクモチとは、もち米の品種で、佐賀県産のものを使用。
要は、こし餡を包んだ道明寺なのだが、そこに山椒を添えているのが特徴。
山椒は上部にパラパラ振り掛けられているだけではなく、外皮に混ぜ込まれている。
画像では分かりにくいけれど、よく見ると、もち米の所々に、緑色の点々が。
このお菓子を知らない人が見たら、カビが生えていると勘違いしそう。

その山椒は、高知県仁淀の澄んだ水で育った物を使用とのこと。
ドギツイ味ではなく、豊かな香りとほんのりした辛みが、よいアクセントに。
中に包まれている鈴懸定番のこし餡との相性良し。


コロッと丸い形が可愛らしく、味も上品で、大好きなお菓子。
販売期間が短く、8月の2週間程度しかないのが、残念。
夏の間中売ってくれれば、もっと何度も買えるのに…。
例年通り8月半ばまでの販売なら、私のパソコンが修理に出されている間に、店頭から消えてしまったかも?
興味のある方は、ダメ元でも、なるべく早くお店にチェックしに行った方が良いかも知れません。

生誕記念に紅キーツマンゴー♪(+『追捕』予告編公開)

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シニアによるシニアのための昼ドラ『やすらぎの郷』で、まさかアクションを披露する倉田保昭を見るとは…。
まるで、日本版『燃えよ!じじぃドラゴン』(2010年)、もしくは、日本版『おじいちゃんはデブゴン』(2015年)。
侮れませんワ、『やすらぎの郷』。


そんな倉田保昭も出演しているという映画『追捕 MANHUNT』

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吳宇森(ジョン・ウー)監督の手で蘇る高倉健主演映画『君よ憤怒の河を渉れ』(1974年)の中華版リメイク。
主演は、オリジナル版の健さんに相当する役で、中国の張涵予(チャン・ハンユー)と、
原田芳雄に相当する役で、日本の福山雅治。
そんな『追捕』が、間も無く、第74回ヴェネツィア国際映画祭でプレミア上映されるということで、
昨日、それに先駆け、トレーラーが公開。




『君よ憤怒の河を渉れ』をリメイクしたところで、今の時代にそぐうのか?というのが、
私が抱く懸念の一つであるが、この予告を観る限り、ちゃんと今っぽいですね。

オリジナル版で、一番キョーレツに印象に残っているのは、
健さんを後ろに乗せた中野良子が、新宿西口を馬で疾走(…!)するという奇想天外なシーンなのだけれど、
ああいうのは、リメイクにも取り入れられるのだろうか。
予告編に映る、2台のボートが河で競り合うシーンは、あの伝説の迷シーンに近いかも?

あと、女性陣が挑むガンアクションが、オリジナル版に比べ、ずっと多いのも、時代の変化か。


そう、吳宇森監督作品のお約束と言えば、観衆が、白い鳩と同じくらい期待してしまうのが、二丁拳銃!

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画像は、『狼/男たちの挽歌 最終章』(1989年)の周潤發(チョウ・ユンファ)と、
『フェイス/オフ』(1997年)のニコラス・ケイジ。
『追捕』の予告編では、女性が長ーいテーブルを滑りながら2丁の拳銃で撃ちまくっている。

新作『追捕』では、他にも(↓)このようなガンアクションが。

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“一杯のかけ蕎麦”ならぬ、“一丁の拳銃”。(“ケーキ入刀”っぽくもある。)
この新作では、吳宇森監督の硬派な“男男美學”が蘇っているとの報道もあるが、
確かに、中年男二人が、仲良く一丁の拳銃を握る様には、
まだお尻の青いアイドル俳優には醸せない、成熟のブロマンス的要素を感じなくもない。

どんな映画に仕上がっているのでしょうね、『追捕』。
大阪、岡山などでもたっぷり撮影が行われているので、
我々日本在住者には、最低限、ロケ地をチェックする楽しみはありそう。

なお、ヴェネツィア国際映画祭でのお披露目は、2017年9月8日。
張涵予と福山雅治は、吳宇森監督と一緒に、きっとヴェネツィアに登場しますよね…?
日本公開は、2018年の予定。

★ 紅キーツマンゴー

ところで、私個人はと言いますと、パソコンの故障もあって、ブログへの投稿が遅れたが、
先月、香港で甄子丹(ドニー・イェン)と陳奕迅(イーソン・チャン)が御生誕記念を祝したその日、
ここ東京で、私まで、例年通り、またまた一つ年を重ねてしまった。
もはや嬉しくもナンともなく、記憶からも消し去っている誕生日だが、
今年も、親切な友人Mから、贈り物が届いた。

私にとっては、もうこの時期の定番になっている三越の包み。
開ける前から、中に何が入っているのか察しがつく。

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大きな箱に、ゴロンと大きなマンゴーが一つ。
はい、こちら、サンフルーツの沖縄産高級紅キーツマンゴー(レッド・キーツ・マンゴー)
画像では分かりにくいが、乳幼児の頭部ほどの大きさがある。

触ったら、まだ固かったので、取り敢えず追熟。
一週間ほどしたら、程よい柔らかさになり、香りもさらに強くなり、周囲に甘くプーンと漂ってきたでの、
冷蔵庫で冷やし、いざカット。

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切り方、食べ方は、人それぞれだろうが、私は3枚におろし、ひとつを親にお裾分け。
もう一切れと、種がある真ん中の部分は、自分用。

かなり大きなマンゴーだが、種は実はかなり薄い。
綺麗とは言い難い写真だが、参考までに(一応、洗浄済みですので)。

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種が薄いので、その周囲には果肉がたっぷり。
その部分だけでも、通常のマンゴー一個分くらいの果肉が付いている。
お行儀悪いけれど、そこは贅沢にそのままかぶり付き。



メインの部分もそのまんま。これ以上包丁は入れない。
以前は、お店でサーヴされる時のように、綺麗にさいの目にカットしていたのだが、
このままスプーンで掘りながら食べる方が贅沢、かつ美味と考えを変え、以降は“そのまんま派”。
プリンを大好きな人が、「大きなバケツいっぱいのプリンを、一人で抱えて食べてみたい!」という
あの感覚と同じ。
気のせいか、こうやって食べた方が、さいの目カットより美味しく感じる。

市場に出回る量が少ない紅キーツは、別に希少性だけが取り柄ではなく、ちゃんと味も良い。
果汁が多く、果肉は繊維質をまったく感じさせないトロンとした滑らかさ。
マンゴーというと、濃厚な甘さを美味しさの基準にする人も多いであろう。
確かに紅キーツも甘いのだが、それだけではなく、ほんのり酸味があるのが特徴。
つまり、甘いのに爽やかなマンゴー、それが紅キーツ種。




今年もマンゴー堪能いたしました…!
日本の家庭にも、すっかり浸透したマンゴーだが、これくらい大きく高級な物になると、
なかなか自分用には購入しないので、贈られると非常に嬉しい。夏生まれで良かった。
持つべきものは良き友なり。友人Mさま、毎度ありがとうございます!
皆さまも、機会があれば是非ご賞味を。自分用じゃなくても、贈答用にしたら、相当喜ばれると思う。

映画『春の夢』

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【2016年/韓国/101min.】
韓国・ソウルの水色洞(スセットン)。
益俊、鍾彬、庭凡は、いい年して、いつもツルんでいる友人同士。
性格も背景も異なる3人が唯一共通して恋い焦がれるのは、朝鮮族の藝璃。
韓国人の父を頼り、延辺からやって来て、
鍾彬の父親から場所を借り、“고향酒幕(故郷酒場)”という小さな酒場を営む女主人。
益俊、鍾彬、庭凡の3人は、マドンナ藝璃目当てで、来る日も来る日も、この酒場に入り浸る…。



『春の夢』といっても、木下恵介監督、1960年の作品ではございません。
こちら、張律(チャン・リュル)監督の最新作。
張律監督は、中国でも朝鮮族の多い吉林省延辺朝鮮族自治州の出身で、自身も朝鮮族。
監督の作品は、中国インディペンデント映画祭でくらいしか、なかなか観る機会が無いと思っていたが、
この度、シネマート新宿で開催のハートアンドハーツ・コリアン・フィルムウィークで上映されたので、観てきた。
(鑑賞から日が経つ。パソコンが壊れて、ブログへの投稿が遅れた。)



本作品は、いつもツルんでいる3人の男たち、
チンピラの益俊(イクチュン)、脱北者の庭凡(ジョンボム)、小金持ちの鍾彬(ジュンビン)と、
父親の介護をしながら、居酒屋を営む朝鮮族で、彼らみんなのマドンナ・藝璃(イェリ)との日々を
モノトーンの映像で綴った物語。

近年、張律監督は、お仕事の拠点が韓国で、これも韓国を舞台に、韓国語で展開する韓国映画。

敢えてジャンル分けするなら、こういう作品はどこに属すのだろう。
配給会社の紹介では、“青春映画”と記されている。
主人公の3人組が、“青春”というには、あまりにもオッサン過ぎるため(笑)、
“青春映画”と位置付けることには抵抗を感じるが、
彼らが競って憧れのマドンナに気に入られようとする様や、
オチが有るような無いような、他愛のない会話を繰り広げる様を見ていると、
若い頃から青春がずっと終わらないまま中年になった男たちのユルい青春映画に思えてくる。


登場人物たちの背景は様々。
同じ韓国生まれ韓国育ちの韓国人でも、チンピラの益俊は親を知らない施設育ち、
一方、鍾彬は、父親が不動産を所有するそこそこ裕福な家庭の息子。
庭凡は脱北者で、給料未払いのまま、職場を不当解雇。密告されて、刑務所に入った過去もあるようだ。
マドンナ・藝璃は延辺出身。朝鮮族の母と、韓国からやって来た男性との間に生まれた娘。
母が癌で死ぬ間際に存在を打ち明けた父を頼り、韓国へやって来たものの、
間も無くしてその父が、要介護の状態に陥り、以降、居酒屋を営みながら、父の世話に追われる生活。
似た目鼻立ちで、同じ言葉を喋ってはいても、生粋の地元韓国人、脱北者、朝鮮族がいて
(4人には、“社会の主流に属さない、はみ出し者”という共通点あり)、
さらに、脱北者への差別や、老人介護といった問題も盛り込まれ、
この映画の中の小さな世界は、まるで韓国社会の縮図のよう。



中国的要素も盛り込まれており、例えば、その一つは、会話の中に登場する成龍(ジャッキー・チェン)。
「ジャッキー・チェンって、本当は韓国人らしいよ。」
「えっ、そうなの?誰から聞いたんだよ?!」
「不動産屋が言っていた。」
日本と同じように中国でも、韓国人はあれもこれも韓国の物にしたがる、
いわゆる“ウリジナル”を主張しがちと揶揄されている事から、
張律監督はジョークで、この“成龍韓国人説”を会話の中に取り入れたらしい。
(そして、脱北者の庭凡だけは、そもそも成龍を知らず、友人たちから酔拳の説明をされる。)

もう一つは、唐代の詩人・李白(701-762)の<静夜思(せいやし)>。
張律監督が<静夜思>を作品に使ったのは、これが、中国の学校では、誰もが暗唱させられる有名な詩で、
また、望郷の念を詠ったものというのが、大きな理由みたいだが、
張律監督はさらに「著作権が切れているから」とも話している。冗談か本心かは不明。

ずっと白黒で描かれてきた作品は、最後の最後で、カラーになり、
えっ、今までさんざん語られてきたお話は全部夢だったの?それとも白黒が現実でカラーが夢…?!と
狐につままれたような気分になるのだけれど、
色々な経験が瞬時に泡となり、幻と現実の境界が曖昧なあの感覚にも、
<邯鄲の夢>に代表される“中国っぽさ”を感じる。




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主な出演は、チンピラに梁益俊(ヤン・イクチュン)、大家の息子に尹鍾彬(ユン・ジョンビン)
脱北者に朴庭凡(パク・ジョンボム)、そして、彼らが憧れる朝鮮族のマドンナに韓藝璃(ハン・イェリ)

全員、役名=本名。
3人の男性陣は、皆、映画監督。
張律監督は、一回り年下のこの3人と元々仲良しで、皆で一緒に映画を作ろう!と話していたものの、
3年経っても行動に移さなかったら、催促され、脚本も何も無いまま、企画スタート。
撮影は、2016年4月の22日間だけ、予算150万人民元という本作品に、3人の後輩監督は無償で出演。

本業が映画監督で、ノーギャラなんて聞くと、
“下手な芝居を披露しているお友達同士の慣れ合い映画”を想像してしまう人もいるかも知れないが、
ぜんぜんそんな事はありませんからっ…!
むしろ、本作品のキモは、この3人のキャラクター。彼らの個性や魅力無くして、成り立たない作品。
そもそも、この3人は、演技未経験者ではない。

俳優としての活動に一番積極的なのは、梁益俊であろう。
監督・梁益俊の名を一躍有名にした『息もできない』(2009年)では、自身で主人公を演じているし、
『かぞくのくに』(2012年)、『夢売るふたり』(2012年)といった日本の作品にも出演。
『息もできない』で演じた憎しみを抱える強面の主人公がホンモノのチンピラにしか見えず、
あまりにもキョーレツなため、梁益俊にはついついあのイメージを重ねてしまいがちだけれど、
実際の梁益俊は、全身から性格の良さが滲み出ているし、トボケた役を演じるのも上手い。
『春の夢』で演じている男も、チンピラであることには変わりないが、根っこが善良な、憎めないチンピラ。


尹鍾彬は、『悪いやつら』(2012年)、『群盗』(2013年)などの監督さん。
昨今、3人の中で、一番エンタメ色の強い作品を撮っている監督という印象。
私が、そんな尹鍾彬を知ったのは、彼が卒業制作として撮った『許されざるもの』(2005年)。
最近発表している娯楽作品とは違う、地味でも重量感のあるインディペンデント映画。
その作品で、監督のみならず、脚本、プロデュースも手掛けた尹鍾彬は、俳優として出演。
こんな事を言ったら失礼かも知れないが、ヌボーッと間抜けな顔立ちが、印象に残った。
そしたら、この『春の夢』ヨ。下ろした前髪をマッシュルームカット風の緩やかなカーヴに切り揃え、
見た目から間抜け度をアップさせ、のらりくらりと大家の息子を演じている。
このボンクラが、『悪いやつら』の監督とは、信じ難い。


脱北者役の朴庭凡もまた、長編初監督作品『ムサン日記~白い犬』(2010年)を、自らの主演で撮っている。
その『ムサン日記』で演じているのも、実は脱北者。
『春の夢』で演じている、生真面目で、無口で、“根暗”と呼ばれてしまうようなタイプの脱北者は、
『ムサン日記』で演じた役にも通じる。
ただ、『春の夢』の脱北者・庭凡は、3人の中で一番地味でおとなしく、女性となんか無縁に見えるのに、
“金正恩(キム・ジョンウン)の夫人で、2005年、アジア大会の時、韓国に来た李雪主(リ・ソルジュ)”に似た
超美人の恋人がいるらしい、…という浮いた噂があるの。
会話を面白くさせるための、あくまでも“噂”であり、
恋人が実際に存在するかどうかは、作品にとって重要ではないのだろうと思っていたら、
終盤、なんと、その恋人が登場し、噂を裏付ける。
「庭凡の恋人は、本当に美人だった!」と皆を驚かせる女性は…

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新慜娥(シン・ミナ)が扮している。

ちなみに、(↓)こちらが、似ているという北のファーストレディ・李雪主。

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“昭和の美人”、“良妻賢母”タイプという感じですね。

で、新慜娥扮するその恋人は、アメリカへ発つ前に、庭凡に会いに来たのだが、
庭凡の彼女に対する態度は素っ気なく、二人はそのまま別れ別れに。
最後の言葉は、確か、日本語字幕では、「いつか故郷で再会しよう」とか、なんかそんな感じであった。
実のところ、「南北が統一したら、我々はまた会おう」と言っているらしい。
これ、金基(キム・ギドク)監督の『The NET 網に囚われた男』(2016年)の中の台詞とまったく同じで、
韓国では、客席から笑いが起きるシーンなのだと。
張律監督曰く、「なぜ皆が笑うか分かる?永遠に二人は再会できないからだヨ」と。うわぁー、シニカル。



朝鮮族のマドンナを演じる韓藝璃については、張律監督は「朝鮮族の雰囲気がある」と評している。
映画の中では、「韓国系アメリカ人みたい」とも言われている。
アジア人らしさをちゃんと残した顔立ちなので、確かに私も韓国系アメリカ人っぽいと思った。
腫れぼったい目が、メジャーな“今どき韓流人気女優”と違い、印象に残るし、彼女の魅力にもなっている。
さり気ない台詞やさり気ない演技が作風に合っていいる韓藝璃だが、
一番記憶に残っている彼女のシーンは、ちょっと浮世離れした雰囲気のある、店内で一人踊るシーン。

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無我の境地に行っちゃったかのように踊る姿を見てたら、
『母なる証明』(2009年)の冒頭で一人踊る金恵子(キム・へジャ)を思い出した。





タイトルの『春の夢~춘몽(韓国語)/春夢(中国語)』は、中国語で“儚い夢”の例え。
もちろん、文字通り“春の夢”とも取れるし、“色恋の夢”でもあるだろう。

日本で人気の韓国映画は、恋愛モノでも犯罪モノでも、
観ているだけで体力を消耗するような非常にドラマティックな作品が多いけれど、
これは、そういうのの対極にある作品で、
脱北者だの、介護に追われる朝鮮族だのが出ていても、大きなドラマは何も起きない。
ユルユルの中に、たまにクスリと笑わせてくれるユーモアもあって、
最終的には、夢なのだか、現実なのだか分からず、「だから、ナニ…?!」って感じなのだが、
その曖昧さが、“いわゆる韓国映画”とは一線を画し、かなり好みの作品であった。
張律監督が、洪尙秀(ホン・サンス)監督の作風にかなり近付いてきているという印象。
洪尙秀監督作品が好きな人は、これも好きなのでは?(←かく言う私がそう。)
湿度を感じさせない、乾いたモノトーンの映像は、相変わらずの張律監督であり、
あとは、とにかく、主要キャストが魅力的!
日本では、梁益俊目当てで本作品を観る人も多いと思うし、
私自身、梁益俊は大好きなのだけれど、あとの二人も非常に良い。
このトリオで第2弾を撮ってくれたら、絶対に観る。

北京2016:天舒会所(マッサージ)

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旅行中、必ずお世話になるのがマッサージ屋さん。
北京は、マッサージ店の数が多く、レベルも高い。
評判のお店、興味のあるお店は数あれど、
私がマッサージ店へ行く一番の目的は、やはり“旅行中の疲れを癒し、翌日に備えること”に尽きるので、
お店を選ぶ際の第一条件は、宿泊ホテルから徒歩圏内であること。


事前に、今回宿泊した北京四季酒店(フォーシーズンズ北京)周辺のお店をチェック。
このエリアだと、以前、您庭保険会所 Dragonflyというお店に行ったことがある。(→参照
そこは、技術には問題が無くても、スペースが狭かった。
台湾や香港なら“普通”と許せても、マッサージ店のレベルが高い北京となると、
ついついハードルが上がってしまい、そこは今回却下とした。
最も惹かれたのは、丽晶大班(麗晶大班)というゴージャスなマッサージ屋さん。
…が、地図で見る限り、ホテルから結構な距離がある。

ここも却下だわねと自分に言い聞かせたものの、どうも諦めきれず、
北京へ行ってから、ホテルのスタッフに、「麗晶大班はここから徒歩で行くには遠いですよね?」と尋ねたら、
そんなことない!ない!近い!近い!歩いてもたったの15分程度!と、皆口を揃えて言う。

…これでようやく諦めがついた。
だって、中国人がいう“近い”って、近かったためしが無いんだもん(笑)。
広大な土地で生まれ育った中国人は、小さな島国育ちの我々日本人とは、
自然に身に付いている“物差し”や“体感距離”がぜんっぜん違うと感じる。
しかも、初めての場所で道に迷うこともあるだろうし、彼らが「15分」と言うのなら、軽く30分は超えると見た。
疲れを取り除きに行って、余計に疲れたら、元も子もないと考え、今度こそ本当に麗晶大班を却下した。


で、今回の北京滞在中、お世話になるのは、天舒会所 Paradise Massage & SPAに決めた。
北京市内に4軒ある内、ホテルがある地区・亮马桥(亮馬橋)の支店。
こちらは本当に近く、ホテルから徒歩5分程度。

★ 天舒会所

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ホテルの前をはしる亮马桥路(亮馬橋路)を東に進むとすぐに出てくる通り・麦子店街を右折。
間も無くして左手に、このマッサージ店が入居している亚星大厦(亞星大厦)という雑居ビルが見えてくる。
ちなみに、麦子店街は、有名な餃子屋さん・宝源饺子屋(宝源餃子屋)がある通り。(→参照

お店は、この建物の7階。
エレベーターを7階で下りると、目の前がすぐにレセプション。

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イメージは、タイランド風?

ホテルから予約を入れる際、足つぼマッサージをすると決めてはいたが、一応メニューを見せてもらった。
すると、同じ足のマッサージでも、高いのと安いのの2種類が記されている。
違いを尋ねたら、高い方は、太もものマッサージをさらに強化したっぷりしてくれるという。
私は、太もものマッサージが苦手なので、迷わず安い方を選択。こちらだと、70分で168元也。

★ マッサージ・ルーム

メニューが決まったら、施術室へ案内される。

北京のこの位のレベルのマッサージ屋さんの場合、長所の一つは、
お一人様で行っても、別料金を取られることなく、個室でマッサージを受けられること。

照明がかなり落とされ、薄暗いため、ほとんど写真は撮っていない。しかも、撮った物はピンボケ…。
でも、参考までに、貼っておく。

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本来、3人で使えるお部屋。日本風の言い方だと、十畳くらいだろうか。お一人様には、充分過ぎる広さ。
基本的には、他店と同じで、マッサージ用の椅子が3台横に並び、正面の壁にテレビ。



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マッサージ師が、足湯などの用意で、部屋を空けている間に、こちらはお着換え。
オーダーは足のマッサージだが、上も着替える。中華テイストのテロンとした生地のシャツ+ショートパンツ。
中国のマッサージ店でよく見るタイプのお召し物で、お世辞にもお洒落とは言い難い。
身長180センチ+ブロンド+ブルーアイの北欧美女でも、これはカッコよく着こなせないはず。
言うまでもなく、私なら、尚の事。


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他、運ばれてきたのは、お茶と西瓜。


間も無くして施術スタート。
マッサージの流れは、他店とほぼ同じ。
漢方薬を混ぜたお湯を張った桶で足湯をしつつ、
頼んだメニューが足のマッサージでも、最初の15分ほどは、首、肩、背中など上半身を集中的にマッサージ。
この上半身マッサージは、足のオマケ感覚ではなく、きちんと念入りにやってくれるので、
上も着替えるのは、正解。

足はさらに念入り。
どこか悪い部分が有ったら教えてと頼んだところ、健康にこれといった問題は無く、
歩き過ぎによる足の疲れと、胃腸の疲れ、寝不足など、旅行中に有りがちな軽度の体調不良を指摘されたり、
“寒”の体質だから、冷やし過ぎに注意し、血流を良くするようにといったアドバイス。


マッサージ師の指定はしなかったが、私の場合、やって来たのは全て男性で、皆、技術は優秀であった。
接客態度も、押し付けがましくなく、丁重で好感がもてた。
大使館やホテルが多い地区のなので、外国人慣れもしていると思う。(但し、英語は喋れない。)
あるマッサージ師が、「この近隣で働いている日本人も来るよ。この前には、旅行者の老夫婦が来た。
普段、伝統的な日本式の生活をしている人で、床に正座しているみたい」と言うので、
共通の言語も無いのに、どうしてそのような事が分かるのか不思議に思ったら、
「両足の甲の辺りにタコができていた」と。
なるほどね。足に触れて、その人の生活様式を推測するとは、マッサージ師ならでは。
私の場合、上半身マッサージの時、「ヨガやっている?」と聞かれた。
肩甲骨周辺がかなり柔軟で、ぐりぐり回るので、そう思ったのであろう。実際のところ、ヨガはやっていないが。



施術後は、部屋に一人残され、着替えをしたり、お茶を飲んだり、適当に休憩して、レセプションでお会計。
ちゃんと明朗会計なので、御心配なく。

マッサージをしてもらうと、足が本当に軽くなる。
靴がゆるくなり、一日中歩き回った足の浮腫みが引いたことを実感。
生き返った気分で、次の日また元気にお出掛けできます。

このエリアで、以前に行った您庭保険会所と天舒会所の二者択一だったら、
私は迷わず、こちらの天舒会所に軍配を上げる。




◆◇◆ 天舒会所 Paradise Massage & SPA ◆◇◆
北京市 朝阳区 亮马桥路 甲46号 亚星大厦 7层

010-6888 0800

24h.

地下鉄10号線・亮马桥(亮馬橋)駅 B出口から徒歩10分くらい

蓮粉を使った和の甘味2種(+テレビ雑記)

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先ほど、テレビの録画予約をしていて知った。
チャンネル銀河で放送中の『皇貴妃の宮廷~多情江山』は、来週、8月31日(木曜)で最終回なのですね。
イマイチ乗れないまま、ダラダラと惰性だけで観続けていたが、
終盤に来て、ようやく物語が盛り上がってきたので、最近は、結構気に入って視聴。
チャラいだのチャチィだのと小馬鹿にしていた衣装、美術、女優さんのメイクなど視覚的要素も、
ずっと観続けているため、いい加減、目が慣れてきた。


でも、同じ紫禁城を舞台にした清朝のドラマだったら、私はやはり…

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ヒット作『宮廷の諍い女~後宮甄嬛傳』の姉妹作で、周迅(ジョウ・シュン)&霍建華(ウォレス・フォ)が主演の
『如懿傳~Ruyi's Royal Love in the Palaceが観たーいっ!

現地でもまだ放送開始されていないドラマではあるが、
小出しに公開されるスチール写真を目にする度に、ドラマへの期待が膨らんでしまう。
ドラマ制作者が狙った通りの反応をしてしまい、彼らの思うツボなのだけれど(苦笑)、
でも、作品全体の出来はいざ知らず、美術などが非常に美しいことは、現時点でもすでに確信。

最近は、紫禁城の中のそれぞれの建物ごとの写真を公開しており、最新の物は鍾粹宮。

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ウットリ…。
鍾粹宮は、紫禁城の“東西十二宮”と呼ばれる後宮の中で、東六宮に属する宮殿。
ここの主で有名なのは、咸豐帝の皇后で、西太后に対し、俗に“東太后”と呼ばれる慈安太后や、
西太后の姪っ子で、光緒帝の皇后になった隆裕太后など。
現在放送中の『皇貴妃の宮廷』で主人公の董小宛がお住まいになっているのもココ。
(歴史上の住人を見ても分かるように、後宮の中でも東側で中軸線に近い鍾粹宮は、
位の高いお姫様が住む場所。『皇貴妃の宮廷』の董小宛は、漢族であるため、位こそ低いが、
住んでいる場所を見れば、彼女が順治帝から皇后並みの厚遇を受けているのが分かるわけ。)


(↓)こちらは、慈寧宮。

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慈寧宮は、東西十二宮とは別で、紫禁城の最西端区域にある宮殿。
現役の嬪妃は東西十二宮に住み、隠居したお姑サマなどは、西の端へ移ることになっている。
画像に写っているのは、鄔君梅(ヴィヴィアン・ウー)扮する鈕祜祿·甄嬛。
そう、『宮廷の諍い女』で、雍正帝に嫁いだあの主人公の“その後”の姿。
『如懿傳』は、雍正帝の次の世代、乾隆帝の時代のお話だから、
甄嬛も西側の“退役老人エリア”にお住まいなのです。


では、紫禁城の主・乾隆帝のお住まいはどこかと言うと…

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こちらの養心殿。
このドラマ、小道具にもスキが無い。ゴージャスな物が溢れるほど置いてあり、断捨離とは無縁の世界で、
それでいて不思議と全てがシックにまとまっているというセンスの良さ。ホント、素敵。タメ息が出る…。


それら紫禁城の建物に関しては、参考までに、(↓)こちらをどうぞ。
北京2014:故宮④ ~東西十二宮について
北京2014:故宮③ ~養心殿について

先に、「『皇貴妃の宮廷』のチャラい映像にも目が慣れた」などと書いてしまったが、
こうして比べてしまうと、『皇貴妃の宮廷』はやっぱりチャチで、『如懿傳』の美術とは雲泥の差…。
傑作『宮廷の諍い女』との比較で、失望してしまうのではないかという懸念もあるけれど、
清朝乾隆年間はとても興味がある時代だし、是非観たいわ、『如懿傳』。日本に入ってこないかしら。
きっと高額なんでしょうね…。しかも全90話も有るらしいし…。
(日本で放送し易くするために、ばっさりカットなんていうのは、絶対にイヤ。)




他、近々放送の要録画番組を一本だけ。

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2017年8月26日(土曜)の朝、NHK BSプレミアムで放送の『桃源紀行』
番組が今回取り上げるのは、湖北省宜昌。
長江の三峡の下流に位置する港町で、土家(トゥチャ)族などの少数民族も多く暮らす地域。
番宣の画像に写っている色とりどりの傘を見て思い出した。
デザイナー馬可(マー・クー)が北京で主催するアートギャラリー無用生活空間で、
アジアの伝統的な油紙傘を紹介する展示を見た時、中国にはいくつか有名な産地があり、
その一つが湖南省であると説明されていた(→参照)。お隣の湖北省でも、油紙傘の伝統があるのかもね。
古い木造の建物が並ぶ石畳の小道に、傘が色を添え、趣きのある風景。



あと、番組表でチラッと見ただけなので不確かだが、8月29日(火曜)、TBSで放送の『友だち+プラス』が、
“香港人脈SP森姉妹の兄弟がとんでもなかった!”と記されており、面白そうな予感。
さらに、「香港のメディア王が凄かった!香港NO.1名店続々登場!
観光客も知らない島の裏側…信じられない世界が!第2のディーン・フジオカも登場!」と説明されている。
森姉妹の兄弟って、随分前に、渋谷辺りのビルの壁にグラフィティやっちゃって、逮捕された人…?
正直言って、森家には興味が無いのだけれど、香港メディア王とやらは見てみたい。
“第2のディーン・フジオカ”は、二番煎じ感が否めず、期待値低め。
誰のことだか分からないけれど、案外、超掘り出し物だったりして…?




お菓子は、夏らしいツルンとした食感の和の甘味を2ツ。
夏のツルルン菓子に使われる澱粉というと、葛が定番だけれど、これら二つは蓮粉で作られたお菓子。
2ツ目の方は、何度か当ブログに出している商品で、
気になる人が多いのか、特に夏に入ってからは、かなり検索されている。

★ 日影茶屋:れんこん餅

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大きさは、長さ約6センチ。
蓮根のでんぷんをに、和三盆糖と黒糖を練り合わせ、笹の葉でくるんだ涼菓。




ひとつめは、日影茶屋(公式サイト)“れんこん餅”
お店で見掛ける度に気になり、それでも買わなかったお菓子を、初購入。

これまで買わなかったのは、これが和久傳の銘菓“西湖”に酷似しているため。
どうしても、“和久傳のパクリ”感が否めない。
でも、試したら、案外気に入るかも知れないし…、と思い、買ってみた。

袋を開けた途端、フワッと立ち上る笹の香り。香り→良し。
れんこん餅本体は、色といい大きさといい、和久傳・西湖に似ている。

いざ実食。
楊枝を刺してすぐに、和久傳・西湖との違いを感じた。
画像で見ても分かると思うが、楊枝でスパッと切り易い。
これが、和久傳・西湖だと、もっとビヨーンと伸びる。

食べた感じも、切った時に感じた感覚のまんま。
“トロン”とした食感の和久傳・西湖とは違い、“ツルン”としたノド越しで、寒天に近い。
味は、サッパリだけれど、コクのある黒糖特有の甘さを感じる。


ぜんぜん不味くはない。味だけなら、和久傳・西湖とそう変わらない。
でも、食感とか諸々トータルで考えると、やはり和久傳・西湖の方が断然繊細で上品なお菓子と感じ、
こちらは、所詮それのパクリ菓子という印象。
今回食べたことで、どういう物か分かったので、私は次回からまた和久傳に戻る。
自分用ではなく、人様に差し上げるなら、なおの事、和久傳の方をセレクトするであろう。
和久傳の西湖を知らない人なら、こちらでも充分イケると思う。

★ たねや:蓮子餅

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大きさは、直径約3.5センチ。
炊き上げた蓮根のでんぷんを、風船に詰め、固め、きな粉を添えていただく涼菓。




もう一つは、たねや(公式サイト)“蓮子餅”
私がこれを食べるのは、どれくらいぶりだろうか。もしかして、去年は食べていなくて、2年ぶり…?
久し振りの蓮子餅は、パッケージが変わっていた。

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半透明の筒状プラスティック容器に入っているのは、以前と同じなのだけれど、
口の部分が、黒文字で閉じられているのが、以前と違う。
この黒文字は、食べる時にそのまま使えるし、グッドアイディア。
1箱に6個入り。

このお菓子は、食べるまでが、また楽しい。

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別添の画鋲を、ブスッと刺す。
すると、風船のようなゴムが、プチッと割れ、中から蓮子餅が、面白いようにツルンと出てくる。

これに、きな粉を添える。
小さくてツヤツヤ光る蓮子餅は、水滴のようで綺麗。
食べると、ヒヤッと冷たく、フルフル食感。間も無く、口の中で溶けてしまう柔らかさ。

微かな甘みを感じるが、蓮子餅自体には、強い味は無い。きな粉が、とても合っている。
私は、普段、特別きな粉が好きではないのだけれど、この蓮子餅に、このきな粉は必要不可欠。
ただのきな粉ではなく、お砂糖とお塩が少量ブレンドされたきな粉。
そのさり気ない塩分が、実は利いていて、蓮子餅の地味ぃーで優しい甘さと絶妙に調和。


美味しい。
小さい上、ツルンと呑み込めてしまうほどノド越しが良いから、
本当は一気に6個全部食べられてしまうけれど、そこは我慢。

映画『ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ』

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【2016年/アメリカ/115min.】
1954年。
セールスマンのレイ・クロックは、車でアメリカ南西部を移動しながら、
シェイク用マルチミキサーの営業に勤しむ日々。
得意の話術で商品を売り込むも、人々の反応は冷ややかなもの。なかなか実売には至らない。
ある日、出先から本社に連絡をいれたレイ・クロックは、秘書からの報告に耳を疑う。
なんと、8台もの大量注文を入れた店があるというのだ。
興味が湧いたレイ・クロックは、早速車を飛ばし、その店があるカリフォルニア州サンバーナーディノへ。
“McDonald's”と看板を掲げたその店の前には、沢山の家族連れの姿。
ウエイトレスは見当たらず、客は各々店の窓口で注文して購入。
長蛇の列にも拘らず、客を待たすことなく、次々と手渡されるハンバーガーは直接紙に包まれており、
フォークもナイフも使わずに食べるらしい。
レイ・クロックは、斬新でな合理的なシステムにすっかり魅了され、
すぐにこの店を経営するマックとディックという兄弟に接触する…。



久し振りに、これぞアメリカ!な作品を鑑賞。
こちら、ジョン・リー・ハンコック監督最新作。
スタッフやキャストの名に惹かれたというより、内容に興味があって観た作品。
強いて言えば、脚本を担当しているのが、ミッキー・ローク主演作『レスラー』(2008年)の脚本家、
ロバート・シーゲルである点には、ちょっと期待しているかも。



本作品は、小さなハンバーガー屋のマクドナルドを、フランチャイズ展開し、
世界最大のファストフーフード企業に成長させたアメリカ人ビジネスマン、レイ・クロックの半生記


“マクドナルド”が創業者の苗字であることや、ユダヤ商法云々と言われていた記憶は有っても()、
そのふたつがずっと私の中で、どうも繋がらなかった。
だからと言って、マクドナルドには特別興味が無い為、それ以上知ろうともしなかった。
今回、本作品を観て、ふぅ~ん、そういう経緯で我々がよく知る今のマクドナルドがあるのか、…と分かった。
これは、今思えば、日本マクドナルドの創業者・藤田田の著者<ユダヤの商法>と
記憶がゴッチャになっていただけかも。)


ハンバーガー屋さん、マクドナルドのオーナーは、私が以前から漠然と認識していた通り、
マクドナルド姓のマック&ディク兄弟である。
ところが、本作品の主人公は、マクドナルド家とは縁も所縁も無いレイ・クロックという男。

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(↑)こちら、実際のレイ・クロック(1902-1984)。
映画冒頭では、あれこれ品を変え、何十年も飛び込み営業を続けるセールスマン。
1952年当時、取り扱っていた商品は5ツの軸で一気にシェイクが作れるミキサー。
“卵とニワトリ、どっちが先か”の話を持ち出し、
「沢山供給できるようにすれば、自ずと需要がついてくる!」がお約束の営業トークで、
飲食店廻りをしているが、人々の食い付きは悪い。
そんなある日、レイ・クロックは出逢ってしまったのだ、
実際にスピーディな供給で沢山の需要をさばいているお店に。

それが、マクドナルド兄弟が営むハンバーガー屋さん。
今でこそ当たり前だけれど、流れ作業でどんどん商品を作るとか、
お皿もフォークも添えず、ハンバーガーを直接紙に包む提供方法は、当時かなり画期的だったようだ。
これにビビッと来てしまったレイ・クロックは、
こんな素晴らしい店を片田舎のハンバーガー屋で終わらせては勿体無い、
フランチャイズで全国展開すべきだ!と、兄弟に共同ビジネスを持ち掛け、
兄弟の方も特に弟ディックにはちょっとした野望が有ったため、共に手を携え事業を行う契約を交わす。

この契約が、兄弟にとっては、終わりの始まり(苦笑)。
ハンバーガー屋・マクドナルドは、どんどん兄弟から離れ、
いつの間にかレイ・クロックがマクドナルド社の“Founder(創業者)”になってしまうんですねぇ~。
うわっ、コワッ…!





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主な出演は、マクドナルドを大企業に育てたレイ・クロックにマイケル・キートン
マクドナルド家の兄マック・マクドナルドにジョン・キャロル・リンチ
弟ディック・マクドナルドにニック・オファーマン


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レイ・クロック本人とマイケル・キートンの2ショット。どうでしょう、雰囲気近い…?
映画館内の室温を2~3度上げるほどギラギラなマイケル・キートンは、見ているだけで、おなかいっぱい…。
アメリカでも、今はもう、ここまで露骨にガツガツした企業家は珍しいのではないだろうか。
“昭和タイプの叩き上げ社長”という印象を受けた。
ニッポンの叩き上げ社長との違いは、エゲツなさの度合いと、その結果掴んだ成功の大きさ。
何でも裁判沙汰になる契約社会のアメリカで、よくあそこまで簡単に約束を反故にできたものだ。
残念だけれど、限りなく大きな野心に加え、やはりそれくらいの図々しさや腹黒さが無いと、
あのレベルの成功者にはなれないのかも知れない。

私生活では、成功と同時に、鳴かず飛ばずの時代を支えた糟糠の妻から、美人の人妻に鞍替え。
映画には描かれていないけれど、実際には、その間にもう一人いたらしい。
よく“英雄色を好む”と言うが、“英雄”というより、人一倍野心が強く、事業で頂点に上り詰めるような男性は、
色恋でも肉食系で、同じ女性では飽き足らず、次から次へとより上物を手に入れるべく、
頑張る傾向はあると見受ける。

人としては決して好きになれないレイ・クロックだけれど、色んな意味で“スゴイ”ことは認めなければならない。
だって、彼がマクドナルドと出逢い、成功の階段を上り始めたのって、52歳よ…?!
“人生五十年”の時代なら、すでに故人、生きていたところで、すでに“余生”という年齢(笑)。
「いつかビッグになってやる!」と大口叩く夢追い人は、この世に大勢いるけれど、
その99.9%は夢に破れるのが厳しい現実。
この人は0.1%に属する例外中の例外で、しかも掴んだ成功の規模が破格なのは、スゴイと思う。
マイケル・キートン扮する主人公は、ぜんぜん洗練されておらず、むしろ下品で、胡散臭く、
彼を通し、レイ・クロックのこのような人柄や背景が透けて見えるかのようであった。

物語序盤の(↓)このシーンで、すでにレイ・クロックの人となりが伝わって来た。

イメージ 5

電話で喋りながら、指で歯をほじるちょっとしたシーンなのだが、
このちょっとした身のこなしと表情だけからでも、彼のお下劣さがビシバシ。
ドナルド・トランプにも通じる、とてもアメリカ的な成功者という印象。


マイケル・キートンが余りにもキョーレツゆえ、兄弟を演じる二人の俳優の存在感はやや希薄。
でも、それで正解。
実際のマクドナルド兄弟も、野心でも存在感でも、レイ・クロックに及ばなかったから、
乗っ取られちゃったのでしょうね…。
ニック・オファーマン扮する弟の、レイ・クロック程ではないにしても、野心が見え隠れする感じや、
ジョン・キャロル・リンチ扮する兄の人の好さそうな感じは、上手かった。
彼らがいるからこそ、レイ・クロックのガメツさも際立つというものヨ。





終盤、レイ・クロックは言う、彼を魅了したのは、必ずしもお店の画期的システムではなく、
それ以上に“McDonald's”という名前、とてもアメリカ的で良い響きだ、
スラブ的な“Kroc's”などという名の店だったら、誰が行きたがるか、と。
彼にとっては、この“McDonald's”はよほどキラキラした名前で、
頭の中では、その看板のもとに集まる沢山の家族連れの妄想が膨らみ、
本気でこの名が欲しくて欲しくてたまらなくなってしまったのかも知れない。
人はとかく無い物ねだりをするもので、他人にとってはどうでもいい物が素敵に見え、
思い込みの激しい人なら尚の事、それをモチベーションに奮起するのでは。
ただ、そこまで思い入れのあるキラキラな名前“McDonald's”が、
日本でコテコテに“マクドナルド”と発音されているのを知ったら、
レイ・クロックは憤死するのではないかと思ったら、
案の定、日本での呼称を“マクドナルド”にするという藤田田の提案に、大反対をしたようですね。

名前の話で、“GUCCI(グッチ)”を売却したイタリアのグッチさんを思い出した。
“GUCCI”もそもそもは創業家の姓であり、その名を手放した御本家グッチさんが、
その後立ち上げたブランドは“House of Florence(ハウス・オヴ・フローレンス)”という。
うーン、“GUCCI”の方が、キャッチーでキラキラと人を惹きつける名前かも…。
そして、私がお会いしたグッチさん御本人もまた穏やかな良い人であった。
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