【2016年/中国・香港/108min.】
剣神と称えられる三少爺にいつか挑み、武林の頂点に立ちたい…。ずっとそう思い続けてきた燕十三は、ついに神劍山莊の門を叩く。ところが、そこで、神劍山莊の莊主である三少爺の父・謝王孫から、信じ難い言葉を聞いてしまう。なんと、三少爺は、すでに死んでしまったというのだ。実のところ、三少爺こと謝曉峰は、ひっそりと身を隠すように市井に生きていた。“阿吉”と名を変え、曉月樓という妓楼で下男として雇われ、黙々と下働きをしていたある日、妓女・小麗が、金を払わないチンピラ客とトラブルに。彼らの小刀がブスブスと体に刺さっても、仁王立ちのままの阿吉に、相手も気味が悪くなり、遂には金を置いて、退散。曉月樓を去った阿吉は、糞尿担ぎを始め、仲間の苗子と親しくなり、彼が母親と暮らす粗末な家に招かれる。苗子には、都会で働き、いつも金を送ってくれる妹がいるという。苗子が“公主”と呼ぶ自慢の妹が、その晩、村の実家に久し振りに帰宅。驚いたことに、その公主は、曉月樓の小麗であった。小麗は阿吉に、もう二度と曉月樓には戻りたくないと打ち明けるが、そんな事が許される訳がない。案の定、間も無くして、曉月樓の荒くれ者が小麗を連れ戻そうとやって来て、村はひと騒動。幸い、偶然通りすがった凄腕の剣客・燕十三のお陰で、この騒動は一件落着。燕十三の強さに感嘆した苗子は、早速阿吉を連れ、燕十三を訪ね、“役立たず”と呼ばれている弱々しい阿吉に剣術を教えてくれと懇願。熱心な苗子に根負けし、燕十三は阿吉に剣の秘技を伝授、まさか、この阿吉が、あの三少爺だとは思いもせずに…。
克徐(ツイ・ハーク)プロデュースによる
爾冬陞(イー・トンシン)監督最新作を鑑賞。

爾冬陞監督作品が日本に入って来るのは、恐らく『大魔術師“X”のダブル・トリック』(2012年)以来。
今回の作品は、
古龍(ク・ルン)1975年の小説<三少爺的劍>の映画化。

古龍は、<流星·蝴蝶·劍>、<陸小鳳傳奇>等々、多くのの著作が映像化されている人気武俠小説家。
<三少爺的劍>も例外ではなく、すでに数回映像化。
内、1977年、香港の邵氏電影(ショウ・ブラザーズ)が発表した映画『三少爺的劍~Death Duel』で
主人公を演じたのは爾冬陞。
つまり、爾冬陞は、若かりし日の自身の主演映画を、約20年の時を経て、今度は監督として蘇らせたわけ。
原作小説も1977年版映画も、日本には未上陸で、私は未見。
元々武俠に特別興味があるわけではないので、
強いて言うならば、主演男優と爾冬陞監督の名前に惹かれ、取り敢えず観たって感じ。
本作品は、神劍山莊莊主の息子で、“神剣”と称えられる一流の剣術の腕をもちながらも、
人生に絶望し、姿をくらまし、今は“阿吉”と偽名を使いひっそり生きている“三少爺”こと謝曉峰、
その三少爺といつか対戦することを夢見ている凄腕の剣客・燕十三、
三少爺が阿吉として働く妓楼の妓女・小麗、そして三少爺の元恋人・慕容秋荻という4人を軸に
それぞれの愛憎、孤独感、復讐心などを交錯させながら展開する武俠映画。
謝曉峰を巡る二人の女性が登場するけれど、作品はラヴ・ストーリーより、
謝曉峰と燕十三という二人の男性の心情や対戦の方に重きが置かれている。
そもそも、原作者・古龍(1938-1985)自身、江湖感漂う無頼漢の印象で、
酒、女、金のエピソードが絶えずあった人のように見受けるし、
彼の小説で、ロマンティックに男女の恋愛が綴られている物はあまり無いようだ。
私も別にラヴストーリーを求めていた訳ではないので、構わないのだが。
物語の幕が上がって早々、三少爺と剣を交えたいと願い続けている燕十三は、神劍山莊を訪れる。
ところが、そこで燕十三が、三少爺の父・謝王孫から知らせれたのは、三少爺の死。
ずーーーっと三少爺と闘うことを夢見てきたのに、物語の冒頭で、燕十三は人生の目標を失ってしまう。
実際には、三少爺は健在で、“阿吉”と名を変え、みすぼらしい恰好をして、妓楼で下働きをしている。
その彼女の前から二度も姿を消し、彼女を傷付けたまま、それっ切りになっている事、
さらに話が進むと、父親の思惑に振り回され、10歳から殺生をさせられ、
三少爺自身、深く傷付き、武林から遠ざかった事、
そんな息子を恥じた父が、三少爺を死んだことにしてしまった事などが、次々と判っていく。
三少爺が死んだと信じ込んでいる燕十三は、まさか三少爺本人とは気付かぬまま、
阿吉と名乗る青年と出会い、有ろう事か、自分の剣術を彼に伝授。
阿吉=三少爺と判明してからは、驚きつつも、三少爺が再び剣を手に立ち上がれるよう指南もし、
二人は、友情と呼ぶには淡白でビミョーな絆(…でも、実際にはやはり熱いであろう友情)で結ばれ、
それでも、真剣勝負をするというクライマックスに向かっていく。
長らく剣を手にしていなかったとはいえ、やはり滅法強く、それでいて殺生をしたがらない三少爺が、
友となった燕十三をどう対処するのか?という結末は、とても気になり、観入った。
主な出演は、阿吉という偽名を使って生きている“三少爺”こと謝曉峰に林更新(ケニー・リン)、
三少爺といつか対戦する日を待ち望んでいる燕十三に何潤東(ピーター・ホー)、
阿吉が働く曉月樓の妓女・小麗に蔣夢婕(ジャン・モンジエ)、
そして、三少爺の元恋人で天尊の首領・慕容秋荻に江一燕(ジャン・イーイェン)。
爾冬陞監督が、かつて自分が演じた思い入れのある三少爺役を託したのは、
ドラマ『宮廷女官 若曦(ジャクギ)~步步驚心』の“十四爺”愛新覺羅胤禵で大ブレイクの林更新であったー。
林更新クン、14から3へ。
『若曦』で見て、長身でスタイルが良く、スクリーン映えする!と私に思わせた林更新は、
実際その後ドラマ以上に映画に出演しているけれど、脇の小さな役が多く、
ハマり役だった『若曦』の⑭様を越える作品には出会えていないように見受けたし、
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ドラマを観ない映画ファンには、知名度も人気もイマイチに感じていた。
でも、これまで、『ライズ・オブ・シードラゴン 謎の鉄の爪』(2013年)、
『タイガーマウンテン 雪原の死闘』(2014年)といった徐克監督作品にチラリチラリと出ていたことが
無駄にはならず、その徐克がプロデュースする本作品で、ついに主役。おめでとうございます。
ただ、本作品の日本公開で、電影ファンの間でも林更新がついにブレイク!とはならない気が。
『若曦』の⑭様ほどインパクトのある役ではないし、そもそも作品自体が弱く、ヒットが望めないと思うので。
けれど、ボサボサの髪でボロを着て、黙々と糞尿担ぎをしていた阿吉から、
シャキッと身なりを整え、華麗に剣をさばく三少爺になると、やはり素敵で、それなりのギャップ萌えはある。
林更新主演ドラマ『三国志 趙雲伝~武神趙子龍』がwowowで放送開始して以降、
当ブログには、林更新検索がコンスタントに有るし、日本でもジワジワと注目されるようにはなっているようだ。
(皆さまが検索して見ていくのは、こちらの“大陸男前名鑑:林更新”。
記してからすでに数年経っているので、情報がもはや古いが、参考までにどうぞ。)
インパクトという点では、何潤東が演じる燕十三の方が強い。だって、顔面総タトゥ。
ティム・バートン監督作品の中にポンと投げ込んでも馴染みそうなキャラクター。
爾冬陞監督も、この顔面総タトゥのデザインには、随分構想に構想をかさねたそう。
簡単に見え、実は結構面倒なもので、何潤東が毎回撮影の前、刺青メイクに費やした時間は3時間。
どうも、特殊なエアブラシのような物と筆で描き、最後はなんとヘアスプレーを顔に噴射し、定着させるらしい。
敏感肌の俳優は、燕十三を演じられませんヨ。
この燕十三、悪役かと思いきや、案外イイ人で(いや、実際、途中まではボチボチ悪い役)、
ちょっとコミカルであさえあった。
♀女性では、2010年度版ドラマ『紅楼夢~紅樓夢』の林黛玉役でデビューした蔣夢婕に注目。
のっぺりした童顔とピュアな雰囲気が、昨今大ブレイクの周冬雨(チョウ・ドンユィ)にも通じる女優さん。
この『修羅の剣士』は時代劇なので、私は心のどこかで、
映像美と世界観が好きな『紅楼夢』での蔣夢婕路線を期待してしまったのだが、
いざ観たら、『紅楼夢』の儚げな林黛玉よりは、
どちらかと言うと、『宮廷の秘密~王者清風』で演じた跳ねっ返り・宋田田に近いと感じた。
三少爺との恋は、予想していたほどは進展しなかった。
本作品では、恋愛の描き方がアッサリしている事もあり、蔣夢婕はあまり大きな印象を残さないが、
彭浩翔(パン・ホーチョン)監督の新作『春嬌救志明~Love off the cuff』にも出演しているので、
これから日本でもどんどん注目度が高まっていくかも?
江一燕扮する慕容秋荻は、三少爺に愛憎入り混じる感情を抱いている女性で、
蔣夢婕扮する小麗より、複雑で難しい役だと感じる。
(原作小説では、この慕容秋荻は、ただの恋人ではなく、どうも三少爺と結婚して、子供まで産んだようだ。)
江一燕の薄幸顔を見て、気分が重くなるのは、あの役を傍観する者の正しい反応なのかも知れないが、
最後までどーーしても慕容秋荻という女性に魅力を感じたり、好きになることはできなかった。
ちなみに、“江一燕”を検索にかけると、第2検索ワードで“熊本”と出てくるのを不思議に思っていたら…
高良健吾や八代亜紀といった熊本出身の有名人と共に、熊本わくわく親善大使とやらに任命されていた。
日本絡みの作品にもボチボチ出ている女優さんで、
私は、2011年、東京・中国映画週間のオープニングセレモニーでナマを見た。(→参照)
役で印象に残っているのは、陸川(ルー・チュアン)監督作品『南京!南京!』(2009年)で演じた娼婦。
日本では案の定封印されたあの映画では、薄幸顔がとても活かされていた。
他、気になった出演者は、
その慕容秋荻に想いを寄せる天尊の竹葉青に扮する顧曹斌(エドワード/グォ・ツァオビン)。
まだ演技経験は少ないモデルさん。“棘のある栗原類”って感じの個性派モデル。
ただの二枚目俳優にはできないアクの強い役もこなせそうですね。
この作品は、林更新が主演という以外に特別惹かれる点が無く、大して期待せず、
…いや、もっと正直に言ってしまうと、「どうせ駄作でしょ」と見縊っていたせいか、
傑作!大好き!と思わないまでも、まぁそこそこ楽しめた。
ワザとらしいまでに花々が咲き誇っている美術とか、ややレトロな映像は、
爾冬陞監督自身が主演した1977年の『三少爺的劍』や、
昔の武俠映画へのオマージュと受け止めて良いのよねぇ…?
妓楼のシーンに登場する妓女たちのヘアメイクも印象的で、
こちらには、18世紀ヨーロッパ風のいかがわしさや、デカダンを感じた。
少々気になってしまったのは、日本語字幕。
登場人物の名前を、片仮名表記ではなく、全て漢字表記にしてる点は高く評価。
…が、例えば、“三少爺”を“第三の士”と訳してしまうのは、如何なものか。
あと、特に史劇では、“孔明(こうめい)”といった具合に、
漢字の名前に、日本語の訓読みでルビを振るのが一般的だが、
本作品のルビは、中国語の発音をカタカナで振っている。
私にとって一番大切なのは、名前が漢字で表記されている事なので、
それさえ守ってくれたら、文句は言わないが、それにしても、本作品のルビはあまりにも適当ではないか?!
主人公“吉 Jí”は“チ”になっているが、それは“チー”か“ジー”であろう。
ライバル“燕十三Yān Shísān”は、“エン・シサン”とされているが、“イェン・シーサン”とすべし。
一番分からないのは、三少爺の元恋人・慕容秋荻の“慕容 Mùrón”という姓。
“ムーロン”が、どこでどう間違って“ムユン”になったのだか…??
ここまで適当にするくらいなら、他の史劇に倣って、訓読みで“ぼよう”とルビを振るべきだったのでは?
慕容は別にレアな苗字ではなく、中国の史劇にもしばしば登場する。
『天龍八部』の慕容復(ぼよう・ふく)などは、かなり有名だと思うが。
さらに細かい事を言ってしまうと、台詞の中の単語、例えば、“武林”を“武術界”と訳すのは良しとして、
“江湖”も“武術界”にしてしまっているのは、うーン…。
他にも、ビミョーと感じる部分や、武俠映画の雰囲気を台無しにする訳が所々にアリ。
物語を理解する上で障害になる決定的な誤訳が無くても、こういうビミョーな訳や、名前のルビを見て、
もしかして、中国語日本語両方に通じている人がチェックする体制が無いのでは?と疑問が湧いた。