台湾・台北。
レズビアンの親友・佩貞と共同生活をしながら、
昼は美容院で、夜はシェリーが経営するセクシャルマイノリティたちが集まるクラブで働く阿利夫は、
実は、排灣(パイワン)族の頭目の長男。
17代目頭目である父・達卡鬧も、もう高齢。
実家がある台東に帰ると、頭目を継ぐようプレッシャーをかけられ、頭が痛い。
性転換手術を受け、女性になりたいなんて、とても口にはできない。
阿利夫には、もう一つ、なかなか積極的になれない事が。
好きな男性ができたのだ。
彼・政哲は、ピアノ教師をする妻・安と暮らす平凡な公務員だが、
最近は、妻に内緒で、シェリーのクラブで、女装をして、ショウの舞台に立つように。
安は、毎週金曜の夜、残業を言い訳に帰ってこない政哲に、不信感を抱き始める。
そのクラブのママ、シェリーが突如倒れ、医師から、末期の膵臓癌と宣告される。
自分に残された日々が僅かと知り、シェリーは、密かに想い続けてきた老吳に、気持ちを打ち明けるが、
長年良き友人としてシェリーと付き合ってきた老吳は、戸惑いを隠せない。
一方、台東では、頭目の達卡鬧が、いつも化粧をしている村の嘉利に、
「お前は一体男なのか、女なのか?!」と唐突な質問。
そして、「お前なら、阿利夫がどこに居るのか知っているのだろう?」と、
息子の居場所を教えるよう、強引に迫り…。
2017年秋、第30回東京国際映画祭でお披露目された台湾映画。
メガホンをとった王育麟(ワン・ユーリン)監督、2010年の作品『父の初七日』が好きなので、
この新作も観たかったのだが、都合が合わず、その時は諦めた。
そうしたら、約8ヶ月後の2018年夏…
第27回レインボーリール東京・東京国際レズビアン&ゲイ映画祭で、再度上映。
待ってみるものだ。今度こそチケットを購入。
この映画祭は、ここ数年行っていなかったので、久し振り。
本作品、原題は『阿莉芙~Alifu, The Prince/ss』。
邦題『アリフ、ザ・プリン(セ)ス』は、英語のタイトルの雰囲気をそのまま日本語で表現したのであろう。
“ザ・プリン(セ)ス”からも想像がつくように、主人公は、排灣(パイワン)族の頭目を父に持ち、
その地位を継ぐべき、王子様として生まれたのだけれど、心は女性なのだ。
排灣族のこの王子様は、漢族とはまた違う排灣族ならではの名をもち、“Alifu アリフ”という。
恐らく排灣族は文字を持たないはずだが、台湾で暮らす以上、便宜上、漢字が宛てられ、“阿利夫”と記す。
でも、阿利夫本人は、より女性らしい“阿莉芙”を好み、
性転換手術を受け、ホンモノの“阿莉芙”になろうとしている。
中国語字幕付きで観られる中華圏では、
多分、字幕で“阿利夫”と“阿莉芙”の区別もされているのではないかと推測する。
タイトルにもなっているくらいだから、本作品は、そんな阿莉芙が背負う、排灣族頭目後継問題や、
息子の性の問題が受け入れられない父との葛藤を描いた物語と想像。
でも、実際に映画を鑑賞したら、阿莉芙は作品の一要素で、
他にも、末期癌を宣告されたシェリー、妻に内緒で女装して舞台に立つ公務員・政哲、
レズビアンの佩貞といった人物それぞれの物語も、同等に重要な要素として描かれていた。
つまり、本作品は“台湾に生きるセクシャルマイノリティたちの群像劇”という印象。
それらを演じるキャストは…
排灣族頭目の息子でありながら、
台北で美容師として働く阿利夫/阿莉芙に舞炯恩·加以法利得(ウジョン・ジャイファリドゥ)、
阿莉芙と一緒に暮らす同僚でレズビアンの李佩貞に“小8”こと趙逸嵐(チャオ・イーラン)、
阿莉芙の想い人である公務員の張政哲に鄭人碩(チェン・レンシュオ)、
クラブを経営するシェリーこと蘇佳盈に陳竹昇(チェン・ジューション)、
シェリーが長年想い続けている電気工の老吳に吳朋奉(ウー・ポンフォン)、
そして、阿莉芙の父親で、排灣族の17代目頭目・達卡鬧に胡夫(キンボ)等々…。
これらキャストの内何人かは、ワールドプレミアだった東京国際映画祭のために来日。
左から、王育麟監督、陳竹昇、舞炯恩、趙逸嵐、そしてマット・フレミング。
マット・フレミングは、作中、ドラァグクイーンのジョナサン役で出演しているイギリス人。
もう8年も台湾に暮らしているそうで、インタヴュの中で、
「演じたジョナサンは、台湾での自分のキャラに似ているので、演じるのはそう難しくはなかった」
と語っているので、台湾ドラァグクイーン界では知られたイギリス人なのだろうか。
ハイヒールを履くと、軽く190は超えるみたいだし、
東京国際映画祭のレッドカーペットでは、華やか、かつ迫力あったでしょうねぇ~。
民族衣装に身を包んだ阿莉芙役の舞炯恩もまた華やか。
舞炯恩は、実際に排灣(パイワン)族で、1994年生まれのシンガーソングライター。
演技経験は無かったが、王育麟監督は、原住民の友人を介し彼を知り、映画に起用。
元々はポッチャリさんだったらしいけれど、
排灣族頭目を継ぐお姫様を演じるために、71キロあった体重を、3ヶ月で17キロも落としたのだと。
そんな舞炯恩以上に、印象に焼き付いたのが、陳竹昇。
陳竹昇は、本作品のシェリー役が認められ…
第54回金馬獎では、梁家輝(レオン・カーフェイ)のような大物を抑え、
最佳男配角(最優秀助演男優賞)を受賞。
同年制作の話題作、黃信堯(ホアン・シンヤオ)監督の『大仏+~大佛普拉斯』にも重要な役で出演しているし、
ノリに乗っている陳竹昇。
本作品で演じたシェリーは、性転換済みのクラブ経営者で、
青天の霹靂で膵臓癌が発覚した時には、すでに末期…。
かなり悲劇的な役だが、ユーモアもあり。
死期迫る中、ずっと恋焦がれてきた老吳に、「私が性転換手術を受けた頃は、技術もまだまだだったから、
お医者さんから、たまに通さないと、ドーナツがどら焼きになっちゃうって言われたの…」などと
遠回しにベッドへお誘いするシーンでは、笑ったら不謹慎なのか、いや笑っても良いのか、
そこら辺がよく分からず、観衆を戸惑わすブラックなユーモアも。
陳竹昇扮するシェリーは、決して絶世の美女ではないのだけれど、
そのように、死の間際でもユーモアを忘れず、優しく、可憐な、可愛らしい人。
これまで多くの作品の中で見てきた陳竹昇だけれど、私の印象にここまで強く刻まれたのは、今回が初めて。
金馬獎・最優秀助演男優賞が納得の名演技である。
本作品鑑賞のちょっと前、アメリカ映画『Rub and Tug』で、
トランスジェンダーの主人公にキャスティングされた非トランスジェンダーのスカーレット・ヨハンソンが、
非難を浴び、結局、謝罪して、降板したというニュースが流れた。
その背景には、トランスジェンダーの俳優たちが、
映画界で、役を得づらい不公平な立場に追い遣られているという現状があるようだけれど、
もし、このまま“トランスジェンダー役はトランスジェンダーの俳優しか演じてはならない”
などという方向へ進んで行ったら、それはそれで、どうなのだろう…?!と疑問も沸々。
『アリフ、ザ・プリン(セ)ス』でシェリーを演じる陳竹昇を見て、余計にその傾向を危惧した。
自分とはまったく違う人物に成り切るのも、俳優の力量であり、見せ所。
国籍や人種、性の問題でマイノリティの立場にいる俳優たちにも、
公平にチャンスを与えるのは、一見良い事ではあっても、
その傾向が極端に進み過ぎて、裏で、実力のある俳優が、非マイノリティであるがゆえに、
“逆差別”により、役を得られなくなったら、映画がツマラナくなりそう。
タイトルから受ける印象で、
排灣族頭目後継の運命を背負った性的マイノリティの青年・阿莉芙の葛藤の物語を想像して鑑賞すると、
色々と詰め込み過ぎで、肝心な阿莉芙の部分がちょっと薄く感じてしまうかも知れないけれど、
最初から、“台湾に生きるセクシャルマイノリティたちの群像劇”だと思って観れば、全然悪くない作品である。
『海角七号』(2008年)以降の台湾娯楽映画は、内容が薄っぺらなだけではなく、
画的にも、中途半端に小綺麗になり、台湾ローカル臭が全然感じられないのだが、
この『アリフ、ザ・プリン(セ)ス』からは、コテコテの土着感や、台湾のムッとした湿度も感じられた。
LGBTを扱う作品に一見関係の無い、素人が投資に手を出し財産を失うといった、
台湾映画に昔から繰り返し描かれている“台湾人あるある”が盛り込まれているのも、
意外性があって、良かった。
…と言うか、“低リスクで高金利ハイリターン”の文句に飛び付いた阿莉芙を見て、
あなたもやはり台湾人だったのね、…と再確認した。
かなりどうでもいい部分では、映画前半、佩貞の元交際相手としてチラリと登場する女性の名が、
現在視聴中の大陸ドラマ『琅琊榜(ろうやぼう)風雲来る長林軍~琅琊榜之風起長林』に登場する
黃曉明(ホァン・シャオミン)のイケメン護衛と同じ“東青”だったので、それだけで何かときめいてしまった。
東京国際映画祭の時の物をそのまま使っていると思われる日本語字幕は、
そのような人名表記が、最初の一度だけ“漢字+片仮名ルビ”で、
2度目からは片仮名だけという古臭いタイプだったのが、残念。
“東青”も、二度目からは“トンチン”だし、前述のように、“阿利夫”と“阿莉芙”の区別も無いし、
こんな字幕じゃつまらない。
まぁ、今回は、特殊な上映だから仕方が無いけれど…。
あと、陳竹昇繋がりで、『大仏+~大佛普拉斯』が益々観たくなった。
今一番観たい台湾映画は、『大仏+~大佛普拉斯』と楊雅(ヤン・ヤーチェ)監督の『血観音~血觀音』。
どうでもいい台湾映画は結構入ってくるのに、私が観たいのは、なかなか入って来ないのよねぇ…。