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北京2014:大柵欄

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有り得ない…。2014年の旅の記録を記し終わるのに、私は一体何度年を跨げばよいのか…。
そんなわけで、またまた随分間が空いてしまったけれど、前门(前門)からの続き。
今回は前門大街から横道へ反れ、大栅栏(大柵欄)へ。行き方は簡単。
前門を背に、北京の中軸線上を走るメインストリート前門大街を南下していくと右手に見えてくる。

★ 大柵欄

この地区も歴史は古く、明代すでに商人が集まる繁華街だったが、
張爵が記した当時の北京の地名集<京師五城坊巷胡同集>の中には、まだ“大柵欄”という地名は存在せず、
その辺りには“廊房頭條”、“廊房二條”、“廊房三條”、“廊房四條”といった通りがあり、
内、“廊房四條”が現在の大柵欄にあたる場所。

“大柵欄”という字面からだけでも何となく想像がつくが、この地名には以下のような由来がある。
遡ること明朝第10代皇帝・孝宗(在位1487-1505)の頃。
北京では、治安維持のために、各地域の住民がお金を出し合い、
通りの入り口に、盗賊の侵入を防ぐ木製の柵を設置するようになる。
清朝末期までには、そのような柵が北京のあちこちに1700以上を数えるまでに。
中でも、地元の商人たちの出資で建てられた廊房四條の柵は大きく立派だったため
“大柵欄(大きな柵)”と呼ばれ、それがそのまま廊房四條の正式な地名になったという。

1899年(清・光緒25年)、その地で火災が発生し、地名の由来となった木製の大きな柵も消失。
それからはずっと“柵の現物ナシ”で地名だけの“大柵欄”という時期が長らく続くが、
2000年、北京市政府が通りの入り口に鉄製の柵を設置。
こうして、ついに名実を伴う“大柵欄”が復活。


(↓)こちら、復活した大柵欄の鉄製“大柵欄”。

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夕刻、前門大街側から撮った写真は、西日ですっかり逆光となってしまい、よく見えないので…

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大柵欄の中に入り、内側からもパチリ。



大柵欄は、この鉄製“大柵欄”が建つ東側の入り口から西に275メートルのびる通り。
東京の下町、浅草の仲見世商店街が約250メートルというから、あれよりちょっと長い程度。
そこに現在11業種36の商店が軒を並べ、来訪者数は平日15~16万人、休日20万人くらいだという。
仲見世の統計が無いので比べられないけれど、
ここより広く、店舗数もずっと多い六本木ヒルズの来訪者数が、平日10万人、休日13万人くらいらしいから、
まぁ小さな横丁といっても、立派な観光地。

“ひと坪ショップ”といった感じの小さなお店がひしめき合っている仲見世と比べ、店舗数が少な目なのは、
ここには、安価な商品を売る小規模なお店ばかりではなく、
創業百年を超える北京の老舗が多く集まっているからであろう。
薬の同仁堂、お茶の张一元(張一元)、靴の内联升(內聯升)、同じく靴の步瀛斋(步瀛齋)、
生地の瑞蚨祥(瑞蚨祥)、刃物の张小泉(張小泉)、包子の狗不理、
映画館の大观楼(大觀樓)という8軒の老字号(老舗)の面積が、通りの1/4以上を占めており、
経済面で見ても、大柵欄全体の売り上げの75%は、これら老舗がたたき出しているらしい。



それら老字号も、現代では誰もが気負わずに入れる雰囲気だが、他はさらに気さくな感じ。

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種々雑多に物が溢れている商店が多い。そういうお店の商品は、基本的に低価格なので、
よーく探せば、バラ撒き土産に丁度よい品も見付かるかも知れない。
でも、ホント、よーく探さないと駄目で、「いくら安くても、これはないだろ…」という物も多い。
例えば、(↑)上の画像、下段左のお人形・吉祥娃娃(ラッキー・ドール)とやら、どうなの??!
(↓)こちらに改めてアップ。

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ハンドメイドで、元々38元の物を19元(≒350円)で!とのことだけれど、「・・・・・。」
呪いのワラ人形より怖い吉祥娃娃。私、タダでも要らないかも。


では、以下、大柵欄にあるいくつかの老字号をピックアップ。

★ 大観楼

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大观楼(大観楼)は、映画『西洋鏡~映画の夜明け』(2000年)と深い係わりがある映画館。
『西洋鏡』は、中国初の映画『定軍山』を撮影した任慶泰(=任景豐)の実話をベースにした映画。
この大観楼は、その任慶泰が、清朝末期の1902年、この建物を買い取り、
まず“大亨軒茶樓”という茶楼をオープンし、1905年“大観樓”に改名。
その年、任慶泰が京劇の一場面をフィルムに収めた中国初の映画『定軍山』を、
ここでプレミア上映したことから“中国電影誕生地”と呼ばれる由緒正しき映画館なのだ。
所縁の映画『西洋鏡』も、2000年ここでプレミア上映され、主人公を演じた夏雨(シア・ユ)もやって来たそう。

2005年には、政府が建物の大改築にのりだし、清朝末期~民国初期の雰囲気を復元。
上の画像ではよく見えないけれど、建物入り口左脇に
“中国電影之父”として任慶泰の胸像も置かれている。
現在も映画館として現役で、外部はレトロでも、椅子など内部の設備は新しく、案外心地良いらしい。




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ついでに任慶泰(=任景豐 1850-1932)について、もう少し記しておくと、
彼は奉天(現・瀋陽)の名門一族の出身で、1874年(清・同治13年/明治7年)、自費で日本へ留学し、
明治維新からまだ間もないその地で撮影技術を学び、
帰国後、1892年(清・光緒18年)、北京の琉璃厂(琉璃廠)に
中国初の中国人経営による写真館豐泰照相館をオープンした人物でもある。
この写真館は大いに繁盛し、恭親王奕訂などの皇族も利用していたため、
撮った写真は西太后(慈禧太后)の目にも触れ、任慶泰は宮中に召されるようになる。
それまで西太后は西洋人に写真を撮らせていたが、宮中の規則を知らない西洋人の無作法には怒り心頭。
その点、名家の出の任慶泰は礼儀をわきまえているし、写真の腕も良かったので、
彼は西太后にたいそう気に入られ、二品の頂戴花翎(清朝の羽飾り付きのお帽子)を賜ったという。



北京で時間が空いたら、清朝末期にオープンした中国初の映画館で映画鑑賞をしてみては?

ちなみに、ここ日本では、新潟県上越市の高田世界館が、大観楼より少し若い1911年開業で、
日本最古の現役映画館だったけれど、2009年に廃業してしまったため、
長野県長野市権堂町にある1919年開業の長野松竹相生座が
“日本最古の現役映画館”に繰り上げされている。

★ 內聯陞鞋店

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内联升鞋店(內聯昇鞋店)は、1853年(清・咸豊3年)、天津出身の趙廷が、
朝廷に仕える文官武官が履く“朝靴”を扱う店が北京に少ないことに目を付け、
“丁”という姓の将軍の資金援助で、“朝靴”の専門店として、
北京の東江米巷(現・東交民巷)に開業した老舗。
店名の“内”は“宮廷”、“聯昇”は“この店の朝靴を履けば、仕官への運が開け、3級昇進さえできる”
という意味が込められている。

当時、三品以上の高官が朝靴をオーダーする場合は、来店せず、店の者を呼びつけるのが普通だったため、
機転の利く趙廷は、何年にも渡り、顧客である高官や王侯貴族の足のサイズや個人の好みなどを
詳細に記した<履中備載>(↓)にまとめ、オーダーが入ると、改めて採寸する手間を省き、
すぐに朝靴を仕上げ、お届けに上がったという。

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現代で言う“顧客管理台帳”のような物をあの時代に作り、キメ細やかなサービスに徹し、
清代セレブの心をガッチリ掴み、朝廷御用達の一流靴店にまで成長したというわけ。

清のラストエンペラー宣統帝・溥儀が即位した時に履いた龍靴も內聯昇製だし、
もっと近代になってからも、毛沢東、周恩来、小平といった指導者たちが內聯昇を愛用。
また、エンタメ界では、成龍(ジャッキー・チェン)も多くの出演作の中で、內聯昇の布靴を着用。
そんな事情もあってか、內聯昇が作っているような伝統的な布靴は“カンフーシューズ”と呼ばれることも。

黒い布のカンフーシューズは、中華街で千円程度から買える安物靴のイメージがあるけれど、
あれは內聯昇で作っているような伝統的な靴とは似て非なる物。
內聯昇が作る伝統的な布靴の一番の特徴は、“千層底”と呼ばれる靴底。

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“千層底”、おフランス風に言うと“ミルフィーユ底”。
ゴム底の安いカンフーシューズとは違い、布を何層にも重ね、そこに麻糸で刺し子を施し、靴底を形成。
針目は、一平方寸(≒10センチ四方)で約81目。
刺し子にも、“一”の字のように刺す“一字底”と、“十”の字に刺す“十字底”の2種類があり…

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“一字底”の場合、一足の針目は約2100目、
クロスに縫い目を入れる“十字底”だと、当然針目は倍で、約4200目にもなる。

こういう靴は、40種類の道具を使い分け、90もの工程を経て作られる、大変手間のかかるもので、
一足仕上げるのに熟練の職人で3日間を要するという。
この“千層底”の技術は、2008年、中国で無形文化遺産に登録。


今では、ニーズに合わせ、フツーの革靴も作っている他、
伝統技法を活かしつつも、遊び心のあるデザインで現代風にアレンジした物も多く、例えば…

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西瓜千層底。愛嬌たっぷり。


レディースでは、実用性には欠けるが、(↓)このようなお靴はおかがでしょう。

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清宮ドラマの中のお姫様たちが履いている“花盆鞋”が“格格鞋”の名で売られている。
680元(≒13000円)也。これ、お部屋に飾るインテリア小物などではない(←勿論飾っても良し)。
一般的な靴と同じようにサイズが色々揃っており、ちゃんと履くことも出来るのだ。
これを履けば、かなり本格的な“『宮廷の諍い女』ごっこ”ができること間違いナシ。


もう少し実用性を重視したい方には、室内履きとしても使える(↓)こちら。

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左の2足は千層底、右は革底のスリッパ。
価格は左から346元(≒7千円)、528元(≒1万円)、315元(≒6千円)と、格格鞋よりお手頃。


お子ちゃま用も有り。出産祝いなどにお薦め。

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小さいというだけで可愛く見えてしまいますねぇ~。
ベイビー用のプチサイズでも、ちゃんと布をちくちく刺し子した靴底になっている。
私も、姪っ子が生まれた時に購入。



自分用に、刺繍が綺麗で、ちょっとヒールの付いたミュールが有ったら、室内履きとして欲しいので、
いつも取り敢えず店内を覗くのだが、今回も希望の品が見付からず、何も買わず仕舞い。
內聯昇サマ、早くそういうのを作って売り出して下さいませ。

店内で実演をやっていることもあるので、興味のある方はどうぞ。

★ 同仁堂

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同仁堂は、誰でも名前くらい耳にしたことがあるであろう、漢方薬局の老舗。

その歴史は古く、清朝の“太医吏目”に任命され、太医院にも仕えていたことのある樂顕揚(1630-1688)が
1669年(清・康熙8年)、“同仁堂藥室”の名で北京の西打磨廠に創業。
1688年(清・康熙27年)、樂顕揚が亡くなると、第三子の樂鳳鳴が家業を継ぎ、
1702年(清・康熙41年)、大柵欄に移転して、初めて店頭での営業を開始し、
宮廷秘伝の処方や先祖伝来の処方をまとめた<樂氏世代祖傳丸散膏丹下料配方>を編纂する他、
<同仁堂虔修諸門應症丸散膏丹藥目(同仁堂藥目)>という漢方の目録も制作。
1723年(清・雍正元年)には、雍正帝から宮廷の御藥房に薬を納めるお役目を賜り、
それは以降清朝が滅亡するまでの188年続いた。
いわば、その間の歴代8皇帝のお薬を請け負った“清朝御用達薬局”というわけ。

現在の同仁堂は、海外にも進出している大企業。
北京市内にも何店もの支店をもつが、一番有名なのは、やはり大柵欄にあるこの本店。


昨2015年、中国の女性薬学者・屠呦呦(トゥ・ヨウヨウ)女史がノーベル生理学・医学賞を受賞し、
改めて注目を浴びている漢方薬を、本場の老舗で買うのも悪くはないが、
あまりカサがある物とか薬草は、持ち帰りに不便だし、税関でも面倒くさそう…。
でも、同仁堂には、いわゆる“漢方薬”のみならず、漢方を活かしたサプリやコスメもあるのです。

私のお気に入りは、同仁堂オリジナルのフェイシャルマスク。
今回、フェイシャルマスク目的で、このお店を訪ねたのは2年ぶりだったのだが、
何種類もある上、パッケージのデザインが変わっており、どれを買おうか迷っていたら、
お店のおばさんが、「あなた、2年くらい前にも来たでしょう?以前買ったのはコレですよ」と教えてくれた。
(後で調べたら、パッケージこそ変わっていたが、私が2年前に買ったのは、本当にソレだった。)
2年前に数分会話を交わしただけの私と、私が購入した品を覚えているなんて、おばさん、驚異の記憶力!
これも清朝秘伝の漢方効果か…?!


ちなみに、私が買ったのは(↓)こちらの面贴膜(フェイシャルマスク)。

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ホワイトニング効果がある“美白润肤面贴膜(美白潤膚面貼膜)”と
肌にハリをだす“紧致活肤面贴膜(緊致活膚面貼膜)”。

私が「このフェイシャルマスク、いいかも…」と思ったのは、
このマスクを使った翌朝、洗顔した時、毛穴から微かに漂う漢方薬の臭いを嗅ぎ取ったのが一因。
こんなに時間が経過しても、漢方の成分がまだ毛穴に残留していたのか!と感激。
それだけで、なんだかとても効果があったような気になったワケ。
ちなみに、私はかなり肌が弱いが、ここのマスクでカブレなどの炎症を起こしたことはない。

他にも色々な種類があるので、皆さまも自分のお好みに合う物を探してみては。

★ 吉龍動態民俗文化城

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ここからは老舗ではありません。
人の出入りが多い吉龙动态民俗文化城(吉龍動態民俗文化城)に、私もツラレて入ってみる。
ウナギの寝床のように、間口は狭いが奥行きがある。しかも、奥へ行くと、横にも通路が広がっている。
入り口脇では、涮羊肉(羊肉しゃぶしゃぶ)の老舗で、
北京中に何軒もの支店をもつ东来顺(東來順)・大柵欄支店のブロンズ像が、しゃぶしゃぶ鍋を手にお出迎え。
つまり、この中のどこかに東來順が入店しているのだろう。
ゴチャゴチャしていて、どういう構造になっているのか、いまいち分らない。


取り敢えず奥に入ってみた。

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ちょっとした迷路のよう。売られている商品に統一感はなく、もう何でも有り!って感じ。
はっきり言って、特別ソソられる物は見当たらなかったのだけれど、
せっかくなので、小さな姪っ子に心ばかりのお土産を購入。

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中国感ゼロのカチューシャ(笑)。
“これぞ中国!”という物を上げても、姪っ子が喜ばないので仕方がない。
このカチューシャは大いに喜ばれた。




北京2014・旅の備忘録は、まだもう少し続く予定。
次は一体いつ更新するのやら…。



◆◇◆ 大柵欄 Dashilanr ◆◇◆
地下鉄2号線・前门(前門)駅下車

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